首里城の雲(沖縄本島−首里)


・結婚前に妻の実家へ挨拶に行った時の事でした。
 挨拶もすませ、一時間ばかり過ぎた頃、義父が
 2メートルくらいの巻物を持って来ました。
 巻物の始まりの所には、琉球王朝時代の尚XX王。
 尚XX王の何代目かの家臣の所に妻の祖先の名前が
 書いてありました。
 その巻物は、妻の実家の「家系図」だったのです。

・沖縄では名字が三文字の人の祖先は、武士である場合が
 多いと言われます。妻の旧姓も、やはり三文字でした。
 武士の頃の屋敷は、首里の久場川にあったそうです。
 遠い昔、妻の祖先は、毎日刀を指して久場川の屋敷から
 首里城まで登ってお勤めしていた事でしょう。
 
・ところで私は、『琉球大学首里キャンパス』最後の卒業生です。
 『首里キャンパス』の体育館で卒業式を行い、男子寮の庭で
 記念写真を撮りました。(今は両方とも県立芸大となっております。)
 『首里キャンパス』は、たくさんの学部が肩を寄せ合う様に建っている、
 狭いながら和気あいあいとした感じのするキャンパスでした。
 そして、そこで私は青春を過ごしました。
 
・『首里城が再建される!』と聞いた時に、「沖縄のシンボル
 が蘇る」という嬉しさと、これで本当に『首里キャンパス が
 無くなる』という寂しさの−二つの気持ちが浮かんで来た事を
 覚えています。しかし、考えてみれば−
 琉球大学は、医学部もでき、広々とした西原キャンパスでは、
 新しい沖縄の人材がどんどん育っている。
 首里の丘の上には、屋根に大きな龍をいただく『沖縄の誇り』
 首里城が建つ。両方とも素晴らしい事に思えてきました!

・私の詩『首里(琉大旧キャンパスを偲んで) 』は、私が
 青春を過ごした『首里キャンパス』を点描的に描いた詩です。
 この詩を読んで高校生の方が、感想を送ってくださいました。
 −私には不思議な感じの詩でした。私は城西幼稚園出身で、
 私が幼稚園児の頃は、首里城が建設中だったからです。
 あそこにはもともと琉大があったことは知っていたんですが、
 見たこともなかったので、実感がありませんでした。
 でも、実際にはちゃんとあって、そこに通っていた生徒がいた
 ことが詩の中から伝わって来て、なんだか切なくなりました。

・−生協裏の広場の下 那覇の町が広がる 
 −遠くクラクションの音が聞こえ 
 −まばらな雲はゆうゆう流れる
 <私の詩『首里(琉大旧キャンパスを偲んで) 』より抜粋>
 現在の「首里城」の「木挽門(きびきもん)」を入って右側の
 丘の上に、琉大生協がありました。その裏にはピアノ室があり、
 私は毎日の様にそこへ通っておりました。二十歳を過ぎて硬く
 なってしまった指でバイエルやブリュグミュラーを練習するためです。
 生協裏の広場の石垣に座り、那覇の町とゆうゆうと流れる雲を
 見ているのは、練習に疲れて一休みしているあの頃の私です。


 ◎建設中の首里城本殿です。


 ◎首里から那覇市内を臨みます。

 (046-2004/10/30記)

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