♯沖縄島巡りの旅--多良間の八月踊り2(多良間島)
・「多良間の八月踊り」の起源は定かではありませんが、
神前での奉納踊りとして、民俗踊り中心の「八月皆納税」
「八月御願」が古くからあり、明治以降に古典踊りや
組踊りが伝えられて、現在の形となったと考えられています。
・1637年から宮古、八重山で実施された人頭税制度に
よって苦しみを味わった島民は、納税が終わる旧暦8月に
「八月皆納税」「八月御願」と称して各御獄に皆納報告と
豊年祈願の奉納踊りを行い、それが年中行事化しました。
・厳しい人頭税の取立てを皆納できた喜びを爆発させる様に、
島民はこぞって神前での奉納踊りを楽しんだ事と思います。
現在の「多良間の八月踊り」も、若者はもちろん、子供から
老人まで、島民はこぞって神前での奉納踊りを楽しんでいます。
・「多良間の八月踊り」で出演者の一人だった子供は、大人に、
更に老人になっても、重要な出演者の一人であり続けます。
約20キロ平方の多良間島で、老若男女、島民がこぞって
約九時間もの演目をうてる事自体、すごい事だと思います。

◎真剣な表情が清々しい男の子達の舞いです。

◎クワッチー(御馳走)を持ったアンマー(母親)達の入場です。

◎組踊り「忠臣公文組−名忠臣身替」の一場面です。
(018-2010/10/23記)