「それじゃあ、ケーブ・モッグへしゅっぱーつ!」
ダングレストの宿屋の前でカロル先生の元気な声に、一応「おー」と腕を掲げる。
肘、のびねえ。
「なんだよぅユーリィ。眠たい声」
「別に眠くねえよ。ほれ、さっさと行くぞ」
俺はガキの頃確かにが好きで、対等になりたいと思っていた。でもが結婚すると聞いて全部終わりになった。下町へ下る坂道で嫌いだあんなやつと何度も繰り返した。繰り返して、繰り返しまくって自分に暗示をかける作業には成功したはずだ。嫌なことは忘れてフレンと遊んだ。それからずっと忘れてた。それに俺はエステルが・・・ん?別に、あいつとはなんもねえけど。別にまだ。・・・とにかく。
なんでだ。なんで俺はを前にしてこんな落ち着きがなくなってんだ。おっさんじゃあるまいし。














ケーブ・モッグ大森林

「じゃ、俺とジュディスとカロルとラピードで探してくっから、リタとおっさんはその人と居残りな」

大森林の入り口でレイヴンがひらひらと手を振る。

「りょーかーい。さんとリタっちの身の安全はおっさんにまっかせなさ〜い」
「ちょっと待って、あたしも行くわよ」

出発しようとした一行をリタが制した。

「鎮静化したエアルクレーネの様子見てみたかったって言ったでしょ。かわりに犬っころが残ってよ」
「なーになに。おっさん一人でもお嬢さん守れるわよ?」

心外!とばかりに大仰に、軽薄に振舞うレイヴンをカロルは無視して、ラピードと視線を合わせる。

「ラピード、レイヴンがさんになにかしようとしたら、すごくザックリいっちゃっていいからね」
「ワン!」
「え、すごくザックリ!?」

レイヴンの顔が引きつった。







大森林の入り口、レイヴンはホーリーボトルの封をきり、あたりに撒いた。

「これでよし」

このあたりの魔物であればレイヴンとラピードだけでも充分にを守りきれるだろうが、念のため。
あとは倒れた木の幹に腰掛け、デュークを探しに出た皆を待つだけだ。
会話をしたり、顔を合わせたりすると(実は多少面識があったりするので)シュヴァーンであることがバレかねない。
何かしゃべる時はなるべく軽薄で不真面目に振舞い、あとは寝たふりをした。
幸いは無口なほうらしく、ユーリ達が向かった方角を向いたままほとんどしゃべらなかった。



さてもやっぱり



なーんで皇妃殿下がここにいるのかねえ。帝都で大騒ぎになってないといいけれど。
なんだろうな、皇帝の系譜の間で帝都から脱走するの流行してんのかな。

「ところで」
「なんでしょう美しいお嬢さん」
「なぜそのような格好をしてここにいるのです、シュヴァーン」

バレてら。

髪をぼりぼりかく。
皇妃、様はユーリ達が向かった方を向いたまま、わんこは暇そうにあくびをしているのを確かめる。
レイヴンのふりを続ける意味も意義も見当たらないので観念してため息をつく。

「それは私からもお伺いしたいところです、皇妃殿下」
「・・・そうでしたね」
「可能な限り早く帝都にお戻りください。畏れながら、殿下は御身の利用価値を軽んじておられる」
「・・・」
「些細なことから申し上げれば、あなたの屋敷の警備にあたっていた騎士達は叱責を免れないでしょう。重大なことを言えば、あなたのこの軽率な行動がギルド・帝国間の協定に亀裂を生みかねない」
「指摘はもっともです」

帰るとは言わない。

「力ずくでご帰城いただくことも可能です。こうして」

レイヴンがの腕を軽く引っ張った。
は頑なに大森林の奥を見つめる視線を動かさない。
この若さで、この美貌で未亡人というのはピッタリのような、大層もったいないことのような。
ぴんと糸を張ったようなこの人の意地がどこまで耐えられるのか試したい気分になって、いま少し強く腕を引いてみる。
美しい鎖骨の線が浮かぶ白磁の肌が、わずかに緊張を帯びた。












「うっぎゃぁああああ!」


大きな声が大森林に響き、木の枝にとまっていた鳥が一斉に飛び去った。

「グルルルル」

ラピードが腕にすごくザックリ噛みついている。

「わんこ!これは違う!違うんだってば!お口アーンして!お口アーン!」

なんとか猛牙から逃れたところで、ラピードは皇妃殿下の前に立ちふさがり、こちらを思いっきり威嚇している。
ラピードの目が本気だったので、じりじり後ずさる。
ドッと背中に何かぶつかり振り返って見れば、ユーリだった。

「お!おかえりー。いやあよかったよかった。ここはひとつ青年や少年に場を和ませて欲しいと切望していたところだったんよ」
「一句読め」
「一句?青年にしてはずいぶん変わった場の和ませ方だなあ?」

笑いながらユーリの腕をペシペシ叩いて、ふと見ればユーリは抜き身の刀をたずさえている。

「・・・辞世の句を読んでいいつってんだ、おっさん」

ユーリの目のほうが本気でした。



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