♯沖縄島巡りの旅--アクアポリスの見た夢(沖縄本島−本部半島)
・『海、その望ましい未来』をテーマに「沖縄国際海洋博覧会」が、
1975年7月からおよそ半年間、沖縄で開催されました。
その会場となったのが沖縄本島北部の本部半島で、今でも
「美ら海(ちゅらうみ)水族館」、「イルカショー」などいくつかの
パビリオンが残る会場は、「海洋博公園」と名前を変えて
「花のカーニバル」や「花火大会」等のイベント会場として、
北部屈指の観光地となっております。
・「海洋博公園」へ私は、少なくとも10回は行っています。
本土から遊びに来た友達とは、ドライブがてら行きました。
「花のカーニバル」は、独身の頃、お見合いパーティー(?)で行き、
新婚の頃は妻と二人で、子供ができてからは家族三人で行きました。
・公園内は、とても広いので、園内を電気自動車が走っています。
『海、その望ましい未来』には、エコの先取りの意味もありました。
「あ〜よく遊んだなー」と人工ビーチのベンチに腰掛けると、海の
向こうの伊江島タッチューの上に綺麗な夕焼けが広がっています。
・「アクアポリス」(海上未来都市)は、「沖縄国際海洋博覧会」の
シンボル的存在で、『海、その望ましい未来』の象徴とも言えました。
「アクアポリス」の巨大で幾何学的な姿は、子供達にとっては、
近未来の都市を見る思いがして深い感動を与えた事と思います。
・「沖縄国際海洋博覧会」後の「アクアポリス」は、25年間もの間
私達に夢を与え楽しませてくれましたが、いろいろ紆余曲折あり、
結局、米企業に売却される事となりました。2000年10月に
解体作業を行う上海に向け「アクアポリス」は、旅立ちました。
・夕焼けのなか、船に引っ張られながら、ゆっくりと本部半島を
離れて行く「アクアポリス」の白い巨体は、何を夢見たでしょうか?
何万人もの子供達の笑顔や驚きの声を、夢の様に思い出して
いたのではないかと、私は思っております。そして『25年もの
長い間ご苦労さん!』と声をかけてあげたかったのは、私だけ
ではないだろうと思っております。
(038-2004/09/26記)