第八話 ふぁん



=パニックin漫画研究会=

『……以上、柔道部の部紹介でした』

 舞台上で、柔道部員がその厳つい体を器用に折りたたみながらお辞儀すると、パラパラという拍手が起こる。

『続いて、写真部の部紹介です……』

 舞台上の畳がわらわらと片付けられ、大きく引き伸ばされた修学旅行らしい写真パネルが五枚、屏風のように置かれ、その中心には長髪の男子が偉そうな態度でマイクを握り締める。

「……有希ぃ……」

 舞台袖では、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた鮎美がジッと有希の顔を眺めている。

 そんな顔をしないでくれ……俺だってこの格好は非常に不本意なんだ。

 有希は諦めたような笑みを浮かべながら、自分の今している格好は……グリーンのセーラーカラーといったこの学校のいつも通りの制服ではあるが、頭にはネコミミ、白い三本線の入った緑色のプリーツスカートからは……猫のしっぽのオプション付き……。

「何も言わないでくれ……現実を目の当たりにすると悲しくなってくるから……」

 認めてはいけない……そうだ、これは普通の格好なんだ……オプションが付いているけれど。

 うなだれる有希の隣には満足そうな笑顔を湛えた郁美先生の顔。

「ほらぁ、そんな顔をしていないの! 集客にはまずスマイルゼロ円からよ!」

 ファーストフードじゃないんだから……そのうち『ご一緒にネコミミはいかがですか?』なんて言う筈が……この先生ならきっと言うだろうなぁ……いや絶対に言うに決まっている!

 疲れきったような顔をしながら有希は力尽きたように両肩を落とす。

「……有希ぃ」

 既に鮎美の目じりには涙が光っている。

「泣くな鮎美、この経験はこれからの人生での糧になる筈だ、これからの将来、辛いことがあったらこの日を思い出すといい、きっとこの経験が役に立つはずだ」

 有希はそう言いながら鮎美の肩に手を置き、ぐっと握り締める。

 一生の内にこんな恥ずかしい思いをする事は滅多にないはずだ。良い意味でも、悪い意味でもこの経験は今後の経験に役に立つ……そう思わないとやっていられないぜぇ。

「……美しい……美しい女性同士の友情だ、いや、もしかしたら友情を超え、その感情は性別を超えた愛に変わっているかもしれない、感動した! ありがとう!」

 その隣では一人まともな格好をした、矢野隆明が二人に対して拍手を送る。

「ありがとうってねぇ……お前が!」

 有希が矢野につかみかかる勢いで叫ぶと、放送委員の腕章をした男子に睨まれる。

「駄目よ青葉さん静かにしなければ、他の人に迷惑よ?」

 シレッとした顔の郁美先生に怒られ有希はグウの音も出ないで拳を振るわせる。

「うぐぅ〜……」

 有希は思わずうなるが、それがスイッチだったのか隣で写真を取りまくっていた平間の目の色が変わる。

「有希ちゃん! イィ……ウン! 良い『うぐぅ』だったよ、しいて言えば、もう少し、声を低めて……こう『うぐぅ〜』と言った方がいい!」

 平間はそう言いながら、身振り手振りで『うぐぅ〜』についてのレクチャーをする。

 ――馬鹿がいる。

 呆れ顔の有希は、そんな平間の事を無視していると、隣にいた進行係の腕章をした男子が舞台上にいる司会者に対して手を回している。

『以上、写真部の部紹介でした! えぇ〜、続いて……』

 それに気がついた司会者は、まだしゃべり足りないといった顔をしている写真部部長の腕を引き、ほぼ強引な形で終了させると鮎美と有希の背筋が伸びる。

 プログラムの進行上次は……きっと死刑囚が処刑台に上がるときはきっとこんな気持ちなんだろうな? 踏ん切りがつかないのに、足を動かさなくてはならないこのジレンマ、この感覚は一生忘れないだろう。

『漫画研究会!』

 なんとなく在校生からのどよめきが大きかったような気がするけれど……。

「行くぞ!」

 矢野は、そう言いながら颯爽とした感じで舞台中央に歩いてゆく。

「ほらぁ、二人ともこの舞台に花を添えなければ!」

 郁美先生は笑顔のまま、二人の肩を強引に押して舞台に放り出されると、まばゆい光が自分に当てられる感覚。

「うぉぉ〜」

 ピンスポットに浮かび上がる有希と鮎美の姿に、会場になっている体育館がどよめきで揺れている、その半数は男子の声だが、一部には黄色い歓声も聞いてとる事ができる。しかし有希はそれ所ではなかった。

 あぁ、注目されているよ……俺は穢れてしまった……。

「諸君!」

 矢野の一言にそれまでざわめいていた会場が一瞬にしてシーンと静まりかえる。

「……みんなはこのままで良いと思っているのか?」

 矢野はそう言いながら拳を振り上げると再び会場がどよめく。

 なんだか、昔こんな独裁者の画像を見たような気がするよ……それに妙にハイテンションなこの会場って、一体なに?

「この世には『普通』と呼ばれる人種と『それとは違う』という人種に分別される! みんなはこの『普通』と呼ばれたいのか? 否! 普通と呼ばれる事に満足することなかれ! 個性を持つことがこの世で生き残るキーワードだぁー!」

……熱い……熱すぎるよあんた……一体何者なんだ?

 妙に冷めた顔の有希とは違い、なんとなく会場内がヒートアップしているような気がするのは気のせいではないであろう。

「……没個性のこの世の中に必要とされるのは、人と違った個性の持ち主なんだ! 個性を持つには、やはり日本人固有の持っている文化であぁーる」

 独裁者。そんな言葉が有希の頭に浮かび上がる。

 チョビ髭をつけたほうがいいかも……きっとあんたに似合うと思うよ。

「皆立ち上がれ! そして自分の個性を見出すのだ! ジーク……」

 ハハ……そこまで言うか普通……。

 呆れ果てた顔をする有希の事を矢野がチラリと目で合図してくると、有希は手に持っているものに視線を向け、口をギュッと結ぶ。

「……有希ぃ……やるのぉ?」

 鮎美はそう言いながら、有希の顔を見つめる。

「やるっきゃないでしょ? このまま引き下がっていたら、ただの『ネコミミをつけた変な女子』になっちゃうよ?」

 コソッとそう言う有希に対し、鮎美はうなずき意を決したように目をつぶりながら手に持った賭け軸をもち反対側の舞台袖まで走り出す。その掛け軸には……『ようこそ! 漫画研究会へ!』の文字……そうして、感極まったような顔をしている矢野の顔は有希に向き、やれと無言で訴えてくるその視線に渋々といった表情で口を開く。

「……みんなの事を待っている……にゃ?」

 有希の浮かべる微妙な笑顔に、会場内に一瞬の沈黙があったかと思うと一気に妙な盛り上がりが膨れ上がる。

「うぉぉ〜」

 ……なんだかヒートアップしちゃったかな?

「漫研サイコォ〜!」

「可愛いぃっ!」

「ね、ネコミミだぁ……」

「可愛いわよぉ〜、有希ちゃん鮎美ちゃぁ〜ん」

 どこからともなくミーナの声が聞こえたような気がしたが……気のせいか?

 地鳴りのような歓声に送られながら有希と鮎美は舞台袖に引き下がると、満面の笑みを浮かべる郁美の姿と、満足げな表情の矢野がいた。

「有希ちゃん、鮎美ちゃん最高だったよ! 僕は今日という日をこの舞台袖にいられたことを将来語り継いでゆくであろう、アァ、涙でファインダーをのぞき見ることができないのが悔いになる……クゥ〜ッ」

 頼むから語り継がないでもらいたい……出来る事ならばこの人生の汚点をこの世から抹消してもらいたいぐらいだ。

 矢野の横で涙を流し、平間は持っているカメラをフルフルと震わせている。

「青葉さん、高宮さん、とっても可愛かったわよぉ、このまま部室前で、入部キャンペーンに参加してね?」

 ニッコリと微笑む郁美の顔は、有希と鮎美には悪魔の微笑にも見えたであろう。

 入部キャンペーンって、まさかこの格好でやるんじゃないだろうなぁ……。

 言葉にしないでも郁美にはその意思が伝わったようで、その顔の微笑みはさらに大きくなりコクリと頷かれた。

 ――やっぱり……お願いです、早く俺を解放してください……。

「ゆぅきぃ〜」

 涙を湛えている鮎美の抗議の目は郁美に向けられず、有希に向けられた。

 だから俺に言わないでくれ、俺も被害者なんだから!



「写真を撮ってよろしいでしょうか?」

「一緒に写真撮らせてぇ〜!」

「ぼ……ぼくの子猫ちゃん……」

 戻った漫妍の部室前は、ちょっとしたパニックになっていた。

「写真は入部してからね?」

 写真部に行った方がいいんじゃない? というような立派な一眼レフカメラをもっている男子を優しく促す郁美先生。

「お願い、この姿を残しておきたくないの」

 頭を下げながら女子軍団に懇願する鮎美。

「だぁ〜、なつくんじゃねぇ!」

 気の地の悪い笑みを浮かべながら有希の足に絡まりつく男子を、力一杯に足蹴にする有希は、つい男言葉になってしまう。

「女王様……」

 恍惚の表情でその場で昇天する男子を見下ろしながら有希の鼻息荒く留まる事がないが、やがて次の刺客の手が有希に伸びてくる。

「と、とりあえず、部室の中に避難した方がいいわね?」

 その様子を見ていた早希が、周囲のギャラリーをかき分ける。

「今までにない反響ね?」

 さすがに驚きの表情を浮かべている郁美は、平間の入れたコーヒーをすすりながら、いまだにざわめく部室の外を見る。

「ハイ、きっと漫研創設以来かと思います、まさかここまで人が集まるなんて計算外ですね?」

 早希もそう言いながら有希たちに視線を向けるが、その二人は完全に憔悴しきった様子で部室の入口でしゃがみこんでしまっている。

 計算外とかそういう問題なのかな? このままじゃ暴動とか起きそうな勢いなんですけれど、このままでいいのでしょうか?

 部室の外からは物騒な言い回しの台詞が聞こえてきたり、女子の悲鳴じみた声まで聞こえてきて尋常な騒ぎではない事が証明されている。

「とりあえず、純粋な入部希望者を募りたいわね?」

 郁美はそう言いながら思案顔になる。

「ここは、僕にお任せを……」

 矢野がそう言いながらゆらっと立ち上がる。

「矢野君に何か考えがあるの?」

 キョトンとした表情の郁美の前を通り過ぎ、矢野は有希の目の前に立つ。

「有希君、ちょっと君に手伝ってもらいたい」

 お願い事をする時は、相手に了承を取ってからと思うのだが……。

 そう言うが早いか矢野は、問答無用に有希の腕を引きざわつく廊下に出てゆく。

「うぉぉ〜」

 二人が廊下に姿を現すと、その場が一気に盛り上がる。

「諸君! よく聞きたまえ! これから入部テストを行う、入部希望者はここに残ってくれたまえ、そうでないギャラリーは、即刻立退いていただきたい!」

 その言葉を聞いてブーイングが起きるが、それを聞かない人間がいるのであろういたる所からシャッター音が聞こえる。

 怖い……素で怖いよ……元男の俺がこんなにも恐怖を感じるんだ、鮎美の怖さはこれの比にならないだろうな?

「有希君……」

 矢野は有希の肩に手を置き、耳打ちを開始する。

「……なっ? なんでそんな事を言わなければいけなきゃいけないんだよ……わよ」

 思わずなってしまう男言葉をぐっと押さえ込む、それほど矢野から出された提案はセンセーショナルな物だった。

「君が言わなければ、この漫研の新入部員取得キャンペーンが台無しになってしまう、それに、君と鮎美君の帰り道の保障も出来ない」

 ……脅しか? しかしそれは否定できないかもしれない……確かにこのままでは無事に家に帰る事ができなさそうだ。

「……わかりました」

 せめてもの救いは、この場に鮎美がいないことだろう、鮎美にそんな事をやらせるわけにはいかないよ。

「結構、それでは……お願いするよ」

 矢野はそう言いながら有希の目の前を空けると、一気に有希に血走った視線が集中する。

「……エッと、みんなお願い……にゃ、早く家に帰りたいにゃ、その為には、みんながいると帰れないにゃ……だから……お・ね・が・い……にゃ?」

 終わった……俺の人生は汚れてしまった……穴があったら入りたいと言うが、奈落に落ちていく穴でもいい、俺はここからこの姿を消したい……。

「……アハ……」

 オウよ、笑ってごまかすしかないだろうよ、なんだって俺がこんな場面に遭遇していなければいけないんだ?

「有希君、サービスだ」

 矢野はそう言い有希のスカートを引っ張る、すると周囲からは地鳴りの様な歓声が響き渡り、一部の男子は鼻から流血し、また、ある者はコンマ何秒かの間にカメラを向けたのであろうフラッシュが光る。

「なっ、何しやがる!」

 真っ赤な顔をしてスカートを押さえながら繰り出す有希の鉄拳をヒョイヒョイと矢野は紙一重で避けると難なく有希の腰に手を回すと再び周囲のギャラリーに声をかける。

「そういう事だ、彼女が帰れなくなるということは、僕が保護しなければいけなくなる、その意味はわかると思う、彼女を泣かせたくないのであれば、ここは引き下がっていただきたい」

 真顔で矢野はそう言い、有希の腰にやった手に力を込め有希の身体を引き寄せると再びブーイングが起きるが、矢野は気にした様子も見せずに有希の腰に手をやったまま再び部室に戻る。

「みんな帰るかなぁ……」

 部屋の中で様子を見ていた郁美が心配げな顔をして矢野たちを見る。

「さぁ?」

 さぁって、それじゃあ俺のあの恥ずかしい思いは一体……。

「……有希、お疲れ様とりあえず明日明後日と休みだから……」

 ぽんぽんと有希の肩をたたきながら哀れむような目で見る鮎美に対し、有希はうつろな目で抗議を訴える。

 休みで消えるのであればいい……俺の心の傷はきっと一生残るであろう。



=新入部員=

「そろそろ静かになったみたいね?」

 安どの表情を浮かべる早希に、郁美はちょっと頬を膨らませる。

「なぁんだ、みんな青葉さんと高宮さん目当てだったのね? また幽霊部員を探さなければいけないなぁ……」

 原因はこれだ! ここにすべての元凶があるんだ!

 有希の表情が険しくなり、その視線の先で頬を膨らませている郁美の事を睨む。

「いけません、第二のボク達を作ってはいけません、先生、この際幽霊部員撲滅をお勧めします、そのほうが何ぼか学園生活が……」

「そうです、来年これをやらされる未来の不幸者たちを、決してあたしたちが見捨てる事はできません!」

「……あのぉ……」

「そんなひどいこといわないでよぉ、大丈夫、来年はまだあなたたちがいるじゃないのぉ」

「来年もボク達がやるんですか?」

「……すみません」

「当たり前じゃないの、今年のこのフィーバーは見逃せないわ、これで学校中にこの漫研の名が広まったでしょう」

「そんな……やめてください、来年は絶対に辞退します!」

「えぇっと……あのぉ」

 さっきから、所々になんだか違う声がしているような気がするけれど、それは気のせいなのだろうか?

「ダ・メ・よ、青葉さんと高宮さんは『ネコミミ姉妹』として、この漫研のアイドルになって売り出すつもりなんだから……」

 目にうっすらと目に涙を浮かべる郁美に躊躇する有希に対し、負けじと鮎美は口を開く。

「売り出さないで下さい! 他にも適任者はいると思います!」

「あのぉ……」

 鮎美の剣幕に気圧されたように首をすくめる有希の視界に、小柄な女の子が入ってくる。

「へ?」

 思わず目を点にする有希、それに気がついた鮎美はその視線を追うように、郁美は目に浮かんだ涙を拭いながらそれぞれその女子を見る。

「あなたは?」

 やっぱり嘘泣きかよ……それにしても、あの郁美先生と同じぐらいの身長のこの娘は一体誰なんだ? ブレザーを着ている所を見るとこの学校の普通科の生徒みたいだが。

「ハイ、普通科一年の津田山岬です……あのぉ〜入部を希望してもいいでしょうか?」

 長い前髪は完全に目を隠し、目からの表情を垣間見る事はできないが、その髪の毛のかかる頬はほんのりと赤みがさし、モジモジと動かす両手から推測するには照れているようだ。

「入部希望だと? うちは漫画研究会だぞ?」

 ……矢野、お前言っている事が変だよ?

 苦笑いを浮かべるのは有希だけではなく、鮎美となぜか郁美までもそうだった。

「矢野君、だから入部希望なんじゃないのよぉ」

 しかしその台詞を聞いているのかいないのか、矢野は繁々とその少女の事を見回している。

「……フム……合格のようだな」

 しばらく矢野はその女の子を観察し、満足そうに鼻を鳴らしたかと思うと郁子に振り向く。

 合格?

 有希は首を傾けながら矢野の事を見る、その顔は満足そうでありちょっとワクワクしたような不思議な表情を浮かべている。

「表情は髪の毛に隠れて垣間見る事ができないがかなりの美少女と見た、何よりもあの平間の様子でよく分かる、ゆえに、入部確定だ、おめでとう!」

 矢野はそう言いながら岬と握手を交わすが、その岬自身も何の事だかよく分からないといった表情……いや、表情はよく分からないが、きっと困惑しているであろうことは彼女の動きで察しがつく。その彼女の背後で奇妙な動きをしている平間の存在はとりあえず見ないことにしておいたほうが良さそうだ……。

「えぇ〜っと……と言う事はお姉様と一緒に部活が出来るんですね?」

 おっ、お姉様ぁ?

 有希の頭に大きなクエスチョンマークが飛び出す。

「お姉様って?」

「ハイ! お姉様の『ネコミミ』姿に惚れました。えぇそれは一目惚れです、あの時自分の中にある『男女』という隔壁が一気に崩壊しました」

 岬はそう言いながら二人を見つめるが、その様子は頬を真っ赤にしモジモジが一気に加速したようにも見える。

「うぉ〜! 男女の垣根を越えた恋! 最高だぁ〜!」

 誰かあの男の息の根を止めてくれ……。

 有希は騒がしい平間を睨むと、その背後にいた早希が軽くその首筋に軽くチョップするとその平間の体がヘナヘナとその場に横たわる。

 ……この部で一番怖いのはきっと早希先輩だな?

「……お騒がせしました、続きをどうぞ」

 早希はそう言いながら、横たわっている平間をずるずると引きずりながら退場してゆく。



「……何の気なしに体育館に入ったんです、部活なんてやる気もなかったしそもそも、漫画にもあまり興味なかったんですけれど、舞台上にいるお姉様がとても輝いて見えたんです、それはまるで運命のように……」

 岬はそう言いながらその時を思い出すような恍惚の表情……いや、表情は分からないけれど、雰囲気でそんな気がする。

 ハハ、困った娘さんだな……まさか間近でこんな異世界のような話が繰りひろげられるなんて思っても思わなかったよ、鮎美ぃ、後は任したぜぇ。

 有希は他人事のように鮎美を横目で見る。

「で、でも、やっぱりね? 女同士は幸せになれないし、やっぱり男の子と普通に恋愛した方があなたの為になるはずよ?」

 慣れているのか?

 鮎美の台詞は、既に使いまわして何回もこなされている様なそんな感じがする。確かに鮎美は、有希に比べても長身だし、面倒見がよく姉御肌な所があり、女の子に人気があることは、有希の応用編で良く知っているし、事実、有希もそれに助けられているかもしれない。

「分かっています、所詮は女同士、でもお姉さまには違う雰囲気があるんです、東京でも女ばかりの学校に行っていたせいもあって、男の人が苦手なのは事実です」

 気のせいか、岬の顔が俺の方を向いているような気もしないでもないけれど……。

「でも、自分の気持ちにはウソをつきたくありません、あたしは、お姉様に惚れました!」

 岬はそう言いながら駆け出し、困惑した鮎美に抱きつ……かないでスルーし、その後ろで、事を見守っていた有希に抱きつく。

「はぁ?」

 事を理解するのに、ちょっと時間を要してしまったではないか、なぜこの娘が俺に抱きついているのか、そこから考えなければいけなかったためなのだが。

有希の胸に顔を埋める岬は、まるで猫のようにのどを鳴らし、スリスリする。

「って、有希なの?」

 鮎美はホッとしたような、怒ったようなうまく表情を使いこなすことができなくなったような表情を浮かべ、有希に抱きついている岬を睨みつける。

「ほぉ、これは面白い筋書きになってきたな、なおの事入部を許可するぞ」

 矢野はその光景を見ながら、まことに嬉しそうな顔をして見守る。

「あは、なんだか面白くなってきたかも……」

 郁美も最初こそ驚きの表情を浮かべているものの、次第にその顔には微笑が浮かんでゆく。

「面白くありません!」

 有希はため息をつきながらも自分の胸で嬉しそうにスリスリしている岬を見下ろす。



「はぁ……」

 有希の吐く深いため息は、早い夕暮れを迎えた函館の街の一角を白く濁す。

「あは、そろそろ立ち直りなさいよ……いいじゃないのよ、告白されたんだから……相手は女の子だけれど」

 苦笑いを浮かべる鮎美は、うなだれている有希の肩を励ますようにポンポンと叩く。

「そこなんだよね……ボクは今女の子な訳だろ? それで告白されるというのは喜べる問題じゃないと思うけれど」

 再び有希の吐く大きなため息は周囲の空気を白く濁す。

「あは、でも、勇気としては嬉しかったんじゃないの?」

 意地の悪い表情で鮎美は有希の頬を突っつく。

 確かに、女の子から告白されるというのは勇気の意識の中では嬉しかったような気もするけれど、既に女の姿になっている以上はやはり同性という目になってしまう自分がちょっと寂しかったりもする。

「うーん、よく分からないよ、でも、あの娘はボクの事を女って見ているんだから、きっと百合の方なのかな? というよりも、ひょっとして有希って女の子に人気があるんじゃないか?」

 もしかしたら有希って女の子に人気の出るタイプなのかもしれないなぁ……。

〈あたしはノーマルよ!〉

 有希の意識が慌てたように浮かび上がってくる。

 しかしよぉ、お前の仲間内ってなんとなく女の方が多いような気がするんだよな? 鮎美しかり、ミーナや都、男っていったら拓海ぐらいしかいないだろ?

〈そ、そんなことない……たぶん〉

 有希の意識は否定しようとしているが、指折り数えてその事実にも気がついているようだ。

「ウン、有希は女の子に人気があるのよ? その小柄な体がたまらないらしいわね? 妹キャラみたいよ、あたしだってたまに頭ナデナデしたくなるときあるもん」

 鮎美はケラケラと笑いながらそういい、有希の顔を覗き込む。

〈鮎美……あんたそんな目であたしを見ていたの?〉

 有希の意識はプンプンといった感じを伝えてくる。

「……鮎美、お前……もしかして……」

 鮎美の近くから一歩ひく。その様子に鮎美はあわてて手を振りながら否定する。

「か、勘違いしないでよぉ、あたしはノーマルよ……たぶん」

 今たぶんって言わなかったか?

〈ちっ、ちょっとぉ、鮎美ぃ……〉

 有希の意識も一歩ひいているようだった。

「……たぶん?」

 ジトッとした目で有希は鮎美の顔を見つめる。その顔は寒さのせいとは違う頬の赤らみがあるようだ。

「あぁ〜、き、気にしないで、でも本当にあたしはノーマルよ! 変な事を言わないでもらいたいわねぇ、そんな事を言って、もしかしたら有希の方こそ女の子の方がいいんじゃない? 元々は男の子なんだし……あっ!」

 鮎美はそこまでいって、口に手をやる。

「ゴメン! そんなつもりじゃなくって……」

 鮎美は申し訳なさそうに有希に頭を下げる。

 素直な娘だよな? 気にしていないわけじゃないけれど、最近ではこの状況が当たり前のように感じてきたよ、しかし、恋愛なんかについては全く考えたことがない、俺が惚れるのは男なのか、女なのか、自分でもちょっと楽しみかもしれないな。

「気にしないでいいよ、ボクにだってまだよく分からないんだから、まぁ、しばらくは女の子に慣れるしかないわけだし、恋愛感情なんてまだまだ先だよ」

 有希はそう言いながら大きく伸びをして、函館湾から吹いてくる潮風を全身に浴びる。

「そうだよね……」

 そう言う鮎美の表情はちょっとつまらなそうに頬が膨らんでいた。

第九話へ。