史(ふみ)ちゃんのわらべうた(沖縄本島−那覇)
・『こーじゃ馬小(うまぐぁ)』、『花ぬ風車(はなぬかじまぁ)』、
『小録豊見城(うるくとぅみぐしく)』、『波々わんわちゃくり』、
『ベーベーぬ草』、『雨どーい(あみどー い)』、『赤田首里殿内
(あかたすんどぅんち)』、『てぃんさぐぬ花』、『月ぬ美しゃ
(つきぬかいしゃ)』‥‥
私の詩『史ちゃんのわらべうた』に登場する「沖縄のわらべうた」
の名前を並べて見ました。名前だけを見ても、何とバラエティーに
富み、生き生きとしたわらべうたの世界が感じられる事でしょう。
・「史(ふみ)ちゃん」とは、仲吉史子(ふみこ)さんの事です。
仲吉史子さんは、『沖縄わらべ唄保存普及会』を主宰しており、
渋谷ジャンジャンで「沖縄のわらべうたコンサート」を行った事も
ある音楽家です。
また、十五年間に渡り『神奈川沖縄ふるさとの家』の世話人も務め、
最近、沖縄県から感謝状をいただいたと聞いております。
・私と仲吉史子さんは、「沖縄のわらべうた」が取り持った縁と
言えるかと思います。それは、本屋で仲吉さん編曲の「沖縄の
わらべうた」曲集見つけた事です。本の中に連絡先が書いて
あったので、電話してみると「お家にいらっしゃい」と快く
言ってくださり、自宅へお伺いする事が始まりとなった為です。
・第一印象は、とても人なつっこいおばーちゃんという感じでした。
その時に『今度、沖縄県の依頼で「沖縄ふるさとの家」を始める事
になったから、あなたも沖縄の友達を連れて来なさい』言われ、
友人のJ君といっしょに「沖縄ふるさとの家」の会員にしていただき
ました。
・仲吉史子さんは、那覇市壷川(つぼがわ)に大正10年に生れました。
現在の壷川は、海まで1キロ近くありますが、仲吉さんが生れた頃は、
家の前がすぐ海で、あふれる様な沖縄の自然に囲まれた少女時代を
過ごしたそうです。そして、それは仲吉さん作詞・作曲の『透きとおる沖縄』
に見事に表現されております。
・仲吉史子さんは、親が歌う子守唄を聞き、友達と歌遊びをしたりと、
生活の中で生きた「沖縄のわらべうた」を実体験した人です。
仲吉史子さんからは、譜面化された「沖縄のわらべうた」からは
わからない事をいっぱい、いっぱい 教えてもらいました。
仲吉史子さんは、私にとって大恩人です。
・私の詩『史ちゃんのわらべうた』は、史ちゃんが軽便鉄道に乗り
那覇から糸満までの車内で、知っている限りのわらべうたを歌い
続けるという内容です。私はこの詩を作っている時に、大きな赤い
リボンをつけて軽便鉄道の窓のもたれて大きな声で歌っている
少女時代の史ちゃんの姿がはっきりと見えました。

◎軽便鉄道って、こんな感じでしょうか。

◎首里の花屋さんの店先です。
(047-2004/11/06記)