♯ヒコさん心の一曲−白雲節(沖縄民謡)


・「白雲ぬ如に 見ゆるあの島に
  翔び渡てみ欲さ 羽の有とて〜」
 で始まる『白雲節』は、私が嘉手苅林昌の民謡の中で
 もっとも好きな一曲です。
 嘉手苅林昌を全国区にした竹中労も、この曲が好きだった
 様で、『白雲節』をテーマソングという位置付けで
 扱っている竹中労監修の嘉手苅林昌のアルバムもある
 くらいです。

・勝連半島の高台から海を見ると、津堅島の上あたり、天にも
 とどくほど大きな入道雲が湧き上がっている。
 「カッ!」とくる暑さの中、うるさいを通り越してBGM化
 しているセミの声。
 「暑さぬヤ〜(暑いな〜)」と言いながら首にまいた
 手拭いで汗を拭い、中ユクイ(一休み)をしている‥
 『白雲節』を聞くとそんな風景に溶け込んでいる自分が
 見えてきます。

・嘉手苅林昌の歌は、うまいとかどうだとかを通り越した味が
 あると思います。よく「飄々(ひょうひょう)とした味がある」
 と言われますが、あの「ヨーガラー(痩せっぽち)」な姿から
 して飄々としていると思いますが、何か「聞く人が何と思っても
 シムサー(構わない)、俺は歌いたいうたを歌うだけ」みたいな、
 押しつけがましくない歌い方が、たくさんの人を惹きつけてやま
 ないのかもしれません。
 
・「戦争に三線を持っていった話」や「南の島の酋長の娘と結婚
 して子供までもうけた話(?)」など、嘉手苅林昌本人の話を
 聞くとかなり破天荒な人生を送っていると思います。
 嘉手苅林昌は、歳をとってからもそうですが、若い頃はとても
 ハンサムで、かなりモテたのではないかと思います。
 嘉手苅林昌の生れはコザですが、私の知っているコザの友人は、
 ハンサムや美人が多い気がします。
 
・東京勤務の頃に、竹中労が亡くなって「偲ぶ会」として開催された
 コンサートを見に行った事があります。そのコンサートではこの間
 亡くなった照屋林助の司会で、竹中労にお世話になった沖縄民謡
 歌手が何人も出演しました。嘉手苅林昌も言葉少なですが、竹中労
 への感謝の言葉を述べておりました。

・嘉手苅林昌が亡くなった時には、テレビニュースでも報道され
 ました。告別式には是非行きたいと願っておりましたが、ちょうど
 その日がうちの息子の運動会の日と重なり、具志川の告別式会場に
 行った時にはすべて終了した後でした。今でも心残りの一事です。

 (1134-2005/04/30記)

 *敬称は略してあります。
 *著作権の関係で音や歌詞等は載せる事はできません。
  機会があれば原曲を聞く事をお勧めします。

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