日本橋 Nihonbashi                                

架設: 初代の日本橋は1603年、徳川家康の全国道路網整備計画により木橋で架けられたと言う。架橋の翌年(1604年)には東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道の起点に定められた。現在の日本橋は20代目で、石造り二連アーチ橋として、江戸生まれの建築家・妻木頼黄(つまき よりなか)のデザインにより明治44年(1911)に架設
さ:82歩(49.1 m) 幅:34歩(28.8 m) 総御影石の二連アーチ石造橋
東京都中央区日本橋一丁目、日本橋室町一丁目間の日本橋川に架かる。                             

*毎日新聞(2007.8.27付けの企画特集「全国こども橋サミット」記事)に東京都中央区立常盤小6年生の坂本愛里さんと田村瑠夏さんが日本橋の紹介をしている。その中で現在の橋は第20代二連アーチ橋であると言っている(2007.9.4)。

この規模で総御影石(花崗岩)の石橋は恐らく、日本橋だけだろう。その景観は一見日本的というよりむしろ、西洋のゴシック様式を取り入れた構造になっている。日清・日露戦争の大勝利の明治の時代にあって五街道の基点としての日本橋は世界を視野に入れた「世界の中の日本橋」としての思い入れが濃厚であったことがこの形に結実したとも考えられる。
渡辺長男による欄干の麒麟と獅子の彫刻が圧巻だった。
夜も更けていく中、必死の思いで渡辺長男の彫刻を撮った。特に麒麟の凛として、気高い表情にはただ、唯、感嘆の一語。
残念なことに、これだけの石橋が上を高速道路が走っているため、日本橋の景観は劣悪だった。
1999年には国の重要文化財に指定され、近年は付近の住民によって高速道路を地下へ通し、景観を復活させようという構想が立てられている。
小泉純一郎前首相もこれを後押しする発言をしているらしいが、予算が5,000億円で石原都知事が反対していると言う。

箱根駅伝の最終区間第10区は1999年以降日本橋経由へと変更されている。東海道の始点である日本橋を通るということが箱根駅伝のクライマックスを飾るに相応しい、ということらしい。

一泊二日の職員旅行で半日の自由行動を利用しての石橋探訪であったが、日本の五街道の基点である日本橋を訪ねられたことは幸運な体験であった。  探訪:2007.8.25

            

「記憶の街 東京」薗田 澄写真集より
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