JNM

Home
商品目録
古本 古物
送料 注文方法 メールで注文 フォーマットで注文
ミリタリーグッズ  日本海軍・記念品・軍装品 1

古本・古物等、10000円以上お買い上げの方プレゼント品があります!

写真をクリック!
JNM000 帝国海軍通信隊・電鍵(実物)  11000円 SOLD

旧日本帝国軍の通信隊で使用されていた電鍵です。実物です。平生町の回天記念館(阿多田交流館)に同じものが展示されています。地元の人から購入しましたので平生回天基地で使用されていた可能性があります。電鍵はモールス信号を打つときに使用します。イ(トン・ツー)、ロ(ツー・トン・トン)、ハ(ツー・トン・トン・トン)等、モールス信号発信機です。ちなみに旧海軍でハ連送は(我自爆す)の意味。真珠湾攻撃で「トラトラトラ」は(我奇襲に成功せり)の暗号として使用されました。日本帝国海軍通信隊の歴史的記念品として保存しておけば価値があります。横8センチ、縦15センチ。送料は定形外で580円。




写真をクリック!
JNM0023   海軍軍人掛軸  2800円 SOLD

明治22年12月9日印刷された、海軍の掛軸で古いものです。中央に明治天皇、その周囲に名前入りで海軍軍人が描いてあります。縦71.5cm×横50.2cm。 イタミ、黄ばみ、中央に小さな破れ穴があります。ご了承の上お買い求めください。送料は定形外郵便で580円です。





写真をクリック!
JNM0035  特設水上機母艦「香久丸」八角記念板  5500円 SOLD

戦前(昭和14年)のものです。日本帝国海軍の特設水上機母艦「香久丸」の八角記念板です。硬い木製の板です。海上を進む「香久丸」の絵と文字が刻まれています。上の文字は「海〜記念」と刻まれていますが、経年により、薄くて判読できません。下の文字は「昭和拾四年弐月・特務艦香久丸」と刻まれています。日本帝国海軍の記念品として和室等に飾っておけば、価値があると思います。直径28センチ、厚さ3センチ、重さ約900グラム。送料はヤマト宅急便で60サイズです。


特設水上機母艦「香久丸」(かぐまる)

「香久丸」は昭和11年4月18日播磨造船所で進水。当時の国際汽船の貨物船として北米航路に就航していましたが、改装され、昭和12年8月25日特設水上機母艦として生まれ変わり、海軍に徴用されました。日華事変勃発にともない中国方面へ出動、水上機母艦として航空支援を行いました。香久丸航空隊が編成され、司令に岡田次作少佐(兵学校42期)が任命され、上海、華中方面に出動しました。その後昭和13年12月徴用解除となりました。上記八角記念板には昭和14年2月と記されていますので、この航空支援任務を記念したものと思われます。太平洋戦争が始まると、特設運送艦として再び徴用され、昭和19年11月4日、ルソン西方で米国潜水艦により、撃沈されました。総トン数6804トン、兵装12センチ単装高角砲2門。搭載航空機は九四式水偵4機、九五式水偵6機。




写真をクリック!
JNM0037 海軍大臣拝領額(寺畑助之丞・作)  10000円 9000円 SOLD

戦前の古いもので、50年以上前のものですが、比較的きれいです。支那事変(昭和12年〜)の功績による、海軍大臣からの拝領額です。陶製レリーフ額で、重いです。戦時中の彫刻家で東京高等工芸学校教授、「寺畑助之丞」の作品です。上海港に停泊中の第三艦隊旗艦「出雲」が彫られています。額は軍艦の大砲の砲口を模った木製の丸額で、木製の額に陶製のレリーフがはめ込まれています。上部には「賜」と彫られており、裏面に「支那事変 海軍大臣」と記してあります。裏側の板には、はがれや擦り傷があります。戦前の古いものなので、汚れ、傷等ありますのでご了承の上お求め下さい。日本帝国海軍の歴史的記念品として保存しておけば価値があります。直径32センチ、厚さ3.5センチ。重さ2.5キロ。送料はヤマト宅急便80サイズです。




写真をクリック!
JNM0032   江戸幕府海軍・幕府海軍伝習所鑑札  8500円 SOLD

江戸幕府海軍の幕府海軍伝習所鑑札です。珍しい品です。コルクボードに和紙を貼った額に貼ってあります。鑑札は透明セロハンで包んである状態です。鑑札の下側に経年による焼けがあります。鑑札のサイズは、縦16.5センチ、横4.8センチです。額のサイズは縦28.7センチ、横18.7センチです。幕府海軍伝習所の歴史的資料として希少なものと思われます。送料はヤマト宅急便で600円です。


幕府海軍伝習所(ばくふかいぐんでんしゅうじょ)

江戸幕府が海軍士官養成を目的に、洋式海軍技術、操練術を伝習生に教授するため開設した江戸幕府海軍の学校です。明治帝国海軍の海軍兵学校の前身ともいえます。江戸末期の安政2年(1855年)に長崎に開校しました(伝習所はその後、長崎県庁として使用されました)。伝習所総督は永井尚志(ながい・なおむね)。教官はオランダ海軍の軍人でした。伝習生は下級幕臣と諸藩から選ばれた藩士が派遣され、約160人が入校しました。勝海舟は学生長でした。日課を定めて学科の授業と、練習船を使って訓練を行いました。蘭学も学びました。練習船は観光丸、咸臨丸、朝陽丸、鵬翔丸が使われました。幕府海軍伝習所は1859年に閉鎖されました。


Home このページのトップに戻る
























































































































































海軍軍人掛軸
戻る


























































































JNM0035  特設水上機母艦「香久丸」八角記念板
戻る



















































































































































































































JNM0032   江戸幕府海軍・幕府海軍伝習所鑑札
戻る