○参拝
  文久元年から平成22年までの参拝記録が残っています。それによると、当初は4人 から5人の代参で正月、5月、9月の参拝月にお詣りしていました。
  慶応2年正月には、16人が参拝しています。講員は何人いたのでしょうか。
  資堂講は、永代で木札がいただけるので、その枚数を見てみると、
      慶応2年 資堂札   25枚
      明治17年      27枚
        30年      28枚
      大正10年      8枚追加
        14年      5枚追加 計42枚?      
 となります。
  江戸期には、資堂札二十五枚なので講員25人と思われるのですが、参拝人名簿ですと、27〜8人になります。 志納しなかった人も講員として参加していたのでしょうか?現在は、大正14年に42枚としたまま平成まで続いているのですが、大正10年に8枚追加の時に200円を資堂講金 として納めています。1枚当たり25円、大正14年5枚追加で125円、28枚+8枚+5枚で 41枚ですがいつの間にか42枚となっているのがおもしろいところです。
  参拝の費用はどうしていたのでしょう。
 講員の掛金で代参の人の費用、神酒代を賄っていたようです。
  
  明治17年1月27日 改正ス
    掛金   全10銭
    神酒料    1銭
  明治26年9月15日 鳥居三四郎宅にて改正
    11銭   掛金
     1銭   神酒料
    合金3円36銭       
     内訳 
      金3円也
          ○ハ人之旅立5分
        28銭神酒料
        残金8銭は三回ずつ護摩料に積立
        残る三厘は5月15日に掛返す

 とあります。
  明治26年当時は、札27枚ですが
  1人掛金11銭 神酒料1銭で
  神酒料が28銭なので講員は28人だったのでしょう。
   1人12銭×28人=3円36銭
     3円が旅費
       28銭は御神酒代 残りは護摩料に積み立て 
    だいたい計算が合います。

  明治23年5月25日 鳥井三四郎宅にて
   講費は10銭と相定める×28 2円80銭
   講金受取高1人につき
        96銭5厘×3 28円9銭5厘
         
  明治30年 掛金1○銭5厘
    32年    13銭5厘
    36年5月15改正   この時は27人
       掛金 55銭
         当り1人には1円50銭  枚
       14円85銭内訳
           内30銭
           内1円5銭御神酒    9人が代参
  大正7年5月1日改正
       1年金50銭ずつ 残金3ヶ年
       掛金75銭 1人取分2円
       末年77銭
          護摩札料1円
          御神酒 1円50銭
 
              75×27=2025
9人×2円=18円
                   2円25
御神酒1円50
                    残75銭