散らかった皇帝の部屋を目の当たりにしても、少尉は沈着だった。

「やあ、呼び出してすまないな少尉。少し散らかっているが入ってくれ」

珍しく公務用の席についていた皇帝が立ち上がり、私と少尉を迎え入れた。

「よく来てくれた。怪我はもういいのか?」
「はい、陛下」
「それ良いことだ。ああこの部屋はちょうどいい椅子がないな。ジェイドはそこのソファーにかけてくれ」
「失礼いたします」
「少尉は奥のベッドにでも座ってくれ」
「はい、陛下」

と少尉はまっすぐベッドに向かった。
自分の部屋なのに、抜き足差し足で少尉のあとを追いかけようとした皇帝が目の前を通りかかったので、おおっとぉ、足が長くてすみません。

「お、おまえ・・・こ、皇帝に足を」
「申し訳ございません。あまりにも部屋が散らかっているもので、陛下のお持ち物を踏んではならないと足の置き場を考えておりましたところに、陛下がおでましになられたものですから、この罰はいかようにも」

滑稽に肩をすくめて見せる。

「というかなんでおまえまで付いて来てるんだ。俺が呼んだのは少尉だけだ」
「無論、陛下の護衛です」
「人の足ひっかけといておまっ」

ギシ・・・。

「あなたも本当に座るんじゃありません」

少尉がベッドからパッと立ち上がった。

ピオニー皇帝陛下のシモネタはそこまでにして、本題に入る。
まさか本気で少尉をベッドでどうこうしたくて呼んだわけではあるまい。

「あなたの望みを聞こう」

なんと馬鹿な皇帝だ。
この男は受勲式の非礼により中佐になり損ねたに私的に褒美を与えようとしている。
皇帝の“私的”というのはどうやっても“公的”なものにしか成りえないというのに。

「あなたはあの場で兵士の遺族に配慮をと願い俺はもちろんだと答えた。だが実のところ、遺族に支払う金額は法によって定められているからな。それ以上は払えない」

謁見の間で倒れる寸前にそんなことを話していたのか、と思う。
それを言っていたときの彼女の顔が目に浮かぶ。感動するでも悲しむでもなく、淡々と述べたに違いない。

「はい、陛下」

そう、きっとこんなふうに。

「だから改めて望みを聞くんだ。言いなさい」

これに対して少尉は私の予想通り、謁見の間での非礼を詫びた上で勲章を剥奪されなかったことだけでもこの身に余ることだ、というようなことを言った。

「言うと思った」

皇帝にも見抜かれていたらしい。

「なんでもいい。叶えられるものとそうでないものはそこの眼鏡がハッキリ言ってくれるから遠慮することはないさ」

少尉がちらりとこちらを見た、

「まあ、おっしゃるとおりです」

私がこの場に立ち会う限り、無理難題は通さない。

「例えばだなー。俺のかわいいブウサギを撫でたいとか」
「ふむ。それは新たな拷問か何かでしょうか」
「若き皇帝陛下が夜這いにきてくれる券四枚綴りとか」
「商店街の福引き補助券のほうがまだマシです」
「セーラー服!」
「セーラー服の購入にあたっては皇費から捻出しますので議会にて事前の予算審議が必要です。議会の承認を得られればセーラー服でもナース服でもいくらでもどうぞ」
「そこの陰険眼鏡をぶん殴りたいとか」
「やってみても結構ですが反撃しないとはお約束できかねます」
「なんでいちいちおまえが答えるんだよ!俺は少尉に聞いてるんだっ」

少尉は沈黙したまま我々のやりとりを眺めていた

「・・・」

いや、なにか考え事をしているのだろうか。視線が一点をじっと見つめている。
私を、じっと。
まさか本当に私を殴りたかったりするのだろうか。
思えば、彼女を2000年の眠りから叩き起こし、利用価値がないからと言う理由で放り捨てたのも私だ。恨まれていて当然だろう。
視線が交わったあと、少尉は突然ビクと震えて足元に視線を落とした。
どこからわいてきたのか、少尉の足にブウサギがまとわりついてる。少尉は迫り来る家畜を踏まないよう1歩、2歩と後退した。

「コラコラおまえたち。少尉を困らせるんじゃない」

飼い主の言うことなど全く聞かず、ブウサギが彼女を壁際まで追いつめた。

「少尉、家畜は無視してさっさと陛下に望みを言ってしまってください」

一発ぐらいは大人しく殴られてやってもかまわない。

「何も」
「ほんとうに?」

ピオニーは顔を覗き込むように尋ねた。
ブウサギに詰め寄られ、皇帝に問われ、少尉の格好はまるで少女のように崩れた。ぴったり両足をそろえて敬礼する姿から、今はわずかに内股になって両手は自分の軍服を握り締めている。
うつむいて。
これでは我々がいじめているみたいだ。
歩み寄り、強張った指を解いたのはピオニーで、小さな手を片方ずつ握りこんだ。
少尉を覗き込む。

「言ってごらん」

いじめている上にセクハラだ。
その甲斐あってか少尉の唇が、はじめは音をなさずに小さく震えた。
一度唇をぎゅっと噛んで、もう一度小さく開いた。

「・・・キモノ」

小さな声で、よく聞き取れなかった。

「ん?」

子供に問うようにピオニーがやわらかい声で尋ねる。

「わたくしが着ていたキモノ・・・を、お返しいただきたく」

少尉の細かな仕草に驚いた。
ぼんやりなどとんでもない。
震える指先も勇気を振り絞るような唇も声も望みも、今のただ一瞬でピオニーが引き出した。
かつて私をぶん殴って私の研究をやめさせたこの男は、今少尉で同じ現象を起こしたのだろうか。

恐ろしい力を持った男が私を振り返ったので、私は(不覚にも)抱いていた驚きを封じ込める。

「キモノとは何のことだ、ジェイド。服のようだが?」
「彼女が発見されたときに着用していた衣服は我々の知らない繊維が使用されていましたので、解析のため回収しております」
「今もあるのか?」
「はい。繊維の原料となる素材が手に入らず、現在は第一研究所に資料として保管されているはずです」
「少尉に返すことはできるのか」
「可能です」
「よし!では今すぐに返却するように」
「承知いたしました」
「用意できるものでよかった。・・・少尉?」

少尉の身体は硬直から覚めるようにビクと震えた。
全く嬉しそうではない。むしろ。
あの礼儀正しい少尉が、褒美の礼を言うのも忘れるほどに弱ってきているように見受けられた。

求めたくせに、在って欲しくなかったのだろうか。



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