♯沖縄島巡りの旅--唐人墓(石垣島)
・タクシーを飛ばして網張(アンパル)行った帰り道、唐人墓に行きました。
ロサンジェルスのチャイニーズ・シアターを思わせる外観の唐人墓ですが、
その碑文からは、石垣島で非業の死をとげた中国人の方々を知るとともに、
当時(琉球王国)の八重山政庁や島民の人道的な対応も知る事となりました。
・19世紀半のアメリカでは、アフリカの黒人奴隷だけでなく、中国から
「苦力(クーリー)」と呼ばれる労働奴隷を大量に連れてきていました。
1852年、カリフォルニアに送られる船上、不当な扱いに堪りかねた
「苦力」が反乱を起こし、船長ら7人を打ち殺す事件が起きました。
・その後、船は石垣島沖に座礁し、380人の中国人が島に上陸しました。
石垣島の人々は、彼らに食物や住まいを提供して保護にあたりました。
しかし、米国と英国の追求は厳しく、砲撃を加えた上で、兵を上陸させ、
逮捕・銃殺などを行なったので、多大な中国人犠牲者を出す事となりました。
・事件は、関係諸国を動かし「生存者172名は、中国に送り返す」という形で
決着しましたが、それは石垣島民の人道的な対応の賜物でもあったと思います。
唐人墓は、島内に点在して犠牲者の墓を合祀慰霊するため1971年に建てられ、
この事件で命を落とされた中国福建省出身者128人の霊が祀られています。

◎唐人墓の全景です。

◎唐人墓の屋根の中央部です。
(016-2010/10/09記)