DNAとデジタル信号
確かにデジタル情報と生命は同じ性質を持っています。その意味を知るには遺伝と進化に関する知識が必要なので、出来るだけ単純化して基礎的な部分を説明します。最初に親の性質が子に遺伝することは広く知られています。そして最近では遺伝情報を担っているのはDNAという分子であり、DNAの構造が二重らせんであるということも、知っている人が多いのではないでしょうか。DNAの構造を模式化して図1に示します。
図1にはDNA二重らせんの糖とリン酸からなる主鎖を上下の二本の線で示しました。二重らせんの内側には、アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類の塩基があり、それぞれA,T,G,Cとアルファベット一文字の略号で示します。塩基は対を形成しており、AとTは赤で、GとCは黄色で示しています。DNAの主鎖の一方の末端を5´末端と呼び、もう一方のの末端は3´末端と呼ばれます。ここで重要なのは、AはTとGはCとしか塩基対を形成しないという点です。つまり二本鎖の一方の塩基が決まれば、必然的にもう一方の塩基が決定されるという点です。この原理を用いてDNAの複製は行われます。
複製のときは二本鎖DNAは一本鎖に別れ、DNAポリメラーゼによって、相補的なDNAが合成されます。図2はDNAポリメラーゼが、相補的なDNA鎖を伸長しつつあるところです。DNAポリメラーゼは酵素の一種で、ここでは薄い青色で示しましたが、DNAの複製を行います。そのために元の塩基と相補的な塩基を認識して、5´末端から一個づつヌクレオチドを結合させます。酵素は蛋白質の一種ですが、このように分子を認識することによって、生体内での特定の化学反応を促進する働きをします。
DNAの塩基の並びが遺伝情報となりますが、細胞の形を保つ細胞骨格や、化学反応を触媒する酵素は、ほとんどが蛋白質です。蛋白質は多数のアミノ酸がペプチド結合によって連なったポリペプチドから出来ています。ポリペプチドを構成するアミノ酸は20種類のアミノ酸に限られます。そしてポリペプチドが折りたたまれることによって蛋白質の立体構造が決まってきます。DNAと蛋白質を比較すると、蛋白質はアミノ酸の並びから構成されていて、DNAは塩基の並びで構成されているということがわかります。そうすると塩基配列をアミノ酸配列に対応させなくてはいけません。そのためには遺伝情報を解読して蛋白質を合成する必要があります。その過程を図3に示しました。最初に蛋白質をコードするDNAは、RNAポリメラーゼによって読み込まれ、相補的なメッセンジャーRNAに転写されます。RNAではチミンの替わりにウラシルが、デオキシリボースの替わりにリボースが使われます。図3では上段にDNAの塩基配列を示してあります。中段にはメッセンジャーRNAの相補的な塩基配列を示します。メッセンジャーRNAは蛋白合成の場であるリボゾームに運ばれ、そこで塩基配列はアミノ酸に翻訳されます。ここでは塩基3個がアミノ酸1個に対応しています。図3に示した例では、CUAはロイシン、GGAはグリシン、GAAはグルタミン酸となります。塩基3個で4X4X4=64通りの遺伝暗号がありますが、蛋白質を構成するアミノ酸は20種類ですので、遺伝暗号には一部重複があります。これが遺伝情報から蛋白質への翻訳の過程です。
DNAの塩基配列の生物学的な意味を考えると、一個の塩基の置換が致死的である場合が考えられます。例えばDNAポリメラーゼのような重要な酵素の遺伝子であれば、アミノ酸配列を変化させるような塩基の置換は、致死的となる可能性があります。また置換自体が致死的でなくても、表現形を変化させる置換であれば、自然選択の対象となり、子孫の生存率に影響を与える可能性があります。このようにDNAの塩基配列は個体の生死を担っているという点で、デジタル信号としての性質を持っているのです。ここで、Aを00、Tを01、Gを10、Cを11として、DNAの塩基配列と二進数を対応させてみます。
GATCCTCTT→100001111101110101
このようにデジタル信号とDNAには深い関係があります。ここで間違えてはいけないのは、DNAの方が遙かに昔から存在しており、デジタル信号はDNAを真似たものであるという点です。DNAの塩基の種類はA,T,G,Cの四種類しかなく、中間の塩基はありません。またAはAと等しく、TはTと、GはGと、CはCと等しいので、塩基はデジタル信号としての性質を持っています。DNAの塩基がデジタル信号としての性質を持つのは、あくまでも生物学的理由によるものであり、単なる物理化学的理由ではありません。
物理化学的には、DNAは通常の細胞内の条件下でも自然に変化しており、ヒトの細胞一個につき一日に約5000個のプリン塩基(アデニンとグアニン)が脱落します。それ以外にも多くの化学反応があり、DNAの塩基は常に損傷を受けているのです。つまりDNAを放置していれば、A,T,G,C以外の塩基もすぐに生じますし、AとAが等しくない状況もすぐに起こります。ところが二本鎖DNAの一方が損傷を受けると、細胞はもう一方を鋳型にして、すぐに損傷を修復して正常な状態を保つのです。修復しきれなくなったときには、細胞は死んでしまうか、場合によっては癌化したりします。このような修復機構は進化の産物ですので、DNAの塩基がデジタル信号としての性質を持つようになったのは、自然選択の結果です。
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