アナログ情報の価値


 アナログ情報について考察する前に、情報の定義を再確認します。情報量という言葉を用いて情報を定量的に扱うには、シャノンの理論が適用できる範囲で情報を定義しなくてはなりません。シャノンの論文での情報はメッセージです。すなわち、シャノンの情報理論はメッセージのために作られた理論です。そうすると、情報とは何かで述べたように、情報は生命と生命の間のメッセージと定義されます。ですから一般的に自然界に存在する電磁波は情報ではありません。例えば太陽光線だけでも、非常に多くの周波数の電磁波を含んでおり、解析するのは大変です。ましてや宇宙線は、宇宙のあらゆる方向から来た電磁波ですから、非常に多くの成分を含み、遠くからの電磁波は微弱な要素が多くなり、解析は更に大変です。このような自然界に存在する電磁波は含まれる情報量を決定することが出来ません。技術の進歩によって解析方法が進歩すれば、いくらでも情報量は増加するからです。

 宇宙線は高エネルギーの放射線で、電磁波だけでなく粒子線も含まれていて、その中からは、計り知れない量の情報を取り出せます。例えば湯川秀樹博士の予言した中間子なども、宇宙線から発見されました。反物質も宇宙線から見いだされています。加速器が開発されるまで、新粒子は宇宙線から発見されてきました。それでも宇宙の神秘に比べると、我々の知識はわずかなものなので、恐らく古代ギリシャ人とは五十歩百歩です。古代ギリシャ時代は宇宙線の存在自体が知られておらず、光だけしか観測されません。この状態では可視光線以外の宇宙線による情報量はゼロです。つまり宇宙線から得られる情報量は、科学技術のレベルによって変化するのです。ですからシャノンのように情報を定量的に扱おうとするならば、宇宙線を解析した結果の方を情報とするべきです。宇宙線の解析結果はメッセージとして送信できます。メッセージはシャノンの言う情報そのものです。

 身近なアナログ情報として、最初にテレビのアナログ放送を考えてみます。テレビで動画を送る仕組みですが、映画の原理を用いれば、動画は静止画で代用できます。映画の場合は、1秒間に24枚の写真を見せることによって、動画を見せることが出来ます。しかし、これは少しずつ違う写真を高速で見せているだけで、本当は映画を見ている人が動きを作り出しています。同じ原理でテレビの場合は1秒間に30枚、すなわち30フレームとなりますが、家庭で見られようにするには、写真を電波にして送らなくてはなりません。写真は2次元ですので、それを1次元に変換するため、画面を横に525本の走査線に分割します。放送用テレビカメラの場合は写真を出力する必要はないので、個体撮像素子の受光面を直接ラスタースキャンして走査線を得ます。走査線には色や明るさの情報が含まれますので、それを一本の線につないで、電波にして送信するのです。電波を家庭のテレビで映像化することによって、各家庭で動画を見ることが出来るのです。

 この原理を考えてみると、最初から人間が見ることを前提に、走査線の本数やフレーム数などが決められていることがわかります。一枚一枚の画像も、人間が走査線から作り出したものであり、1秒に30枚の画像から動きも人間が作ります。更に情報量についても、デジタルの動画と比較することによって、簡単に求めることが出来るのです。またテレビは人間が視るものなので、最終的には神経細胞の活動電位として、生物学的なデジタル信号に変換されます。テレビの原理はあくまでも人間が見ることを前提としたものなので、人間と全く異なる生物がテレビの電波を受信したとして、いくら科学力が優れていても、原理を解明できるとは思えません。

 次は音について検討してみます(1)。例えば音叉を振動させると、音叉が空気中の粒子を押して、空気中に粒子が密な部分が生じます。その部分の粒子が次の粒子を押して、空気中に粗なところと密なところが出来て、粗密波が次々と進んでいきます。この空気中の粗密波が音波です。音波には音圧と振動数と波形があります。音圧は音の大きさ、振動数は音の高さ、波形は音色です。純音の場合は振動数と音圧しかありませんが、通常の音は複合音ですので波形があります。ところが、複合音を振動数ごとに分けて純音の組み合わせとして表すことが出来ます。これをフーリエ解析といいます。人間の内耳ではフーリエ解析が行われていると言われています。

 音波は必然的にアナログ情報ですが、戸外の空気中にはあらゆる方向からの、様々な音波があります。人間はこのうちの一部しか聴き取ることは出来ません。ほかの動物と比較すると、特に高音域に関しては弱いようです。それでも遮音していない戸外では、人間は莫大な量の音波にさらされ、人間の可聴域に限っても、それを分析するのは困難です。ところが人間は、騒音に満ちた満員電車の中でも、友人と会話できます。これはカクテルパーティ効果と呼ばれていますが、何故それが可能なのか、本当のところはわかっていません。それでも、そのときの音を録音すると、雑音だらけで聴き取りにくくなりますから、雑音を消すフィルターがかかっていることは分かります。まず視覚的に話し手を認識し、左右の耳を用いて音源の位置を特定し、さらに話し手の声の特徴などを利用して、人間はフィルターをかけているようです。このように人間は音声、特に自国語の言語音を選択的に聴き取ります。

 言語の重要性で述べたように、言語は本来はデジタル情報です。ところが、言語音は口から発せられた瞬間からアナログ情報になります。どれでも母国語は非常に劣化しにくいアナログ情報で、長い話の中の一つの音ぐらいなら、話の流れから推測できます。また自分の名前のように、よく知った単語であれば、非常に不明瞭な音でも聴き取れます。それは自国語の音声の分析には、生まれてからの長い間の訓練で人間は特に熟達しているからです。つまり人間は、言語音をアナログ情報として受け取りますが、母国語だけはデジタル情報に変換して解釈します。

 このように、常に言語音は、自国語の話者に向かって、デジタル情報に変換されて解釈されることを前提に発せられます。もしも、誰も全く知らない言語音を録音したテープが存在したとすると、それを解析し解読することは不可能に近いでしょう。例えば滅亡したインダス文明の文字は未だに解読されていません。それを用いる民族が滅亡してしまうと、文字の解読は困難になります。ましてや言語音を解析するには、その言語を話す話者が不可欠でしょう。滅亡した民族の言語音がテープとして残ったとしても、解読は困難と思われます。

 電波と音声の例で分かるように、人間と人間の間に存在するアナログ情報は、全て人間によって解析されることを前提としています。次に視覚情報について考察します。視覚も人間の生物学的特徴に深く規定されています。人間には3種類の波長の光に反応する光受容体しかありませんが、鳥類は紫外線を検出でき、4種類の光受容体を持っています(2)。しかも、人間の光受容体は赤に近いところに2種類あり、青い光の分解能は悪いのです。こう考えると視覚情報ですら、人間の光受容体を前提しており、例えばモナリザのような名画でも、他の生物にはどう見えているか分かりません。こう考えると視覚情報も、人間と人間の間に存在するアナログ情報と考える事が出来ます。さらに他の生物についても、音声などのアナログ情報のやりとりは知られており、情報とは何かで述べたように、アナログ情報も生物と生物の間でやりとりされ、生物の生存確率に影響を与えるものと定義されます。さらに、デジタル情報は自然数で表される情報なので、アナログ情報はデジタル情報でない情報、すなわち自然数で表されていない情報となります。

 デジタル情報とは何かで述べたように、デジタル情報は自然数「1」としての性質を持っています。またデジタル情報であるDNAは、直接的に生物の生死を決定する可能性があります。それに対して、音波や電波のように人間と人間の間に存在するアナログ情報は、解釈されて初めて意味を持つのです。これらは人間と人間の中間に存在して、解釈されることによって、間接的に人間の生死に影響を与えます。他の生物でも、多くの種類のアナログ情報のやりとりが知られています。私はアナログ情報という言葉は、このようなアナログ情報に限定するべきと提案します。

参考文献
(1) 重野純:音の世界の心理学,ナカニシ出版(2003)
(2) T・H・ゴールドスミス:鳥たちが見るあざやかな世界,日経サイエンス10月号,p44-55,日経新聞社(2006)

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