♯沖縄島巡りの旅--オヤケ・アカハチ誕生の地(波照間島)
・離島に着いて民宿に荷物を置いたら、まず私はレンタル・バイクを借ります。
離島ではバイク屋さんが、レンタル・バイク屋も兼業している場合が多いです。
私のバイクは、心地良い南風に乗って、島の土にじかに触れる様に走り、
サトウキビ畑を抜け、光る海を見ながら、島の名所を気の向くままに巡ります。
・記念物「アカハチ誕生の地」は、思っていたより小さな記念物でした。
ガイドブックに「オヤケ・アカハチ生誕地(喜多)」と書いてあるだけで、
ガイドブックの地図上に、場所を指し示す記号はありませんでした。
波照間中・小学校のそばを走っている時に、偶然に見つけたという感じでした。
・十五世紀の八重山は、島毎に力自慢の者が乱立する群雄割拠の時代でした。
石垣島、西表島、与那国島、波照間島において島の頂点に立ち、自らを
大主(ウフシュ)や按司(アジ)と称し、大きな権力をふるいました。
特に、与那国島のサンアイ・イソバや石垣島のオヤケ・アカハチが有名です。
・この群雄割拠の中から抜きん出たのが、石垣島のオヤケ・アカハチでした。
1500年、大きな権力を手にしたアカハチは、首里王府に反乱を企てます。
それに対して首里王府の尚真王は、大里親方を総大将にアカハチ討伐の大軍を
八重山に派遣します。反乱は、アカハチの奮戦空しく失敗に終わりました。
・オヤケ・アカハチが、頭角をあらわし大主まで上り詰めたは、生まれの島の
波照間島ではなく、石垣島の大浜であった事は、英雄の歴史物語です。
ガジュマルの若木が一本の生えているだけの「アカハチ誕生の地」記念物に、
島の英雄をひっそりと讃える波照間島の人々の想いを、私は感じました。

◎記念物「アカハチ誕生の地」です。

◎「みんなで守ろう文化財」の看板です。
(008-2010/08/14記)