(素稿のため物語完成までは、記憶違い矛盾事項発生時には今後加筆、削除などを行います) |
INDEX
29‐‐母性本能
〔 完 〕
1--(2006.12.21) 赤字部分一括変換間違いのため修正
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私は動物愛護団体でもなければ特に動物にやさしいわけでもありません。今でも野良猫を眼の敵にして追いかけています。しかし、普通の人と同じ程度の心は持ち合わせているものです。
この物語は事実に基づいていますが、何せ相手が住所不定の気ままな生活者ですので不明な点は長年の観察結果から筆者が推察した 十数年前のある日、3匹の生後半年程度かわいい盛りを過ぎた頃と申しましょうか、無常にもこの地域の山の谷川に捨てられた野良犬の物語です。生き残った1匹の雑種のオス犬は多くの人々の迫害、いじめに耐え抜き 十数年かけて人々の信頼を得、この地域の多くの人々はこの犬の存在を当然のこととして受け入れています。又、それ以上にこの野良犬はこの地域の人々の一人一人のしぐさ、態度、性格などを観察し、 人以上に知りつくしています。 その命が今消えていきました。 この物語を通じて、人の都合で動物が捨てられどんな思いをして生きてきたかをもう一度考えてください。
2006.11
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1--僕は捨てられた ( 1 ) |
199×年(1993年頃か?)寒さ厳しかったことからおそらく11月末頃ではなかったかと思う。僕と弟、妹は車から置き去りにされた。近くで川の瀬の音が聞こえる。小さな川沿いの林道のようなところだったとかすかに記憶がある。あたりは既に 夕闇が迫り、寒さと不安と空腹でキャンキャンと泣き叫んでいた。時折ピューピューと小鹿らしき鳴き声がするばかりである。その夜は兄弟重なり合ってうとうととしているうちにいつしか夜が白んできた。何が起こったのかははっきりとわからないが、とにかくこの空腹を何とかしなければ、特に長男たる僕は気を持ち直した。その辺をかぎまわるうちに昨夜思ったとおりに川が流れておりそれにそって砂利道が伸びており、空き缶や発泡スチロールやコンビニのビニール袋が散乱しているところからハイキングコースにもなっているらしい。これなら占めたもの兄弟が飢えない程度の食料は確保できる。そう気持ちが落ち着いてきた。しかし、現実はそう甘くなく夏のバーベキューや家族連れの残骸で季節柄ほとんど食べるべきものはなかった。何とか兄弟力をあわせ山柿の熟したものや木の根をかじり沢の水で飢えをしのぎその日を暮らす生活が続いた。それでも飼い主があらわれることをひたすら待った。 僕は雑種だからお父さんもお母さんもそうに違いない。そしてお母さんの顔はうっすらと覚えているがお父さんの顔は知らない。飼い主の顔と匂いははっきりと覚えているがその痕跡はこのあたりから消えている。歩いてきたのであれば少々のところであれば帰れる。しかし、車で連れてこられたら今の 僕らでは帰れないし、飼い主が僕らをここまで連れてきたのはそれだけの理由があったのだろうと思えば僕らは僕らで生きていかなければならないのだろうと思った。僕らは捨てられたのだと認識せざるを得なかった。直ぐに冬が訪れ益々食糧確保が難しくなりまだ僕等の技術と体力ではイノシシや鹿を捕らえることは出来ず日に日にやせ衰えていった。夜は杉林のくぼみの中で兄弟肩を寄せ合って眠ることにより寒さをこらえた。時折ハイカーらしき人たちに出会うが大抵の人たちは無関心でありたまには 手を差し伸べる人もいたがただそれだけで現状は変わらなかった。
やがて年が明け、飢えと体力も限界に達し僕らは行動範囲を山から里へと広げることにした。里は思ったより近く14‐5分で最初の人家を眼にした。いつ身についたのかその行動は夜間にと移っていた。最初の人家の近くでビニール袋を見つけたがそれらは山にあるものとは異なり中からおいしそうな 匂いがした。僕らは次から次へと袋を食いちぎり久しぶりに満腹し明け方山のねぐらへと引き上げた。最初のうちは恐る恐るだったのが慣れてくるとその誘惑には勝てず行動は夜から昼に変え思う存分田畑を疾走した。 やがて厳しい寒さも遠のき体力も回復し見違えるようにたくましくなっていった。僕らはトマトやナスなどの野菜は食べない。しかし、それらのある畑の土を掘って身体を横たえ山でついたダニを落とすことや、何よりも山の土では味わえない畑の土の冷たさ、あるときはその温かさが大好きだ。昼はそうして過ごし夜は山へ帰る生活が続いた。そして体力も回復した今は兄弟してイノシシや鹿を捕らえる技術も修得し飢えに対する苦痛はなくなった。しかし、その快適な生活は長くは続かなかった。
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2--迫害 ( 2 )
空腹感も解消され体力も充実 しかし、その頃から 僕らは人々に歓迎されていないと思われるようなことが続いた。畑で寝ていると石を投げられた。鍬や鎌を持って追いかけられもした。仲間に近づこうとすると 飼い主はUターンするか手を振り上げて追っ払われた。そのうち食物確保さえ困難になってきた。今までのビニール袋は鉄の箱に入れられ、ゴミ捨て場にはネットがかぶされるようになった。人々は僕らを見ると避けるか追っ払うかで明らかに反感を持っているのがわかった。僕らは数ヶ月前の空腹でさみしい気持ちの生活に逆戻りである。しかし、一度里で生活し始めると二度と元のさびしい、暗い山の生活には戻れなかった。ただ、人の近くで人を避け仲間達も遠くで眺めるだけにした。
しかし、事態は悪いほうへ転げだした。あっちこっちでなすやトマトがが食いちぎられ畑は荒らされた。前にも言ったとおり僕らは畑で寝るが野菜は食べない。僕らは犯人を知っている。シカやアライグマやイノシシが食い漁っている。でも、人々は僕らが荒らしまわっていると噂が噂を呼び益々身辺が危険になってきた。僕らは潔癖を証明する術を知らない。一部畑を掘って寝そべっているのは事実であり弁解のしようがないのだが そんなこんなで、僕らの気持ちもすさび、目つき顔つきも悪くなってきたようである。僕らは益々団結し生きるために食料をあさり続けた。漁ると言ってもビニール袋を散らかしたりゴミ捨て場を散らかしたりする程度だが、僕らには後片付けの習慣がないのだから仕方がない。僕らと 人々との対立は益々悪化していった。
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3--ある噂 (3)
それでも僕らは生きていかなければならない。ある夜、いつものように国道をさまよっていると自動車からビニール袋のようなものが投げられた。又いつもの迫害かと思ったがバサッというような音で石ではなさそうだった。僕らの習性で一度は逃げたが少しして確認に近づいてみる。あの生ゴミが入れられてあったような袋で固く口は閉じてあったが中には何か食べ物のようなものが入っている。とりあえず、人気のないところに運んで袋を破り
匂いを嗅いでみた。それは、今までの生ゴミでなく固形の粒でいいにおいがした。人がドッグフードと呼んでいるやつらしい
。僕らは取り合いをするかのように競って無我夢中で平らげた。僕らは毎日夜間その時刻にその周辺で待つのが習慣 この辺(あたり)も道路や宅地の開発、広葉樹から杉、檜の針葉樹植林の補助等で里山の崩壊などにより野生動物の人家への接近、それに加え餌付けとなると電気柵やネットでの防御も限界があり農家の人も頭を抱えているらしい。だからといって、幸いにもそれをどうのこうのと騒ぎ立てる人はこの地元にはいなかった。それらを聞くともなしに聞いていると、どこそこのNPO法人の人が撒いているらしいといっていた。誰も真実は知らないがそんなことは僕らにはどうでもよかった。ただ、そこにその時間にいれば少量ではあるが食事にありつけるだけでよかった。 しかし、その安易な気持ちが危機感の欠如を招き取り返しのつかない事態に進展していくのをこのときはまだ知らない。
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4−僕らの日課 ( 4 )
僕は男の子だ。毎日何回か里を巡回し電柱とか畑の石垣などにオシッコをかけて回る。自分の活動範囲を他の仲間に知らせるため
のマーキングだ。この範囲は僕が活動しているから他の男の子は入らないでくれという縄張りである。それは 5‐‐僕は一人ぼっち ( 5 )
6‐‐危機 ( 6 )
その夜も僕はいつも通りマーキングと食事探しに出かけた。国道のビニール袋も毎日はなかった。相変わらず空腹である。そんな時、とある巡回場所でいつもと異なるおいしそうなにおいが漂っていた。その場所は天気のよい日は寝そべっている場所で夜間でもあるし警戒する必要もなかった。
ただ、金網のようなものが置かれその入り口から中にビーフが続いている。少し危険な気もしたがその匂いの魅力には勝てなかった。先ず入り口のものを首を伸ばして飲み込んだ。美味い。もう少し首を伸ばして次のは味わうようになめた。美味い。こんなやわらかく舌のなかで溶けるようなものを食べたことがない。付近を見渡しても耳をそばだてても何者も近づく気配がない。さらに中に首を突っ込んだ、届かない。それを食べるためには身体の大半を金網の中に入れなければならない。僕は低い姿勢で這うよう ついに恐れていたことがやってきた。人間が出てきた。僕をジーと眺めている。近づいてはこない。僕は最後の力を振り絞り前足で身体を引っ張り後ろ足で蹴った。しかし、床が鉄板になっているのか後ろ足はむなしく空転する。 と、そのときひらめいた。今まで゛後ろ足を蹴っていたのを力を抜いて後ろへすーと伸ばす。そして前足だけで身体を引っ張る。ゆっくりと静かにだ。でないと扉の自重でさらに締め付けられる。僕は試みた。 抜けた! 僕は一目散といっても前足だけが頼りで腰をふらつかせながら近くの茂みへと逃げた。そこで様子を伺うと先ほどの人間はどこにもいなかった。僕はさらに安全な場所へと移動した。僕は身体を点検したが腰は相変わらず激しく痛むが歩けることからしばらく休めば回復するに違いないと思った。僕はそこで三日三晩何も食べずにただひたすらうずくまり眠った。 幼い兄弟とお母さんとじゃれあったあの楽しかった日々を夢に見ながら・・・・ ‐‐‐‐兄弟との別離により友達もなく一人ぼっちに、好きになりかけた人間による迫害と裏切り、のらは何を考え何を思い生きていくのでしょうか、 次回に続く---- |
7‐‐あれから5年 ( 7 ) いつしか5年の歳月が流れた。 あれ以来人間は怖いものと、よりいっそうの警戒を怠らなかった。でも、僕は人が好きだ。だから生活パターンも人間と同じように昼間に活動し夜間は極力眠るようにした。幸いにも僕一人ぐらいの食事には、例の国道沿いのほかにも田舎のことであるから畑には堆肥にするための残飯らしきものもある。それらは美味しいものではないけれど何より安心して食べられた。僕も立派なたくましい成犬になった。人間で言えば30歳の前半だろうか。時には子鹿や野鳥を捕らえることも出来た。昼間行動するため、里の人々も僕を「野犬」から「のらいぬ」という見方に変わってきた。僕も人と出会うときはわき道にそれたり遠回りをして接触をしなかったし、人に対してあるいはその散歩中の仲間 (他の犬)に対しても威嚇もしなかった。だから、前のように僕を追いかける人も少なくなり自然とこの里の風景の中に溶け込んでいった。ねぐらも、人家のそばのお堂のような建物の裏で寝た。そこは10数メートルでその里を見渡せる高台にあった。
8‐‐住宅街 ( 8 )
僕の行動範囲はその里をベースにしていたが時にはその里の国道を南へ行くと小さな峠がありそこには住宅街が広がっていた。そこには多くの人と仲間達がいた。けれどそこは僕にとって非常に危険なところだった。里のように石を投げられたり(投げようにもアスファルトばかりで石ころはない)追いかけられたりすることはほとんどないが非常に警戒した眼で僕を見る。僕には一番ショックなこと
であり、こういうケースは突然ある日危険がやってきたりすることを僕は学んだ。僕に出会うと、といっても距離は離れているが散歩中の仲間は直ぐに抱っこされたり、遠ざけられたりする。仲間達も里の仲間とは少し違った。毛のやけに長いヤツ、大きなヤツ、小さなヤツ、足の短いヤツ、耳のやけに長いヤツ、おまけに雨の日は合羽らしいものを着ているヤツ、中には抱っこされて散歩しているヤツもいる・・・何れも品格があり上品なヤツでツンとしていて僕は余りなじめない。それでも、彼、彼女達は里にも散歩にやってくる
ものもいる。僕はオシッコで彼、彼女達を識別できるので会いに行くが何れも道路から見えるところにはいないし、その敷地にも入るこ
9‐‐コロ君とメリーちゃんとの出会い ( 9 )
最近、僕には気になることがある。毎日2回ぐらいはこのホームページのおじさんの家の前の小道を巡回するが、怖い犬がいる。名前はコロと呼ばれている雄であ
おじさんがつぶやくのに、2回ほど人のお尻と足を咬み菓子折りを下げて
、そこのお爺さん(ホームページのおじさんのお父さん)とおばさん(ホームページのおじさんのおかみさん)が謝りにいったらしい。僕が前を通るとえらい勢いで鳴きわめく。コロ君はつながれているので
大丈夫と思うがやっぱり怖い。そのコロ君のところにメリーちゃんと呼ばれる雌犬がいた。僕はその 数ヶ月の月日が流れ、メリーちゃんにいつでも会えるようにおじさんの家の裏の竹薮へと別宅を持った。 竹薮というのはよほどの雨でない限り 濡れないし、夏は風が通り涼しく冬は、霜雪は防げ笹の葉のなかで眠ると結構暖かいんだ。これは予断になるが僕の寝ている隣にはおじさんがしいたけを20本ほど栽培している。おじさんが画いた挿絵にはたくさん生えているが、そんな年もあるけれど少し格好をつけてオーバーに画いていると思う。
その頃からメリーちゃんちのおじ メリーちゃんは夕方おじさんの娘さんにつれられて毎日散歩をする。僕はいつも数十メートル後ろをなるべく見つからないようについて歩いた。今で言えばストーカーである。ある日、散歩を終わったとき娘さんがおばさんに 「今日もあののら犬(まだも僕には名前がついていない)ず〜とついてきてたわ」と話しているのを聞き僕はばれていたのかと思ったが、おじさんもおばさんも僕を追っ払わないし黙認しているようで結構なことだと思った。 ここで、メリーちゃんを紹介する前に僕も大人になって体型も固まってきたので特徴を紹介しておこう。先ず極薄い茶色又は白が少し汚れたような色をベースにして頭と首、それから背中に茶色の縞がある。尻尾は太く短いがここだけは長い毛を持っている。そして少し気にしていることだが足は太く短い。首は太く直ぐに胴に繋がっている。いつもボーとしてとぼけた表情をしているらしい。これはおじさんがいつも僕に向かって言うことで、みんなは信用しないでほしい。だいたい野良犬としてここまで生きてこれたのは頭もよくいつも緊張し精悍だったからに他ならないと僕は思っているのだが。 メリーちゃんは僕より小型で白をベースにわずかに背中が薄茶色で、何よりもの特徴は眼がまん丸で顔にポトンとついている。そして、顔からあごにかけての毛が長いのと短いのとがまぜっている。おじさんはいつも「お前の顔の毛は長いでもなし、短いでもなし中途半端やなぁ〜」といっているが、僕はそこが魅力的だと思っている。 何とか、もっと近づきたいとチャンスを狙っているが・・何せコロ君が眼をひからしている。 そのチャンスがやってきた。
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10‐‐コロ君との別れ (10)
コロ君は僕にくらぺて年をとっている。僕は推定5年くらいだが、おばさんの話によるとコロ君は86年にあの峠の向こうの住宅街からもらってきたのでちょうど14年になるといっていた。それなのに散歩はおじさんがコロ君の年も自分の年も考えず、会社の休みの日はマウンテンバイクで引っ張りまわしていた。あの怖いころ君もさすがに寄る年波には勝てず途中で何度も抵抗していたがおじさんは身勝手だ。それも影響したのかどうかちょうど梅雨のさなかにおばさんに見取られて息を引き取った。その日の夜、おじさんは会社から帰ってくると東側の空き地に埋葬していた。そこには歴代の仲間達が埋葬されているらしい。もう少しおじさんおばさんの話を立ち聞きしてから歴代の犬猫を整理したい。 コロ君には悪いが僕にはチャンス到来である。メリーちゃんとの仲をとやかく言うやつはいない。それからというもの僕はいつもメリーちゃんのそばに、そばといっても数メートルは離れているが、とにかく近くにいることは出来た。だからといってメリーちゃんに悪さをすることもなかったが、僕らのDNAは年に2回ほど子孫を残すことを命ずる。今まで、そのときが来ると、この里を離れ1週間から10日ほどはさる所まで遠征する。その間は競争もあり飲まず食わずの日々が続き身体もげっそりとやせ細る。幸いにも今回はと思っていたら、おじさんは僕らの仲を裂いた。ここには、お爺さんがいてメリーちゃんはそのお爺さんに大変かわいがられていた。そのお爺さんは離れにひとり住んでいる。離れとおじさん宅の間に、おじさんが間伐材で建てたボロい農機具収納スペースがある。そこにイノシシ防護用の鉄筋ネットを使って柵を作りおじさんはその中にメリーちゃんを入れてしまった。おまけに寒い冬はお爺さんが家の中の畳の上に毛布を敷いて寝かしていた。おじさんは家の中が毛だらけになるのに、とよくお爺さんに言っていたが、お爺さんは一人でさびしいのだろうか、メリーちゃんとよくしゃべっていた。
それでも、コロ君がいなくなったので散歩はいつもメリーちゃ 鉄筋ネットの柵の反対側が竹薮との境になりブロック塀があった。散歩以外の昼間はいつもその塀のそばで仮眠を取っていた。位置関係がわかりづらいのでおじさんに(下手な)挿絵を画い てもらったが参考になると思う。そんなことでメリーちゃんへのストーカー行為はエスカレートして言った。
11‐‐「のら」と命名される (11)
それらのことはおばさんに全てを見られていた。おばさんに見つかったらおじさんに通じている。おばさんは一日に何回か家の裏を回って僕を観察に来る。僕は10m接近されると立ち上がり後退しその距離を保つ。ただその度に手を突き出して何かおやつらしきものを持って「のら」おいで、おいでと手招きする。 ここで、初めておばさんに「のら」と命名されたように思う。僕は、その手に乗るまいと横を向いて無感心を装う。ただ、神経は集中しておばさんとの距離を図っていた。いつもおばさんは根負けして「もう・・のらは・・」といっておやつをそこにおいていく。根競べには自信がある。何せ僕には時間がたっぷりとあるのだから。 直ぐには近寄らない。以前おばさんがいなくなったのですぐにメリーちゃんのそばに戻ろうとしたらおばさんが家の角から首を出した。油断できない。おばさんの姿が見えなくなってしばらくすると僕は何があるのか気になって仕方がない。勇気を振り絞ってそのおやつらしきものを嗅いだり鼻で転がしたりして、細心の注意を周囲に払いながら少しだけ舐めてみる。別に変わったことがない。もう少し舐めてみた。今度は少し味わってみたが緊張しているせいか味がわからない。ここでは危険だと以前の経験が命ずる。僕はそれを咥えてさらに数m後退し、今度は寝そべって前足で押さえさらに舐めてみる。異常なし、美味い。今度は咬んで喉で味わった。確か、もう一つあったはずだ。同じようにして咥えてきて食べた。 そんなことを繰り返しているうちに、朝夕におばさんが僕の姿を見つけるとボールに餌を入れて、いつものように「のらおいで・・」といって餌を置いていくようになった。中味は僕が国道で持ってくるやつとよく似ていた。今でも、巡回途中に国道に寄るが毎日餌にありつけるわけでなかった。餌があった場合は、この竹薮まで持ち帰り笹の中に埋めていた。 僕は、食べ物に誘惑されたわけでないが少しずつおばさんと信頼関係のようなものが出来つつあると思うようになった。 しかし、依然接近距離は10mに変わりはない。 僕は、生きていることがだんだん楽しくなってきた。そんな生活が1年半ほど続いたのですが・・・・・・・
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12‐‐メリーちゃんとの別れ元のねぐらへ (12) 最近メリーちゃんが太ってきて動きも鈍くなってきた。おばさんの話によると医院で見てもらったら心臓とか肝臓も悪いらしい。心臓は生まれつきのものだそうだ。それでも2ヶ月ぐらいは今まで通り散歩はしていたが6月のある日からばったりとメリーちゃんの気配がなくなった。僕はいつものように一日の何時間はブロック塀の裏にいたのだが気がつかなかった。それでも3−4日は散歩の時間になるとおじさんの家の前で待っていたがメリーちゃんは現れなかったし、おばさんも散歩に連れ出す気配もなかった。
僕は今までのいきさつからもうメリーちゃんはここにはいないと思った。それでもいつものようにおばさんは僕の姿を見つけると餌の入ったボールを運んできてくれた。でも、僕はここで飼われているわけでもないし
、ここにとどまる理由もなかった。僕は失意のうちに竹薮のねぐらから元のお堂(7--あれから5年の項のところに書いたお堂) (絵の拡大galleryへ )
13‐‐チャコちゃんとの出会い、そして僕はチビ (13) 僕はついている。そのお堂の横に民家がある。僕は前からうすうす気がついていたのだがその民家にはチャコと呼ばれる大柄な雌犬がいた。僕は、メリーちゃんからチャコちゃんに乗り換えたと言われればそれまでだが、メリーちゃん がいなくなってからチャコちゃん宅へちょこちょこ顔を出すようになった。例のストーカーも開始した。チャコちゃん宅のおばさんとおじさんがとてもやさしい人で、僕はそこで「チビ」と命名された。チャコちゃんが大きかったのでそれに比べて僕が小さかったのでそう呼ばれたらしい。したがって僕は「のら」と「チビ」の二つの名前を持つようになった。チャコちゃんは毛が茶色かかっているのでそう名前がつけられたようである。僕は又、そこでチャコちゃんと同じように食事にありつけることになって生活も安定した。夜はお堂の裏、昼はチャコちゃん宅への坂道で昼寝、1日に2回の巡回とチャコちゃんとの散歩する毎日が続いた。チャコちゃん宅の家族はとても優しく、特にたまにチャコちゃんを散歩させている娘さんは特に僕をかわいがってくれたし、僕も娘さんには警戒心を解いた。でも、身体をさわられそうになると本能的に退いた。接近距離は1mまでになったのは大きな変化と思っている。チャコちゃんは僕と同世代か少し年上かもしれない。
このチャコちゃんとの生活は2年ほど続くのだが、その間僕は昼間はチャコちゃん宅の坂道で昼寝をしたり、寝そべって チャコちゃんとの散歩も公然のものとなり、僕が付いていない時には「今日はもう一匹の犬はどうしたの・・」とか、チャコちゃんのおばさんは質問されたりしている。そんなある日、チャコちゃん宅のおばさんとメリーちゃんのおばさんの立ち話に聞き耳を立てていると 、コロ君とメリーちゃんが亡くなってからもう犬は飼わないといっていたので僕は少し悲しかった。 14‐‐病気との闘い (14) 最近右耳が痒い。そのため後ろ足でひっかいている為か耳がただれ血がにじむようになり痒く度に激痛が走り自然に悲鳴が出るようになった。チャコちゃんのおばさんとおじさんが病院へ連れて行こうと心配してくれているのはわかっているが、僕はそんな恐怖に耐えられないし、人に身体を触られるのは危険この上ないと思っている。僕は捨てられてから一度だって人に身体をさわられたこともないしさわらせもしていない。 チャコちゃんのおばさんの話によると耳の中に蚤やダニが寄生してしまったか、細菌などが感染している恐れがあるらしい。このままほおっておけば自律神経かなんかがいかれ平衡感覚がなくなりまともな歩行が出来ないらしい、僕ら野良犬にとっては生死を左右する事態になるらしい。・・が、僕はそんなことが認識できるわけがない。ただ、痒く、引っ掻けば激痛がある事実だけである。 そうこうしているうちに、食事に変なものが混ざるようになった。
僕はいつものドックフードのみをより分け得体の知れないものを残した。それが、耳の薬であることなど理解できなかった。そのうち手を変え品を変え、ドッ その結果、いつしか耳のかゆみも薄らいでいき痛みもなくなった。ただ、ピンとたっていた右耳は前に倒れそれがトレードマークになってしまった。耳も少し遠くなったように思うが日常の生活には不便はない。僕はチャコちゃんのおばさんとおじさんに命を助けてもらったように思う。
15‐‐不安 (15) そのチャコちゃんの姿を毎日見られなくなってきた。最近かなり体力が落ちてきたのか散歩の回数は少なくなったし、歩くのもゆっくりとしている。チャコちゃんも、もう老犬の仲間入りをしたのだろうか。以前から夜間や寒い冬の間は家の中に入れられていたが今はほとんど家の中暮らしのようである。それでもチャコちゃんのおばさんは僕が姿を現せば食事をくれた。 いつしかチャコちゃんやおばさん達と別れが待っているような予感を覚えながら、時たまのチャコちゃんとの散歩に思うことは、耳の病気はあったもののこのチャコちゃんとの2年間は平穏無事で僕の一生にとって一番穏やかな生活だった。しかし、それも終末を迎えたように思われた。その頃からねぐらをお堂の裏からあっちこっちと移動するようになり、これからの生活に不安を覚えるようになった。 これから先、波乱に満ちた出来事が次々と襲いかかり不安が的中するであろうことはこの時には僕はまだ知らなかった。
16‐‐はなちゃんの出現 (16) いよいよはなちゃんの登場である。 メリーちゃんのおばさんは、もうコロ(1986-1999)、メリー(1997-2001)、ミーコ(猫1981-2001)の老死から、今いるのはチビリン(猫1997-****)だけでもう犬は飼わないといっていた。昔はどこの家でも放し飼いだったから子犬があちこちにいた。それを貰ってきたらよかったが、今は野犬になるのを防ぐためオペをしたり、隔離したりで余分な子犬はいなかった。又、飼おうとしても自分達の年齢を考えると将来犬の散歩がさせられるかどうかもあり手放すほうも躊躇した。 お金を出してまで犬猫を飼うつもりがないのも、おばさんおじさんの考え方であった。飼うならあくまで雑種にこだわった。血統書つきのエリート犬は、やれシャンプーだ、美容院だと手間暇もかかりその上すぐに病気をしたり、寒さに弱かったりと思い込み、それらの世話をするほど余裕もなければ、それほどの熱意があるわけでもなかった。犬は外で飼い、この物語の「のら」のように眠っている間に身体に雪が積もったり霜が降ったり・・それらに耐えるのが雑種と思い込んでいた。犬はペットでなく家族のようなものと認識していた。家の中で飼うなど考えられなかった。しかし、ミーコとチビリンは家の中でやりたい放題の爪あとを残している。考えてみれば「矛盾だらけだなぁ〜」と僕は常々思っていた。
そのおばさんのところににかわいい子犬がいるのを僕は最近知った。あとで聞いたことだが、「やっぱり犬がいなかったら寂しいわ」、ということで娘さん夫婦がインターネットで調べて遠く和歌山までもらいに行ったらしい。生まれて一ヶ月程度の丸々太った雑種雌犬である。おばさんがつけた名前が「はな」である。 僕は、数少なくなったチャコちゃんとの散歩時にメリーちゃんのおばさんが連れているその子犬に出会うことがあったが、その頃はチャコちゃんのことで頭がいっぱいで余り関心がなかった。 しかし、このはなちゃんを通してまたまた、このメリーちゃんいや、はなちゃんのおばさんおじさんと関わりをもつようになっていくのである。
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17‐‐僕は浮気もの? (17)
僕は、チャコちゃんの家の坂道で待っているがチャコちゃんの散歩が少なくなった。坂道から見渡しているとはなちゃんは毎朝夕に散歩している。つい最近までヨチヨチ歩いていたのに生後1年、はなちゃんはわがままいっぱいのおてんば娘になっていた。僕は、いつしか又、はなちゃんのストーカーへと変わっていった。「のらは浮気者やなぁ〜」と、メリーちゃんいや、はなちゃんのおばさんは僕の頭をなでようとする。僕はぴょこんと飛び跳ねて避ける。チャコちゃんは大人のムードだったがはなちゃんはまだ子供に毛が生えたようなものだ。元気1杯、天真爛漫である。前に言ったように僕は足が太く短い。前足も胸の付け根から指先まで太さが変わらない。尻尾も太く短いので下げても上げても棒のようなものである。しかし、はなちゃんは足は細くすらりと長く、だから背も高い。僕ははなちゃんについて歩くのは小走りだし、はなちゃんが走れば僕はエンジンいっぱいふかさなければ追いつかない。尻尾も右巻きに1回転半、体の毛は短いがここだけは毛がふさふさしている。散歩後の食事は そのころは住所不定のようなものであったが、天気のよい日はまだチャコちゃんにも未練があったし、大抵はチャコちゃんの坂道でうつらうつらしていたがはなちゃんの散歩は見落とさなかった。はなちゃんの家からは4つの小道に通じている。ここからはそのうち3つの道が確認できる。だからその姿を見つけると180メートル全力疾走して追いつく、が・・。決して、そばまで行かない。10メートルほど後ろの見えないところで呼吸を整え、そこからゆっくりと現れさも偶然あったような顔をする(実はこの行動を、はなちゃんのおじさんが意地悪く隠れてその一部始終を観察しているのをあとで気がついた--これがおじさんの言う僕のとぼけた顔であるらしい)。このように僕はちょっと気取り屋的性格を持っている
18‐‐僕はちゃっかりしている? (18) はなちゃんについて歩いていると極時たまチャコちゃんの散歩に出くわすときがある。そんなときの僕の気持は想像がつくと思うが、ばつが悪い。でもあのせわしないはなちゃんの守も疲れるし、チャコちゃんの顔を見るとほっとするのも事実である。 「そんなときはどうするかって・・・・」。 今までの義理もある、もちろんチャコちゃんについていく。 ちゃこちゃんのおばさんは「チビちゃんはちゃっかりしているなぁ〜」と、からかう。 はなちゃんは僕がいようといまいと気にも留めていない。僕を見ると背中に乗ったりもぐったりつついたり体当たりしたりと傍若無人の振る舞いである。僕は、大人だし、したいようにさせているが、はなちゃんのおばさんは「はな、としよりをいじめたらあかん・・」といってロープを引っ張っている。僕は礼を言っていいのかどうか迷う。そんな二股をかけているときにもう一つ浮気をしてしまった。
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19‐‐チビリンちゃんの過去 (19) はなちゃんは雌犬にもかかわらず一向に娘らしさがないと常々思っていた僕だが、最近その理由がわかった。おばさんの話によるともらって来て一年ほどたってから不妊のオペをしたといっていた。前に話したおばさんちのチビリンもオペをしている。この辺に野良猫はたくさんいるので理解できるが、自由に活動している雄犬はここ数年来僕しかいない。したがって僕を意識してのことだろう。でも、だからといってはなちゃんに対する僕の気持は変わらない。何せあのおてんば娘のお守は疲れるが僕がついていてやらねばとも思う。 実はチビリンも野良猫だったのをはなちゃんのおばさんがてなずけてしまった。この話を少ししておこう。 僕がみんなに目撃されだした2年ほど前、1997年のある晴れた秋の日、二匹の子猫がおばさん宅にあらわれた。一匹は丸々太った大きなねずみ色と白の縞々模様の雄ネコであり、もう一方のほうは今にも倒れそうな栄養失調の小さな白をペースに背中から腹にかけて黒色のハートマークをつけた雌ネコだった。大きさは違うが明らかに兄弟という印象であり当然太った雄ネコが兄であり、栄養失調のほうが妹だと理解できる雰囲気にあった。普通野良猫の場合、よほどのネコ好きでない限り追っ払われるのが一般的であったが、この子達は人懐っこく特に妹のほうはおばさん宅を放れようとしなかったのと、この栄養状態では早晩の死は予想されたのでおばさんが飼うことを決めた。 早速おばさんはフィーリングで彼らに名前をつけた。太った雄が「デブリン」であり妹が「チビリン」と呼ばれた。 当時おばさん宅には これらに関して、おじさんが自慢するたった一つの出来事がある。いかに人懐っこいといえども野良猫である。そうは簡単に抱き上げることが出来ない。このデブリンを一度だけ肩の高さまでおじさんが抱き上げたのである。デブリンは大きな顔と眼をギョロつかせながらじっとしていたそうである。あの手なずけるのが上手いおばさんにして出来なかった快挙であった。しかし、このチビリンはおばさんが呼べばハスキーな声で返事をしてひざに乗って甘えているのに、おじさんはチビリンに対してはいまだにさわることも出来ない。ミーコもそうである。ミーコもあるきっかけで路頭に迷うところを岡山から車で連れ帰ったいきさつがあり、おじさんはいつも「お前ら、命を助けてやったのも同然やのに・・」と恩に着せて「ちょっとぐらい触らせたらどうや」と、いっていつも愚痴を言っていが、猫達はおじさんに向って背中を立ててフッーと怒っている。 このチビリンは当時の栄養状態によるものか、ハスキーな声がかすかにしか出ない。 デブリンは数ヶ月でどこへ行ったのか姿を見せなくなった。雄ネコは縄張りを持っているが人のよさそうなデブリンはどこかに追放されたのだろう、とおじさんは言っていた。追放したのはオレンジというオレンジ色の大きな雄ネコであり今も健在でチビリンも幾度となく被害にあっている。 このチビリンは僕より先輩なので僕がはなちゃんの前で寝ていても堂々と鼻先を歩いている。僕も知らん振りをしている。
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20‐‐僕の二世 (20) そんなこんなでチャコちゃんからはなちゃんに重心を移しつつあるとき、僕は一つの浮気をして幸いにも子孫を残すことが出来た。この事実は余り知られていない。僕も彼女の名前を知らない。仮にAちゃんとしておこう。Aちゃんの家ははなちゃん宅から東へ200メートルほどいったところにある。田舎のことなのでAちゃんには夜間ならいつでも会えた。Aちゃんは僕の息子達を生んでから半年後ぐらいに亡くなった。それ以降Aちゃんのおばさんが息子二匹をつれて散歩しているのを、はなちゃんと同行しているときによく見かけた。 そのとき、Aちゃんのおばさんは僕をさして2匹の息子達に「あれがあんたのお父さんやで」と、言って僕を指差す。僕は知らん振りしているが「あれだけこっそりと通ったのにばれてるがな・・」と、内心穏やかではなかった。そんなときは僕の得意とするとぼけた表情で無視しているが、ただ眼だけは動かししっかりと観察しているのだが。 はなちゃんのおじさんは「そういえば・・よく似ているなぁ・・」とか何とか言っている。僕らの世界では生まれて半年もすれば親子関係の意識は薄い・・と考えられている。特に男親としては産ませっぱなしであるという認識を覆す事実がこの物語の後半に発覚するのである。
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21‐‐僕のいたずら (21) ついでに、Aちゃん宅に関連して僕のエピソードを一つ紹介しよう。 最近の僕は、はなちゃん宅の裏のメリーちゃんのときの竹薮に基地を移している。夜が明けるとはなちゃんのそばで寝て散歩を待っている。夕方も同じである。そばといっても、はなちゃんはイノシシ防護用の鉄筋ネットで囲われた柵の中で飼われその中におじさんがコンパネで作ったはなちゃんホームもある。柵の中ではロープもなく自由である。だからネットをはさんで外と内の関係にある。散歩以外は数回の巡回と天気のよい日にはその辺の見晴らしのよい田んぼの土手でうとうととしている。最近食事の不安はほとんど感じない。 春だったか、秋だったかポッカポッカのいい天気の農繁期だった。僕はいつものように田んぼの土手でAちゃんのおじさんがトラクターで仕事をしているのうつらうつらと臥せって眺めていた。僕の息子達をおじさんも散歩に連れ出しかわいがってくれている。僕に途中で会うとポケットからソーセージなどを出し僕に食べろとくれる。僕はほしいが無視した態度をとることにしている。仕方なしにおじさんが道端において立ち去っていく。でも僕は戻らない。まだ決して決まった場所、決まった人からでない限り僕は食べない。
折角だからおにぎりはいただいた。本質的にご飯系は食べても安全ということが経験的にわかっていた。おじさんが追いかけた本質はこのスーパードライにあったことがわかったが僕には不要のものである。今更返しにもいけないのでそこに放置することに決めた。 はなちゃんはよくスーパードライの空き缶を転がしたり、しがんだりしている。よくあんなものを咥えて口を怪我しないのが不思議に思っている。 それ以降、Aちゃんのおじさんに会うごとに「コラ! ビール何処へもって行った・・」と、怒っている。僕は目撃されている以上いつものとぼけた顔は通用しないのでさっさと下を向いて立ち去るようにしている。 |
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22‐‐家庭菜園の土手 (22)
僕はチャコちゃんとの2年間は平穏無事で僕の一生にとって一番穏やかな生活だったと以前書いた。一方はなちゃんとの生活は楽しいこといっぱい、辛いこといっぱいの激動の2年間となった。 先ず楽しいことの方から聞いていただこう。僕は毎日、朝と夕方にははなちゃんの柵の前でぼんやりとしたり、うたた寝をしたりするのが習慣になった。 はなちゃんは、「これが雌犬か!」・・というようなリラックスモードで寝ている。 他の時間は午前午後の巡回を済ませると僕の生活範囲の半分ぐらい見渡せる高台の田んぼの土手で、世間を見たり、考え事をしたり、昼寝をしたりしている。そこは僕がはなちゃんの散歩時に間に合わなかったり、寝過ごしたりした場合は散歩のルートが視認できる場所でもある。このごろはめっきりと出てこなくなったチャコちゃんの坂道も正面に見える。その場所を今後の話の都合で「家庭菜園」の土手と名づけよう。 |
23‐‐白いヘルメット (23)
僕がはなちゃんといっしょに散歩をするのはこの辺の人や、住宅地から家庭菜園をしに来ている人、又散歩の人たちで知らない人がいないほどまでになった。僕もまたはなちゃんとの散歩が一番の楽しみで先ず、はなちゃんのおばさんの素振りではなちゃんがキャンキャンと反応すると僕も準備体操に入る。前足を伸ばし次に後ろ足続いて背中を伸ばし、前足をじたばたと動かす。で、ないと元気なはなちゃんには対応できない。 散歩のときにいつもおばさんからも、おじさんからも注意されることが一つある。それは、僕がある特定の自動車(複数台)と白いヘルメットをかぶったバイク(複数台)に吠え掛かることである。それらの自動車は僕に出会うと徐行する。又、バイクの人たちは足を上げてスピードを出して通り過ぎようとする。それらの車両は何れも家庭菜園のよく見かける人たちばかりである。「どういう基準で追っかけるんや!」と、おじさんは僕に怒るが僕にもわからない。特にカーブでバイクに吠え掛かったときは大きな声でおじさんが怒っている。しかし、双方に一度も事故はない。 ただし、これもはなちゃんと一緒におればの話で、ひとりの時に出会っても反応しないから自分ながらも不思議である。
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24‐‐散歩のコツ (24) 僕も地域に溶け込み地域の人たちも僕がいることを認識している。だからといって皆がみんなそうであるかと言うとノーである。僕がひとりで巡回していると散歩の人の中には僕の顔を見るとUターンする人もいれば、僕を棒切れで追っ払う人もいる。僕はそういう人と出会うときは田んぼの土手とかそば道とか遠回りしてやり過ごしている。ところがはなちゃんと散歩しているときははなちゃんのおじさんがガードしてくれているようで、そんな人も見てみぬ振りをして通り過ぎていく。だから、好まぬ人や、好まぬ散歩中の仲間に出会うときは、おじさんの横にぴたりと引っ付いて歩いている。このときだけは、通常の2メートルの離隔距離を取れないが生きる手段であるから仕方がない。ところがおじさんはこのときとばかりに「お前はなかなかかしこいなぁ〜」といって頭をな でようとする。一度だけ散歩の人に「犬はつないで歩け!」と、はなちゃんのおじさんは怒られていた。おじさんは「あんたの人相が悪いからや、なぁのら」と、散歩の人が通り過ぎてから又僕の頭をなぜようとする。とにかく、はなちゃんのおじさんとおばさんはどちらが先に僕にタッチできるか競争しているようである。
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25‐‐菜園のおばさんとの出会い (25) いつものように「家庭菜園」の土手(22参照)で寝そべっていると、休耕田を借りて家庭菜園をしているおばさんがやって来た。いつもはおばさんがひとりで野菜の手入れをしているが時々おじさんも来ているようである。僕はおばさんを観察しているしおばさんは僕を観察している。ある日のこと、おばさんが帰ったあとその場所に行ってみると何か台がありその上にソーセージとか何か食べ物が置いてあった。僕はいつもいっているように絶対に誰が置いたかわからないものは残飯の米、野菜系以外のものは食べない。でも、これはおばさんが置いていったもの とわかっていたし、今までの観察の結果おばさんは僕にとって敵ではないことはわかっていた。僕が畑の中で穴を掘って寝ていたときも、少し野菜に悪さをしたときも絶対に怒られなかったからである。 僕は遠慮なく食べた。美味しかった。明くる日又おばさんがやってきた。ソーセージがなくなっており僕がそばにいたので当然僕が疑われた。 「あんたが食べたの、今日は何も持ってこなかったので昼から何か持ってきてあげるから」・・ といって、かがんで僕に話しかける。それからおばさんは毎日来るとは限らなかったが、来て僕がいなかったら僕を探しているのがわかった。 僕がはなちゃんといつも散歩しているのを知っていたから、はなちゃんの家に探しに来ることもしょっちゅうあった。そこで、僕のことをはなちゃんのおじさんがべらべらしゃべって僕の名前が「のら」ということや、僕の過去 までも知られてしまった。 とにかく菜園のおばさんは優しかった。僕ははなちゃんの散歩と巡回以外の晴れた日はいつも家庭菜園の土手で過ごすようになった。あとで知ったことであるが、僕が最初食べたソーセージは、何も僕のために置いたのでなく家で飼っていたハムスターが死んだのでそのお供えだったのである。でも、それがきっかけとなりやさしい菜園のおばさんと気脈が通じることが出来又僕の味方がひとり増えうれしかった。 |
26‐‐おじさんの退職で僕は迷惑 (26) もう少し散歩の様子を続けます。 最近、はなちゃんのおじさんは毎日家にいる。会社を退職したそうである。僕には何かと迷惑だ。今までははなちゃんのおばさんと一緒の散歩がほとんどだったのが、おじさんが退職してから逆転した。だいたいおばさんの散歩ルートは決まっており、途中の待ち伏せはもちろんのこと、近道をすることも出来た。ルートが読めるので僕が先頭を切って道案内もした。ところが、おじさんは田んぼの見回りついででもあるが、たんぼのあぜ道とか、山の中の池などがほとんどであるので、疲れるし、僕らの散歩に必要な仲間達の匂いも余りない。 ところがはなちゃんは弱いものいじめがすきで、田んぼの畦の草むらとか溝に顔を突っ込んでかえるを捕まえるのに夢中になっている。田んぼの中にも入っていき腹から下はどろどろでおじさんが「ただでさえ出来が悪いのに苗を踏むな!」・・と怒っているがはなちゃんはお構いなしである。そんなときは必ず川へ連れて行かれる。今度は川で顔をすっぽりと水の中に入れて、.。o○と鼻から息を吐きながら水中の白く光った石とか陶器のかけらを咥えている。僕も水は好きだが、はなちゃんにはあきれる。
散歩の時の位置取りも難しい。おばさんのときとは異なり道の分岐点では僕が右を選択していると気がつくと左へ行っているし、坂を上ろうとすると下る。いつも後ろを注意していないと撒かれてしまう。どうも無駄な動きが多く疲れる。おじさんは家に帰って「今日ものらが散歩のルートを指図しよる」・・と、おばさんに愚痴っていたら、「犬に主導権を握られてどうすんの・・」と、おばさんにやり込められていた。
次回から、人生最大の大ピンチについて聞いてください |
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27‐‐赤い犬 (27) この辺で、おじさんも退職したことだし僕に代わって話してもらおうと思う。
2005年秋、この集落で赤みがかかった茶色の小形犬が早朝などに目撃されるようになった。「赤い犬」と例によって家内が名付ける。家の周囲や裏の竹薮に出没し「はな」がくるったように激しく吼える。あわてて外に出るがすばしっこくなかなか姿を確認できない。と、ある日、「のら」が「赤い犬」と連れ立って歩いているのを目撃する。 「のら・・お前の新しい彼女か・・・」
と、問いかけるがのらは例のとぼけた顔で立ち止まるだけである。野良がどこから
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28‐‐迷い子 (28) 2006年、早々所要があり3泊ほど私と家内は家を空けねばならなかった。留守番に娘夫婦が来ていたときの出来事である。今日帰るという日の夕方、現地からこれから帰宅すると娘に電話をかけると、 「今、○○ちゃん(娘の主人)がはなの散歩から帰ってくると前の溝に子犬がいるのを、はなが見つけた・・」と、娘が言う。捕獲して餌とともにダンボールに入れておくとのことであった。 私は、そんな子犬が迷うわけはないし又、誰かが捨てたのかと思った。深夜、家に着くと娘夫婦は帰宅しておらず、子犬がダンボールの中でじっとしていた。色はねずみ色で丸々と太っているかわいいやつである。「う〜ん、飼わなきゃ仕方がないのかなぁ〜」と思いは巡る。
29‐‐母性本能 (29) 次の朝、とりあえずはなに子守をさせようとはなハウスに入れるが、はなは最初こそは子犬を嗅いでいたが、しばらくすると扱いに戸惑い無関心になる。子犬はじゃれようとするがはなは逃げている。普通、はなは雌犬だから母性本能があると思ったが全くそういう素振りはなくて「もの」としてしか見ていないようだ。のらもはなと仲良しだが女性としては見ていないことなどからも、子犬の頃去勢手術をしたのが影響しているのかも知れない。 |
30‐‐予感的中 (30) その日の昼、隣家はおじいさんの一人暮らしである。そのおじいさんが「一輪車の空気を入れてほしい」と、たずねて来たときに、「家の縁の下に犬の子供がいる。先日、娘が帰ってきたときに数えると5匹いるといっていた。どうしょう」と、言う。私は、ピーンとくるものがあり、懐中電灯をもって隣の家に走って行く。途中足がもつれてつんのめる。別にあわてる必要もないのだが何故か気持が焦る。縁の下を覗くと5―6m先に2匹重なって寝ている。親はいない。昔、子供のころ鶏がよく縁の下に入って、それを捕まえに入るのが日課だった、つまらないことを思い出しながら不吉な予感的中にどうしようかと縁の下に首を突っ込んだまましばらく動けなかった。 5匹の内1匹が昨夜迷い込んだのは確実である。その距離30-40m。「う、すると後2匹はどこへ行った、母親は例の赤い犬、すると犯人はのらか。」と、つぶやく私。「何とかしましょう」とか何とか言って家に帰り家内と対策を練る。もしあの5匹が野良犬となったら、そして1年で成犬となり次々と増えていったら・・どうする。と、不安になる。かわいそうだが駆除するしかない。とりあえず役所に連絡するが生きた犬は引き取れない。「保険所に連絡したら・・」、ということだった。 |
31‐‐大捕り物 (31) 保険所に電話すると、30分ぐらいで5人来てくれた。早速現場へ案内し状況を説明する。リーダー格の人が懐中電灯で覗き込み「2匹いるわ・・」「網でつかまえるしかしかたがないなぁ」と、言って魚を捕る網に竹竿を縛りつけ道具を準備している。「ほかに出口はないか家の周囲を確認して・・」それから、親犬が帰ってくるかもしれないので後の人たちに配置を指示している。みんな、首を引っ掛けるワッパをもっている。「えらい物々しい雰囲気やなぁ・・と思う。20分ほどで1匹捕獲された。保険所の人は両足を片手で持ってぶら下げるや、直ぐに目隠しされた檻の中に放り込む。私は中を覗き込む。「うっ・・」その子犬は、その白地に茶色の模様、顔つき全くのらのミニチュア版である。誰がなんと言うとも親がのらであることは間違いない。後でわかったことだがこの子犬が一番大きく、そして他の子犬は全てねずみ色でのらの子供 か判別できなかった。一瞬、「ほしいなぁ」という思いが脳裏を掠める。しかし、現場は緊張した空気が満ちそんなことを言う雰囲気ではなかった。と、「親が帰ってきた!」と、ひとりの声とともにみんなが物陰に隠れたりして配置に着いた。やっぱり赤い犬である。その家も裏が竹薮であるが、その竹薮から縁の下に入ろうとする瞬間、危険を悟ったのか反射的にUターンし逃げ去った。数人が追いかけたが追いつくはずもなく、一瞬の出来事であった。 結局は、1匹捕獲してもう一匹はどこかに隠れてしまった。「檻を仕掛けて帰りますので入ったら連絡ください」と、私の家に昨夜迷い込んだ子犬と2匹が引き取られた。後3匹残っている。 のらはその日の夕方も散歩についてきた。その夜、あまりにもよく似たのらの子供の顔が浮かびなかなか寝付かれなかった。
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32‐‐ジレンマ (32) 何故不安を感じるのか、それはのらが排除されることにある。赤い犬の子供達が成犬になって増えていくことを考えれば駆除しなければならない。それに伴い母親の赤い犬を駆除しなければ半年後か1年後には今回と同じことがどこかで確実に起きる。その延長上に、原因となる雄犬、即ちのらの存在がある。赤い犬は駆除してほしいがのらはこのまま生き延びてほしい。長年かかってここまで集落の多くの人々に受け入れられるようになるにはそれだけの努力をしたからに他ならない。そんな犬を保険所に売るようなことはしたくない。しかし、のらは野良であり法律で定められた手続きが出来ているわけでもなければ事故があったときの責任者もいない。赤い犬の駆除を申し出て、法律上同じ立場の「のら」を捕まえないでくれというのは身勝手すぎるだろうし、万人に理解されるわけでもない。でも、なんとしてものらを巻き添えにしたくない。
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33‐‐麻酔銃 (33) 明くる日、仕掛けられた檻に子犬が1匹入っており保険所から2名引き取りに来た。これで3匹駆除されたことになる。又、家庭菜園に通る人から「貴方の家のこの小屋の下に子犬が逃げ込んだのを見た」という情報が得られた。そのことを伝えると保険所の人が「檻を仕掛けさしてもらえますか」と言うので赤い犬の通り道でもある檻を設置する場所を指定してOKと返事した。 そのとき感じたのは、保険所の人が檻を設置する場所とか許可に非常に慎重になっている、「ここでいいですよ」といったが何度も設置していいかと確認していた。過去にトラブルがあったようである。 檻を設置して帰る間際になって心配していた非常事態が発生した。のらがその作業を見ていたのである。 私は、のらが見つからぬよう早く帰ってもらうように、「後はちゃんとやりますので・・」と、帰りをせかしていたが、保険所の若い方の人がのらを見つけ、「あの犬はのらですか、捕ってもいいですか」と聞くので、「私はまぁそうですが・・、あの犬はおとなしく、この辺の人もみんなかわいがっていますし・・、又老犬でほおっておいても今夏も乗り切れるかどうか・・」といって口を濁し暗に捕ってほしくない旨を阿吽の呼吸で伝えるも通ぜず「あれを捕ろう・・」という。私は捕るなという権限もなければ、首輪をつけることが出来ない限り今後ののらに対して責任を持つことも出来ない。あの犬は賢いので捕まえることは無理だとさらに気持で了解を求める。時間を稼いでいる間に心と目配せで10mほどの距離にいるのらに早く逃げろと告げる。どうしたことか、異常を察知しているはずののらが動かない。さらに、意味不明のことを言って時間を稼ぐ。私が、のらから見えているので逃げないとも思い、その場を離れ保険所の人の車のほうへ二人を誘導し、忙しいところ・・・とか何とか言ってお引取りの意思表示をする。しかし若い人のほうは木の陰に隠れまだ待ち受けている。リーダ核の人は「深追いせんとこ、もう帰ろう・・」と私の心を悟ってくれた。リーダ格の人ととりとめのない話をして若い人があきらめるのを待つ。しばらくしても若い人が帰ってこないのでリーダー格の人が「もういい・・」といって迎えにいった。私もついていく。「もう帰ろう・・」とリーダー格の人。「待ってください、今麻酔銃を撃った。あたっている」といって若い人が駆け出した。麻酔銃があたってから30分が勝負、それを過ぎるともう見つからないといってその辺を探し回る。リーダー格の 人が「いつものらはどの辺にいますか・・」とか言うので、私は知っているが、「そらぁ、道からや」とか、とぼける。 私はわかった。のらの逃げていく場所がチャコちゃんのおばさん宅のそばのお堂の裏だと。そこまでは180mはある。逃げ切れるか。
34‐‐力尽きる (34) 私は、直ぐに家内に話しチャコちゃんのおばさん宅に事の成り行きを電話するように伝える。私は、チャコちゃんの坂道が見える場所に急行し眼を凝らす。すると、坂道に何かいる。直ぐ家にとって返し双眼鏡を持って元の場所から確認をする。のらが坂道の下りに頭を向けて倒れている。その場所から、2m程土手を駆け上ればもう誰にも見つからない。その2m程の土手を上れず遠くからでも視認できる坂道で倒れている。私は家にとって返しチャコちゃんのおばさんに確保してくれるよう電話する。 私はその坂道へ走った。すると私より先に保険所の若い人が走っている。リーダー格の人も軽トラで向っている。走りながら見ているとチャコちゃんのおばさんが毛布を持って現地に着くのと保健所の人がつくのが同時だった。もう隠せない。私は懸命に走った。坂道に着くとチャコちゃんのおばさんが毛布を抱えて呆然としているのと保険所の人がのらを抱えようとしているのが同時であった。 私は着くなり「ちょっと待ってください。その犬を飼いたい」「今なら首輪を付けることが出来ますね」と、保険所の人に訴える。私はチャコちゃんのおばさんに「首輪があったら貸してください」というと、ほっとした表情で「あるはずです。ちょっと待ってください」と言って首輪を取りに戻る。保険所の人は、散々捕獲に苦労をさせておいて「何を今更・・」と言うような顔つきで「本当に飼うの」「飼います」「確約できる」「確約します」「登録など必要ですよ」「わかっています、明日にでも役所に行き登録をしてかかりつけの獣医さんところに行き必要な検査と狂犬病などの注射をします」「う・・ん、本当は立場上困るのですが、そういうことであれば必要書類に記入してください」「わかりました」・・・そういうやり取りがあり、保険所の人が首輪をつけてくれ「家までつれて帰りましょう」といって抱いて軽トラに乗せ送ってくれた。その途中「そういうことであれば今回は報告はしないようにしますので書類はいいです。ちゃんと飼ってやってくださいよ」と念を押され了解を得られた。家に着くと、保険所の人が、はなの古い首輪があったのでそれと付け替えてくれた。「のらは首輪をしたことがないし、その首は太く短いのでちょっとゆるくないですか」と私。「老犬でしかも麻酔が効いているので締めると危険ですから」と保険所の人が言う。「麻酔銃が腰に当たっているから老犬でもあり元に戻るかどうかは補償できないが、しっかりと飼ってください」では、仕掛けた檻に入ったら連絡くださいといって帰っていった。 私は、保険所の人に感謝した。
35‐‐眼が覚めて (35) その後、数時間を経てのらは2回にわたって胃にあるものを吐いた。夕方、チャコちゃんのおばさんが見舞いに来る。夕方遅くなって、眼が覚め立ち上がろうとするが腰が抜けた上体でもがくがその場で回転しか出来ない。それでも前足で這うようにして脱出を試み、はなの柵内へ入った。はなも何事が起こったのか理解できていないが心配そうにのらの顔を覗き込んでいる。いつものように背中に乗ったりのおてんば行動は遠慮している。その後盛んに柵から脱出しようと暴れるが腰から下は自由が利かないので柵に前足をかけ転落したり柵のメッシュから首を突き出し苦しそうな表情をする。その眼が悲しい。仕方なしに柵をシートで囲い外が見えないようにする。すると何を考えているのかはなが柵をはしごのように登り外へ脱走した。今度は上もふさいで逃げられないよう暗くなるまで対策を打つ。その夜のらは、はなと同居し同じハウスで眠った。
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36‐‐子犬はあと一匹に (36) まだその日は終わらず、午後7時過ぎに仕掛けられた檻に1匹子犬が入った。キャンキャンとうるさいのでダンボールに移し、5匹目を捕獲すべく再度餌を撒いて檻をセットする。5匹目がいるかどうかは確認が出来ない。 明くる日、保険所に電話するといつもの二人が直ぐに来てくれた。「のらはどうしている」「眼は覚めているが腰が立たないらしく身体を引っ張っています」「老犬の上、麻酔銃が当たった場所にもよるが回復には時間がかかるでしょう」と、いうやり取りがありダンボールの子犬を引き渡した。「母親は見かけますか」「あれ以来見かけません」「それでは檻は引き上げますので何かあれば連絡ください」「もっと設置を続けても私は何も支障がありませんよ」「もう一匹の子犬も見かけないようなので一応、檻は引き上げます」と、やはり必要以外に柵を設置するのはトラブルを避けているようである。 私は、「もう一匹の子犬ですが、母親が面倒見なければ・・」どうなるのですか、と言う問いに対して「この程度になるとひとりでも生きていきますよ」と、私はせめて後一匹の子犬が雄犬であることを願った。
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37‐‐脱出 (37) その日、はなは遅い朝の散歩に出た。のらはまだ満足には立てないのにしきりに首輪をはずそうとしている。少しでもさわろうと近づくと後ずさりし眼は異常におびえている。昼過ぎ、ついにのらは扉のわずかな隙間に頭をいれ懇親の力をこめ扉の兆番をはずしてしまった。転がるように柵外に出るとものが置いてある細い隙間にもぐりこみ盛んに首輪をはずそうともがいている。ロープに繋がれたままなので逃げることは出来ない。とにかく刺激しないよう落ち着くまで見守るしか方法がない。もちろん水も食事もとらない。
これからのことを考えると、今のままの柵では心もとなく改造のため一度撤去する。昼過ぎに、毛布の上に寝かそうとロープを引っ張ると、座ったまま首を伸ばし動く気配がなく抵抗する。と、そのとき突然座ったまま両方の前足と両方の後ろ足をお尻を支点として首にかけた。ロープで引っ張られる力と4本の足で 首輪を押す力と心労でげっそりとやせた顔、短い首などの条件が整いすっぽりと首輪が抜けた。三方囲まれた小屋の中、私が前に立ちふさがっている。右に左に私を突破しようと機を見ている。私はただ「のら」「のら」と叫び両手を広げ阻止の構えをするだけでどうすることも出来ない。のらはついに私の手をかいくぐり難なく脱出した。腰が立たないと思っていたが思いのほか回復しているらしくしっかりとした足取りでゆっくりと後を振り返り立ち止まり こちらを見て、を繰り返しいつもの土手へ消えていった。
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38‐‐信頼関係 (38) 脱出されたことはショックでない。心のどこかにはそれを期待していたのかもしれない。生まれて初めて首輪をされて自由を失い、悲しい眼を向けられるといたたまれなかった。又、あれほど保険所の人に念を押されたにもかかわらず、約束を保護にしたことも 申し訳なく思うが致し方ない。ただ、のらとの信頼関係がなくなったのではないかと思うと辛い。もうはなとの散歩もなければ道であっても知らん顔をするだろう。 気を取り直し、とにかくどこへ行ったのか双眼鏡を持って探しに行く。この一両日飲まず食わずで胃にあるものも全て吐いている。今日は日差しがあり比較的暖かいと言えども1月である。 心配だ。 程なく、家庭菜園の土手で座っている野良を発見し、いつものように口笛を吹くとこちらをじっと見ている。少し間をおいて又見に行くともうそこには居ない。どうも気になるので再度探索すると、このホームページのスケッチのページの「プールと地頭さん」のところの橋から見える川のそばの日当たりのよい田んぼで 、座ってじっと世間を見渡している。又、フィーと口笛を吹いてやると、又か・・、というような素振りを見せ「もうほっといてくれ・・」と言わんばかりの顔つきで移動を開始する。こちらもこうなったらとことん居場所を突き止めてやるとばかり追跡する。川沿いの竹薮の前の休耕田のほうへ消えていった。そこは枯れススキで覆われ、鹿、イノシシの身を隠す場所である。その場所は、はなの散歩でもよくいくところである。いつも鹿の足跡がついており、その匂いを追跡するのがはなは大好きだから。 その場所に着くと、突然バサーと音がし何かが枯れススキの中から飛び出してきた。赤い犬である。まだ居たのか、のらが赤い犬がそこに居ることを知っていたのか、何れにしても大ショックである。子犬が捕まったところとは高低差があるものの目と鼻の距離である。もう、のらのことより赤い犬がどこに逃げるのかに関心が移り追いかけるが数秒もしないうちに見えなくなった。
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39‐‐悪戦苦闘 (39) その日の出来事はそれで終わらなかった。のらの追跡から帰ってくると、いつも菜園に行くのに通る人が、「今、この建物の床下に子犬がか駆け込みましたが・・」という。この建物というのは、退職したらつぶそうと思っていたけれど延び延びになっているポロポロのパネルハウスのことである。最後の一匹はこの床下に居ることがわかったが、床下はブロック1枚の隙間しかない。入ったところから懐中電灯で見るが何も見えない。こうなったら何が何でも捕獲しようと、床をのこぎりで切って首を突っ込む。「いた!」、丸々太ったねずみ色の子犬が小さな隙間に頭かくして尻隠さずの状況である。早速、孫の魚とりの網に竹竿をくくりつけて探る。思うようにいかない。何せ左手一本である。右手は年末に手の甲を不注意から骨折して吊っている状態である。あっちからこっちからつつくが子犬は自由自在、日が暮れかかってきた。2時間以上費やしたが今日はあきらめよう。
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40‐‐可能性 (40) その日はまだ、はなの柵も直さなければならなかったが日も暮れかかるし、何よりも頑丈なものにしても、そこに入るのらはもう居ない。やる気もなくなった。 まだ、はなの散歩が残っている。のらがはなの散歩を見つけて反応すれば絆は復活できる可能性がある。のらはいた、家庭菜園の土手に寝ている。もう日が暮れかかっているのにじっとしている。例によって口笛を吹いてみる。フィー。のらは首をもたげこちらをじっと見ているが立ち上がらない。そこに家内が来て散歩を 代わるとむっくりと起き上がり、はなの後を追ってゆっくりと後を着いてくる。やはり私は警戒されてるらしい。一連の子犬捕獲に、この私が関わっていたことをのらは見ているはずである。後は、最後まで着いてきて食事をしてくれるかが問題であったが、これでコースが終りという分岐点でのらは立ち止まり、30分もそこにとどまり以後どこかえ消えて言った。食事はどうするのだろう・・。 残り一匹の子犬の運命、赤い犬は何処へ、のらとの信頼関係は・・・・次回へ続く |
41‐‐武士は食わねど・・・ (41) 次の日、朝起きると「のら」は「はな」の柵のそばで伏せっていた。何事もなかったかのようにはなの散歩にも着いてきて、帰りには食事もして帰った。思ったより回復は早くもういつもと変わらないように見えた。その後、最後に残っている1匹の子犬を探すが気配もなく見つけられなかった。のらは夕方もいつも通りやってきて、はなの散歩を待っていた。のらの体調のことも考え、無理のない平坦なコースを歩いた後、家の入り口で例によって立ち止まり何かを思案している。はなのそばに餌をボールに入れて待っているが一向に食べにこない。が、いらないわけでもなさそうである。 いつものことであるが、「武士は食わねど高楊枝」と「腹は減っては戦は出来ぬ」の両方の感情を表情にあらわす。それは、鼻をひくひくさせ、喉をごくりとさせながら顔は餌からそむけ、無関心の態度をとる。こちらからボールを持って2歩前進、のらは一歩後退をお互いに繰り返しにらみ合いが続いた後 、3m程の距離まで近づく。そうしてボールを離れるとやっと食べていただく。又、余程でない限り、人が見ている間は絶対に餌に口をつけない。ドックフードの場合、その場で食べず一度口に咥え2−3mはなれて食べ・・、を繰り返している。2−3mの離隔距離がどれほどの意味を持つのか知らないが・・・
余談だが、のらもはなも、ドックフードよりもご飯系、パン、牛乳が大好物である。しかし、百姓をしてお米を作っているのに、犬達はめったにご飯にありつけない。昔は残飯ばかり食べていたと思うのだが・・。ご飯にかけるものに、「塩分、たまねぎ・・が入っている」「魚の骨が、鳥の骨が喉に刺さる・・」とかで、混ぜる物がない。 安心できるのは、牛乳かけご飯ぐらいである。 それと、はなは器までなめて一粒も残さないのに、何故かのらは食べ散らかしが多く、いつも少し残している。それを野良猫が掃除しているが・・
その日の夕食もそのようにして立ち去った。その後ショッキングな事件を目撃する。
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42‐‐見てはならないもの・・ (42) いつものことであるが、どこに寝ているのか知りたく食べ残しを点検したあと裏の竹薮を覗く。かすかにのらの茶色の模様が下草の間から見え隠れする。そのあたりの笹が揺れている。そぉ〜と、近づく。のらは何か激しくむせているようで口から吐き出している。さらに、5−6mまで近づく。 なんと、そこには子犬が一匹、のらが吐き出したドックフードを尻尾を振りながら食べている。私の身体は硬直した、さらに観察する。のらは、子犬が食べている間、子犬の身体全身を舐めている。やがて子犬は食べ終わると、のらの足をかんだり背中に乗ろうと立ち上がったりしてじゃれている。のらはじっとしてされるがままになったり、時には鼻で押し返したりしている。のらは、いつものように遠くを見ているような眼でなく、優しそうな眼になっている。私は、見てはならないものを見てしまったように思い、見つからないように数歩後退した。もう日も暮れようとしている。
子犬は野良の姿が消えるまで見送っていたが、消えると同時に方向転換し、下草や枯れた竹の枝を揺らせながら一目散にこちらに向ってくる。「はっ」と、われに返り進んで来るその方向から、前にいたパネルハウスの床下でなく、隣の小屋と判断し私は先回りし待ち構える。 竹薮から姿を現した子犬は、私の姿を見て「ウゥー」と低いうなり声をあげ牙をむく。私は、こんな子犬が牙をむくとは信じられなかった。私は、とにかく両手を広げ床下に入るのを阻止しようと、あわよくば捕まえようとした。子犬は、盛んにうなり、左に右にと揺さぶりをかける。私はワンテンポ遅れて操られる。私は腰を下ろしさらに威圧をするが、子犬のほうが動きはすばやく、また情勢判断も優れており一瞬の隙をついて床下に逃げ込んだ。その床はつぶすことが出来なかったので、あわててカメラを取りに戻り 、床下の穴よりフラッシュ撮影するが結果はどの写真にも子犬の姿がなかった。 一瞬であったが、床下に逃げ込む子犬をさわり、そのぬくもりを消そうにも消せなかった。
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43‐‐氷解 (43) ここで一連の出来事が氷解した。おそらく隣家の床下で生まれた子犬5匹中3匹を連れてきたのは、のらだ。そのうち1匹は溝で捉えられ、2匹目は餌に釣られて檻に入った。3匹目がこの子犬である。あの慎重な賢いのらが麻酔銃でとらわれる危険を冒したのも子犬が床下に居ることを知っていたのだろう。それゆえに包囲網が敷かれている中から逃げようともせずつかまってしまった。母親が、皆に追われているのは知っていたのであろう。自分はこの付近の人たちは信頼されているし、警戒もされないと思ったのかも知れない。 もう、子犬のことは忘れよう。ただ、早く床下から私の目に触れないどこかえ出て行くことを願うばかりである。必死に生きようとしている子犬、それを必死に守ろうとしている雄犬である 、のら。 ここに連れてこれば安心と思ったのらを私は裏切ってしまった。それは2006年1月20日、粉雪が舞う寒い日のことであった。
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44‐‐深夜の鳴き声 (44)
時間は深夜の3時過ぎ、「キャンキャン」 少し休んで又鳴くことを繰り返している。鳴き声からして切羽詰っている状況と思われた。私にはだいたいの想像はついた。おそらく、どこかの犬が(のらか、例の子犬の可能性は高いが・・)鹿よけのネットに引っかかっている。とにかく夜明けを待って直ぐ探索に出なければならない。私が一番恐れるのは、この声で安眠を妨害されたと噂が噂を呼び、その犯人にのらが仕立てられ再度捕獲の対象となることである。そんな不安が次から次へと浮かびなかなか寝付けない。明け方睡魔に襲われ不覚にも肝心なときに眼が覚めず起床は8時になった。 まだ、時々鳴き声が聞こえる。相変わらず冷たい小雨が降っている。木々の様子から風も少し吹いているようである。朝食もとらず、探しに出る。はなが一緒に行くといってうるさく 啼くが、傘は必要だし左手しか使えないので一人で声のする西のほうへ行くが一向に近づかない。風の方向にもよるのか今度は反対から聞こえたりする。20分ほど経った頃、はっきりと鳴き声の方角がわかる場所に出た。その方向は私の家の真南に当たる。土地勘はありすぎるほどあるので場所も特定できた。あの場所である。
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45‐‐ゴン君の丘 (45)
あの場所とは、 そんなゴン君の家の丘にあり、野菜くずなどを堆肥にするために囲ってある2坪程度の場所である。カラスがつついて散らかすので鹿ネットがかぶせられていた筈である。そのネットに犬が引っかかっているのを確信した。その場所まで直線距離では30m程であるが、真ん中に谷があるため遠回りしなければならない。冷たい小雨は降り続いている。 |
46‐‐ネットにかかった子犬 (46) 10分ほどでその場所に着いた。思ったとおりあの子犬がぐるぐる巻きにネットに引っかかっている。左手で解いてやろうとするが、例によって牙をむき恐ろしい形相をして噛み付いてくる。1月の冷たい夜間からの雨に打たれて毛はずぶぬれで肌に張り付いている。囲いは高さが50cmもあるのによく子犬が登れたものだと思ったが、おなかがすいていて必死だったのだろう。もがけばもがくほど絡まっていく。どうするか思案をしながら見ていると、声は出さずに隅っこでじっとしている。こちらが動けば抵抗するといった状況である。左手ではさみも使えないし、ナイフでネットを切ろうとしても子犬を傷つけてしまう。ゴン君のところに電話して応援を頼もうと思い家に引き返した。折り悪く、誰も電話に出ない。家内がとゴン君の家を訪ねると誰も居なかったといって帰ってきた。 もし、子犬を開放することが出来ても誰か引き取ってくれれば問題ないが、あの様子では人になつかないだろう。生まれたときからの、野良犬は警戒心が強く、よほどでない限りその性格は変わらないのではないか。のらの場合、母犬は人に飼われていて、のら達兄弟も一時は人にかわいがられた経緯がありそれから捨てられた。だから、始めは人は恐れなかったが、人間の迫害やいじめによって警戒心が後から出来たものであり、子犬のケースとは異なる。 それらを考えると、保険所にお願いするしかない。ただ、そうすると「その後、のらはどうしていますか」とか何とか聞かれたら・・、どう答える。「首輪を抜けて脱走しました・・」、あれほど飼うことに念を押されたのにもかかわらず・・・。そこへ又、のらが現れたりして、「もう一度捕まえようとなったら、もうどうすることも出来ないし、だからといって、子犬を開放すると・・・。
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47‐‐観念 (47) 今ここに、のらが居たらはなを散歩に連れ出せば、のらは確実についてくる。保険所の人に合わないルートを選択すれば事足りる。口実はなんとでもなる。現実には今日に限ってのらがいない。 もうこうなったら、小細工なしに出たとこ勝負で電話しよう。保険所の人とは数回あっているのでツーカーで「直ぐ行きますから、確保しておいてください」と、いった。30分ほどで着くと思うが、子犬が心配で急いでゴン君への坂道を駆け登り、現地に着き子犬に傘をさしてやりながらよくよく見ると、竹薮で捕まえそこなったときより数段にたくましくなっている。どこで餌をあさったのか 、まるまると太っているのがせめての幸いである。しばらくすると、ゴン君のところのおじいさんに連絡がとれ「これから病院へ行くのでよろしく頼みます」といって、車で出て行った。30分ほどした時、「今、保険所の人が来たので現地へ行ってもらう」と家内から携帯連絡があり、1−2分で顔見知りの保険所の人が二人て「これが最後の子犬ですね」といって、ものの数秒でネットからはずし、足をぶら下げて檻に入れた。その間、子犬は一言も発せず、又牙を向いたりの抵抗は全くしなかった。子犬も事態を悟り、観念したものと思われる。「では、失礼します」「ご苦労様でした」、これで今回の子犬騒動は全て片付いた。のらの事を聞かれたらどうしよう・・などは全くの取り越し苦労でいっぺんに気が抜けてしまった。 |
48‐‐情を移さず (48) 子犬たちの末路はわかっている。最初の「のら」に酷似した子犬のこと、軒下へ入る子犬を阻止しようとしたとき、わずかにタッチできたあの感触、檻から出し段ポール箱へ入れたときの子犬のぬくもり・・・。 最初は、保険所の人が物のように捕らえた子犬を片手でぶら下げて無造作に檻に入れる仕草等に疑問を持っていたが、後になってそうではないことがわかった。あの人たちは、もともと動物が大好きだと思う。もし、私のように、子犬のぬくもりを一瞬でも感じたら・・雄か、雌か確認するだけでも・・、顔を見るだけでも・・、情は移る。麻酔銃でやられたのらを飼ってやりたいと言ってから、そののらを抱いて、物としてでなく犬として扱い車に乗せてくれた。結末がわかっているから、保険所につれて帰る場合、決して抱かなかったと思う。 もし、一瞬でもそのぬくもりを感じたら、もう仕事として出来ないだろう。その後の、のらのことを私に聞かなかったのも、経験上想像もついたのだろう。私は感謝した。 |
49‐‐大怪我 (49) その後、のらは何事もなかったかのように朝晩に訪れはなの散歩には毎日欠かさずついてきた。餌もはなと同様に朝夕に与えるが、相変わらず食べる日もあれば、おやつ(ジャーキーとかお菓子など)だけしか食べない日もあり、よくわからないのは変わりがない。ただ、食事目当てに訪れるのではないことだけは確かなことである。人恋しいところもあると思う。勝手に考えれば、はなをだしに、はなのように人間と一緒に暮らしたい願望が潜在しているのではないだろうか。昼は、様子を伺いに来たり、家庭菜園の土手でうつらうつらとしている。 その、のらが3月の中旬よりぱったりと姿を見せなくなった。1年のうち2回ほどは4−5日連続して姿を見せないことがある。おそらく、子孫繁栄活動として雌犬を追っかけているのであろう。それらは体力を要するのか、帰ってきたときは毛並みもつやがなく、げっそりとやせている。食欲も旺盛で数日間で元に戻っている。 ところが今度は10日過ぎても姿を見せない。何せ歳も歳だからどこかでくたばってしまったのかとも思い、はなの散歩時に心当たりを探すが一向にわからない。 いつものらが帰っているか窓からのぞく習慣がついている。11日目の朝、窓の下にのらがうずくまっている。あわてて外に出て、「のら、どこにいっていたんや」と、声をかけるとおびえたように立ち上がろうとする。その様子がおかしい。毛は汚れつやも全くなく、体も半分ほどにやつれている。さらに、「どうした、のら」と声をかけさわろうとすると、何とか立ち上がり後ずさりする。左足を上げている。 「どうした!、怪我をしているのか」と、問いかけるとさらに、よたっ-と3本足で後退する。なお近づいて上げている足を見ると、なんと左足の指先がない。爪がないのである。さらによく見ると後ろ足には4本の指がありそのうち両サイドの爪はかろうじて残っているが中の2本は指がちぎれているようだ。数日経っているのか傷口はふさがっている。「痛いやろなぁ〜、どうした・・」答えるはずもないのらに声をかけるが、相変わらず眼がおびえている。とにかく体力をつけなければ・・ ドックフードを用意するが匂いを嗅ぐそぶりだけで口をつけない。「何か好きなものを食べさせなあかん。何がええ」と家内に聞くと、「のらはパンが好きやから、牛乳かけパンを食べさそう」と、用意するが牛乳だけ舐めてパンは食べない。ジャーキーなど菓子を用意しても食べない。食べたくなったら食べるやろから、そのまま置いとこう、ということになりしばらく様子を見ることにした。その間、「自分にもくれ」「私も、私も、私はここの飼い犬やで・・留守番もしているのに・・」例によって花はキャンキャンとうるさいので、おすそ分けしてやる。 |
50‐‐贅沢な犬 (50) しばらく様子を見ていると、さかんに指を舐めていたのらがのっそりと立ち上がり、ぴょこん、ぴょこんと3本足でひと飛びずつ移動し、いつもの所で水を飲んでいる。いつもの所の水とは、家の入り口に昔使っていたかまどにかける鉄製の大鍋(牛の餌の野草などを煮炊きする)が水槽代わりに埋めてある。それに雨水が溜まって鉄分などが浮いているほとんど腐っている水のことである(いつも食事には別のボールにきれいな井戸水を入れてやるがそれは飲んだことがない)。それから少し坂を上り畑の落ち葉や、野菜くずなどが捨ててあるところに、たまたまゴミ収集に出し遅れた野菜の煮た残渣が捨ててあった。それを舐めている。特にしいたけの煮たものをうまそうになめている。「う〜ん・・・・」 その日の夕方、家庭菜園のおばさんがきて、「のらちゃん、怪我をしているけどどうしたんでしょう」と、心配そうにやってきた。「先ほどお肉とソーセージをやると食べてくれた」と、言って帰っていった。「のらのヤツ、パンは食べずに肉やったら食べやがって・・。贅沢なやっちゃ」と思い腹が立つ。それでも夕方には、はなの散歩についてくる。人に会うごとに「まぁ〜、どうしたの」と、聞かれそのつどこちらがどうしたのか聞きたいのに、わからんことを説明するのに疲れる。 かなり痛そうである。交通事故にあったのか、仲間と喧嘩したのか、はたまたイノシシなどのわなにかかったのか、真相はのらが語らない限り闇の中である。
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51‐‐チャンス (51) 夜間は裏の竹薮で寝ている。次の日からは家内が竹薮まで餌を運んでいる。食欲は旺盛になってきた。人前でも食べている。ここがチャンスとばかり盛んに家内が手移しでお菓子を食べさせている。のらも気が弱っているのか、足は突っ張っているが短い首を伸ばして食べている。この状況では、近々頭をなぜることも可能になってきた。のらには悪いが怪我のためにチャンス到来である。はなからは、ここが見えないので、のらが美味しいおやつを食べているのも知らず、春の日差しを一杯浴びて寝そべっている。 のらが、土をけって自分の存在をアピールするまでに回復するのに2ヶ月を要した。 |
52‐‐ここでちょっと休憩 (52) その年の夏のある日、朝起きるとはなの柵のそばでいつものようにのらが寝ている。散歩の準備を感じるとはなは、いつもより激しく散歩をせきたてる。のらも当然屈伸運動をはじめスタンバイOKである。はなのロープは巻き取り式でロックを解除すれば5メートルまで伸びる。いつもの通り散歩にはなを柵から出してロープをつけるとはなは一目散に飛び出し、一瞬の間であったがはなが何かを咥え、飲み込んだ。それは、「ちらっ」と見えた感じはちくわのようだった。どうも、はなは柵の外にちくわがあるのを知っていて、ロープのロックを解除すると同時に目的を達成したように思えた。のらは柵外で自由であるので食べようと思えば、はなより先に食べられるはずであるが、知らん顔をしている。はなの品のなさには情けないが、まだそこいらに落ちていないか、鼻をうごめかす。どうしてそこにちくわがあったのか不信であり、食あたりしたら・・という心配もよそに、はなはその日も、病み上がりの「のら」の背中に乗ったりして元気一杯であった。 次の朝、そして次の朝、同じようにちくわが転がっている。のらは見ているが食べようともしない。ちくわの様子は、誰かが投げ入れて少し転がって砂がついている状況に酷似している。二日とも、はなが食べる前に捨てた。それを見ていたはなは、「おいおい」という感じで、恨めしそうに見ていた。きっと、「のらはちくわが嫌いやねん」と、家内に話したら、「のらはちくわが大好きなはず」という。試しに、やろうということになり、冷蔵庫からちくわを出して、手渡しでのらの口に持っていく。例によって、後づさりはするが、首は伸ばして匂いを嗅ぎ、舌を出して上手そうに食べた。「まだいけるで」という顔をする。追加すると又ぺろりと食べる。それを見ていたはなは、くるったように「私も、私も」と催促する。 4日目からはちくわが転がっていなかった。この事実は何を物語るのか・・
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53‐‐転倒 (53) まだ、残暑厳しき中にも夕方には「ふー」と、さわやかな初秋の風を感じる季節のころ、いつもの通りのらが屈伸運動を済ませ、散歩のルート主導権をにぎろうと坂道を下りかけたとき、最初の異変が起こった。のらが突然横倒しになり二転三転坂道を転げ、盛んにもがくが立ち上がれない。立ち上がれないが伏せの姿勢はとることが出来た。のらは、自分に何が起こったのか理解できずじっとしている。数秒して立ち上がり、何事もなかったかのように前を歩いていく。 2回目の異変は数日後に起こった。のらはいつも家の前の細い道の境界の植木の隙間から顔を出し、そこから近道で入ってくる。植木から庭まで花壇用にブロック3段積んである。そのブロックを飛び降りてはなの前に行く。そのブロックを飛び降りるとき転倒したのである。前と同じで必死に起き上がろうとするが、転がるばかりで立ち上がるまで数秒を要する。この現象は、「コロ」の亡くなる前と状況が一緒である。のらの体に何が起こっているのか心配である。
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54‐‐ハラハラドキドキ (54) 又、耳が非常に遠くなったのではないかと思う。車を出すときはいつも尻を押して移動させないとタイヤがそばまで来ているのに知らん顔して寝ている。町道でもそうであり、のら知っている人は一旦停止するか超徐行している。ゴミ収集車などはいつも助手席から降りてきて誘導している。その度に、こちらは恐縮し頭を下げる。顔はいかにもほほえましそうに笑っているが、中には心できっと「どこかえ連れて行け!」と、思っている人もいるに違いない。 そのようなことがあってからは、極力散歩を田んぼの土手とか細い道にしていたが、それが国道でもおこった。のらの若いときは、信号がわかるかのように横断歩道を車が来ていないことを確認して渡っていた。ある日、のらが先導してどんどん行くので仕方なく着いて行くと、国道を渡ろうとする。急いで、「のらのら」と叫びながら、ロープを引っ張り横道の高台へとはなを誘導する。以前であれば、はなが方向を変えたことにより、のらも引き返しついてきた。しかし、聞こえてないのか無視しているのか、のらは国道の真ん中で立ち止まった。いくら田舎でも国道は国道でありそこそこの通行量はある。そこは、このホームページのギャラリーにもあるJAのある場所である。目を覆いたくなる予感が的中し、上下線の車がブレーキをかけ徐行し始めた。高台から見ていると、上下線とも30m.ほどの車列ができ渋滞の様相を見せ始めた。警笛を鳴らす車、避けるため上下交合に徐行する車、のらはパニック状態のように立ちすくむ。自分がその場所に立っているようで手に汗をかき、体には冷や汗が流れる。さすがに、のらに体当たりする車はなく、のらも引き返せばよいのに渡り始めた。やっと渡りきった。この間数十秒程度だと思うが長い時間に感じられた。 「おぉ〜」今度は引き返そうと思ってこちらに向きを変えた。しかし、怖がっているのか思案をしている。向こう側には歩道がありそのガードレールの間から渡るタイミングを計っているのか、顔を突き出しては次の隙間へと移動する。もうほおってはおけない。はなを引っ張って国道へおり、渡りきるまで交通整理をしなくては、でも、旗もなく、口で言ってもわからない、捕まえることも出来ないのらをどうして渡らそうか。又、はなは交通量のあるところなんか散歩をさせていない。はなもびっくりするかもしれないし、だからといってはなを連れていないとのらがついて来ない。「あぁ〜」のらが渡ろうとしている上り線は手前の信号で止まっている。下り線には車が見えない。「今、渡れ」心の中で手を合わせ、声なき声で叫ぶ。のらがゆっくりとこちらに向って渡り始めた。「あっ、立ち止まりそう」もう、眼をつぶって、信号が変わらないのを祈るしかない。はなをのらの見える位置にひっばって行き、一気に方向転換させのらを誘う。のらが動き出した。信号が変わる。一斉に警笛を鳴らす車。それでも何とかこちらに渡りきった。何をすねているのか、のらは10メートルほど遅れてついてくる。もう、絶対にこの方角の散歩ルートはとらないぞ。 犬にも認知症があってもおかしくないが、そうでもなさそうであるし「歳のせいかな」とも思ったりする。
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---最終章---
55‐‐身体の変化 (55) ここで、おじさんから僕が代わろう。
「おぉ〜のら、ここにいたんか一等場所やろ」と、僕に話しかけカメラを僕に向けている。どちらかといえば、僕はそぉ〜と、しておいてほしいのにおじさんは「ちょっとこっちを向け」とか、「ボーとせんとしっかりせえ」とか何とかいって話しかけてくる。僕は別にボーとしているわけでなく、心穏やかに過ごしているだけだ。最近、おじさんも気遣ってくれているが、身体に異変を感じている。この夏過ぎてからの、突然転倒したり一瞬意識を失ったりする。おじさんは、「もう、歳が歳やから無理するな」というけれど、もう、無理して何かをする必要もなく穏やかに過ごせたらと思っている。
56‐‐心の変化 (56) 身体の異変は現実的なものとなってきた。おなかがどんどん大きくなり食欲がなくなってきた。それでもはなちゃんの朝夕の散歩には欠かさずついていくが、おじさんが行くときは山の池が多い。そこではなちゃんのロープをはずし自由に運動させるためである。はなちゃんは例によって鹿の匂いや、山鳥などを長い足を蹴って追っかけて山の中に入っていく。それらも、はなちゃんが子供のときに僕が教えてやった通りだ。そしてしばらくすると、ぜぇぜぇと息を乱し、寒暖に関係なく池の中に入って腹まで水につかりながら上手そうに水を飲んでいる。僕は大抵池の土手の下で待っている。池の土手までは階段があり10mほど上らなければならない。もう、僕にはそれだけの体力がなくなってきている。おじさんはいつも、「のら今日はついてこなくていい」といって、僕がついていけないスピードで僕をまこうとしている。しかし、僕はどんなにしんどくても、はなちゃんとの散歩にはついていくというポリシーがあるから、遅れても、近道してでもついていく。おじさんはいつも行く先々で僕が現れるので、「のら、歳はとってもさすがに犬やなぁ〜。耳は聞こえなくても鼻は健在やなぁ」といって感心して僕の頭をなぜる。耳が聞こえないなど余計なお世話だ。それと、いつごろからか、おそらく夏に大怪我をしてからと思うが、うかつにも、おじさんやおばさんに頭や背中を触られるようになってしまった。 おやつも、手移しで食べられる。もう、僕は逃げる気力がないのか、気が弱ってきたのかある程度されるがままになっている。しかし、撫ぜてもらうのも気持がよいものだ。自然と目がふさいでくる。はなちゃんは生まれてからずっとこのようにしてもらっているのかと思うとちょっとうらやましい気がする。以前は、こんな感情を持ったことがなかった。異変は身体だけでなく心にも現れてきた。
57‐‐ささみ (57) おなかは益々腫れてきている。食欲の減退も著しい。はなちゃんのおばさんは、「メリーもそうだったからきっと癌が出来ているのやろ」と、怖いことを言っている。食事も最近は 変わってきて、飲み物は牛乳で肉のスープとかささみのスープ、重湯のようなもの等いろいろと工夫してくれているのは分かるが、舐める程度でほとんど胃に入らない。(もっと昔にドックフードでなくこんなものがほしかった。)でも、何かを腹に入れなければはなちゃんとの散歩も出来ない。僕は、以前に鹿が大怪我をして瀕死の重傷で倒れていたのを襲い、そのときの食べ残しの足の骨をある田んぼに埋めたのを思い出した。もっと埋めたかったが、直ぐに鹿はハイカーに見つかり役所からの依頼を受けたハンターに撤去され残念な思いをしたものである。ふらつく足を踏みしめて、その場所に行くと骨には皮一枚ついていなかったが、見つかった。それを咥え、はなちゃんのところに戻り舐めていると、おじさんに見つかり「のら、それ何や、まさか人間の骨と違うやろな、ちょっと貸してみ」と、取り上げようとする。「鳥のささみを食べないで、そんなもの美味いか・・」。人間は知らないが、骨を舐めたりしがんだりしていると栄養抜群のエキスがでてくる。「そんな変なもの、そこ いらに置いとくなよ・・」といって、頭をぽんとたたいて畑に出て行った。「そんな怖いもの、よお食べるなぁ・・」という顔をして、あの食べることにかけては一番のはなちゃんもほしがらなかった。
58‐‐見る夢は (58) おじさんとおばさんが、「のらは今年の冬は越えられないなぁ。だからといって、どうしようもないし天寿まっとうかな」と、話しているのを何度も聞いた。僕は、最近本当にボーとすることが多くなった。路の真ん中で昼寝もするし、よく夢を見るようにもなった。いや、夢か現(うつつ)か分からないときさえある。はなちゃんところの家の前に寝ていも、おばさんが買い物に出かけるのに車をバックさせてくる。試すかのように鼻先までタイヤを近づけてくる。それでも何が起こっているのか理解できないときもある。おじさんが「のら、しっかりせえよ」と僕のお尻を押して隅に押しやる。 今日は少し食欲もあり、ちくわ一本半とビスケットを5−6枚食べることが出来た。最近は、裏の竹薮で寝ていたが、おじさん夫婦が僕の寝た形の残っているところを見つけては毛布を敷いている。気持は分かるが、僕はいつもそれを避けて新たに、笹が一杯たまって椿の枝が覆い茂ったところを探しては移動していた。しかし、今日は何故かはなちゃんのそばの小屋の中で寝た。いろいろと迫害にはあったが身体も健康で幼い弟と妹と一緒に野山を駆け巡っていたこと、そして寒い夜は身を寄せ合って眠ったこと等が毎晩のように夢の中で出てきた。
59‐‐冬の雷 (59) その翌日の午前2時、大きな雷を伴った強い雨が降った。昨日に続いて小屋の中で眠っていた。僕は雷が大の苦手で、今まででもおじさんは知らないが大きな雷が鳴った夜は、決まってこの小屋の隅に顔を隠して縮こまっていた。隣の柵の中のはなちゃんも僕にも増して雷は怖いらしい。今朝の雷は、稲光がすると同時にバリバリッと、音が落ちてくる。はなちゃんは狂ったように暴れ、ついに鉄筋ネットをはしごのように登り 、脱走した。ネコのチビリンちゃんは隣の小屋に、夜は野良猫に襲われない様に閉じ込められている。そのチビリンちゃんも脱走してきた。僕達は、ただ雷が鳴り止むのを祈るように待つばかりである。 今日は、おじさんにしては早起きしてきた。「おぉ、のら、ここで寝てたのか、よかったよかった。あの雷の中どうしているかと心配してたんや」「はながおらん、どこへ脱走した」「あっ、チビリンも外にでてるやないか」「又、今日は柵の補修につぶれる・・」と、おじさんがぶつくさ言っていると、はなちゃんが雷の恐怖はどこへやら、元気よくおじさんに飛びついた。「今朝は自分で散歩したから、朝はなし」と、言って柵の中にビスケットではなちゃんをつり、柵の中に入れた。「のら、これ飲み」と、おばさんも起きてきて牛乳の暖かいのを持ってきた。僕は、少し舐めたが喉を通らなかった。僕は座っていたが、直ぐに伏せてしまった。今まで、人が前に居てこんな無防備な姿勢をとったことがなかった。頭や背中を撫ぜさせるようになっていたが、心のうちでは緊張していた。その緊張感がない。それほど僕は弱ってきていた。 60‐‐初めて毛布の上で (60) 日中は時々小雨がぱらつく寒い日だった。それでも僕はいつもの水呑場で水を飲み、排泄のためにふらつく足で近くの縄張りを回った。朝の散歩はなかったが夕方の散歩はおじさんが気を使ったのか、家の周囲を回っただけで済んだ。はなちゃんは不満の様子だったが、一応柵外へ出て納得したようである。夕食は、おばさんが牛乳とささみを細かく切ってスープにしたものをもってきた。僕はそれも食べられなかった。はなちゃんは、私が食べるといってキャンキャンいっている。「はなは、いいの!」と、おばさんに一喝されている。僕は、その場を一旦離れ付近を当てもなくうろついた。 暗くなって今夜も小屋で寝ようと戻ってくると、毛布が敷いてあった。今夜はこの上で寝よう。僕はその上で丸まった。笹の葉っぱも暖かいが、毛布は包み込むようにもっと暖かい。ぐっすりと寝られそうである。はなちゃんがそれを見て尻尾を振っている。はなちゃんは柵の中のおじさんがコンパネで作った自分のハウスの中に何枚も毛布を敷いてもらって寝ているので、「その上は暖かいやろ」と、言っているのかもしれない。その日はぐっすりと眠った。
61‐‐運命の日 (61) 翌朝、不覚にもおじさんがはなの散歩に連れ出すまで、僕は熟睡していた。もう、9時である。「のら、初めて毛布で寝てくれたなあ・・。どや、ゆっくり寝られたやろ、意地張らんと今日も寝。今日はついてこんでもええ」と、手を振って阻止している。そして、僕が準備運動をしようとすると、さっさと、足早にはなを引っ張っていった。それでも、僕はついていこうとすると、おばさんが、「牛乳だけでも飲み・・」と、ボールを もってきた。でも、僕は口もつけられなかった。 少し冷たい雨が降っている。それでも僕は立ち止まり、立ち止まりしながらはなちゃんの匂いを追った。しかし、気持とは裏腹に、ものの数十メートルも行くと息が切れる。僕は隣の家の手前のゴミを焼却している広場のところで座り込んでしまった。僕は、最期を悟った。冷たい雨は霧状に変わっているが気にならないというか、もう全ての感覚が麻痺している。ただ、頭は冴え渡っていた。 僕達は冬の寒い日に、この地域の奥の川沿いの道に弟妹と共に捨てられ、運命は一変した。それでも僕達は生きていかなければならなかった。始めは山で暮らしたが、飢えと寂しさから逃れるために里に下りていかざるを得なかった。里の人々は僕らが「野良犬」から「野犬」になることを恐れ、数々の迫害を加えてきた。その結果、弟と妹を失い幼い身で独りぼっちになってしまった。それでも僕は人々を信頼し里を離れなかった。やがて、里の僕達の仲間、コロ君やチャコちゃん、メリーちゃん、はなちゃんそしてチビリンたちを通じて、僕は徐々にではあるが人々の信頼を得るに到った。その間、檻からの自力脱出、ウィールスにより自律神経がいかれる耳の病気をチャコちゃんのおばさんに助けられ、麻酔銃を撃たれたとき、子供達は失ったがはおじさんの機転により生き延び、足の怪我は菜園のおばさんたちの励ましで、ここまで生きてくることが出来た。捨てられてから12−3年は経つらしい。僕は、もう思い残すことはない。身体がだんだん冷えていくのが分かる。 20−30分経っただろうか、おじさんがやってきた。「のら、ここまできたのか・・帰ろ、帰ろ、」と手を差し出す。今度は、カメラを構えて何度も何度もシャッターを切っている。おじさんは、はなの散歩時はいつもカメラを腰のベルトにつけている。はなちゃんを一回りさせて家において僕を探しにきたのだろう。僕の最後の写真が、この物語の最初に出ている。「のら、少し休んだらかえってくるのやで・・」と、言い残しておじさんは帰っていった。
62‐‐みんなさようなら (62) それでも、僕は最後の最後の力を振り絞りはなちゃんの後をたどろうとした。そこから20m程歩けただろうか、隣の家の前の路に差し掛かり、ついにそこから一歩も動けなかった。まだ、冷たい11月の霧雨は降りしきっている。 後は、おじさんお願いします。 63‐‐電話<2006.11.12 Sunday> (63) それから3時間ぐらい経っただろうか、昼過ぎ隣から電話がかかってきた。 「あの-、いつもお宅の犬と一緒に・・」そこまで聞けば、ピンと来る。「分かりました。直ぐ行きます」私は、一輪車にダンボール箱を積んで迎えにいこうとした。虫が知らせるとはこのことか、あの、のらをかわいがっていた菜園のおばさん夫婦が、小雨の中「のらちゃんどうしています。心配になって・・」と、訪ねてきた。私はことの成り行きを簡単に説明して、隣の家に同行した。 隣の家の前の道端に昔使われていた井戸がある。その前でのらが丸まっている。既に息は絶えていたが体にまだ温みが残っている。死んで間もない、写真を撮ってから3時間ぐらいか。目は閉じて鼻を腹に突っ込み普段寝ているときとなんら変わらず苦痛の表情もない。ただ、舌を出していることから異常が察せられる。菜園のおばさんは泣いている。直ぐにのらをダンボールに入れ持ち帰った。「どうするのですか・・」と、菜園のおばさん。もう2−3日の命と思っていたので覚悟は出来ています。最初は、このとなりの敷地に歴代の犬猫たちが眠っているので、そこに埋葬しようと思っていたが、現代(いま)は、環境か法律上か知らないが埋葬はよくないらしいので、役所で処理してもらいます。今日は日曜日なので明日の朝連絡する旨を伝える。「では、明日の朝見送りに来ます」といって帰っていった。ショックだったろうが、タイミングとしてはのらが知らせたのかもしれない。 チャコちゃんのおばさんにも家内が電話を入れる。早速、チャコちゃんのおばさんとのらをかわいがっていた娘さんと孫さんが花束を持って弔問に来た。娘さんがダンボールの中の、のらの周囲に花を詰めていた。みんなのらには深いかかわりを持っている人たちである。チャコちゃんのおばさんが、苦労して薬を食べさせなかったらのらはもっと早くこの世を去っていただろう。そして、苦しいときばかりの思い出をあの世にもっていったかも知れない。しかし、その後ののらは、はなちゃんに会え楽しい思い出を一杯もっていくことが出来た。そのはなちゃんは、のらの死骸を見て「ヒ−ヒ-」と、うなっていた。夕方の散歩にもうのらはいない。朝と同じルートを通ってみると、はなはのらの亡くなった場所が匂いで分かるのか、しきりに嗅ぎまわりなかなかその場を離れようとしなかった。一週間ぐらい、その動作は変わらなかった。私も柄になく、紫色の野菊が咲いている場所が散歩ルートにあり、その花を持ち帰りのらに添えてやった。 64‐‐さようなら「のら」 (64) 翌朝、菜園のおばさんが、ウインナー、ちくわ、肉とふりかけがかかったおにぎりなどを弁当にしてのらに供えて、しきりにのらをなでている。やがて、役場から軽トラックで引取りに来てくれる。ペットと同様の待遇で引き取ってもらった。菜園のおばさんとともに見送った。 そして、数ヶ月かけて「のら」の死が人々の口から口にと伝わっていった。 〔 完 〕
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