♯ヒコさん心の一曲−アイム・ア・ルーザー(ビートルズ)


♪俺は負けた 負け犬なんだ
 見かけからはわからないけど
 ‥‥
 ピエロみたいに はしゃいでも
 仮面の下は 涙でゆがんでる
 俺のせいか?アイツのせいか?
 あふれる涙が止まらないゼ

・「♪アイム・ア・ルーザー アイム・ア・ルーウゥーザー」
 で始まる『アイム・ア・ルーザー』は、「フォーク・ロック」
 の先駆けとなった曲です。そこには、アメリカのフォークの
 神様ボブ・ディランとビートルズの出会いがありました。
 この巨頭どうしの出会いからポールは「アイル・フォロー
 ザ・サン」を作り、ジョンは『アイム・ア・ルーザー』を
 作ったと、私は勝手に推測しています。

・前作の映画サウンド・トラック・アルバム「ビートルズが
 やって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」発売から5ヶ月。
 EMIレコード部のクリスマス・マーケット用アルバムの
 強い要望を受けて、作成されたのが「ビートルズ・フォー・
 セール」です。このアルバムには、オリジナル8曲、カバー
 6曲の計14曲が収められています。
 カバー曲「ミスター・ムーンライト」は、ビートルズ日本
 公演のTV番組の冒頭で流れ、ジョンのシャウト−
 「ミスターァーァァァアア・ムーンライト」は、日本のファン
 を痺れさせましたが、大人達は「恥ずかしげもなく叫んで?」
 とかなりの衝撃と温度差を日本人に残した一曲でした。

・ジョンは、行方不明の船乗りの父親といろいろな事情で同居
 できない生母にかわり、ミミ叔母さんに育てられています。
 物心つく頃から、かなり手を焼く子供だったとミミ叔母さん
 は、語っています。今の教育学でいえば「母性の欠如」なの
 かと思われます。大人だけでなく友人にも、きついジョーク
 や皮肉をモロにぶつける子供でした。
 しかし、ポールとの出会いから人生が変わっていくます。
 二人での曲作りは、至玉の時間であり、お互いにその才能を
 認めあい、自信を高めていきます。
 そして、ポールの後輩のジョージとすでにプロとして働いて
 いたリンゴの加入。ビートルズは、出会うべくして、出会っ
 た四人組みだったのです。

・イギリスの港町リバ・プールからイギリス制覇、アメリカ
 制覇、そして、全世界制覇。
 ジョンは、イギリスから世界ツアーに出る時、「アメリカ
 で成功したイギリスのミュージシャンはいない。」とか
 「一年後も今の人気が続いているか何て、誰もわからない。」
 という発言をしています。
 
・しかし、アメリカを始めとする世界の若者は、ビートルズ
 を熱狂的に迎えました。ビートルズは、その斬新な音楽だけ
 でなく、髪型、ファッション、そして、嫌味の少ない(?)
 爽やかジョークも強力な武器となり、マスコミの心(?)も
 捕らえました。そして、四人の個性の違いは、ファンにも
 マスコミにも好ましいことに写りました。
 
・マネージャーのブライアン・エプスタインのすご腕と 音楽
 プロデューサー ジョージ・マーティンのクリエイティブ力。
 そして、四人の結束力で果たした世界制覇。
 「欲しいものはすべて手に入れた!」という思いと現実。
 ジョンは、成功の裏に徐々に虚しさを感じ始めていたようです。
 それは、次作アルバム「ヘルプ」に、文字通り「助けてくれ!」
 という形で爆発します。
 『アイム・ア・ルーザー』の「負け犬」という表現は、その
 序章となる信号だったと、私は思います。そして、その思いを
 詩に託す方法を伝授したのが、ボブ・ディランだったと、私は
 思います。
 
 (507-2006/12/16記)

 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

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