♯ヒコさん心の一曲−オール・マイ・ラヴィング(ビートルズ)
・ビートルズのセカンドアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」
(1963年発売)の3曲目が『オール・マイ・ラヴィング』
です。タイトルは、「ありったけの僕の愛」というくらいの
意味で、メロディーメーカーのポール本領発揮の、底向けに
明るいラブソングです。
♪目を閉じてごらん キスをあげよう
明日は、別れる二人だけど
いつも、君のことだけ想っているよ
♪家を離れている間も
毎日、手紙を書いて伝えるよ
「ありったけの僕の愛」を君に
・デビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」は、2枚目の
シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が、全英チャート1位
になった事を受けて、急遽制作されました。全14曲の録音日数
は、なんとたった一日でした。偶然だと思いますが、セカンド
アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」も全14曲です。
しかし、ビートルズの名プロデューサーのジョージ・マーティン
は、同じことは繰り返しませんでした。セカンドアルバムは、
一ヶ月という日数と、当時として考えられる最良の録音方法で
アルバムを創り上げました。
・当時では、最高だった2トラック・レコーダーを2台連動させて、
ヴォーカル、ギターのダブル・トラック録音を行い、歌と演奏の
パワーアップを行いました。
また、リンゴのドラムとポールのベースを前面に出すサウンドで、
ビートルズの音の特色を出す事に成功しました。
・『オール・マイ・ラヴィング』は、ビートルズの世界ツアーでも
度々歌われました。最近見たライブでは、ポール最愛の妻リンダ
死後のもので、「天国のリンダに送る!」とコメントした後に、
ラストにライブ参加者みんなと歌っていました。
「リンダの死」を乗り越える曲に、『オール・マイ・ラヴィング』
を選んだ事は、とてもポールらしいと私は思いました。
・山崎まさよしは、「One more time One more chance」などのヒット
曲で、知られるシンガーです。彼が音楽活動を一年間中断した事が
ありました。復帰後のテレビでのアンプラグド・ライブ(ギター一本
でのライブ)で彼の数々のヒット曲の最後、ラストに演奏したのが、
ギター一本での『オール・マイ・ラヴィング』でした。
下降するベースランニングもギター一本で再現しており、会場の人々
に手拍子と笑顔が広がる素晴らしい演奏でした。
・私の『オール・マイ・ラヴィング』は、大学時代のフォーク同好会
の集まりの二次会で「お前も何か歌え!」と言われて歌った事です。
本土に就職したり、本土出身の同好会メンバーが、沖縄へ帰ってきた
時に、召集がかかり、都合のつくメンバーは集まるのです。
一次会は、居酒屋で昔話や仲間の近況に話の花を咲かせ、二次会は、
楽器演奏可能なライブハウスに行く事が、常です。
音楽好きの集まりですから、「待ってました!」とばかりステージ
に上がるメンバー多いこともあり、私は聞き役(?)が多いですが、
その時には、山崎まさよし、よろしくギター一本でビートルズを歌
いました。彼ほどのギターテクニックはありませんが、「選曲の良
さが幸いした」と考えられますが、みんなから手拍子をもらった事
を覚えています。
(503-2006/11/19記)
*著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。