菅原神社眼鏡橋 Sugawarajinja meganebashi
                                                                                      08/09/20                                

岡山県笠岡市吉浜
平成13年3月23日県の重要文化財に指定
花崗岩の全円二連アーチ石橋 架設:明治20年(1887) 石工:佐藤豊吉(豊造) 長さ:11.23 m  幅:3.40 m  径間:3.00 m

吉浜地区は元は干潟であったが、寛文元年(1661)に福山藩水野氏により干拓され陸地となった。当初干拓地を近隣の村へ配分しようとしたが葦(よし)が生い茂る悪地であったため農民の猛反対を受け、やむなく一村として独立させた。葦が生い茂っている浜ということで「よしはま」と名付けられたと言われる。 
 菅原神社はこの干拓に伴って生まれた吉浜村の氏神として水野勝慶が創建したと伝えられ、神体の菅原道真小像の台座に延宝3年(1675)の銘があり、この頃の創建と思われる。現在の本殿は創建当時のものと伝えられ、江戸時代初期の様式をよく伝えている。 
(岡山県笠岡市公式ホームページより)

菅原神社にLUMIX FX500X奉納
!?
9月20日、朝目覚めて、「今日はいい天気!よし、笠岡へ行ってみよう」と、午前7時になって突如、岡山行きを決めた。にえもんページで笠岡市、菅原神社だけの情報で後はナビが連れて行ってくれるだろうと、のんきに構えての出発と相成ったが、高速道路の広島空港手前辺りで、あろうことか出口に入ってしまい、気づいた時はそのまま出ない訳にいかず、まだこの時点では近いところでまた高速に入れるだろうと比較的楽天的であったが、ナビの誘導に従って行けばぐるりと、大回りしてまた東広島インターまで戻ってしまい、時間もガソリンも大幅にロスしてしまった。気を取り直して笠岡市街へ行けばなんとか菅原神社も見つかると思い車を走らせたが、私のナビでは岡山の菅原神社は検索しても出てこないのだ。そんな筈はないと思ったが、もしかして神社の名前を記憶違いしているかもと思いながら、サービスエリアでもらった岡山のパンフレットを見ると、「菅原神社」という名所旧跡は見当たらない。「やはり、私の記憶違いか」と、半分諦め気分で立ち寄った讃岐うどんのお店−麺蔵ん人(岡山なのになぜか、讃岐うどんの看板が多いのにびっくり!)で菅原神社を尋ねると、レジの娘さんは申し訳なさそうに「知りません」と言いながら奥に引っ込みしばらくすると「うどん職人」らしきおじさまを連れて戻って来た。このおじさまが私の持っていたパンフレットの地図を見ながら「この前の道をまっすぐ行って踏切を渡った直ぐのところで右折すれば2号線だから、しろやまトンネルを越えると金浦で、その辺りにあるからそこでまた聞かれるといいですよ」と、言ってくださった。お昼前だったので、「かけうどん、梅と昆布のおむすび」のお昼ごはんをいただくことにしたが、これが絶品のおいしさで、改めて日本に生れてよかったと、しみじみ幸せを感じると共に人の温かさに触れ得て、ようやく元気を取り戻したことだった。後で知ったことだが、この「麺蔵ん人」のお店は笠岡市の先の浅口市鴨方町というところだったから、私は笠岡市を通り越したことになる。
浦に入り、一方通行のような細い道を行きながら果たして菅原神社に辿り着けるだろうかと思っていると、小さなタバコ屋兼雑貨屋があり、とりあえず傍の空き地に車を停めて店の奥に声をかける。ばばさまが出て来て、「この前がそうですよ」と言われた時は「やっと、やっと着いたかぁー、、、」と感極まってしまった。
内へと続く桜並木の道を車で上ったところに駐車場がある。なぜか参拝者は一人も見かけない。眼鏡橋はすぐに見つかった。初対面で「なんという見事さか」と、しばしその場に立ちつくし見入ってしまった。眼鏡橋と対峙するように池の中に亀がいる。石工の「万年を生きよ」との眼鏡橋に寄せる思いがこの構図となったのだろう。眼鏡橋の石積み模様もいつしか亀の甲羅のように見えてきた。眼鏡橋の素晴らしさもさることながら、菅原神社の佇まいもなかなかどうして畏怖堂々として立派なもの。土曜日だというのになぜか来訪者らしき人は見当たらない、「それにしても県の重要文化財でありながらパンフレットにも載せないとはけしからん」とひとりぼやくことであった。
姫になった気分で石橋を渡り、池の周囲を何度も回りながら、夢中で、Pentax K10とコンパクトデジカメLUMIX 500Xを駆使して撮りまくる。LUMIX 500Xは広角でレンズが明るいためか再生すると、とてもいい雰囲気の写真が撮れる。Pentax K10もよいカメラだが、広角レンズは20mm-
35mmでも視野、レンズの明るさともにLUMIX 500Xの方が上だと思える。
痛恨の一時発生
夢中になって撮っていた時は気にならなかったこと、ここはやたらとやぶ蚊が多いのだ。さっきから何度刺された知れやしない。「憎っくきやぶ蚊め!」と傍をブンブン唸りながら飛び交う蚊を目の隅に置きつつ、眼鏡橋の袂の石碑を見ようと池の傍の木の側に寄ったところ、なんと蚊が、私の右腕にゆったりと気持ち良さそうに止まったではないか。ほんの一瞬のこの時、ここぞとばかり、私の左手は「パチリ!」と音をたてて私の右腕を打ちすえていた。「「?む、ムムムー!」あろうことか、さっきまで右手にしっかり持っていたUMIX 500Xがはずみで転げ落ち、「アッ、あ」という叫びも甲斐なく、そのまま池にポチャッと音をたてて消えてしまった。悪夢とはまさにこのこと。一瞬のことにしばしボー然。我に返るまでどのくらい時間が経っただろうか。池に入って拾おうとも思ったが、見た目より深そうだし、神社の方に手助けを頼むにしても大事だし、仮に拾えても水に浸かってしまってはカメラは使い物にならないだろう、とあれこれ考えると諦めることが最善策という結論になった。だあれも見ている人もいなかったことだし、もう一台のPentax K10はしっかり首に掛かっていたおかげで助かったし、なにより自分が怪我をしなかったこと、これだけで良しとしなければと、無理に自分で自分を慰めたことでした。グスンッ、ううー!
気分を変えて菅原神社の階段を上っていく。25段が中段で、ここで下を見ると鳥居の下に石橋が見える。ここからの景色がまた素晴らしい。
小沼敬一様の菅原神社眼鏡橋のレポート(大分県の岡崎文雄様からの情報)を追加  08/09/27
小沼敬一様の菅原神社眼鏡橋レポート
大分県の岡崎文雄様
が当掲示板を見られ、かって小沼様が「日本の石橋を守る会」の会報へ寄せたレポート2点を送ってくださいました。
その1
その2


私の感想
小沼様は2度目は実際に池の中に入って地面を掘って真円であることを確かめられたこと、その時、アーチの冠頂部の石組が粗石で組まれてあったことにがっかりされ、調べる意欲を失ったとのことですが、逆に私は石工が意図的にそうしたのではないかと思うのです。要の部分の粗石を削らずに組むことで強度を維持できるのではないかと。熊本の天才石工・橋本勘五郎が晩年に架けた大久保自然石橋など、粗石のまま組んでいたことを考えると、要の部分は粗石のままで組む方が長持ちすると菅原神社眼鏡橋を架けた石工は下から覗きこまなければ見えない部分は強度を重視してあのようにされたのではないかという気がします。
熊本県菊池市にある優美な岩下橋は自然石を使って土嚢を積み重ねた上に両端から輪石を積み重ね、輪石と輪石との間を鉄の棒で締め合わせて造られていますが、この石橋も130年以上生きています。
ぜひ皆様のご意見をお聞かせください。お待ちしています!
top