デクの樹の言葉どおり十日してゼルダが目覚めると、シーカーストーンを使ってゼルダとともに移動し、インパのみと再会させた。
コログの森は生きるだけならば事足りるが、人が文明的に暮らすには足りない。
王城が廃墟と化している今、第一候補はカカリコ村だったのだが、ゼルダの生存を報せにリンクがひとりでやってきた晩からその日まで、村はひっくりかえったような大騒ぎが続いていた。
えらいこっちゃと戦闘員たちが走り回り、女たちは最高級の衣食住を整える準備に取り掛かって、鶏は夜中になっても鳴きやまない。
涙を流して再会を喜んだインパだったがさすがに元執政補佐官である。
村の騒ぎを戸の向こうに聞いて嘆かわしく首を振る。

「こんなところに玉体を置かれては休むものも休まらん」

そういってしばらくはハテノ村に身をひそめることを提案したのだった。





ハテノ村のはずれに、リンクが買い取った家がある。

「これからここに住むのですね」

リンクに支えられながら、頭まで覆っていたロイヤルブルーのローブを取り払い、こじんまりした家を見上げた。
あたりはすっかり日が暮れて、リンクの掲げたたいまつの灯りだけが頼りだった。

「畏れながら。しばらくはご辛抱を」
「辛抱なんて。とても楽しみです」

寒い夜だったが、力なく笑ったゼルダの吐く息がリンクと違って白くならないのは体温が低いからだ。
シーカーストーンによる移動がゼルダの身体に負荷をかけたことは誤算だった。
コログの森からカカリコ村に移動したときは眩暈程度だったが、カカリコ村からこの家まで移動した直後、ゼルダの顔色は青を通り越して白くなり、脂汗をかいて座り込んだ。
100年の闘いで弱っていたためなのか、二人で同時に移動したからなのか、普通はこれくらい負荷があるがリンクが人並み外れて丈夫だっただけなのか、はたしてわからないが、この移動方法を多用できないとなると課題は多い。
ハテノ村の住人との接触を最小限にできるよう、三日に一度はインパが選びぬいたカカリコ村の精鋭が食料や日用品を届けに来て用事を聞いてくれる手筈だが、頻度を多くすべきかもしれない。

「お足元にお気をつけて」
「ええ」

手を貸し、一歩、一歩と進むゼルダの足はおぼつかず、時々膝から崩れそうになるのをローブ越しに支える。
扉の前まで来たとき、すぐ近くに怪しげな気配があることに気いてリンクは獣のように身体の向きを変えた。同時にゼルダを後ろに隠す。

「あら、おひさしぶりね」

聞きなれた声がした。
たいまつに照らし出されたのは大工のサクラダとカツラダだった。
以前のリンクならほっとするところだが、きょうばかりは警戒を解くわけにはいかない。イーガ団の暗殺者が、リンクを油断させるために顔なじみに変装している恐れがある。
サクラダの顔をしたものが首を傾けてリンクの後ろを見た。

「そちらのビューティフルなお嬢さんは?」
「いとこです」

村人に見つかったときのために、身分も偽名もあらかじめ考えてあった。

「そうなの。お名前は?」
「ジルバと」
「ゼルダと申します」

うしろから顔をだした本人が答えてリンクの背に緊張が走った。

「ゼルダですって…?」

サクラダの眉がぴくりと跳ねる。
リンクは柄に手をかけた。

「おとぎ話のお姫様とおんなじ名前っすねー」とカツラダが無邪気にいう。
一瞬のうちに闇の中からサクラダの手が延びてゼルダの手を強く掴んだ。

「ダがつくじゃないの!どう?あたしたちと一緒にサクラダ工務店で働かない?」
「…」

抜き身になっていた短刀をしずかに袖の中に戻した。
まだ語尾にダがつく働き手を探していたのか。
サクラダの手をはなさせる。

「いとこは長旅で疲れていますので、今日はこれで」
「あらん?ケチね。でもそうね、だいぶ顔色が悪いわね。元気になったら声かけなさい。レディが暮らすなら相応の家具もいるでしょ、安くしとくわよ」

ウィンクを置いてサクラダとカツラダが遠ざかっていく。
カツラダは何度か振り返って物珍しそうにゼルダのほうを見ていた。
この調子では遅かれ早かれ、情報がイーガ団に漏れ伝わることは避けられないだろう。
一層警戒を強めねばならない。






長方形の木卓に椅子は四つあるのに、腰掛けているのはゼルダと一匹のコログだけである。
リンクは座らずにいつも一歩下がったところに立った。

「なにを作ってもおいしいなんて、リンクはいつからこんなに料理が得意になったのですか」

黙礼で応じる。
最初の二日ほどは座って一緒に食事をしようといわれたが、リンクが毎食辞しているとゼルダもあきらめたようだった。
そもそも食事はゼルダの分しか作っていない。自分は外で焼いた肉とリンゴでもかじっていればよい。この家はいまハイラルの姫君の仮の住まいとして機能しているのだから、リンクは自分が住むなど毛頭考えていなかったのである。
ほかにもゼルダは気をつかってその椅子を使え、寝台を二階と一階で一つずつ作ろうと提案したがやはりリンクは辞していた。
さびしげな視線から逃れるために、家の近くにいたコログを捕まえてゼルダの近くに置いたのは昨日のことである。
夜は鍛錬をするといって外に出、実際剣を振ってからサクラダが気まぐれに作ったおおきめの犬小屋で寝た。
犬小屋にリンクの身体はおさまらず、膝から下が外に出ていて人に見られたら不気味がられるだろうがかまわない。室内にいるよりも外のほうが家に近づく気配を察知しやすい。
記憶とともに、眠っていても気配に気づいて覚醒できる体質まで戻って来たことは幸運だった。
不穏をいちはやく察知し、俊敏に弓を引き、迷いなく射殺す。
そのために必要な感覚をもっと研ぎ澄まさねばならない。
犬小屋の屋根から漏れる月明りのなかで拳を強く握った。






ある寒い夜のこと、犬小屋のなかで気配の接近を感じた。
風が木の葉を揺らす音の先に、ひとつ、ふたつ…三つの異なる音がある。
樹上にかけあがり矢をつがえて息を殺す。
やがて足音なく進む人影が見えた。
一の矢を放ち、声を上げられる前に二人目の首を蹴って倒し、ひるがえって三人目の後ろから喉仏に小太刀を押し当てた。

「動くな」

ぎょっと目を剥いて固まっていたのはカカリコの戦士たちだった。
ああ、確か、三日に一度使いを寄越すとインパが言っていた。

「…」

静かに小太刀をおろす。
感情のない声で「すまない」といい、男の履物を地面に縫い留めていた矢を引き抜いた。
あまりの素早さと殺気に圧倒されていた男たちは、遅れてやってきた身震いで我に返り、状況と役割を思い出した。

「ッ、インパ様から、食料を届けるようにと」
「こちらです」
「そこに置け」
「は、はい」
「ええと…ほかに御用があれば、伺って次にお持ちします、が」
「あの方はまだ体が弱っておいでだから、できるだけ消化によいものを」
「わかりました、…それでは、我らはこれで」

「待て」

そそくさと行こうとした背が三つ同時に跳ねた。
恐る恐る振り返ると、感情のない青い目が冷たくこちらを見据えている。

「次来るのはまたお前たちか」
「は、いえ…二人は入れ替わる予定ですが…」
「それならば、気を付けてもらいたい」

冷淡なリンクの声音を思い出し、帰りの道中でカカリコの男たちは胆を冷やした。






コログの森を離れる前の日に、デクの樹はいった。

ハイラルの勇者よ、責は果たされた。
王国はすでになく、女神の末裔もまた人の子にもどった。
おまえには自由に生きることが許されている。

信じていたといったゼルダ姫の姿が目の奥に焼き付いている。
一度絶えた私が、赤黒い雲のはらわれた青くあかるい空のもとにいま再び立ったのは、あの方が私を信じ続けていたからだ。
決して忘れてはならないなにもかもを忘れ、勇者の名を汚す愚か者を、主君たるゼルダ姫が百年にわたって信じ続けた、そのすさまじく強靭な精神があったからだ。

私は、償わねばならない。

今からでも使命を全うしなければならない。



この人こそが私の主。



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