【第5回】

 

第114号(2009.9.1発行)

ハギ

 
【掲載文】  

萩といえば、彼岸・かや(ススキ)・十五夜・お月見・床机(しょうぎ)・縁側・おはぎ・団子・浴衣・里芋・・・。

夏の暑さも和らぎ夕方になるとどこからともなく吹く涼風(すずかぜ)何故(なぜ)か物悲しくも心が騒ぐ少年時代。あのころはみんな貧しかった。でも季節の節目ははっきりと察知でき、物思いにふけるに十分な時がゆっくりと流れた時代だった。どこの家にも床机があり、物を乾したり近所のコミュニケーションの場であったり、みんな心は繋がっていた。やがて高度成長時代を経て物品面は豊になり贅沢を言わなければ生きていける現在(いま)。けれども、もう取り返せない。気配にも、食べ物にも、季節感を失ってしまった心はどこへ流れていくのだろうか。

 

 
【説明文】  

 

9月も中旬になれば残暑の中にも朝夕には涼しい風が流れる。少なくとも昔はそうであった。ふと目を閉じれば、当時のことが鮮やかに浮かんでくる。

最近は、昨日のことは忘れるのに遠く昔の思い出がよみがえる。歳をいた証拠であろう。その光景を思い出すままつづったのが掲載文である。

ちょうど子どもから少年になるころであったろうか、この涼風は何故かもの悲しく、これから自分が歩んでいく人生に対して何かを暗示しているようであった。この風が吹けば夕闇にまみれ近くの小高い丘に行き、月を眺めたものだ。そこには金色のススキの穂がなくてはならないし、早咲きのハギの花が咲いており、月を隠す雲が流れていなければならなかった。そして、希望や自身に満ちるのでなく、何かはっきりとは分らないが自分の将来に大きな不安を感じ心が動揺していたのがよみがえってくる。

当時、どこの家でも床机というものがあり、昼間は床机の上に筵をしいてズイキとか千切り大根を乾したり、近所の人が来たらそこに腰を掛け雑算にふけり、お月見とか十五夜という特別の日には、夜間はそこで手には団扇をもち涼を取っていた。

時はゆっくりと流れた時代だった。

 

今日中に、いつまでにという時に追いまくられている現役を離れ4年を経過した現在、何に追いかけられているでもないのに、何故あのときのようにゆっくりと時が流れてくれないのだろう。朝寝夜更かしばかりで1日いや1時間たりともその心の余裕が保てない。40数年間の現役生活のアカかそれともシミか、はたまた時代の為せる業か。

もう、将来の夢を見ることも希望もなく現実しか見えなくなったためであろうか。いや、やりたいこと、やらねばならないことはいっぱいある。そのやりたいことが夢でなく希望につながらないところが問題である。やりたいこととは、明日にでもあさってにでも、いや来年の夏、秋と期限を設定できる。だが、夢は限定されたものでなく、ず〜と先の先、まさに無限の世界にある。

あの少年時代は、時は無限に続くものと思っていた。だから夢を見ることができた。いま、時は限定されている。長くて何年・・・というように必ずゴールがある。

そのゴールまでを悔いのない人生を送るために、もっともっと心穏やかにすごして生きたいと思う昨今です。