「靴、脱ぐなよ」
「痛くて」
「石踏んで裂けて動けなくなるよりはましだ。その靴のかかと折っとけ」

木に手をついて脱いだ華奢な靴のヒールを引き離そうと細い腕に力がこもる。
彼女のつま先のひどい靴擦れと血のあとは敢えて見ないようにした。
折れない。

「ちょっと貸しな」

ユーリは刀を抜き払い、一振りでヒールを切り落とす。

「ほら」

は靴を受け取って、再び歩き出した。







「なんでデュークに会わせろなんて依頼したんだ」とユーリが振り返らずに問うた。

歩みを妨げる枝を左手に持つ刀で横になぎ倒す。それから刀を持ったままの腕で顔に容赦なく打ちつける雨を拭った。
一方の右手はの手首を掴んで引いている。

「デュークを、待ちましたが・・・彼は、来ませんでした」

の声は小さく、息がきれている。

「だから、自分から・・・行くと、決めました」

ユーリはなにも言わない。

カロル、ジュディス、リタ、レイヴン、ラピードと分断されたのは二時間以上前になる。
追いはぎと追いはぎが餌付けしたらしい魔物の襲撃を受け、そこまでは特に問題は無かった。パティ、エステル、フレンを欠いているとはいえ、ただの魔物とただの追いはぎに負ける彼らではない。
問題は、この嵐が雷を呼び、追いはぎが潜んでいたあたりの木に雷が直撃して起こった。
傾きかけていた木は燃えただれてユーリ達の方へ転がり落ちてきた。咄嗟に飛びのいてその時点までは全員無事だったが、追いはぎの方々が持っていたらしい爆弾に次々引火し、大爆発が起こったのである。
追いはぎの分際で、湿気を吸わない上薬でも塗っていたのだろうか。

もともと突貫工事であった上、地盤のゆるかった街道はあっという間に土砂崩れ。大きく分断された。
更に更に、どこに潜んでいたのか爆発と土砂を免れた追いはぎの方々は、分断されたうち人数の少ないユーリとのほうをしつこく追いかけ回した。
そこからは大雨の森の中で道なき道を走り続け、先ほどようやく追いかけてくる気配がなくなった。

「うっ」

ヒールを切り落とした靴が濡れたコケを踏んで、の身体が傾く。
ユーリが手首を掴んでいるから転倒には至らない。
六度目だ。
彼女が足をとられればユーリは立ち止まりはするものの、一度も振り返らない。
さらにユーリの歩幅、歩く速度、いずれもよりも大きく、速い。
夜が近づき、気温が下がりはじめる。
とっくに体力の限界を超えているの吐息は唇の近くで白くふくらみ、冷たい雨がすぐに打ち消した。
幸いにも保温性の高いローブが雨に体温を奪われることだけは阻止していた。対してユーリは逃げる途中、邪魔だったローブはどこかに捨ててきていた。

歩みを緩めてくれそうに無いユーリの背を見やり、はそれ以上の言葉を飲み込んで、ユーリの足を引っ張らないよう倒れた木の幹を踏み越えることに専念した。完全に夜になる前にこの森を抜け出さなくてはならない。素人考えでもそれくらいはわかるから。






それからまたしばらく歩き続け、後姿だけでもユーリに疲労の色が見え始めた。
刀を持っている左手はだらんとして、顔も前でなく下を向いているようだった。どこへ向かっているのか、本当に森を出るために歩いているのか。本当に皆のもとを目指して歩いているのか。ユーリは先ほどの会話以降一言もしゃべらない。ラピードでない獣の遠吠えが聞こえる。あたりが暗くなり始めての不安が増幅していく。ただ、ユーリはの手首だけは決して放そうとしなかった。
脚が重い。
痛みが治まるわけでもないから靴擦れを見るのはやめた。
掴まれたままの手首が痛い。
ローブから出たままの指が冷たい。
かじかんで指先はほとんど感覚が無い。
それなのにそれよりも冷たい。
冷たい。
ユーリの触れている箇所だけ、異常に冷たい。
はっとしては気力を振り絞ってユーリの背中に声をかけた。

「少し止まってください。あなたの手の温度が」
「こや」

低く、短く返った。
短すぎて、は意味を理解できなかった。

「こや?」

ユーリの視線が向いたほうへ顔を向けると、鬱蒼とした木々の間に小さな丸太小屋を見つけた。





街道を作るための資材拠点だったのか、中は使われなくなってだいぶ経っているようだった。
食糧はないけれど案外頑丈にできていて、屋根も壁も扉もある。ここなら雨風をしのぐことができる。
ユーリはの手首を引いて小屋の中に入り、ぴったりそこで力尽きた。



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