東ルグニカレムデーカン海戦、東ルグニカシルフデーカン海戦、おこる。

マルクト領海で生じた小規模な諍いに端を発した戦いは、2万2000のキムラスカ艦隊の遠征に対し、マルクト軍1万9000の一個師団で当たるまでにその規模を広げた。
マルクト軍第八師団を率いる猛将ゴルベーザ将軍はフーブラス川沿いに東征し、東海岸を背に陣を展開、海上のキムラスカ軍と対峙していた。

キムラスカ・ランバルディア王国の大艦隊は静かに海に浮かび、1寸も動かない。
兵数で勝りながら攻めてこない不気味な敵軍と、これを不用意に攻めて敵の術中にはまることを警戒したマルクト軍は、一発も撃ち合わないまま、こう着状態に陥っていた。

戦地への移動の最中、少尉は「軍議だ」と言って度々将軍に個人的に呼び出され、その度にタルタロス内の将軍用居室に引き摺りこまれそうになった。しかしながらケセドニア北部戦役において少尉は第八師団における絶大な人気と信頼と信任を得ていたため、色を好まれる将軍の巣に
「緊急で報告いたします!」
と、どうでもいいことを報告しに飛び込んでくる兵士に何度も助けられていた。
「ご、ご無事ですか少尉」
今日も今日とて助け出された少尉にいくらかの兵卒が駆け寄ってきた。
「大丈夫です。助力を感謝いたします」
自室へ戻る廊下を歩きながら冷静に軍服の乱れを整える小さな背中を見送って、兵士らは乙女のように身悶える。

「少尉かっこいい!」
「少尉かわいい!」
「少尉きゅんとくる!」
「でもあの噂って本当かな。盗聴器とか盗撮とか」
「ありゃ嘘だろ。いくらファンでもそんなことしたら軍法会議モノだし」
「そうだよ、このまえ情報部の同期が少尉の着替え生写真売りさばいてるっていうから一枚買ってみたら、完全にアイコラだった」

わっと笑った若者たちは、その数日後東ルグニカ海上にて悪夢を見るか、悪夢の中の登場人物となった。






***



星はぶ厚い雲に覆い隠され、新月の夜は、音だけがそこが海だと報せている。

少尉を含む一個中隊660名は本隊を離れ、小型船に分かれて海上を静かに進み、目標地点に到達したことを確認した。
譜術のマーキング技術を応用したエコーが、先行して潜んでいるはずの味方艦隊の姿を探す。
この極秘任務は戦況を左右する重要な意味を持ち、他の隊には一切共有されていない。中隊660名についても、挟撃作戦の詳細は先行隊と合流後、先行隊隊長からはじめて知らされる手筈となっているほどだ。
しかし、いくら探しても先行隊からのエコー応答は返らなかった。敵に見つかったのかもしれない。
作戦時刻を三分過ぎ、少尉は判断した。

「作戦を中止し、撤収します」

来た海を息を殺してもどる彼らの行く手に1つの赤い火の玉があらわれた。
その火の玉が横にひとつ増えた。二つになった火は四つになり、八つになり、そこからは無数の火となって、眼前の、キムラスカ・ランバルディア王国の国旗はためく大艦隊を照らしだした。
彼らは、偽りの戦況地図を握らされ、偽りの挟撃作戦を携えて、新月の夜の海で敵軍の目の前にいた。
マルクト軍主力のひしめく海岸に向けられていたキムラスカ軍艦の全敵砲台が一斉に1個中隊を向いた音を聞いたけれど、ほとんどの若者は何が起っているのかわからなかった。
なぜ“戦況地図“上で敵のいないはずの区域に敵がいて
なぜ”作戦“上いるはずの先行隊がいないのか
なぜ極秘任務の
なぜ仲間の胸からうえが吹き飛んだのか
なぜ死ぬのか
なぜ、なぜ、なぜ

武器、食料と偽って小型船に積んでいた木箱の中には、敵陣の左翼全体を巻きめるだけの火薬が詰め込まれていたことを知っていれば、彼らの問いに答えが出たのかもしれない。






キムラスカ軍左翼が連鎖的に光り、鼓膜を割る爆音は後からついてきた。

「策は成った!」

ゴルベーザ将軍が司令室で双眼鏡を床に叩き付けた。

「これよりバルバリシア隊、スカルミリョーネ隊及び本隊は敵左翼へ向かい前進!一斉掃射を加える!勇敢なる同胞の死を無駄にするな!」

望んで爆薬を積んで行ったらしい1個中隊は彼らの本懐を遂げたそうで、のちにゴルベーザ将軍は本国へ660名にも上る戦士達の名簿を送り、彼らに二階級特進の栄誉を賜りたいという言葉で結んだ一次報告を上げてきた。






「とのことです」

かの師団の情報部管轄長は一字一句違わずに報告内容を読み上げた。
円卓を囲む将軍各位はおのおの違う表情をしている。

私の横に座っていたフリングス少将は「胸焼けのする報告書ですね」と苦笑いを向けた。
私は答えなかった。
少尉
その名前は報告添付資料8枚目の戦死者名簿にあった。なんとなくそこで目と手を止める。
あっけなく死んだ。
ピオニーによれば少尉は昔の私に似ているそうだ。一発殴ってやったなら、はたしてこんなことにはならなかっただろうか。
いや過去の仮定は無意味だ。
私は少尉の死を悼んでいるのだろうか。
特に悼んではいない。それほど親しいわけでもなかった。
彼女を遺跡で見つけて、タルタロスで尋問した。それから研究所で「あなたは軍事利用価値がないようだから開放します。生きていく金銭がないなら軍学校をお勧めします」と告げた。それからワルツを。
だたそれだけで、なぜ私が一発ぶん殴らなかったことを後悔しなければならないのか。
私は少尉に関して後悔しているのだろうか。
いや、後悔などしていない。
(誰に似ていると思う)
私がネビリム先生の復活にすがりついたようにあの人もなにかひとつ、すがりついてはいけない祈りにすがりついていたのだろうか。
あの人を一発殴ってくれる人は2000年前に皆、死んでしまったというのに。

「カーティス大佐、指令書を届けるにあたり貴殿の意見を伺いたい」

ノルドハイム将軍が呼んだ。
このとき、海戦の勝敗はまだ決していなかった。



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