♯ヒコさん心の一曲−村はじし(りんけんバンド)


・前回のIKAWU(ネーネーズ)でファーストアルバム
 の話をしましたが、「りんけんバンド」のファースト
 アルバム「ありがとう」は、最初からデビューアルバム
 として作成されたのではないと聞いています。いろいろ
 お世話になっている人への「ありがとう」の気持ちを
 込めて作ったテープ(?)の出来が良かったのでファー
 ストアルバムとなり、デビューに繋がったと聞いています。

・私がこのアルバムを聞いたのは、東京で働いていた頃、
 同僚のJ君の家でした。J君は「すごいバンドが沖縄
 から出てきた!」と興奮気味に話しながら、アルバムを
 聞かせてくれました。5曲目の「生まり島」でJ君が
 「今日や行じ見だ 故郷ぬ 生まり島」の所をいっしょ
 に歌っていた姿を今でも思い出します。

・「りんけんバンド」のリーダー照屋林賢は、沖縄のバラ
 エティーショーの元祖「ワタブーショウ」で有名な照屋
 林助の息子です。照屋林賢は、若い頃東京で音楽関係の
 仕事をしていたと聞いております。その後、沖縄に戻り、
 自分の体に流れる沖縄の音楽を見事にこのアルバムに
 結集しました。

・私は、このアルバムには、アルバム自体の素晴らしさに
 とどまらず、二つの発展的な結果に結びついたと思います。
 一つ目は、「年中口説」というエイサーの定番曲を生み
 出したという事です。このアルバムではありませんが、
 「七月エイサー待ちかんてい」も、エイサーの喜びを
 ストレートに現した名曲として、エイサーの定番曲と
 なっています。
 
・二つ目は「りんけんバンド」に所属したメンバーの、
 その後の活躍です。笑築過激団を作った玉城満、NHK
 の「ちゅらさん」で全国区となった藤木勇人、新良幸人
 とパーシャクラブの上地正昭などが在席した事です。
 これは、照屋林賢の人を見る目の確かさと人望なので
 はないでしょうか。

・7曲目の『村はじし』は、「村外れの松の下で待って
 いるよ、用事のあるふりをして出て来ておくれ」と恋人
 に歌いかける歌です。若い男は「のどの渇きは我慢でき
 ても、いとしい君への想いは我慢できない」と熱く語り
 かけます。女の瞳は会えた喜びにあふれ、その想いに熱
 く答えます。私は曲を聞きながら、村外れの松の下で見
 つめ合う若い男女に、昔の自分の姿をダブらせてしまい、
 ついポワーンとしてしまうのでした。

 (1005-2005/05/28記)

 *敬称は略してあります。
 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

BACK  INDEX  NEXT