デジタル情報とは何かで述べたように、細菌の遺伝情報システムは優秀ですが、高等な動物ではどうしているのでしょうか。最初にキバネアナバチの例を考えます。産卵期になるとキバネアナバチは穴を掘って巣を作り、コオロギを捕まえて麻酔をかけ、巣の中に入れてから産卵し、巣穴をふさぎます(1)。卵からかえった幼虫は、巣の中で麻酔された状態のコオロギを食べて成長します。コオロギは生きているので腐りません。そのおかげで幼虫は、常に新鮮な肉を食べられるのです。特にキバネアナバチがコオロギを捕まえて麻酔をかけますが、その行動が絶妙です。コオロギはキバネアナバチより大きく、強力な顎を持ち後肢の力も強力です。この強敵をキバネアナバチは押さえつけて動けなくし、体の3カ所に1回ずつ針を刺します。それによって6本の肢を支配する3つの神経節を麻痺させます。
これほどの妙技はどんな麻酔科医にも出来ません。じっとしている人間の大きな神経節に針を刺すのがやっとです。熟練した麻酔科医にも難しいことが、キバネアナバチには一回も練習せずに出来ます。キバネアナバチは大人になってからは花の蜜を吸うだけで、産卵期まではコオロギに見向きもしません。成虫のキバネアナバチはコオロギを食べたりしないのに、最初からコオロギの神経節の正確な位置を知っているのです。これは遺伝子にコードされた行動としか思えません。自然選択によって、正確にコオロギの神経節に針を刺すことが出来るキバネアナバチだけが、生き残ったのでしょう。昆虫には遺伝子、すなわち本能によってプログラムされた行動が多く、それは非常に上手く出来ています。ただ、無限と連続で述べたように、本能による行動は手順が決まっており、少し状況を変化させられると応用が利かないという弱点はあります。
次に人間の場合を考えます。人間の場合はキバネアナバチほど正確には技術の伝達は出来ません。外科医の場合を考えると、外科の手技は難しく、人体の解剖を体得するには時間がかかります。一人前の外科医になるには5年も10年も修行しなくてはいけません。それでもキバネアナバチほどの妙技が出来るようにはならないのです。これは手技の伝達は主として視覚を通じてなされますが、感覚を通じた情報の伝達は不完全であるからです。他の例では、打撃の名人は技術を伝承しようとしますが、過去の名人といわれた人のバッティングをそのまま真似出来た人はいません。また芸術作品や工芸品などでは、過去の名人の作品が何百年しても価値があります。弟子が同じもの、あるいは同等のものを作ろうとしても出来なかったのです。このように人間における技術の伝承は、感覚を通じて行わなくてはならないので非常に不完全です。そのため、あまりにも優れた名人の技術は伝承できないのです。
感覚を通じた情報伝達が不十分であることは、デジタル情報の有利さを際立たせます。キバネアナバチの妙技はDNAによる情報伝達のおかげであり、生命にとって真に正確に伝達できる情報はDNAだけです。ただ人間の言語もデジタル情報であって、DNA程ではありませんが、かなり正確に情報を伝達できますので、人間が主に情報の伝達に用いるのは言葉です。ただ言語がデジタル情報として成立するには、言語が最小の要素に分かれている必要があります。言語が要素に分かれていることに、古代インド人は気付いていました。古代ヒンズー教の神話によると、インドラという神が他の神々の要請に応じて、初めて言葉を個々の要素に分ける試みをしたといいます。この偉業が成し遂げられた後、これらの音が言語と見なされるようになったと神話は伝えています(2)。
この話を現実に当てはめてみます。普通の日本人が英語を聞いた場合は全く連続的な音に聞こえ、単語と単語の切れ目どころか、文と文の切れ目すら判りません。それを英語として聴くには、連続的な音を音素に分けなくてはなりません。英語は音素から構成されていて、各音素はプラトンの三原則を大体満たしています。英語の音素には母音と子音があり、音素の数はいろいろな説がありますが、40ぐらいとされます。ネイティブの英語国民は音素を聴き取れるので、単語と単語の切れ目、文と文の切れ目が判ります。つまり英語国民は、アナログ情報である英語の音声をデジタル情報に変換できるのです。それは日本人にとっては容易ではありません。ところが日本人が日本語を聴く場合、日本語の最小単位である五十音が聴き取れます。日本語は音節から構成されますが、日本人は日本語をo音節に分解できます。そのため日本人は、日本語をデジタル情報に変換できます。このように誰でも母国語の音声はデジタル情報に変換できるのです。その基本は、どの言語にも音声の最小単位が存在するので、それを聴き分けることです。
次に文字を考えます。最初はメソポタミアとエジプトで象形文字が作り出されました(3)。これはものの形をそのまま字にしたもので、初期の頃は絵文字でしたが、徐々に記号化されました。次にエジプトでもメソポタミアでも表音文字が使われるようになりました。そして紀元前1050年頃にアルファベットの原型となる表音文字であるフェニキア文字が発明されました。フェニキア人はセム語族であったため、最初のアルファベットには母音を表す文字がありませんでした。セム語は子音がたくさんあり、子音が決まれば母音は自動的に決まります。そのためギリシャ人はアルファベットを輸入したときに、ギリシャ語にない子音を母音に当てはめました。それがラテン語のアルファベットの原型となり、ラテン語のアルファベットにJ,U,Wの三文字を加えて現在のアルファベット26文字となっています。しかし、アルファベットは英語の母音を全て表すには文字の数が足らず、英語のスペルと発音が一致しない大きな原因となっています。ところがそのおかげで、アルファベットは単なる記号に近づき、より純粋なデジタル情報に近くなっています。
アルファベットは扱いやすかったので、初期の頃からコンピューターで用いられていました。コンピューターで扱う重要な情報にテキストファイルがあります。テキストファイルは0と1で文字を表したものですが、文字を0と1に変換する規則が必要です。ASCIIコードは米国規格協会が1963年に定めた変換規則で、7桁の2進数でアルファベットや十進法の数字や基本的な記号を表します。ASCIIコードは今も一般的に用いられていて、Aは1000001で表されます。ここでの0と1は単なる記号としての意味しか無く、1000001を全体として一つの記号と見ることも出来ます。そう考えると、アルファベットのAがデジタル情報であり、単なる記号であることが分かります。さらに世界中のすべての文字をコード化するためにユニコードが作られ、今では32ビットのユニコードが存在します。このように、すべての文字はデジタル情報なのです。
言語が重要なデジタル情報である理由は、音声言語の基本である音素にクオリアがあるという点です。意識はクオリアのあるものしか直接認識できませんが、多くののデジタル情報にはクオリアはありません。DNAの遺伝情報、神経細胞の活動電位、コンピューターの0と1、これらのデジタル情報には感覚的性質がなく、必然的にクオリアもありません。そのために意識がこれらを認識出来るようにするために、通常は文字や記号または数字で表現します。ところが音素からなる言語音にはクオリアがあるので、意識によって直接認識可能なのです。ただ言語音にはクオリア(4)はありますが、そのクオリアの感情を誘発する性質はかなり弱まっています。例えば「あ」という音自体には、なんとなく明るく陽性なイメージはありますが、悪という言葉にも「あ」は含まれており、何と暗という言葉にも「あ」は含まれています。このように言語音はクオリアに関係なく自由に記号として用いることが可能なので、人間の意識が認識できる範囲は大きく広がったと考えられます。もしかすると、遺伝情報のA,T,G,Cも、似た経緯をたどったのかも知れません。今では遺伝情報のA,T,G,Cには、記号としての意味しかありませんが、最初は例えばA自体に意味があったと思われます。そう考える根拠も、ここでは述べませんが幾つもあります。そこから進化して、デジタル情報が記号としての意味しか持たなくなることにより、遺伝情報系も言語情報系も、自由度が高くなったのです。
またコンピューターの0と1は、本来は数ですが、数自体を意識は認識できません。数自体には感覚的性質がないからです。おそらく人間が抽象的な数を認識するには、数を言語音で表して、数にクオリアを与え、意識で認識出来るようにする必要があったでしょう。さらに抽象的な単語を開発することによって、元々は意識化できない無意識の神経活動を意識化する事も出来ます。神経細胞の活動電位自体にはクオリアはないので感覚と神経細胞の活動電位で述べたように、意識はゾンビ・エージェントの活動電位を認識できません。ところが通常は意識化されない活動電位を、言語を用いて表現できます。さらに内言語を用いて頭の中で考えるということも可能です。
次に言葉による情報の自然選択について考えます。言語が人間の生死を決定する力を持つことは明らかです。これは戦争を考えると理解できます。敵の位置に関する情報は、通常は言語で伝えられますが、少しの間違いが人命に関わります。敵が右にいるのか左にいるのか、逆に伝達されれば大損害につながります。さらに言語はデジタル情報ですので、自然選択を受ける資格はあります。
初期には叙事詩が口伝えで伝えられました。有名なイリアスの内容はかなり正確で、シュリーマン(5)がトロイの遺跡を発掘したときに、イリアスの内容に基づいて位置を決め、トロイを掘り当てたという話は有名です。イリアスにおいてトロイの位置が正確に伝承されたのは、トロイはイリアスが文字で書かれる頃までは同じ場所に存在したからと思われます。そのためイリアスの中のトロイの位置が間違って伝えられても、トロイの位置を知っている人によってすぐに訂正されたと思われます。これを擬似自然選択とも考えることは可能です。また聖書は非常に古いもので、最初は口伝えだったと思われます。これは宗教的な理由から、かなり正確に伝承されたと考えられます。その後に文字で書かれた書物が残るようになり、プラトン、アリストテレスの著作などが現代に伝わっています。
これらの書物は、印刷技術以前には書き写されていました。原本を書き写すことを筆写といい、写す人を写字生、書き写された本を写本といいます。特にアレキサンドリアの大図書館では組織的に文献が収集され保存され、蔵書は70万冊と言われていました。ところがアレキサンドリアの大図書館は、紀元前43年のシーザーのアレキサンドリア攻撃によって焼失してしまったのです。さらにゲルマン民族の大移動によってローマ帝国が滅び、プラトン、アリストテレスの哲学は忘れられました。プラトン、アリストテレスの哲学の内容が忘れられて、ギリシャ語を読める人が少なくなれば、写字生にとってプラトン、アリストテレスは記号の羅列になります。そうなると、遺伝子とエントロピーで述べたように熱力学の第二法則が適用されます。筆写には誤字脱字、付け加えなどが生じ易く、意味も分からず写字生が写本を作っても内容は劣化します。
それが現代に伝わっているのはイスラムのおかげです。プラトン、アリストテレスはイスラム哲学に取り込まれ、深く研究されました。そのため擬似自然選択を受けたような形になり、著作の内容が正確に保存されたのです。書物も研究され利用されることにより、意味が違ってくる筆写の間違いなどは訂正され、内容は正確に保存されます。これを擬似自然選択と名付けてもいいのではないでしょうか。誤った情報が生命の死によって除去されるわけではないので、真の自然選択と同じではありませんが、自然選択に類似した過程と考えられ、そのおかげで人類は長期的に情報を保存できると考えられます。
参考文献
(1) J.H.ファーブル:ファーブル昆虫記2 狩りをするハチ,奥本大三郎訳(1991)
(2) V.フロムキン・R.ロッドマン:言語学の視界,あぽろん社(1996)
(3) G.ジャン:文字の歴史,矢島文夫監修,高橋啓訳,創元社(1990)
(4) V.S.ラマチャンドラン:脳のなかの幽霊、ふたたび ,山下篤子訳,角川書店(2005)
(5) シュリーマン:古代への情熱ーシュリーマン自伝,村田数之亮訳,岩波文庫(1976)