真夏の三日間に及ぶインターハイから、もう十日あまりが過ぎた。
単位取得前倒しのための勉強、直前まで仲間にいわなかった後ろめたい渡英の準備で頭の中がまとまらない。
そんなお盆の真っただ中の夜遅くに、家のインターホンが鳴った。

ノートから顔をあげ時計を見たら21時を過ぎている。
階段を下りる途中で父さんが玄関へ出て行くのが見えた。じゃあいいかと部屋にもどって1分もしないうちに母さんが俺の部屋をノックした。

「裕介、裕介、ちょっといい?」
「なに」
「あなたちゃんがどこに行っているかしらない?」
「…なんの話?」



ちゃん、いなくなっちゃったんですって



眠気も吹っ飛んだ。
玄関にいたのおばさんは青い顔をして、俺を見つけるなり取りすがるように呼んだ。

「裕介くん、あの子どこ行ったか知らない?今週はうちの人も私も本当は出張だったんだけど、たまたま私だけ出張が二日分キャンセルになって戻ってみたらあの子家にいなくて、昨日の遅くにおばあちゃんの家に冬太だけ預けて神奈川のお友達のところへ行くって言っていたらしいの」

おばさんは今にも膝から崩れ落ちそうで気圧される。

さん、まずは落ち着いて」と父さんがなだめ、混乱するおばさんから情報を聞き出した。
ケータイにかけたが「電源が切れているか電波の届かないところに…」というアナウンスでつながらない。神奈川に友達がいるなんて話は聞いたことがないという。のおじさんは今はまだアメリカで戻るまでに時間がかかる。
よくニュースで見る、ネットで知り合ったトモダチ、という得体の知れないものに誘い出されたのではあるまいか。自転車でどこかでひき逃げにあったのかもしれない。神奈川にいくために新幹線に乗って肺にまた穴があいて病院にかつぎこまれているかもしれない。誰もいない夜道でひとり倒れているかもしれない。
おばさんが悪い方悪い方へと考えてさらに混乱するなかで、俺はケータイの電話帳を開いた。の電話はやはりつながらない。
の学校の友達は知らないから、中学の頃の共通の知り合いの名を探していたのに、金城や田所の名前が目に入り思わずかけそうになった。俺も焦っている。落ち着け、落ち着け、事件に巻き込まれているとか、絶対にそんなことがあるはずがない。ネットで知り合ったトモダチとやらが本当は変態のおっさんでになにか、そこまで考えて頭を振った。俺の悪い予感はよく当たるから、予感じゃなくて現実をちゃんと見ろ。何度もスクロールできるほど大勢いない電話帳に焦りが増してゆく。落ち着け、落ち着け、心当たりを探ってとの記憶を巻き戻していく。

緑地の傾斜にポツンと座るの姿を思い出した。

ポニーテールを揺らして俺の初代ロードをヘタクソにでも熱心に乗り回す姿まで巻戻り、自転車に挑戦したいとうれしそうに言った顔が浮かび、滑り台の下でぐったりと横たわった姿まであらわれ、悪い時に見る走馬灯みたいで恐ろしくなる。
しかし、水が一滴落ちるようにふと芽生えた疑問があった。

「おばさん…さっき、自転車でひき逃げに、って」
「裕介くんなにか知ってるの!?」
「や、なんで、自転車。神奈川行くって言ってたんショ?」

ああそれは、とおばさんがどこか困惑したように言う。

「あの子の自転車もなかったの。裕介くんが持っているような細いやつなんだけど」
「え」
「ゴールデンウィークが終わったくらいの頃だったかしら。近くのアウトレットまでのんびりサイクリングしながら行きたいからってお年玉くずして買ってね。乗り方が難しいみたいだったけど詳しい人に教わってるから大丈夫って。てっきり裕介くんだと思ってたんだけど、違ったの?」



神奈川、ロードバイク



たった2つのキーワードだが、ぴったり当てはまる男がこの電話帳のなかにいた。



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