♯ヒコさん心の一曲−別れの煙(沖縄民謡)


♪糸ぬ上ゆ走ゆる 船に立つ煙   <イトゥぬウイゆハゆる フニにタつチムリ>
 山の端に向かてぃ 我親見あてぃ <ヤマのファにンかてぃ ワウヤミィあてぃ>
 ちゃーかりゆしど        

◎(水平線を)糸の上を走る 船に立つ煙   
 山の端で見送る 私の親に向けて 
 とても めでたい門出     

・遠く本土の紡績工場へ集団就職にゆく我が子を、山の上から見送る親達。
 子供の乗る石炭船は黒い煙をたなびかせながら、ゆっくりと島を離れて行きます。
 山の上で親達が焚く生松葉の白い煙は、我が子の無事を祈る切ない親心です。
 船の黒い煙と山上の白い煙の競演が、あの当時の精一杯の別れの儀式でした。

・昭和の初め、沖縄では小学校を終えた子供の多くが、本土へ出稼ぎに行きました。
 家庭の事情とはいえ、年端もゆかぬ子供を送り出す親の辛さは計り知れません。
 「航海の無事」、「仕事は辛くないか」、「本土での県出身者の扱い」等 
 親も行ったことのない本土での生活、心配事を数え上げたらキリがありません。

♪親子 振別りぬ 照らし火ぬ名残り <ウヤク フヤカりぬ テイらしビぬナグり>
 面影どぅ増しゅる 名護ぬ城    <ウムカジどぅマしゅる ナグぬグシク>
 ちゃー名残りさよ         <ちゃーナグりさよ>        

◎親と子を別ける 照らし火の名残り 
 子供の面影が増す 名護のお城よ   
 とても 名残りおしい        

・作詞・作曲の知名 定繁(ちな ていはん)は、ネーネーズを育てた知名 定男の父親です。
 定繁自身も若くして大阪へ働きにゆき、自らの体験も含め『別れの煙』は、生まれました。
 知名 定繁は、琉琴の発明者でもあります。琉琴は、金属弦を張った琴状の楽器です。
 イントロや間奏などに使われる煌びやか音色は、沖縄民謡の新しい可能性を感じさせます。
 
・嘉手苅 林昌が歌う『別れの煙』は、遅めのテンポで、トツトツとした歌い方が特徴です。
 親と子の別れの情景を、あの飾らない歌い方で一枚の絵か、写真の様に描き出します。
 嘉手苅 林昌も、幼い頃から働かなければならない境遇にあったのは、定繁と同じです。
 あの渋い声の向こうに、二筋の「別れの煙」が浮かび、交わる事もなく空に消えてゆきます。

 (1132-2010/3/13記)

 *敬称は略してあります。 
 *民謡の歌詞は、地域で若干違う場合もあります。
 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

BACK  INDEX  NEXT