最近、アナログとデジタルという言葉は非常によく使われています。両者の区別を示す例として、時計が一般的に使われます。アナログ時計においては、長針と短針の角度で時刻が示されており、針は連続的に回転していて、数値は自分で読み取ります。それに対してデジタル時計では、何時何分何秒と数値が示されます。また体温計であれば、従来の体温計は水銀柱の高さで温度を示していましたが、最近の電子体温計は数値で温度を表示します。このようにアナログではある量を連続的に示しますが、デジタルでは数値として示します。その数値は、自然数に変換できます。例えば時間の場合、何分何秒は60進法の小数と考えられますが、360倍すれば自然数に変換できます。体温の36.5℃に関しても、10倍すれば自然数に変換できます。そして最後の桁の中間の値は存在しません。この場合の自然数は古代ギリシャ人の定義した自然数に近く、中間の値が無い離散的なものでなくてはいけません。このような絶対に分割不能な自然数を純粋な自然数と呼ぶことにします。デジタルの世界はどうして純粋な自然数に限るのでしょうか。それを知るために、コンピューター以前の計算機の歴史を考えてみます。歴史的に計算機は、メソポタミアのアバカスに始まります。それが中国から日本に伝わったのが現在の算盤です。算盤は世界中に広まりましたが、現在使われているのは日本式の算盤です。算盤は珠を用いますが、珠の大きさと形は同じです。これは珠が数と人間で述べたギリシャ人の「1」の定義を満たしていて、お互いに等しくて、それぞれが分割不能だからです。つまり算盤はデジタル式の計算機なのです。同じ原理を用いたのが、パンチカードを用いる計算機で、それがコンピューターの前身です。コンピューターは算盤の進化形と考えることが出来ます。
アナログとデジタルの区別は、最近になって盛んに言われ出したことですが、数と量の区別は以前からありました。遠山啓先生の「数学入門」(1)に出てくる例によると、リンゴは「いくつ」と数えられる分離量であり、リンゴを数えた結果は自然数になります。ところが水は数えられません。例えば水を細かく容器に分けて容器の数を数えても、もう一度合わせると一つの水になります。そのため連続量は「いくら」と測ることになります。量を測るには単位が必要なので、摂氏4度の水1リットルが1キログラムと決められています。それでも連続量には多くの種類があります。そこでデカルトは、あらゆる連続量を直線の長さで表すことを考えました。確かによく考えると、あらゆる計器はある連続量を長さに翻訳する道具と考えられます。体重計は重さを長さの目盛りに翻訳し、温度計は温度を長さに、自動車のスピードメーターも速度を長さに翻訳します。こうしてあらゆる連続量は直線の長さで表されるようになったのです。そうすると連続量は視覚認知と関係があることがわかります。その点に興味を持たれましたら、やや難しいかも知れませんが、エッジの抽出や連続の存在意義などを読んでみて下さい。長さにすると連続量は視覚化できるので、実数を表すには数直線を用いるようになったのです。
分離量は自然数で表されます。そこでリンゴを「いくつ」と数える場合を再検討してみます。一個のリンゴを二人で分ける場合、リンゴを二つに切ることが可能で、上手く分ければ二等分できます。さらに三人以上に分ける場合でも、上手くすれば三等分、四等分も可能です。ところが、リンゴと違ってジャガイモは形がいびつなので、上手く等分するのは困難です。ある老婆が二個のジャガイモを三人の孫に分け与えようとしましたが、上手く割れませんでした。そこで老婆はジャガイモをスープにして、それを三人の孫に分け与えました。この例では分離量を連続量に変換しています。このように分離量と連続量の違いは絶対的なものでないと遠山先生は述べておられます。つまり分離量という言葉は純粋な自然数とは異なり、分割可能なものを意味します。ただし、分離量と考えられるのは、生命のないものに限ります。牛などは生きている状態では分離量とはいえません。むしろ分割不能という点で、純粋な自然数としての性質を持っています。農業が機械化されるまでは、牛は労働力として重要だったので、生きている方が価値がありました。ところが死んでしまえば、牛一頭分の肉という分離量になってしましまいます。
生きている牛と同様、数と人間で述べたように人間も分割不能で、連続量に変換できません。また犬や猫などの哺乳動物も何匹と数えられ、分割すれば死んでしまいます。このように生きている高等動物は連続量に変換できません。一方、プラナリアのような下等な動物は、分割してもそれぞれの断片が個体になります。このような分割可能な生物を、どんどん分割していくと、最終的には分割不能な細胞に行き当たります。細胞は生命の最小単位とされていて、単細胞生物としては細菌などがあります。そして細菌は分裂直前でない限り、分割すれば死んでしまいます。つまり細胞も何個と数えられ、分割不能です。こう考えると、純粋な自然数としての性質を持つのは、個体または細胞と考えられます。つまり、生物の個体または細胞とデジタルデータは共通の性質を持っているのです。この生命と同じ性質を持っていることこそがデジタルデータの本質です。その意味は次のページで説明します。
参考文献
(1) 遠山啓:数学入門,岩波新書(1959)