第十八話 秋風の吹く頃



=Shopping=

「有希、帰りに買い物して帰らない?」

 夏の終わりを告げるような秋風が教室内に吹き込む九月中旬の昼休み、汗を掻く事もなくなり有希に声をかけてきた鮎美も半袖の夏服の上にカーディガンを着込んでいる。

 俺なんてまだまだ半袖で十分なんだけれど、なぜか鮎美は寒いと言うんだよね?

「買い物? 別にいいけれど……なにを買うの?」

 有希は昼食を終え、校庭でサッカーに興じる男子を見るとも無く見る。

「うん! この前ね函館駅前のデパートに寄ったら、可愛い秋服があったのぉ、有希にそれを一緒に見てもらいたくって……」

 なんだって俺が一緒なんだ? でも秋服かぁ……もう秋なんだよなぁ……もう少しするとまた冬が来るんだ……初めてこっちに来た時と同じ季節が……。

「秋なんだよね? そうしてまた冬が来るんだよなぁ……」

 しんみりと言う有希に対して鮎美は首をかしげながらその顔を覗き込んでくると、それまで感じていた秋の香りと違ったシャンプーの香りが有希の鼻腔をくすぐる。

「そうよね、また雪の中に逆戻り……」

 有希の数センチ横に鮎美の横顔があり、それに慌てふためいたように有希はその身体をよじるが、それによって出来た隙間などわずかで、相変わらず鮎美の体温が漂ってきそうな位置に有希はとどこおる事になる。

「どうしたの有希? 顔が真っ赤だよ?」

 心配げな顔をして有希の顔にさらに近づく鮎美の顔に、まるで湯気を噴き出しそうな勢いで顔を赤らめる。

 ちっ、近すぎるよ鮎美……鮎美の顔をこんな間近で見たのははじめてかも知れない……。

 鮎美は相変わらずに心配したような表情を浮かべ、有希の顔を覗き込む。

「いや、なんでもないよ……」

 口をモゴモゴとしながら有希は鮎美の顔から視線を逸らせるが、その様子に鮎美は怪訝な顔をしながら口を尖らしている。

「ぶぅ、なんでもないこと無いでしょ? 有希がそうやって目を逸らした時って、何かしら考え事をしているんだから」

 プクッと頬を膨らませる鮎美に対して有希は苦笑いを浮かべる。

 ハハ、なんだかすごく長い付き合いみたいだなぁ……まぁ、確かに有希の時代からの付き合いなんだから、本当に長い付き合いなんだろうけれど。

 有希の問いに対して有希の意識が楽しそうに浮かび上がってくる。

〈十五年ぐらいの付き合いよね? ほとんど生まれた時から一緒だったから……〉

 知っているよ、この前真澄ちゃんにアルバムを見せてもらったよ、それには必ず二人一緒に写っていたよな?

〈エヘへ、そうかも〉

 二人でビニールプールに入っている奴も見ちゃった。

 若き日の真澄さん(今とたいして変わらなく見えるが)がビニールプールで楽しそうにしている幼女二人と共に写っている写真は、恐らく有希のお父さんが撮ったものであろう、その表情はみんな安心しきっている顔をしていた事がすごく印象に残っている。

 水着なんて着ないで生まれたままの姿でね?

〈エェ~、あれ見たの? 勇気のえっち!〉

 えっちといわれましても、幼稚園に入る前のやつだぜぇ……あれに萌えるやつはきっと危険な奴だと思うし、それにお前の裸なんて今さらだろ?

〈やっぱりえっち!〉

 有希の意識はガインという衝撃を残しながら頭の中から消えてゆく。

「有希、やっぱり調子悪いんじゃないの? このところ涼しかったり暑かったりするから風邪とか引いたんじゃ……」

 そっと有希のおでこに手をやる鮎美の手はひんやりと冷たく心地良かった。

「ウウン、だ、大丈夫だよ」

 慌てながら有希はその窓際から離れて、赤い顔のまま自分の席に戻る。

 なんだか最近鮎美といると変なんだよなぁ……変に意識しちゃうというのか……。

〈まっ! まさかあなた鮎美に惚れちゃったの?〉

 驚いたような有希の意識が頭の中に飛び上がってくる。

 いや、そんな感覚じゃないと思うけれど……でも、ちょっと似ているかな?

〈ちょっ、ちょっとぉ〉

 誤解するなよ……確かにこの感覚というのはそれに似ているかもしれないけれど、心はどうであれ身体は女なんだから違うと思うよ?

〈本当に?〉

 あぁ、勇気としては鮎美に惚れているかもしれないけれど有希としては良いお友達……クサく言えば親友という奴なのかな?

〈フゥ~ン……そう、なんだ……〉

 はぁ? それはどういう意味でなのかな?

〈べぇつにぃ〉

 何かプンプンといった意識のまま有希が消えてゆく。

 なんなんだ? 一体……わからん。



「これなんてどうかなぁ」

 函館駅前のデパートの中は、それまでの夏物を追いやり枯草色が似合うような色合いの洋服が数多くディスプレーされている。

「ウ~ン、ちょっと大人しすぎないかなぁ、鮎美は背が高いんだから、こういう方が似合うような気がするんだけれど……」

 鮎美が持つワンピースに首をかしげながら有希はハンガーにかかったミントグリーンのワンピースを取り、それを鮎美の胸に当てる。

「そうかなぁ……でも、これも可愛いよね?」

 周囲には同じような高校生が同じように会話を繰り広げているが、それは見るからにカップルで、男の子は恥ずかしそうにその女の子を見ては視線を逸らしている。

 ハハ、確かに男としてはこの場所にいるというのは恥ずかしい状況だよな? 男時代に生憎とそんな状況になった事はないからよくわからないけれど。

「ちょっとぉ有希ぃ! ちゃんと見てくれている?」

 鮎美は頬をプクッと膨らませながら有希の見立てたワンピースを震わせている。

「あっ……うん、いいと思うな? 鮎美に似合っていると思うよ?」

 有希の見立てたワンピースを鮎美はしっかりと抱きしめながら、アイテムをあわせるかのように虚空を見あがるとやがてそれにマッチングしたコーディネートが出来たのであろうニッコリと顔を綻ばせる。

「エヘ、有希がこれって言うんだったらこれにしようかな? 値段も手ごろだし」

 ん? なんだか今の一言引っかかるような気もするんですけれど……。

「それで、有希はどうするの?」

 鮎美はそのワンピースを大事そうに抱え込みながら有希の顔を見る。

「ウ~ン、さっき見た所に気になったやつがあったんだけれど……」

 違う場所にあったそれ、でも、興味はあまり無いけれどもなんだかそれを気に入ったという事にちょっと戸惑っている自分。

「どれどれ? この鮎美さんが見立ててあげよう!」

 鮎美はそう言いながら有希の腕を引く。

「これ……なんだけれどね? 可愛いかなって思っちゃったんだよね?」

 二人の目の前にあるそれは通年通用するような丈のミニスカートで、そんなに派手に丈が短いわけでもなく、裾にレースがあしらわれてデザイン的には結構可愛くまとまっている。

 最近スカートに慣れてきたせいかこのスカートが気になって仕方が無かったんだよね?

「いいじゃないこれにぃ……フム……」

 鮎美は顎に手をやりながら周囲を見渡すと笑顔を弾けさせる。

「これなんてあわせると、プチお嬢様って言う感じでいいかも……」

 鮎美は近くにあったボレロ風のトップスや、ホルターネックのキャミソールを持ってきては有希の胸に当てて、キャッキャと喜んできる。

 そんなにいっぱい買えるほどの予算は持っていないし……。

〈でもかわいいわよぉ~〉

いや……その、そうじゃなくって。

 鮎美と有希の二人に声をかけるが、既に共のタガは外れてしまったようで、頭の中では有希がキャイキャイ言い、目の前では鮎美が楽しそうに服を物色している。

「そういえば……確か有希こんなTシャツを持っていたよね? フリフリの奴……それに合うんじゃないかなぁ? デザイン的にも着まわしが利きそうだし、下にスパッツ履けば真冬でも履けるよ……うん、これにしなよ、決定ぃ!」

 確定ですか?

 鮎美はそう言いながら、有希のサイズにあった商品をハンガーから取る。

「うん、有希も結構良い趣味しているね? これからも付き合ってもらおうかな? ちょっと視点が変わっていいかもしれないなぁ、なんだか勇気君に付き合ってもらっているみたいで、ちょっと楽しいかも……」

 鮎美?

 驚いたような顔をしている有希の事を鮎美はチラリと視線を向ける。その頬は少し赤らんでいるようにも見えるが、それは一体どっちに対しての赤みなのだろうか。

「鮎美……」

 有希のそんな顔に鮎美は意地悪い顔をする。

「アハ、男の子の意見を聞いているみたいだって言いたかっただけよ? 別に勇気君に対してどうのという訳じゃあ……ないから」

 なるほど、それなら納得だよ……まだ男の趣味も残っているからね?

「でも有希の趣味は絶対にいいわよ? あたしの趣味にぴったり!」

 生き生きした表情の鮎美に、思わず有希の頬も緩む。

「さて次は、ベイに行ってアクセサリーでも見てみようか? この前に行った時すっごくいいアクセがあったんだぁ、残っていたらゲットしちゃおうかな?」

 まだあるんですか?

 嬉々とした顔をする鮎美に対して有希の顔は一気に苦笑いに変わってゆく。

「あのぉ~、鮎美さん? まだあるんですか?」

「あるに決まっているじゃないの! お買い物はまだまだこれからよぉ~、覚悟してついていらっしゃい!」

 鮎美はそう言いながら、有希の手を引きながらどんどんと歩いてゆく。



「観光客、ちょっと減ってきたかな?」

 函館を象徴する赤レンガ倉庫が二人の左手に立ち並ぶ。以前はそのいたるところで、記念写真を撮っていたり、風情溢れるその風景をそのファインダーに納めようとしている人が数多く見られたのだが、秋風の吹く最近ではそんな姿も減ってきている。

 海から吹く風も少し肌寒いし、レンガを覆っているツタもだいぶ赤く色づいてきた。その風景もかなり綺麗だと思うけれど、やっぱり観光客からすれば長い休みがないと来にくいというのもあるのかな? 道内からは結構来ているみたいだけれども、やっぱり長期滞在してくれる方が街にお金を落として行ってくれるし、観光客相手のお店はキツイよね?

「う~ん、さすがに涼しくなってくると厳しいわよね? これからが本当に綺麗な季節なんだけれどやっぱり寒いのはみんな嫌なのかな? うちのお店としても、観光客を相手だけにこれからは地元の人にターゲットを絞らないと……」

 二人の暮らす函館の西地区と呼ばれる場所は、観光の目玉が目白押しになっており、古い教会や、明治大正時代に建てられた建物が混在し、観光客がよく訪れる場所でもある。そのせいなのか、『シオン』のような喫茶店は、観光客の収入がかなり大きな割合を占めているらしいが、その観光客が減ってくるというのは死活問題にも発展しかねない、しかし当人は目を煌かせながらアクセサリーショップを眺めている。

 ――いいのかなぁ……そんな能天気な考え方で……まぁ、最近では馴染みの客も来ているみたいだし、何よりもあそこのパフェは美味しいからみんな来るかな?

「有希このお店、可愛いでしょ?」

 土産物屋の並ぶその赤レンガ倉庫群の中にある、アクセサリーショップで扱っているシルバーアクセというらしいが、そのお店で再び鮎美はキャイキャイと物色を始める。

 小物が好きな鮎美にとってはたまらないお店だろう……でも、これなんて結構いいかな? あの洋服にこれなんて似合いそうだし……。

 イヤリングやネックレス、ピアスや指輪など様々な銀色に輝くそのアクセサリーに今まであまり興味を示さなかった有希でも思わず見とれる。

 わぁ、これなんて綺麗かも……これなんかも可愛いし……ん? 可愛い?

 有希は、その手に取ったネックレスを見つめながらハッとする。

 そういえば最近よく可愛いという台詞をよく使うようになったな? それまで女の子が『可愛いぃ』なんて言っていても、その意味が俺には理解できなかったけれど、何かにつけて自分がそれを使うようになっている……徐々にだけれど、自分の中で『女の子』が根付いてきている証拠なのかな?

 不意にネックレスを見ている有希に、店員が声をかけてくる。

「うん、あなたいい趣味しているわね? 可愛いでしょソレ? ちょっと流行が過ぎちゃったみたいで値下げしているんだけれど、そのペンダントはあたし好きなの」

 無遠慮に言ってくるその店員さんは、年の頃は二十代前半だろうか、ちょっと大人っぽいけれど、微笑むその笑顔はまだ可愛らしいと言っても怒られないだろう。

「はぁ……そうですね?」

 勢い負けている有希に、その店員は語りだす。

「流行なんていうものは時代が作るもの、好きなものは好きでいいと思うんだけれどね? こういうお店をやっていると、どうしても流行を取り入れなければいけないのが辛い所よ……まぁ自分の身の入りにもつながってくるわけだし」

 苦笑いを浮かべながら店員は有希の持っているハートをモチーフにしたネックレスを見つめるが、その瞳はとても優しくて、本当にこのネックレスを気に入っていることが有希にもヒシヒシと伝わってくる。

「何事においても、客観的に見てしまうからいけないんだと思うのよね? 自分で『可愛い』とか『好き』とか思った事は紛れも無い事実なんだから……客観的に見ないで、自分の思った印象が大切だと思うの、流行に流されないで自分の見た目を信じないといけないと思うわ!」

 流行や見た目に惑わされない……自分の見た目を大事にする、自分の思った事、それが事実なんだという事……かぁ。

 店員さんは熱く語るがやがてハッと我に返ったように目をまん丸にする。

「ゴ、ゴメンねこんな事話して……でも、このネックレスを見つめているあなたの横顔が可愛かったからついしゃべっちゃった、店長には内緒にしておいてね? あと、それ最後だから、もし良かったらあなたつけてみない? きっと似合うと思うわよ?」

 店員はそう言いながら他のお客に声をかけにいくが、なんとなくそのネックレスに思い入れが入ってしまった有希がそれをジッと見つめている。

 自分の思った気持ちが事実なの……かぁ、だったら俺の思った気持ちが事実という事なのか? でも、それは……。

「有希、いいのあったの?」

 何かいいものを見つけたのか鮎美はニコニコしながら有希の顔を見つめている、その様子はどうやらお気に入りのものを発見したようだ。

「……うん、これにしようかなって」

 有希は手に取っていたそのペンダントヘッドを鮎美に見せる。

「ヘェ、ちょっと流行からはずれているのかな? でも、なんとなく有希に似合っているかも、ウン、可愛いじゃない!」

 鮎美はそう言いながら、そのハートのペンダントを見る。

「でしょ? 流行に惑わされたくないんだよね? ボクは自分の感じた事が間違いないと思ってね? そう、これがボクの好きになったやつなんだ」



=懐かしい制服=

「うふふ~、だ~いまんぞくぅ」

 鮎美はなぜだか恍惚の表情を浮かべながら有希を見つめる。

「だ~い満足って……ホント、女の子っていうのは買い物が好きなんだな」

 うなだれるようにそう言う有希の手にも複数のお店の紙袋が持たれ、無意識にその表情は満足げに綻んでいる。

「好きよぉ、特にこうやって一気に買うのが大好き! ホント満足しちゃった、ご馳走様っていう感じぃ」

 ご馳走様って……。

 満面の笑みを浮かべている鮎美は心底満足したのであろう、どことなく顔を紅潮させており、少し色気すら感じるほどだ。

「さて、これだけ買ったのならやっぱりお披露目しないといけないよね? 有希の家でファッションショーでもしない?」

「ファッションショー?」

 鮎美の一言に有希の首が傾く。

「エヘ、今日買った洋服の試着会よぉ、有希がどんなのを買ってどんな洋服に合わせるとか、あたしの服がどうかお互いに見せっこをするの」

 ニコニコしながら鮎美は持っている紙袋をポンと叩く。

「なるほどねぇ……でも鮎美は僕がどんなのを買ったのか知っているじゃん?」

「知っているけれど、見てみたいのよぉ……有希の持っているあのキャミに今日買ったスカートを合わせると……ウンウン可愛いと思うよ……あっ、でも有希の目の前で着替える事になっちゃうのか……」

 一瞬鮎美の足が止まったかと思うと、顔を赤らめ、やがてすぐに首を横にブンブンと振り再び笑顔を作る。

 な、なんだぁ?

「そんなはずないよ……ほらぁ、早くぅ~」

 鮎美は我慢できないといった様子で有希の腕に自分の腕を絡めると、既に有希の家に向けて進路を変更しているが、その横顔には赤みが残っている。

 おいおい、既にキミの中ではそれが確定しているようであるんですけれど?

「ちょっと、鮎美さん?」

「いいからぁ、早くお披露目しようよ! お披露目!」

 有希は渋々といった感じでそんな鮎美について歩き出す。

 なんだかテンションが変だな? 鮎美の奴……張り切っていたと思うと急に恥ずかしがったりして、まるで……まるで……んなわけないかぁ……。

 首をかしげる有希に向き直りながら鮎美は既に自分を取り戻しているようだ。

「ほらぁ、早く来ないとおいて行っちゃうぞ!」

 おいて行くって、キミはボクの家に向かっているんじゃないのかな? おいて行かれたとしても必然的に俺は自分の家に帰らなければいけないわけだし……まぁいいかぁ、鮎美が元気だと俺まで嬉しくなってくるから不思議だよな?

 有希はそんな事を考えながら微笑み背後で揺れる鮎美のポニーテールを眺めていた時、有希の携帯が着信を告げる演歌を奏でる。

「……ねぇ有希、その着メロ代えない? 女子高生の着メロじゃないと思うんだけれど」

 何で? いいと思うけれどなぁ……別れ歌っぽい所がなんとも心に響くけれど。

 苦笑いを浮かべる鮎美の背後で、観光客なのだろうか数人の男性がサビの部分を歌いながら有希の顔を見て微笑んでいる。

「津軽海峡ぅ~……ってか」

「何で? いいと思うけれどなぁ……ん? なんだ拓海か?」

 有希は全くその意見を取り入れないといった様子で携帯を見ると、そこには拓海の名前が浮かび上がっている。

「はぁ~い、あなたの有希ちゃんよぉ」

 おどける有希に、ちょっと鮎美の頬が引きつる。

『なっ、なに言っているんだかなぁ有希、お前明日バイトだったよな』

 電話の向こうでは、呆れたような拓海の声が戻ってくる。

 拓海に呆れられるというのはちょっと面白くないな……なんだか自分まで馬鹿な娘になったような気がするよ……。

「そうだよ、お前だってシフト表見ているだろ?」

 有希はちょっと口を尖らせながらそう答える。

『いや、そう言うわけじゃないんだ、ちょっとシフトを確認したかっただけ……だったらいいんだ……よかった、じゃあな』

 よかったって、そう言う意味だよ。

 拓海は有希の言葉を聞こうとしないで問答無用に携帯を切る。

「拓海君、何だって?」

 渋々と電話を切り、携帯を折りたたむと、鮎美が少し心配顔で有希の顔を覗き込んでくる。

「ん? 明日のバイトの確認だって」

「ふーん」

 鮎美は鼻でそう答えるだけで、再び足を自宅に向けるが、言葉数が一気に少なくなる。

 何なんだこの雰囲気は? ものすごく重苦しい空気が俺たちの間に流れているような気がするんですが……ん? あれ……は。

 正面を見据えたまま、有希は思わず立ち止まると、それに気がついた鮎美も足を止め、有希の顔を覗き込む。

「有希? どうかしたの?」

 鮎美は有希の視線をたどるように向ける、その先にはこの辺りでは見覚えのない学校の制服を着た数人のグループがこっちに向かって歩いてくる。

「ううん、なんでもない……よ」

 ウソ、なんでもない事はない……あの制服は……。

 明らかにその制服に動揺を見せている有希の顔を怪訝な顔で見る鮎美。

「ん? あぁ、あの制服? どこの学校なのかなぁ、この辺りじゃ見たこと無いから、きっと修学旅行かなんかで来た学校ね? ちょっと洒落ている制服、垢抜けていて可愛いわよね?」

 鮎美がそう言うと、有希の口から空気の抜けるような小さな声が聞こえてくる。

 そうだ、あの制服は……。

「ボクの……俺の通っていた学校の制服だ……」

 有希のその台詞に鮎美はハッとした顔になる。

「有希の学校の?」

 女子はブラウスにエンジ色のリボンタイ、ライトブラウンのスカートはみんな膝丈より少し上でひらめいており、男子はワイシャツにエンジのネクタイ、ズボンは女子と同じライトブラウンというその姿は、確かにこの辺りで見る事のない姿、しかし有希の目には見慣れた懐かしい制服姿だった。

俺が見間違えるわけが無い、俺がこの世で最後に着ていた物と同じ格好だ。

 うつむいている有希の肩先を、その制服を着たグループが何事も無かったかのように騒ぎながら通り過ぎてゆく。

「……有希」

 鮎美はそっと有希の肩を叩くが、その身体は硬直しているかのように硬く、ぎゅっと握られているスカートの裾は小刻みに震えている。

「有希? ちょっと有希! どうしたの?」

 慌てたように肩を揺さぶる鮎美の顔は、さっきまでの笑顔はなく真剣にその顔を心配そうに見つめている。

「あっ……鮎美かぁ……」

 ようやくその身体の緊張を解く有希は、まるで全力疾走をしたように汗を流しているが、その目はまだどこかうつろで視点があっていない。

「どうしたのよ有希……いきなり……」

 鮎美はホッと吐息をつくが、有希の尋常では無いその反応に対して心配な顔は崩さずにその蒼くなっている有希の顔を覗き込んでいる。

「ん……ちょっとね?」

 いつものようにはぐらかそうとする有希であるが、その様子で誤魔化せるわけがない。

「ちょっとなんていう事ないでしょ? どうしたの?」

 鮎美にはお見通しという事か……。

「ハハ、ちょっと懐かしい制服だったから、動揺しちゃっただけ……それだけだよ」

 ジッと見つめてくる鮎美の瞳から視線をそらせる。

 そうだよな? 時期的に考えるとそんなシーズンだったという事を忘れていたよ……でもあいつがここに来ている可能性は低い……来ていないはずだ。

「懐かしい……制服?」

 キョトンとして通り過ぎていった女の子の後姿を見つめる鮎美だったが、すぐにその表情を引き締めながら有希の顔を見つめてくる。

「ウン……あの制服は、ボクが……通っていた学校の制服なんだよ……東京の」

 有希がそう言うと鮎美の表情が一気に強張る。

「そう、俺の通っていた学校の制服……まさかここで見るなんて思ってもいなかったよ……」

 本当にこの地で懐かしいあの制服を見るなんて思っていなかった……、いや、見たくなかったのかな?

 作ったような笑顔を浮かべる有希の顔を鮎美は言葉なく見つめている。

 そんな顔で見ないでくれよ……俺は……いや、ボクはもう青葉有希なんだから……そう広川勇気はもうこの世にはいないんだ……死んだんだよ。

「アハハ、なんだか……ちょっと緊張しちゃったかな?」

 そう言う有希の目はまだちょっとうつろで、視点があっていない。そんな有希の肩をそっと鮎美は抱きしめてくる。

 鮎美?

「有希……大丈夫だよ……あなたは有希なんだから」

 鮎美はそう言いながら有希の頭に手を置く。

「うん……ありがとう」

 有希はその手のぬくもりに、なんとなく落ち着きを取り戻し始める。

第十九話へ。