♯ヒコさん心の一曲−宮古根(ナークニー)(沖縄民謡)


♪思事やあまた 山ほどにあても 渡海ゆひぃじゃみとぅてぃ
 自由んならぬ

・あなたを思う気持ちは山の高さほどもあるけれど 二人の間を
 海が隔てて自由に会うこともできません(大意)

・今私が通っている三線研究所で習っている『宮古根(ナークニ
 ー)』の歌詞の一番です。『宮古根』は、『宮古根』だけで
 CDが一枚できてしまうほど種類があります。これは、『宮
 古根』の歌詞は、自由に作って良いという特別ルールがある
 からです。「本部(もとぶ)ナークニー」、「読谷山(ゆん
 たんじゃ)ナークニー」、「富原(とみはら)ナークニー」
 等々、地名や「ナークニー上手」の歌者の名前を冠した
 『宮古根』がたくさんあります。「富原ナークニー」の「富原」
 は、「ナークニー上手の歌者の名前」と聞いています。

・そして、今では「ナークニー大会」も毎年開催されるように
 なりました。歌詞は自前ですから、歌の腕前と合わせて作詞
 のセンスも問われる大会となっているわけです。
 ちなみに八重山民謡「トゥバラーマ」も歌詞自作で毎年、
 「トゥバラーマ大会」が開催されます。両大会とも優勝する人
 は、民謡研究所のうまい人とは限りません。子供、老人、
 はては外国人が優勝する場合もあります。

・『宮古根』の由来の一つとして、首里王朝時代に本島に留学に
 来ていた宮古青年達の話があります。彼らは、毎晩のように
 集まって宮古の民謡を歌い、故郷を偲びました。それを聞いた
 沖縄本島の人が、「いい歌だな〜」と聞き覚えたのが『宮古根』
 というわけです。ですから資料によっては『宮古根』でなくて
 「宮古音(ミャークニー)」と書いてある場合もあります。
 しかし、私の知る範囲で『宮古根』の元歌と思われる宮古の民謡
 を聞いたことはありません。また、「元歌は宮古のこの民謡だ」
 と記述した資料も見たことはありません。

・ですから宮古の民謡に『宮古根』という曲名や、似たメロディー
 の曲は、私の知る範囲ではありません。
 しかし、今私が通っている三線研究所の上江州 由孝先生は、
 『宮古根』は、「歌いこめば、歌いこむほど難しい曲だ!」と
 教えてくださいました。乗りやすいテンポで、歌詞もわかり安い
 「早くマスターしたい曲だな〜」くらいにしか考えていなかった
 私には意外でした。
 
・また先生は、お祝いの席等で「誰か『宮古根』を歌ってくれ」と、
 言われたら「要注意だ!」ともおしゃっていました。得意になって
 歌うとその後、渋く味のあるお年寄りの『宮古根』を聞かされて
 「負けた!」と思わされるそうです。

♪淋しさや一人 照る月に向かて 泣ち明かす心 誰が知ゆが

・あなたに会えない淋しい夜 照る月に向かって 泣き出したい
 この気持ち 誰が知っているか(誰にもいえない)(大意)
 
・私が今習っている『宮古根』の四番です。ストレートな淋しさを
 歌いあげると同時に、「誰が知ゆが」と悶々とした気持ちも吐露
 します。
 私は、四番を歌うとここに歌われる情景や心持と自分の青年の頃
 の体験が、ダブルのか「なんともいえない哀しさ」が胸の底から
 わきあがってきます。

 (1124-2006/04/29記)

 *敬称は略してあります。
 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

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