連続の存在意義


 生命は自然選択によって遺伝情報を蓄積していく存在とも考えられます。見方を変えると、生命と遺伝子は自然を認識し記述していると考えられます。ところがこの記述は、あくまで一次元の記号の並びとして表現されます。そこでは世界は離散的な一次元あり、連続的な空間という概念は出てきません。

 遺伝子はA,T,G,Cの並びだけで世界を記述しています。それに対して人間は脳で三次元空間を認識し、時間と空間の連続性を認識します。脳は神経細胞から構成されていますが、数と神経細胞の活動電位で述べたように、神経細胞の活動電位は「1」としての性質を持ちます。そして脳は神経細胞の長い軸索によって感覚器およ運動器と繋がっていますが、長い軸索を通じてやりとりされるのは活動電位です。つまり脳への入力も出力も離散的な活動電位なのです。
 また、幾何学においては連続的なユークリッド平面を考えますが、それを現実に適用するのは工学になります。建築や機械などの工学では、実物を作成する前に、適当な縮尺で設計図を使用します。図面を描くときは、人間の眼の解像力が最小の長さとなり、約0.1mm以下の長さは無視されます。また人間の筋肉の動きにも最小の動きがあります。一個の運動ニューロンが支配する筋群は運動単位と呼ばれています。特定の筋肉の最小の動きは、その筋肉の最小の運動単位が興奮した場合です。そのため手書きの図面には、どうしても最小の長さが生じてしまいます。それを機械化したとしても、ペンの太さやプリンターのドットの大きさという制約があります。またコンピューター制御のためには、扱うデータはデジタルとなり、そこにも制約があります。そのため人間の描く図面は、機械化してもビットマップ画像の一種となります。それでは真の円も真の直線も描けません。つまり人間の力では、連続的なユークリッド平面は実体化できません。そうすると、連続はどこから生じたのかという問題が残ります。
 この問題を考えるために、人間が野球をする場合を検討します。打者がバッティングをする場合、投手が投げるボールの軌道を予測して、早期にスウィングを開始する必要があります。また外野手が外野フライをキャッチする場合、あらかじめ打球の軌道を予測して落下点に入る必要があります。運動する物体の軌道を予測するにはニュートン力学が必要です。そして時間と空間の連続性を前提条件として、ニュートン力学は成立します。運動する物体の軌道を予測する能力は、多くの哺乳類が持っているようで、訓練された猿や犬などは飼い主が投げた餌を上手にキャッチします。何故予測能力が必要かというと、動物の体が大きくなるほど、眼から筋肉までの距離が長くなり、刺激を受けてから反応までの時間が長くなります。そうすると大きな動物が、昆虫などの小動物を捕らえる場合、どうしても反応速度という点では不利になります。高等哺乳動物はそれを補うために、運動する物体の軌道を予測する能力を発達させたと考えられます。そのために我々は時間と空間を、連続的に認識すると考えられます。
 次に運動をいかにして人間が認識するかを考察します。ドナルド・D・ホフマンは「視覚の文法」(1)のなかで、運動は人間の視覚脳によって創られると主張しています。その証拠として、脳梗塞によって第五次視覚野が侵されて運動が認識できなくなった症例をあげています。さらにTMSすなわち経頭蓋磁気刺激によって、正常被験者の第五次視覚野の働きを阻害する実験について述べています。TMSで右半球の第五次視覚野を選択的に阻害すると、視野の左半分の動きだけが一時的に見えなくなります。つまり運動は脳内で創られているのです。これは映画の原理にもなっています。映画は毎秒24枚の静止画像を各3回フラッシュさせています。つまり毎秒72枚の静止画像を入れ替えているだけですが、それを見る人間が動画を創り出すのです。連続的な動画を創り出すには、時間と空間の連続性が前提となります。
 そのため連続的な三次元空間は脳内で創造されています。その目的は物体の運動をシミュレートするためと考えられます。人間の網膜が光を受けた段階では、一個の視細胞を画素としたビットマップとして外界は離散的に表現されます。そこから網膜で情報処理を受けて、コントラストを表す情報に変換されて神経節細胞の活動電位となります。そこから一次視覚野で物体のエッジが検出され、連続的な三次元空間が認識されます。この過程について、単純化して理論的に考察したのがエッジの抽出です。網膜も発生学的には脳の一部と考えられていますので、連続は脳内で創造されたと考えられます。
 そうすると自然数と連続は区別されなくてはなりません。自然数を実在とすると、連続は脳内だけの仮の存在となります。この立場から数学を構築すると、数と量の関係で述べたように、ゼノンのパラドックスは解決されます。また微積分の根拠も明快となり、さらに無限に関する多くの困難も解決されます。

参考文献
(1) ドナルド・D・ホフマン:視覚の文法,原淳子・望月弘子訳,紀伊國屋書店(2003)

目次