♯ヒコさん心の一曲−安里屋ユンタ(あさどやゆんた)(八重山民謡)
・前回の安波節(あはぶし)で、「東京出向時代にも、川崎
沖縄県人会で三線を習っていた。」と書きました。そこで、
最初に習ったのが『安里屋ユンタ(あさどやゆんた)』でした。
歌詞がほとんど標準語、メロディーも覚えやすいこの曲は、
三線の入門曲として、だいたい最初に習います。今通って
いる三線研究所の子供達も、入門曲として習っています。
・「♪サー君は野中のいばらの花か サーユイユイ
暮れて帰れればヤレホニにひきとめる
マタハーリヌ ツィンダラカヌシャマヨ」
*「サーユイユイ」、「ヤレホニ」共にハヤシ
*「マタハーリヌ ツィンダラカヌシャマヨ」は、
「ほんとうにいとしい人よ」くらいの意味
・今私が通っている三線研究所の工工四(くんくんしー=沖縄
三線の楽譜)を見ると、曲名は「新安里屋ユンタ」、編曲は、
宮良長包(ちょうほう)となっています。宮良長包は、八重山
が、生んだ作曲家で「えんどうの花」等の名曲があります。
最近、「宮良長包賞」という沖縄音楽に貢献のあった人を表彰
する賞が生まれました。また、別の資料によると作詞者は、
星 克(ほし かつ)と表記されています。
・「新安里屋ユンタ」ということは、元唄があります。それは
竹富島(石垣島の離島)民謡です。「竹富島生まれのクヤマニ
は、とても美人に育った、それを役人が目をつけて‥‥」と
とても風刺の効いたストーリー性の高い民謡です。元唄を
やはり八重山出身の民謡歌手、大工哲弘さんの演奏で聞いた
ことがありますが、男女の集団との掛け合いで歌われ、伴奏
は太鼓だけでした。
・三線研究所の工工四を良く見ると元唄も「安里屋節」という
曲名で載っていました。もちろん私の三線の先生は、元唄が
あることも知っていましたので、一般に『安里屋ユンタ』と
して知られている曲には「新」を付けてハッキリと区別して
おられたわけです。
・戦時中には「ツィンダラカヌシャマヨ」が「死んだら神様よ〜」
と聞こえた兵士が、歌詞を替えて歌っていたといいます。
明日をも知れない戦場で『安里屋ユンタ』は、兵士の心を慰
めるとともに「死んだら神様になるんだ」と「死の恐怖」を
少しの間、忘れさせてくれたと思われます。
・まだ川崎沖縄県人会で三線を習い始めて半年もたっていない頃、
仲吉オバーの家へ遊びに行きました、すると「あんたの『安里屋
ユンタ』は、上等だから歌ってごらん。」言われました。ちょうど
『安里屋ユンタ』をマスターした頃でしたが、人前で歌うこと
は初めてでした。しかし、仲吉オバーのリクエスト、自信は
ありませんでしたが、大きな声で歌うことを心がけて歌いました。
歌い終わると仲吉オバーは、拍手をしながら「上等!」と声を
かけてくれました。あれは「私への励ましだった。」のだと、
今は懐かしくそしてありがたく思いだされます。
・今、仲吉オバーは入院していて、痴呆も出てきていて、人の
見分けがつかなくなっていると聞いています。東京出向時代、
沖縄の心を改めて教えてくれて、いろいろな人と会わせて
くれた仲吉オバー。今でも心からの感謝でいっぱいです。
そして、もう一度仲吉オバーに会って、この間よりは少し
うまくなった『安里屋ユンタ』をぜひ聞かせたです。
(1108-2006/04/16記)
*敬称は略してあります。
*著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。