♯ヒコさん心の一曲−透きとおる沖縄(仲吉史子)


・「沖縄のわらべ唄と子守唄−平和への願いを込めて」
 という本が、仲吉史子おばーとの出会いのきっかけでした。
 この本は、有名なわらべ唄だけでなく、かなりめずらしい
 わらべ唄も載せてあり、私は、とても興味を覚えました。
 そこで、本の裏表紙の連絡先に「できれば、今度お話を
 聞かせてください」と電話をした所、史子おばーは、快く
 会ってくださるとのご返事をくださいました。

・数日後、史子おばーの家をお訪ねしました。息子さん娘さん
 は、皆結婚しており、史子おばーは一人暮らしをしており
 ました。本に載っているわらべ唄の話や、自分も大学の
 卒論で「沖縄のわらべ唄」を研究した事などを話しました。
 すると、「今度、沖縄県から「沖縄ふるさとの家」を頼まれた
 のであなたも来なさい。」と誘ってくださいました。
 これをきっかけに史子おばーとの長いお付き合いが始まり
 ました。

・「沖縄ふるさとの家」は、隔週土曜の夕方、基本的に沖縄県
 出身で本土で働いている方々が集まる場を提供する事が、
 目的です。集まった人達は、ゆんたくしたり、沖縄そばを
 食べたり、うたを歌ったりして楽しい一時を過ごします。
 悩み事を相談する若者もあったと聞いています。隔週土曜
 以外にも、忘年会、新年会、更に、演芸大会ような催し物も
 開きました。それらの会の運営は、いつも私や友人のJ君
 がやる事になるのですが、「年の功」というか、史子おばー
 のアイデア勝ちというか、毎回とても楽しく盛大な会となり
 ました。(残念ながら「沖縄ふるさとの家」は、現在は休止
 されています。)

・仲吉史子おばーは、大正10年那覇市壷川の生れです。
 師範学校の先生をしている時に結婚して、台湾へ渡りました。
 戦後沖縄へ戻り、終戦直後の困難な時代に子供を育て上げ
 ました。その後、再婚をして東京で「沖縄わらべうた普及会」
 を立ち上げ、「わらべうたコンサート」を開いたり(通算100回
 達成)、いろいろなサークルでわらべうたを指導しております。
 
・『透きとおる沖縄』は、「沖縄のわらべ唄と子守唄−平和へ
 の願いを込めて」のCDの最後を飾る曲として収められてい
 ます。仲吉史子おばーの作詩・作曲で、編曲は私が行いました。
 史子おばーが生れた頃の那覇市壷川は、家のすぐ前が海で
 その海で魚や鳥と遊んだり、美しい夕焼けを見たそうです。
 子供の頃の原風景が閉じ込められた『透きとおる沖縄』は、
 素直な気持ちで聞けるとても素晴らしい曲です。

・私が沖縄に戻った後は、月に何回かかける電話で史子おばー
 の元気な声や音楽活動の話を聞く事が楽しみでした。また、
 私の作った詩を朗読してもらったり、曲の感想やアドバイスを
 いただいたりもしました。昨年の11月に久しぶりに家に伺い
 いつもの様に音楽の話などをして、とても楽しい時を過ごし
 ました。

・史子おばーと話をしていると「沖縄ふるさとの家」や、コンサート
 の裏方をやった事などが、楽しい思い出としてよみがえってき
 ました。
 史子おばーの笑顔を見ていると「私は、仲吉史子おばーと出会
 って、沖縄をそして人生をより深く教えてもらった。」という感謝
 の気持ちがわきあがってきました。
 −イッペーニフェーデービル 史子おばー 
 −いちまでぃん ガンジュウしみそーりよーサイ 史子おばー

 (402-2005/09/17記)

 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

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