幸運にも女性のパートナーを得られた組が最前列から並び、後半はタキシードの群れだ。
荘厳なるマルクト帝国王宮大広間、一分の乱れもない整列、高い高い天井には、水を司る美しき精霊、ウンディーネの姿が描かれている。
二階席に皇帝が現れると、さぞ練習したのか、また一分の遅れもなく成人を迎えた兵士達がひざまずいた。
短く簡潔な若き皇帝、ピオニー・ウパラ・マルクト九世の真面目ぶった祝辞が済むと、次にちょっと長めだがユーモアたっぷりにマクガヴァン元帥から祝辞が贈られた。
主賓、そして壁際の上官らにもエンゲーブで作られたワインが配られ、マクガヴァン元帥がコホンと咳払いした。
「では若者諸君。杯を」
かかげる。
そして、元帥がひときわ大きな声でいった。
「酒は飲んでも飲まれるにゃ!乾杯!」
「かんぱい」の大合唱のあと、若者たちはグラスを唇に寄せた。
「今、噛みましたよね元帥」
「噛みましたねえ」
フリングス少将やジェイドら、壁の花となっている上官諸君もワインを口にした。
さすらば宮廷音楽隊がワインを楽器に持ち替えて優雅なる円舞曲!
パートナーが居る若者は早々にグラスをテーブルに預け、随分練習したのであろうワルツのステップで舞踏をはじめた。
他のタキシードの群れは、ダンスが終わった瞬間にお目当ての女性の手を奪おうとクラウチングスタートの姿勢でテーブルの間をうごめいている。あるいは、数少ない女性仕官に殺到してダンスを申し込んでいる一群もいる。
「おや、さすがにローザ中佐は大人気ですね。人妻ですが」
フリングス少将が見る先では最近結婚したばかりのローザ中佐が十余名から手を差し出されていた。
ふと、ジェイドが二階席を見上げると皇帝陛下が参謀長に不機嫌そうに何か言っている。
想像するに
「話がちがうぞ!女の子の身体に密着して踊っていいって言ってたじゃないか」
「陛下、この式典の主賓は陛下ではなく成人を迎えた兵士達でございます」
「そんな話をしているのではない!踊っていいって言ってたじゃないか」
「さあ、なんのことでございましょう。最近耳がとおくなりまして」
「参謀このやろう、マクガヴァンじいさんの真似しても騙されないからな」
「ほら陛下、若者が見ている前ではずかしい」
「見てるの男ばっかじゃねえか、女子全員踊って・・・あ!ジェイドだ。誰かあいつ連れて来い。あの野郎若い女の子といちゃいちゃしっぽりできますって言ったくせに」
ピオニーがこっちを指差しているので、そんなことを言っているに違いない。
ジェイドはにっこり笑って、皇帝陛下にワイングラスを掲げた。
怒りに拍車がかかったらしく二階席の囲いに足をかけようとしたピオニーを、ノルドハイム将軍が引き戻した。
さて、円舞曲の真ん中では凛少尉が角刈り男子と踊っている。
使いふるされているはずのドレスは呪いでもかかっているのかようにきらめき、
揺れる裾は、男を惑わせ仕舞いには食ってしまう人魚の歌声のように軽やかだ。
豊かな髪を器用に結い上げて、覗くうなじやデコルテラインは悪魔の石膏像のように白く、
袖口と手袋の間に見える腕の絶対領域は軍人としては恥ずべきしなやかさ。
角刈り君は緊張のあまりへっぴり腰になって、無様なワルツを繰り広げている。
それにしても
あの意外とある胸は作り物だろうか。つい三年前の彼女の胸部は美しい水面のように水平だったはずだ。それとも着やせするタイプなのだろうか。
あの胸は作り物であるとして、少尉の胸に輝く元帥勲章だけは立派だ。
だが、祝いの式典だというのになんて顔をしているんだろう。
(あなたの都は滅びた)
三年前、そう告げた時も
叙勲式の時も
今も
同じ顔をしている。
ただぼんやりと、
ただ...
「・・・大佐?」
「はい、なんでしょう」
「どうされましたか、ぼうっとなさっていましたよ」
「おや?そうでしたか。こんな安っぽいワインは久々でしたので酔ったのかもしれません。水をいただいてきますね」
壁から背を離して歩み出すと、死霊使いの噂を聞いているタキシードたちが道を開けてくれた。
そのとき、一回目のダンスが終わり、皇帝の御前だというのにバタバタと走る音がして皆思い思いの相手に殺到した。
若者達のこの旺盛さがあればマルクトの少子化問題はしばらく取りざたされることはあるまい。
水を貰ってもといた位置に帰ろうとすると、元いた位置にはドレスが群がっていた。
(おや、フリングス少将は大人気ですねえ)
フリングス少将を囲むドレスの輪、それを遠巻きに囲むタキシードの輪。タキシードの輪は見るにも哀れだ。
ジェイド・カーティス大佐がいくら見目麗しいからと言って、死霊使いをダンスに誘うような慎みのない女性はいなかった。
見れば壁添いの上官諸君は太ったおっさんや禿げ上がったおっさんも居るわけだが、一様に若い女性に誘われてデレデレしながら「仕方ないなあ」とか言いながらダンスフロアに出てきている。
「あ」
と声がしたのと、ジェイドの背中に小さな衝撃があったのはほぼ同時だった。
水がグラスからわずかにこぼれた。
振り返ってみるとタキシード姿の若者が大勢ジェイドを取り囲んでいた。
「私はそんなにも罪作りな顔の良さだったんでしょうか」
という冗談は言わず、視線を後ろ斜め下へ向けると、
「申し訳ありません、大佐」
古の王はカーティス大佐の背中にぶつかったことを冷静に謝罪した。
運悪く、大勢に詰め寄られて後ずさったところに、水を取りに来た死霊使いが立っていたらしい。
不本意にもデコルテラインを真上から見ると、ふくらみは作り物ではないらしいことを知る。
ジェイドが1歩動くと、囲んでいたタキシードが三歩下がった。
横にあったテーブルにグラスを置くと、タキシードが六歩下がった。
大勢の人が居るはずの大広間に、あっという間に孤島が出来上がる。
退避しそこなった凛少尉と目が合い、そのとき更に運悪く二曲目が始まった。
ふうとため息を落とす。
「少尉」
「は」
凛少尉はぴっと姿勢を正した。
対してカーティス大佐はわずかに上半身を傾けた。
「一曲お相手願えますか」
凛少尉は一拍あとに意味を理解し、それからジェイドが差し出した手のひらに重ねた。
子供のような手のひらは変わりない。
「・・・ご指導賜ります」
「訓練ではないのですから」
中央に進み出ると、さっきの角刈り君と踊っていた時のぼんやり顔のまま、習ったとおりに足を動かす。
お互い、事務的な作業になった。
ワルツ
「もう少し肩の力を抜いてください。リードしづらい」
「・・・」
少尉は唇を噛んで俯いたまま暫く踊って、ジェイドに詫びた。
「申し訳ありません・・・どうすれば、動きながら肩の」
力が抜けるのかと言い終わる前に、ジェイドは薄い背を抱く手に力を入れた。
一瞬びくりと身体に力がはいったあとに、ふっと力が抜けていった。
その変化に、ぼんやり顔がきょとんとした顔でジェイドを見上げたけれどすぐにまた目をそらされた。
死霊使いの相手らしく、葬送曲に合わせて踊ってくれているつもりなのかもしれない。
しかしながら俯いた顔のエロスたるや、恐るべし古の王。
胸にマルクト軍元帥勲章をつけた古の王。
その白い手袋に包まれた手のひらは、ジェイドの指でほとんど隠してしまうことができた。
子供というのは随分あたたかい生き物だと知る。
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