♯ヒコさん心の一曲−夜曲(中島みゆき)
・大学に入った当初は受験勉強疲れから(?)、「当分の間、
音楽活動はやめよう!」とボンヤリ思っておりました。
それでもギターは手放せず、大学の寮のベットに寝そべって
ギターを弾いておりました。そこへ通りかかったF君が
「お前ギター弾けるのか!いっしょにフォーク同好会に入って
バンドをやろう!」と熱心に誘って来ました。折れるような形
で「かぐや姫とNSP」を足して2で割った様なバンドが出来
上がりました。最初のステージで演奏したのは、かぐや姫の
「加茂の流れに」でした。
・フォーク同好会のメインステージは大学祭や大学の合同コンサート
ですが、テクニックをつけたりステージ根性を養う為に部内コン
サートを毎月の様にやりました。その時グループ名は忘れました
が、新人女の子二人組が歌っていたのが、中島みゆきの「海」、
「ホームにて」でした。アルバム「あ・り・が・と・う」が出た
頃だと思います。新人ですからギターはヘタですし、歌もたど
たどしいのですが、それでも曲の良さが勝って2曲とも、とても
印象深く残りました。
・もう一つの中島みゆきとの出会いは、「私の音楽遍歴009_-中島
みゆきで目覚める朝」に書いたものです。
−中島みゆきをして「演歌」それも「怨歌」だという人がいます。
(「うらみます」とそのものズバリの曲名もありますが)
演歌にも名曲はたくさんありますが、私は、中島みゆきにもっと
別のものを感じていました。それは、別の方が言った『忘れ去ら
れた者の悲しみ』という表現が一番当たっていると思います。
・『夜曲』の入っているアルバム「臨月」の発売は1981年3月
5日です。
「月の光が 肩に冷たい夜には」−暗く透明な夜に揺れるカーテン。
深夜ラジオからは「今日も元気だ男がうまい!」とハイトーンな
中島みゆきの声がド響き。「オイオイ、イメージ違うだろう」と
いう感じですが‥‥
あの頃よく「アルバムとラジオ、どっちが本当の中島みゆきなん
だ?」という話がよく聞かれました。今となっては懐かしい若者
の会話という感じです。
・前々回の「♯ヒコさん心の一曲−月ぬ美しゃ(八重山のわらべ
うた)」で出てもらったM子さんと僕の前に、M子さんが好き
だった人が現れて心が揺れに揺れている時や「しばらく会わない
事にしよう!」と決断した時に電気を消した部屋で『夜曲』を
何度も何度も聞きました。泣きたい気持ちを代弁してもらう様に、
何度も何度も。あの時の僕は、きっと生気のない幽霊の様な姿を
していたと思います。
・『夜曲』−イントロのハーモニカから夜気が漂ってきます。
そして、曲から直接伝わってくる切なさを増幅させていきます。
「街に流れる 歌を聴いたら私の声に気づいて」
「中島みゆきが元カレに歌いかけている?」と思っておりますが、
歌の世界ですし、中島みゆきはこういった話はほとんどしないの
で本当のところはわかりません。
エンディングのエレキギターのフレーズも心残りを映し出す様に
響きます。松任谷正隆(ユーミンのダンナさん)の編曲はさすが
です。肝をついているという感じです。
・『悪女』の入っているアルバム「寒水魚」の発売は1982年
3月21日です。
70年代は「わかれうた」の大ヒット、80年代は「悪女」、
90年代「空と君のあいだに」‥‥。
中島みゆきの歌の変遷をそのまま表している様です。
しかし、古いファンは古いアルバムや古い曲と青春の場面が
リンクしているせいか、何かの拍子に古い曲が流れたりすると
過剰反応してしまいます。
家族も寝静まった夜に『夜曲』を聞くと、今はもう二度と戻って
こない青春の思い出がカラーでよみがえってきます。
中島みゆき様「あ・り・が・と・う」ございました。
(832-2005/03/05記)
*著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。