壮年の皇帝の傍らに若い白磁の肌のひとが在る。
長い睫をわずかに伏せて、見る者の息をとめる美しさだ。
人魔戦争終結後、騎士の多くが命を落とし、不満は皇族へと向かう。
祝い事が必要だった。
貴族のなかでも最も見目麗しい人が皇妃として議会に選定され、結婚式典は盛大に行われた、気がする。
正直、そのあたりは死んで、生き返ったばかりだったのでなにもかもぼんやりとした夢のようで、覚えていない。
皇妃を迎えた頃にはすでにクルノス十四世の身体は病に蝕まれていた。
皇妃殿下の護衛任務をしたことがある。
皇妃殿下が「お庭」に「お出になる」のを「お守り」する「お任務」だ。
儀礼的にしか微笑まないという印象をもっていた美しい皇妃は、王城の庭のベンチに腰掛けシュヴァーン以外の騎士を下がらせた。
何を言うかと思えば
「シュヴァーン隊長、あなたは人魔戦争を生き抜いた数少ない英傑のひとりと聞きます」
生き抜いた?生きて、死んで、生きたの誤りだ。
「はい、皇妃殿下」
「では、デュークという人物をご存知でしょうか」
「名前だけは存じております」
多くを秘される人類の英雄の名。
「その者が今どこにいるか知っていますか」
公式発表は行方不明。
「いいえ、皇妃殿下」
「・・・そうですか」
「申し訳ございません、皇妃殿下」
人に与し、人に欺かれ、戦争終結後は帝国の至宝デインノモスとともに姿を消した。
「謝らずとも良いのです。けれど、もし彼に会ったなら・・・」
「・・・」
「会ったなら」
左手の薬指の指輪を右手で覆い隠す仕草があって、「どうしよう」と震えた子供のような声が聞こえた気がした。
それきり声は途切れ、彼女の後ろに控えていたから表情をうかがい知ることはできなかった。
エフミドの丘、街道
エフミドの丘は思っていたよりもずっとひどかった。
「ここに入っていくのは、ちょっと危険ね」
かつてヘラクレスの主砲を受け街道は完全に消滅した。
復旧したという噂だったが、もともと街道があったのとは別の場所を一時的に人が通れる程度に平らにしたにすぎなかった。
激震で沈下した地面の方を街道とし、街道沿いの絶壁の方こそがもとあった地面の高さだろう。
絶壁の上に森が広がっている。
土の層はむき出し。
上の方では根で支えきれなくなった大きな木が街道の方へ向かって傾いている。
更に、今日のように雨の強い日には平らにした土はぬかるみ、そびえる絶壁は今にも土砂崩れを起こしそうな有様だ。
デュークは道をそれ、あの鬱蒼とした森の中へ消えたという噂だが。
「あいつの友達の墓って確かエフミドの丘にあったのよね」
「うん。デュークはこの上の森に行ったのかな」
「ここまで地形が崩れるとあの墓自体残っているか、あやしいところだねえ」
一行は雨避けのローブをまとってはいるが、容赦なく打ち付ける雨の冷たさと海から吹き込んでくる風のうなりを耳で聞き、「今日は引き上げたほうがよさそうだ」という結論に至った。
クシャナは少し離れたところで、絶壁の上に見える木々を見上げていた。
彼女のローブだけ素材が皆と違うから一目でわかる。帝都から出る時に着ていたものだろう。
頭にもローブのフードをかぶっているので表情はわからない。ただ黙って上を見上げていることだけしか。
ユーリは彼女の方を見ていたけれど声はかけられなかった。
レイヴンがユーリの肩をトンと叩いて、「自分が彼女に撤収を伝える」と言葉なしでユーリに伝えた。
ユーリは応えず、来た道をカロルたちと歩き出した。
「殿下、今日は引き上げましょ。この雨と風の中あの森に入るのはリスクが高い」
「わかりました」
「聞き分けがよくて助かります」
「そなたの言ったとおり、わたくしが帝都へ戻るのが遅くなればなるほど心配や迷惑がかかるのでしょうけれど、だからといって皆さんを危険にさらしてよい理由にはなりません」
レイヴンを通り過ぎながら、静かに冷静にクシャナは言った。
まるで自分に言い聞かせるようだなあとレイヴンは苦笑いをして、クシャナに続いて歩き出した。
チカッと視界の端でなにか光る。
咄嗟、叫んだ
「止まれ!」
森を見上げていたクシャナとレイヴンが二、三言と話すと、まずクシャナが、その後レイヴンが帰路を歩き出した。
デュークに会う目的のために一人で帝都から抜け出したようなやつだから、雨でも風でも嵐でも、なんでもいいからデュークを探しにいくような気がしていた。そうではなかったことにほっとする。ほっと?何にほっとしたのかわからない。だいたい、どうやって帝都からダングレストまでたどり着いたんだろうか。護衛を生業にしているギルドに頼んだのか、それとも行商ギルドの一団にくっついて来たのか。皇妃ともなれば金に困ることはないのだろうから安全な方法はいくらでもあるのかもしれない。そうだ、実際無事にダングレストまでたどり着いて、こうしてデューク探しを遂行中なのだ。帝都からダングレストまで危険なことはなかったろうかと考えるのはおかしい。
ユウマンジュの番頭からこのあたりに追いはぎがでるという噂を聞いた時、レイヴンが追いはぎは白っぽい髪の男ではなかったかと番頭に尋ね、知らないと返ってきて、クシャナはずいぶん悲しそうだった。それなら万が一デュークが追いはぎになっていたとしても、クシャナはデュークに会いたいというのだろうか。
ってなんだそれ。デュークが追いはぎなわけねえか。
昨日も一昨日もその前もその前も寝ないで剣を振り回していたせいで、思考がバカになっているに違いない。
そう考えたらなんか頭痛いような気が
「止まれ!」
レイヴンの真剣な大喝が響いた。
ユーリ達が振り返った時、レイヴンはクシャナのローブを捕まえていて、クシャナの足すれすれに矢が突き立っていた。
「こりゃよろしいタイミングですこと」
レイヴンは小さくぼやき、ローブの中から折りたたみ式機械弓をとって素早く構えた。
矢が来た方向を索敵・警戒しつつクシャナを後ろに隠す。
黒雲たちこめ、大雨に、大風に、雲の上ではゴロゴロと雷の音だけ聞こえている。
まさに嫌なことが起こるにはうってつけ。
「レイヴン!」
「おっさん!」
「どーやらやっこさん一人じゃないみたいだわよ」
雨の音に紛れて森がざわつく。
リタ、カロル、ジュディスに続き、ぽんこつになっているかと思われたユーリも集まり、各々武器をかまえた。
「問題ないわ。全部まとめてぶっ飛ばしてあげる」
機構はさっぱりわからないが、リタがマナの力を利用した魔法の詠唱を始めた。
「リタ、あんまデカいのやってやんなよ。せっかくつながった街道が吹っ飛ぶ」
ユーリが鞘をはらい、その足元ではラピードが今にも飛び掛かれる姿勢だ。
カロルがバリバリドリルハンマーなる殴られたら絶対ただではすまないハンマーを構え、
ジュディスはローブを取りはらい珠の素肌と愛槍ブリューナクを惜しげもなく雨にさらす。
皆の後ろに隠されたクシャナも帝国の紋章が刻まれた短刀の柄に指をかけ、
「アホか」
とユーリの手のひらによって鞘に押し戻された。
クシャナが見上げ、ユーリの視線とかち合う。
上からよくよく見れみれば、ローブ越しのクシャナの肩がすくんでいて、目が潤んで、柄に触っている細い指などカタカタと震えていた。
なんだかエステルとはじめて会った時に似ている。
そう思ったら普通に笑えた。
「任せとけって。あんたんとこのザル警備と俺らを一緒にすんなよ」
その言葉にクシャナは精一杯の微苦笑を作った。
絶壁から獣の形をした魔物が飛び出して来たので、ユーリは意識を切り替える。
しかも一匹じゃない。三、四、五、六
「八匹はちょっと多くないかねえ」
レイヴンの矢がまず一匹を絶壁に叩きつけた。。
ラピード、ジュディス、カロルが前方へ駆け、ユーリも出ようとしたのをレイヴンが制す。
「獣は目くらましでしょ。矢を撃ってきた人間の方が出てくるまで青年は殿下守って」
「おっさんにしては賢いじゃない」
リタが物騒な魔法をぶっ放しながらレイヴンを褒めた。
「なんだかけなされた気が、どっこいせ!するけども」
不平を言いつつ“どっこいせ”の掛け声でまた一匹仕留めた。
「わかった」
ユーリはうなずき、クシャナの肩を引き寄せる。
「ラピード、上だ!」
ユーリの声でラピードが絶壁のわずかな傾斜を見事に駆け上がり、皆から見えなくなったところで激しく吠える。
「うわあ!」
と声をあげながら人間が二人転がり落ちてきた。
水溜りに打ち付けられ脚でも折れだろうか。
人間の方はのたうちまわっているだけだったので、ジュディスが魔物の成敗を続けるべく土を蹴った、その刹那
パッと黒い空が光り、同時に鼓膜を裂く雷鳴が轟く。
落雷だ。
白から視界が戻ってくるなり、ユーリはクシャナの身体を強く掴んで横に走った。
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