両軍は再びこう着状態に陥っていた。
混戦の末、その規模こそ小さくしたが開戦前と同じ陣形に両軍が逆戻りする形となったのである。
“本懐を遂げた戦士諸君”の勇姿を無駄にしたことを自軍、敵軍共に知らしめる戦況に、ゴルベーザ将軍は苛立ちを隠しきれなかった。
そこにあって翌日、月は変わってシルフデーカン 1の日、小隊生還の報はマルクト軍の士気を大いに高めた。
ただ一個小隊の帰還ではあるが、ケセドニア北部戦で指揮官を失った第八師団を守ったのも確かに彼の者であったからだ。
ゴルベーザ将軍以外にとっては、誠に喜ばしい。
生きて戻れるはずのない量の火薬を詰め込んだのに。






***



少尉、さすがはケセドニア北部戦争の守護女神だ。よく生きてもどった」
「恐れ入ります」
「加えて、あなたの情報のおかげで我が軍は戦わずして勝利を得た。疫病にかかったキムラスカ人を大勢捕虜にしなくてならなくなったわけだが、彼らへの措置は我々の負うべきところではない。議会が決める」
「はい、閣下」
「・・・」
「・・・」

ガタンと音がした。木製の椅子が倒れる音だ。
布ずれの音がして、ゴルベーザ将軍の声が近くなる。

「なんだその目は。わ、私をおどしているつもりかっ」
「脅しておりません、閣下」
「貴様が敵船から回収した情報など全て私が奴らのケツの穴に貴様を突っ込んでやったからわかったことではないか!そ・・・そうだ、これは貴様の策略だ。おまえは品性卑しいキムラスカ人と寝て、そうでなければ補給船の経路まで得られるはずがない。我らを裏切って敵と結びながらそれを自分の功績にしようなどと!」
「閣下、手をお放しください」
「いやらしいメスが。キムラスカの男には突っ込ませるのに、わ、私にはなぜっ!」
「・・・っ、放っ」
「大人しくしろっ、そ、そうすれば、いっ、一生殺さないで飼っ」

ドン!とブーツのかかとが金属の扉を蹴る音がした直後、将軍の執務室に伝令兵がなだれ込んできた。

「ゴルベーザ将軍!グランコクマから緊急の伝令が届きました!」



見事にオチまでついたところで、レコーダーの再生が止められた。

「以上が、少尉の軍服に取り付けられていた盗聴器の記録です」

簡素な第四会議場ではゴルベーザ元将軍の罪状に関する軍法会議がしめやかに営まれていた。
一方、
壮麗なる謁見の間では東ルグニカレムデーカン海戦及び、東ルグニカシルフデーカン海戦における貢献を評価され、昨日グランコクマへ帰還したばかりの小隊全員が召集されていた。

ピオニーはこれより2日前に、海戦の顛末をジェイドから聞いていた。
ブウサギが跋扈するジェイド・カーティス大佐の執務室では、当然のように皇帝陛下がソファーでゴロ寝している。土足で。

小隊が生き残れた理由は、ただ運が良かっただけだそうです。敵味方もわからず撃ち合って、あるいは仕込まれていた火薬に引火して自爆していく船の間を死なないように努力して泳いだそうです」

言いながら、ジェイドは先ほど部下から上げられてきた別件の書類に目を通している。

「潮が引いてからは一旦岩壁の自然窟に身を寄せて、満ちれば泳いだそうです」
「海ってそんな簡単に泳げるものなのか」
「大変に決まってるじゃないですか。だからそこで10人亡くなったそうです」
「ふうん」

ピオニーが生返事をするときは考えているとき。

「続けろ」
「最初は食料を得るために漂流物を拾っていたそうです。そのなかで得られたのは、敵軍の物と見られる保存食の多くが腐敗していたこと。もう一つは、浮遊するキムラスカ兵の遺体には共通する異常が見られ、遠征中に疫病が蔓延していたことが推察されたこと」

ブウサギがジェイドの足に絡んできたのは無視した。

「さらに一つはその遺体のポケットを漁っていたらハトの足に結びつけるための書簡が入っていたそうです」
「補給艦との合流地点と日時を示した?」
「そうです」
「うそ臭い」
「写しならここにありますけれどご覧になりますか」
「俺が見たってわかるか。暗号だろ」
「暗号です」

ピオニーは身体を起こし、見たってわからない暗号文の写しをやっぱり見に来た。
そして紙を上にしたり下にしたり、顔を横に傾けたり、寄り目したりしながら暗号解読を試みた。

「トリックアートではありませんので、逆さにすると別の絵が見えるとか寄り目すると浮かび上がるということはありませんよ」
「ふん。・・・で、我が軍は川を逆流したんだっけか。すさまじいね」

速やかに諦めて、写しを床に捨てた。
ブウサギが拾って食い始めたので引っぺがす。

「少尉帰還後、艦隊は三日間かけて徐々に後退。フーブラス川はこの時期引きますので」
「引くのか」
「引きますよ。25年前の教科書引っ張り出してやり直してください皇・帝・陛・下」
「へいへい」
「後方艦隊から順に川へ侵入、敵の捕捉範囲外に出たところで一部連隊が陸上走行に切り替え、セントビナーを経て大回りで海に戻り、カイツールからの補給艦及びそれらの護衛艦を待ち伏せ。さすが猛将ゴルベーザ少将、足も手も早い」

手が早かった資料はすでに軍本部へ提出されている。
少尉の軍服に盗聴器をしかけた第八師団情報部所属の3名とその指揮官は一階級下げられた上、減俸。更に1ヶ月の懲罰房生活が科せられた。

「補給を絶たれてヤケクソになった敵艦のいくらかは、川で一列になっている我が隊のしんがりに砲撃を加えてきましたが、しんがりを務めた装甲艦タイクーンはすでに全乗組員が真後ろの重巡洋艦ミシディアに退避済み。死者なし、だそうです」
「夢みたいな戦い方だな。誰も死なない」
「そんなことはありません。将軍の私怨で囮に使われた1個中隊660名中630名は全滅していますし、その後の撃ち合いで両軍が約5分の1を失っています。補給の敵護衛艦と撃ち合った際にも」
「そうだ。たくさん死んだ」
「子供のように言わないでください」
「少尉が死んだと知ったとき、どう思った?」

ピオニー九世は悪い顔をした。
執務室で、仕事中に彼に幼馴染の顔をされることを、ジェイドはとても嫌っていたのでこれには答えなかった。

「俺はなジェイド。昔のおまえが死んだように思ったよ」

笑いながら言うことではない。
イライラする。

「仰りたいことの意図がわかりかねます」
少尉がマルクトに加担する理由は何だ。戦いが起こる度に前線を志願している理由は。我が国の軍人を助けまくっている理由は」
「あいにく存じません。本人に聞いてください」
「彼女は完全におかしな方向にいっているんじゃないのか」
「ピオニー陛下。民に心を砕くなとは申しませんが、一個人に過度に傾倒するのは歓心いたしかねます」
「だって」
「だってじゃありません」
「だって、民がみんな死んでしまっている何千年も未来に俺だけが生き残っていたとしたら、俺は頭ヘンになってさ、必死に国と民を探す気がするよ。必ず見つける方法はあるし、必ず存在しているんだって思い込んで。昔のおまえみたいだ」

うるさい

「だからなんだと言うのです」
「昔のおまえみたいに過去に縋ってくだらないこと考えてグルグルしている奴をぶん殴って、今のおまえくらいにしてやれつってんだ」
「なんで私が」
「俺はすでにバカを殴り終わってるから、お役ご免だろ」
「放っておけばいい」
「おまえみたいだから放っておけないんだよ」

うるさい!



「よーやく見つけましたぞ!陛下!」



バタンというよりはドカン!と執務室の扉が開いて(内側に開くはずの扉が真ん中で割れているように見えるのは気のせいだろうか)、ゼーゼマン参謀総長が飛び込んできた。

「今日という今日は仕事をしていただきますよ!」
「おいおい落ち着けよ。またコレステロール値が上がるぜ?」
「それをいうなら血圧でございます!陛下!」
「俺はいま大佐殿と大切な話をしているんだ、仕事は後でちゃんとやる、かも」

かも、だけ音量はピアニッシモだ。

「大切な話とは、まことですかな大佐」
「陛下におかれましては先ほど突然おでましあそばしまして私の過去の性経験に関する情報をつまびらかに開示するよう仰せになりプライベートな内容ではありますが陛下のお世継ぎ問題のこともございますのでこれを拒んで陛下の性に対するご興味ご関心を減退させるような態度は臣下としていささか心苦しくもありいかにお答えすべきかと考えあぐねていたところでございます、ゼーゼマン参謀」

「陛下ぁあああ!」

「お、おまえ人がせっかくいい話をしてやってるのになんだそれ!しかも大嘘を一息で」

参謀総長は伝説の魔物「コナキジジイ」のごとくピオニー皇帝陛下に組み付いた。
皇帝の動きは封じられ、そこに現れたノルドハイム将軍によって嵐は去った。
と思ったらノルドハイム将軍だけ戻ってきて

「言い忘れました。少尉は明後日の叙勲式の後、貴殿の旗下に配属される。正式な辞令は追って部下に届けさせよう」

とだけ告げた。



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