♯ヒコさん心の一曲−真夏の果実(サザン・オールスターズ)


♯ヒコさん心の一曲−真夏の果実(サザン・オールスターズ)

・私が中学1年生の時(1971年)、学校の校門で待ち合わ
 せて、いっしょに帰る先輩カップルがいました。
 今だったらわかりませんが、その当時はその場に居合わせ
 た中学生全員が、驚きと注目の目を注いだ光景でした。
 あの当時では(しつこく1971年)、「中学校の校門から、
 男女がいっしょに帰る。」という行動は、相当人目をひく
 とともに、本人達も相当勇気のいることだったのです。
 私は、「勇気があるな〜!」「カッコいいな〜!」と、
 驚きと憧れの混じった気持ちで、先輩達を見ていました。

・私が高校2年生の時(1975年)、友達の仲立ちがあり、
 初めて女の子とつきあいました。彼女は演劇部に所属して
 いました。クラブの終わった後、二人で校門を出る時、
 S君が慌てたように、冷やかした事を今でも覚えています。
 「初めて」という事と、性格もあり、必要以上に舞い上がって
 しまった私は「毎日いっしょに帰りたい」と、彼女に無理を
 言いました。結局、彼女とは半月余りでエンドとなりました。

・私が大学1年生の時(1977年)、大学のサークル主催の
 ダンスパーティーで、人目惚れをしました。私のホーム
 ページでは、顔馴染み(?)の石垣島出身のM子さんです。
 彼女は看護婦さんの卵で、寮生活をしていました。
 M子さんは、私の積極的なアタックにとまどいがあったもの
 の看護寮祭に行ったり、ライオン歯磨提供のバラエティー
 ショーに行ったりと、二人で楽しい時を過ごしました。
 彼女が冬休みに石垣島へ帰るというので見送りに行った時、
 出航までに時間があるので、彼女が通う教会のクリスマス
 イベント(礼拝)へ行きました。(私は、そこで初めて
 「洗礼」という儀式を見て、度肝を抜かれました。)

・M子さんと大学3年頃に出会っていたら、結婚していたかも
 しれないと、今でも思っています。しかし、受験勉強から
 開放された大学1年生には、いろいろなものが目に入って
 きました。そして、私も「なぜ彼女は教会に通うのか?」と
 いう理由を思いやる程、人間的にも成長していませんでした。
 今から考えるとM子さんは「時間をかけて、ゆっくり愛を育て
 ていく」ことを望んでいたのかと思います。

・私の書いた詩に「『真夏の果実』は憧れ」があります。
  −「真夏の果実」は憧れ 
   サザンや湘南 体をぶつっけあうような恋
   なかったな〜 だから憧れと呼ぶんだ
   そういう恋をした人は 『懐かしい』と表現するのだろうな〜

・私が『真夏の果実』のような夏をむかえたのは、社会人になって
 からでした。それは、「ダンカンの歌(リプライズ)」という
 詩にしました。
  −月の船出に間に合うように
   飛行場跡に車を止めた
   キスもしたのだから
   もう押し倒してもよかったのだろう
   ‥‥

・望むと望まざるとにかかわらず、性の表現も行為もオープン
 となっています。「性を遊び」として扱う商業ベースに、
 若者も大人も「弱みを握られているか」のように受入れてしま
 っている現状があります。「秘めたる性」がどんどん無くなり、
 「愛の究極の表現としての性なんて面倒臭い」という感覚に
 なっている若者がいるとしたら、それは「不幸なことである」
 と、私は思います。

・今日は、私の48歳の誕生日です。もうこの歳になると「愛だの。
 恋だの。」も概念的な感覚となり、あんなにホテッていた「性欲」
 も同様となりつつあります。
 こうやって書いてみると、ある男と女が出会い、ある一定の時を
 共有する事は、お互いの心の成長の為であり、前世から決まって
 いたことだったのかもしれないとさえ思えてきました。

 (321-2006/04/2記)

 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

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