昔 沖縄の雪景色を描いた
大和の浮世絵師がいた <ヤマトゥ>
沖縄がどこにあるのか
どんな気候で
どんな人が住んでいるのか
知らない
そんな昔の話ではあるが…
ちょっと昔
沖縄は雪景色ならぬ
地獄景色となった
鉄の雨が三ヶ月も降り続き
一晩で村が消え
一日で丘が消えた
地面は穴だらけとなり
島は巨大な蜂の巣となった
―ガマの中は死体とクソの山
この世とは思われない臭い
(「シーバイも飲んださ」)
―毎日の水汲みは命がけ
ゲームの標的よろしく狙い撃ち
(井戸のまわりは死体がいっぱい)
―ウチナーグチをしゃべれば
スパイと疑われ殺される
(「ウトゥルサヌヤー」)
―泣きやまぬ赤ん坊は
「敵に聞こえる」といって殺される
(それも母親の手で)
南へ南へと追いつめられ
島の端へたどりついた時
もっとも哀しい事が起きた
『生きて虜囚の辱を受けず』 <りょしゅうのはずかしめ>
大和人から教えられた言葉を <ヤマトンチュウ>
みんな忠実に守ったのだ
―最初に赤ん坊を次に娘を
最後にのどをついて死ぬ母親
―一個の手榴弾を囲み
栓を抜く女学生
『命ど宝』なんて言えない <ヌチドタカラ>
「早く殺してー!」
「私から殺してー!」と
泣き叫ぶ声に消されて
…
みんな死に絶えた時
ガマの中の時間は止まった
…
―沈黙をやぶったのは
ガマに入ってきたアメリカーの
チューイングガムを噛む音だった
今沖縄に雪が降ると思う
大和人はいない
しかしエメラルドグリーンを赤黒く染め
兵士より住民が多く死んだ
あの三ヶ月の事を
どれだけの大和人が知っているだろうか?
■書始−91/03/11 ◇沖縄で親戚をたどれば必ず沖縄戦の犠牲者の方がいます。この
詩は沖縄戦体験者の方の話や本を元に作りましたが、力およばずとなってしまいました。