♯ヒコさん心の一曲−エリナー・リグビー(ビートルズ)


・アーティストは、一つの「言葉」、「絵」、「音」などに感応し
 自分なりの方法でイメージを膨らませて、作品を作り上げる事が
 できます。
 ポールは、街角のショーウィンドウに「エリナー・リグビー」と
 いう名前を見つけました。珍しい名前、古風な名前、何か悲劇を
 思わせるような名前。「エリナー・リグビー」の顔は?性格は?
 服装は?‥‥

・「エリナー・リグビー」と「マッケンジー神父」
 そして 「誰も救われなかった」‥‥ 
 「この孤独な人々は どこから来るのだろう?」
 「この孤独な人々に 安住の地はあるのだろうか?」

・上記は、ビートルズのアルバム「リボルバー」の『エリナー・
 リグビー』が、ポールの中で生まていく過程を、私が勝手に
 シュミレーションしたものです。
 ポールの中で膨らむイメージが、詞となり曲となっていきます。
 伴奏はどうしようか?「イエスタディ」で使った弦楽四重奏。
 それも、ちょっと激しい奴はどうだろうか?
 ポールは、プロデューサのジョージ・マーティーンに弦楽四重奏
 の編曲を頼みます。

♪すべての孤独な人々をごらん
 すべての孤独な人々をごらん

 エリナー・リグビーは 結婚式のあとの教会で
 床に落ちた米を拾う
 夢の世界に生き 窓辺で待っている
 壺に隠していた仮面をかぶり
 奴を待っているのかい?

 この孤独な人々は どこから来るのだろう?
 この孤独な人々に 安住の地はあるのだろうか?
 
・「嫌な事なんか忘れて、ダンス!ダンス!ダンス!」と、歌って
 いたデビューの頃。イギリス・アメリカそして世界制覇を果たし、
 意気揚々としていた頃。ジョージが「欲しい物はすべて手に入れた」
 と発言していた頃。
 ポールは、『エリナー・リグビー』を歌います。
 ♪この孤独な人々は どこから来るのだろう?
 ♪この孤独な人々に 安住の地はあるのだろうか?
 その人々の中には、ポール自身も含まれています。

・ビートルズは、コンサート・ツアーに疲れていました。
 「演奏は聞かず叫んでばかりいる大観衆」、「フィリッピン・
 ツアーでの暴漢事件」、「ジョンのキリスト発言への反発」‥‥
 そしてついに1966年8月のアメリカ・ツアーを最後にライブ
 活動を中止してしまいます。
 その後は、スタジオ・バンド(?)として、ライブでは表現
 できない音作りを始めます。
 その境となったアルバムが「リボルバー」です。このアルバム
 には、あの当時のライブコンサートでは再現不可能な曲が多く、
 実際、ライブで演奏された「リボルバー」収録曲は一曲もあり
 ませんでした。

・マスコミは、「沈黙のビートルズ」、「才能枯渇?」と面白半分
 に書き立てました。
 ビートルズは、納得いくまで作り上げたスタジオ・アルバムに
 自信を持っていましたが、「去るもの日々に疎し」と考えたのか?
 シングル盤発売の際に、プロモーション・フィルムを作って各国
 テレビ局に送りました。二度も出演したアメリカのエド・サリバン
 ショーにも送っています。これは、今のミュージック・ビデオの
 先駆となったプロモーション方式でした。
 「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のプロモーション・
 フィルムなどは、コンピュータ・グラフィックもない時代ですが、
 かなり、おもしろく仕上がっていると、私は思います。

 (513-2007/1/27記)

 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

BACK  INDEX  NEXT