御堂筋とユキちゃんの春夏秋冬



御堂筋とユキちゃんの正月太り



「アカン」

夜に突然離れを訪れたパジャマ姿のユキちゃんが、顔面蒼白でそう言った。
風呂上りの髪は濡れっぱなしである。
御堂筋はぎょっとした。うろうろ目を泳がせて、何かしたかと思いを巡らせ思い当たらない。
「…なにがアカンの?」
「翔兄ちゃん」
「ひっ」
ガシっと手を掴まれ、睨みあげられた。
「なんも言わずにしばらくうちの言うこときいてなっ!」



ユキちゃんに強く乞われて御堂筋はユキちゃんの上に乗った。
「サンジュキュッ、ヨンジュ!ヨンジュイぃぃチぃ」
御堂筋を重しに一心不乱に腹筋するユキちゃんは、顔を真っ赤にして鬼の形相である。
今宵、風呂場の体重計で正月太りという現実に気づいてしまったのだという。
「…そんな急にやっても痩せへんよ」
「ヨンジュニッ、うッさい!、ヨンジュ・サン!」
「ピ!」
見たことのない迫力に気おされてビクリと震えあがり、御堂筋は黙ってユキちゃんの足の甲を押さえる重しに徹した。
「…」
御堂筋の手よりも小さい、正真正銘、子供の足の甲である。
「別にユキちゃん太ってへんよ」
「痩せとるコはみんなそういうねんで!」
「さよか」
「ヨンジュキュ、ゴッ…ッ…ッ」
めんどくさ
言わずに表情で毒づいて、目の前のめんどくささから気をそらすように、御堂筋は重しをしたままテーブルのうえのみかんに手を伸ばした。とても普通の人では届かない距離を御堂筋の腕はゴムのようの伸び、正確に目標を掴まえて戻ってくる。
腹筋50回目を境に一気にペースが落ちてもがくユキちゃんを尻目に、みずみずしい果肉をひとつ口に放り、噛み潰した。あまい。
「ゴジュ…ッッサン」
「おみかん」
差し出すと、53回目をようやくのぼってきたユキちゃんはすぐさまパカっと口をあけたので放り込む。
「んーーー!あまーい!」
と言いながら幸せそうに後ろへ倒れ、54回目、またもがきながら体を引き起こしてくる。上がってきた時、その口にもう一個入れてやると、幸せそうに後ろへ倒れて行く。
54、55・・・と地獄の形相で起き上がってくるたびに食べさせ、57回目で
「アカン!アカン!翔兄ちゃんのアホっ」
とユキちゃんはついに顔を覆って嘆き苦しんだ。
それきり腹筋が再開されることはなかった。
しばらくゴロゴロ転がってうめいていたユキちゃんが、ふと静かになり
もう母屋に帰ってくれるんかな
と期待した直後、ユキちゃんはテーブルからミカンをひとつ取ってむきだした。ヤケ酒ならぬヤケみかんだろうかと観察していると、ユキちゃんはおもむろに立ち上がり、御堂筋を足で突き倒すや「ピギ!」腹の上に馬乗りになった。
突然の凶行にいつも以上に目を見開いて硬直していると、ユキちゃんは剥いたミカンまるごと、御堂筋の歯に押し付けてきた。
「食べて」
今までに聞いたことがないほど冷たい声だ。
目もうつろで、御堂筋は本能的にぞっと背筋に蟲がはしるのを感じた。
同時にアワアワと長い手足をバラバラに揺らす。
「翔兄ちゃん痩せとるやろ」
「ヒァ?」
「うちこのまえ学校で習ってん。あんな、絶対値と相対値いうのあんねん。世界中の痩せとる人が太ったら、うち相対的に太っってへんことになるねん」
「ピ、ピギッ」
ミカンの果肉がぎゅうぎゅうと歯に押し付けられ、口にねじ込まれていく。
すっぱいしぶきが激しく飛び散る。
なおも押し付ける圧力は増す。
「せやから協力してな?な?」
「ピッ!」
「な、ええやろ?ユキの一生のおねがい使うわ、な、おミカンまだなんぼでもあるよ、な」
な?
なァ?

アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!





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