♯ヒコさん心の一曲−この胸のときめきを(エルビス・プレスリー)


・「もしエルビス・プレスリーいなかったらロックン・ロールは、
 ここまで発展しなかっただろう!」とロックの評論家は言います。
 ロックの歴史を語る時に必ず出てくるビックネームは、エルビス・
 プレスリーとビートルズではないかと私は思っています。また、
 ビートルズを始めとしてエルビス・プレスリーに影響を受けたと
 語っているアーティストは、数えきれない程います。

・エルビスがデビューのきっかけとなったのは、母親へのプレゼント
 に自主制作で吹き込んだレコードが、プロデューサの目の止まった
 事だと聞いています。エルビス特集番組でそのレコードを聞く事
 ができましたが、その歌唱力は素人離れしており、すでに聞く者を
 うっとりさせる魔力を持っておりました。そしてエルビスの成功
 を十分に予感させる音でした。

・エルビス・プレスリーは、1935年1月8日生れです。もし、
 生きていたら70歳になっているはずです。そんな私が、何故
 エルビスの『この胸のときめきを』を心の一曲に上げているのか
 というと「エルビス オン ステージ」というライブ映画を小学
 生の時に見た時の感動が胸に焼き付いているからです。その中でも
 『この胸のときめきを』は、曲の素晴らしさもありますが、やはり
 をこの曲を熱唱するエルビスの姿に子供心にも「カッコいい!」
 とシビレてしまったからです。

・私は、聞いた事はありませんが、『この胸のときめきを』の原曲は
 「IO CHE MON VIVO」という名前のイタリアのカンツォーネです。
 カーバーバージョンとしては、ダステイ・スプリングフィールドの
 ものを聞いた事がありますが、彼女なりの工夫がとても感じられ
 ますが、エルビスの男の魅力のにじみ出た歌唱が頭にこびり付いて
 いるせいか、ピンと来ませんでした。

・エルビス・プレスリーがロックン・ロールを歌う時に腰をふる事
 は、当時のアメリカ社会では「見るに耐えないくらい不謹慎な事」
 だった様です。エルビスの人気が高まりアメリカの有名なTVショー
 「エド・サリバン ショー」に出演した時も下半身は映さないという
 条件での出演でした。その頃のエルビスを「骨盤エルビス」という
 あだ名で呼び、あからさまに不快感を表す人も多かったと言います。

・「ハート・ブレイクホテル」「ハウンド・ドック」等のヒット。
 軍隊入隊。たくさん映画へ出演した時代。(「ブルー・ハワイ」
 という映画を見ました。)売れない時代を経て不死鳥の様に蘇り
 ラスベガスのディナーショーで歌うエリビス。(「エルビス オン
 ステージ」が撮られたはこの頃です。)
 
・最近「エルビス オン ステージ」のDVDが発売されました。
 この映画を見ると『エルビス・プレスリーは本物のエンターテイナー
 である。』と改めて強く感じさせられました。曲を歌いだした途端
 聞く者の心をがっちり掴んで離さない、まさに「エルビス オン 
 ステージ」は「歌う為に生れてきた男」の生の記録がであり、私に
 小学生の時の感動を再び蘇らせてくれました。

 (104-2005/01/08記)

 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

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