<ブラボー、クラシック音楽!−オリジナルCD#1>
{オリジナルCDより}モダニズム#1
({From the original CD} Modernism-1)

−− 2014.05.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■【ブラボー、クラシック音楽!】第56回例会(2009年8月5日)
    『モダニズム音楽入門−1』
    〜 ロマン派の終焉と印象派の登場 〜

【ブラボー、クラシック音楽!】
第56回例会(2009年8月5日)

『モダニズム音楽入門−1』
〜 ロマン派の終焉と印象派の登場 〜



司会と曲目解説:エルニーニョ深沢

『モダニズム音楽入門−1』収録内容  (Total 79:47)

・語りは2009年8月5日【ブラボー、クラシック音楽!】でのライヴ録音。各楽曲はCDより採録。
・2009年8月28日第1版、9月28日第1.2版製作(プロデューサー:エルニーニョ深沢)。

 当記述の中でジャケットのページを記述している部分は無視して下さい。オリジナルCDのジャケットから原稿を起こして居る為、その様な記述が偶(たま)に出て来ますが、最早この稿には「ジャケットのページ」という概念は有りません。但し、△nのp×××という表現には他の参考文献のページを示して居ますので、これは有効です。
 即ち、
       p××× : オリジナルCDのジャケットのページ → 無視
    △nのp××× : 他の参考文献のページを示す     → 有効
と成ります。

 ■プロデューサー・ノート − エルニーニョ深沢
 私が主宰する「クラシック音楽を楽しむ会」−【ブラボー、クラシック音楽!】は、発足以来ほぼ丸4年の第56回例会(2009年8月5日)で愈々近現代の音楽 −私はこれを「モダニズムの音楽」と呼ぶ(4ページの○1を参照)− に突入しました。この日のテーマは<モダニズム#1:モダニズム音楽事始>でしたが、このCDの「語り」はそのライヴ録音です。
 この会の会員でクラシック音楽に精通している方は、少数です。言わばシロウト(素人)に近い方々が月に1回集まり、昔学校で習った記憶を頼りに聴く訳です。そんな人たちの思い出の中に在る曲はモーツァルトとショパンが圧倒的、硬派な人でベートーヴェン、中間派でシューベルトでしょうか。それと日本の音階に近いドヴォルザーク(←「新世界交響曲」が殆ど)、そしてチャイコフスキーも好まれて居ます。ですから皆さんのリクエストだけで進行すると上に挙げた作曲家だけで終わって仕舞うのです。
 そこで私は皆さんの嗜好(=指向性)を少しずつ広げる方向で毎回のテーマを設定して来ました。そして2年前の第33回例会(07年9月5日)から、クラシック音楽の中心を占め且つ皆さんの嗜好とも一致するロマン派を<ロマン派>シリーズとして”みっちり”と採り上げました。特に08年6月4日の第42回例会ではドビュッシーの『ベルガマスク組曲』(全曲)をピアノで生演奏して戴きモダニズム音楽に大接近しましたが、慎重にも私はそこから折り返し<古典派>シリーズ<再びロマン派>シリーズを積み上げて来たのです。何故そうしたのか?
 私の様に若い頃からモダンジャズに親しんだ者からすれば大した違和感は無いのですが、モダニズム音楽特有の調性の曖昧さ、メロディーの不鮮明さや不連続性、理知的な構造、などが学校で聴いたショパンや巷で接する流行歌・カラオケとは大きく趣を異にし、或る種の違和感から拒絶反応を起こさせて仕舞う恐れが有ったからです。
 日本では「クラッシック」という語が通常「古典」と理解され何か”古い物”を指す様に誤解されて居ますが、"classic" の元来の意味は「第一級の」「最高の階級の」であり、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)や競馬のクラシック・レースなどが元来の意味での用例です。思えばモーツァルトもショパンも彼等が生きた時代の最先端で最高級の音楽を目指したのであり、つまりは作曲された当時は「最先端で最高級の”現代音楽”」であったのです。
 その様な考えから近現代の最高級の音楽をこれから<モダニズム>シリーズとして一通り採り上げて行きます。私たちの耳がモダニズムの響きを経験した後で聴くショパンは以前と一味違って聴けるかも知れません。或いは”食わず嫌い”だった作曲家の楽曲に新たな魅力を見出せるかも知れません。又、モダニズム音楽はそれ迄のヨーロッパ中心の音楽では無く多様ですので、世界の民族音楽に目覚める、否、”耳覚める”かも知れません。

 ■19世紀後半〜20世紀初頭の音楽状況 − エルニーニョ深沢
 この章では「ロマン派の終焉と印象派の登場」が何故起きたのか、について概説します。

 (1)ロマン派の終焉と世紀末
 19世紀前期に明確な形式と調性の古典派を引き継いで成長して来たロマン派音楽は、世紀半ば頃から次第に肥大化しワーグナーに於いて膨張の頂点に達すると同時に『楽劇「トリスタンとイゾルデ」』(1859年作、65年ミュンヘンで初演)の執拗な半音階的進行を支える曖昧な調性の「トリスタン和音」が、「調性の危機」 −長調・短調の「調性」という概念がモダニズム以降の音楽のキーワードに成ります− を招来しロマン派の土台を揺るがしました。
 以後の作曲家は頂点に君臨するワーグナーの後塵を拝するか(←後期ロマン主義)、それとも新しい様式を開拓するか(←モダニズム)を迫られ1865年〜80年代に分裂を起こし、ヨーロッパ中心部に於いては”旧き佳き”ロマン派の時代は終焉しましたが、しかし辺境国・後進国では事情が異なります。

 (2)分裂後の模索とモダニズム諸派の登場
 ワーグナーの後塵を潔しとしない人々は新様式の模索を開始し、熱烈なワグネリアンから反ワーグナーに急転したドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』(1892年作)がパリで初演された1894年を以て「モダニズムの音楽」の黎明が始まり印象派の点描画に擬(なぞら)えて印象主義と命名され、ラヴェルが続き印象主義と擬古主義の折衷派(デュカス/ルーセル)も派生しました。一方、ストラヴィンスキーが『バレエ音楽「春の祭典」』(1913年作、同年パリ初演)で示した原始主義の強烈なリズムは各派に衝撃を与え、これに前衛的民族主義(バルトーク) −彼は黄金分割のフィボナッチ数列を作曲に援用− が続き、それ迄異端視して来た非ヨーロッパ世界(=アジア/アフリカ/オセアニアなど)からエキゾティシズム(exoticism)の泉を汲み上げ五音音階や全音音階的アプローチから無調に至りました。これとは別に、神秘和音(=曖昧で独特な調性感)の神秘主義(スクリャービン)が在り、表現主義(シェーンベルク/ベルク/ウェーベルン)は次第に十二音主義へと傾斜し第一次世界大戦直後に半音毎の12の音高を”主知的”に平等配分する半音階的アプローチから無調に至る音列技法(=十二音技法)を確立しました。振り返れば、この方向の萌芽を”主情的”に先取りしたのが前述のワーグナーだったのです。
 何れにしろ無調を達成する為には中心に成る音(=主音)を作らない事が秘訣ですが、全音音階や半音階の様な等分音階は中心音が暈され無調を作り易いのです。
 ところで、印象主義の語は元々は1874年にパリの若手画家らの絵画展に出品されたクロード・モネの『印象−日の出』(表紙の絵)から採られ、最初はこの画家らに冠された名ですが、ドビュッシーの曖昧模糊とした作風に対し「朦朧体」の印象派絵画との共通性から”揶揄”を込めて転用されたものです。

 一方、調性派も根強く存在しました。先ず辺境地域や後進国では時代遅れの辺境ロマン主義(ファリャ/滝廉太郎) −これは私の造語(※1)です− が尚も優勢で、復古的民族主義(ヴァンサン・ダンディ/カントルーブ/コダーイ/ヴォーン=ウィリアムズ)は民謡や古謡を蘇生させ、頑固ロマン主義(ラフマニノフ)は頑なに旧様式と調性を守り、ワーグナーを”教祖”とする後期ロマン主義(マーラー/R.シュトラウス)は単純な調性を拡張 −その為に無調的に聴こえますが寧ろ汎調性(=多調)と言うべきもの− するも形式を温存し、ジャズ派(ガーシュウィン)は新興の北米から黒人的リズムとブルースを広めました。
 以上が「19世紀後半〜20世紀初頭の音楽状況」の概観です。ワーグナーに因る分裂以後の主流は無調へと向かうモダニズム音楽で、それは”時代の潮流”でした。次に時代的背景を少し見てみましょう。

 (3)モダニズムを生み出した時代的背景
 19世紀終盤は所謂「世紀末」に該当し、特に美術の分野では渦を巻く「世紀末様式」が流行り、ショーペンハウエル/ニーチェ/フロイトらの新思想に導かれた懐疑的・退廃的雰囲気の中で有らゆる分野で旧価値観が崩壊し20世紀の中核と成る新たな価値観が芽生え交錯していた時期です。政治・経済でも国際的に動乱期に入った時期で、日本でも旧幕藩体制が崩壊し1868年に明治新政府が生まれ、世界はやがて第一次世界大戦(1914〜18年)とロシア革命(1917年)に突入して行きます。つまり世界的パラダイムの変革期であったのです。音楽界の分裂とモダニズムへの傾斜は、この様な世紀末の世界情勢と新世紀(=動乱の世紀)への不安とが密接に連動した現象だったのです。そして新しいモダニズムの動きは諸分野の芸術を巻き込んでパリを軸に回転しました。

 (4)現在の音楽状況
 「モダニズムの音楽」の無調性を引き継いで「現代音楽」に至って居ますが、19世紀後半の分裂以後凡そ150年経た今日も未だ分裂した儘の状態と言えます。
 これはバッハ以後に新様式を模索後、30余年でハイドンの古典様式に再統合されたのとは大違いの状況ですが、これについては「現代音楽」を採り上げた際に述べます、今回はここ迄です。

 ■<曲目解説>:[n]はトラックNo.

  [2] ドビュッシー『管弦楽「牧神の午後への前奏曲」』

 3つの部分から成り、ローマ神話の牧神ファウヌス −山羊の角・髭と蹄を持つ半獣神で、ギリシャ神話ではパン(Pan)− が吹く葦笛(=「パンの笛」)を模したフルート・ソロで始まり、中間部で変ニ長調の管弦が表れ、最後は再びフルート・ソロで終わります。

 クロード・ドビュッシー(1862.8.22〜1918.3.25、仏)の『牧神の午後への前奏曲』は、1892年に着手 −『歌劇「ペレアスとメリザンド」』と同時期に着手− され94年に完成。同年12月にパリの国民音楽協会で初演された時、曖昧な調性や和声の無定形なフレーズが移ろって行く音楽に聴衆は違和感を覚え戸惑いましたが、次第に支持され現在では「モダニズムの音楽」の扉を開いた曲とされて居ます。
 象徴派詩人マラルメの同名の詩『牧神の午後』から霊感を得て作曲しましたが、当時彼はマラルメの家で開かれる「火曜の夜の集まり」に出入りして居ました。ドビュッシーは「牧神の様々な肉欲と夢が午後の暑さの中で動き犇めくのである」、そして「それは詩の総体的印象である」と語って居ますが、気だるい感じの曲です。
 ドビュッシーは1889年のパリ万博に出品されたインドネシアのガムランのスレンドロ音階という全音音階に近い音階に大きな衝撃を受けましたが、この曲のフルート・ソロなどは寧ろ半音階的です。

  [4] ラヴェル『ピアノ曲「水の戯れ」』

 モーリス・ラヴェル(1875.3.7〜1937.12.28、仏)も一時期印象主義に傾き、この『水の戯れ』(1901年作)がそれに該当します。印象主義の画家が輪郭 −彼等は輪郭線は実際には存在しないと主張− を描かずに光と、それに照射される物の色彩の変化を重視し、水・雲・霧・波などの「不定形で流動的なもの」を画材にしたのと同じく、印象主義の音楽も同様の対象を音楽化します。

  [6] リスト『ピアノ曲「エステ荘の噴水」』

 フランツ・リスト(1811.10.22〜1886.7.31、ハンガリー)は、1835年〜39年にスイスとイタリアに旅 −実はマリー・ダグー伯爵夫人との不倫逃避行− をしましたが、それを基に『巡礼の年:第1年「スイス」』『巡礼の年:第2年「イタリア」』『巡礼の年:第3年』というピアノ曲を書きました。
 『エステ荘の噴水』は「第3年」の4番目の曲です。「第2年」は滞在中の38〜39年の作ですが、それから随分遅れて『エステ荘の噴水』は1877年のモダニズムが芽生え始めた時期の作です。
 この曲は後の印象派に少なからぬ影響を与えたとされる曲ですが、リストは「交響詩」という形式を創始し『ファウスト交響曲』や『無調のバガテル』などで無調を試して居るなど、音楽史的にはショパンよりずっと重要な作曲家だ、と私は考えて居ます。因みにショパンをパリの楽壇に紹介したのもリストです。

  [9] デュカス『交響詩「魔法使いの弟子」』

 ポール・デュカス(1865.10.1〜1935.5.17、仏)は年齢的にはドビュッシーとラヴェルの間で、完全主義者で10数曲を残し楽譜を焼き捨てて仕舞った人です。
 『魔法使いの弟子』(1897年作)は実は前月のCD『七夕、そして星の曲』に収録したホルストの『組曲「惑星」』中の「天王星」が、この曲をヒントにした曲と言われて居ますので、興味有る方は聴き比べて下さい。

 [11] デュカス『ピアノ曲「遥かに聞こえる牧神の嘆き」』

 1918年に没したドビュッシーを追悼する為に20年に音楽出版社が企画し、デュカスの『遥かに聞こえる牧神の嘆き』(1920年作)の他、ラヴェルやストラヴィンスキーも曲を寄せて居ます。デュカスは古典派の形式を頑なに守った擬古主義者ですが、印象派の作曲家と身近に接して居たのでその影響も伺えます。ドビュッシーの『牧神の午後』のパンの笛のモチーフが悲しげに聞こえて来ます。

 [13] ワーグナー『楽劇「トリスタンとイゾルデ」』より前奏曲

 リヒャルト・ワーグナー(1813.5.22〜1883.2.13、独)が「楽劇」の概念を初めて導入し1859年に作曲したこの曲が、音楽史上で極めて重要な作品である事は「19世紀後半〜20世紀初頭の音楽状況」の章で既述した通りです。胃袋を掴まれた様な半音階進行と「トリスタン和音」を堪能して下さい。

  (以上の曲目解説:エルニーニョ深沢)

 ■このCDについて
 このCDは「モダニズムの音楽」及び「現代音楽」の入門用第1作『モダニズム音楽入門−1』としましたが、内容は09年8月5日の【ブラボー、クラシック音楽!】のライヴ録音です。印象派登場前後の音楽状況や時代的背景はCDの私の「語り」を聴いて戴ければ明確に把握出来る筈ですが、一応「語り」の補足としてそれらを前章に纏めて置きましたので、必要な時は参考にして下さい。

 その「語り」について一言。第3トラックの初めで私が「ちょっと待って」と言ってるのは事項の年を記したメモを取り出した所です。原稿無しで喋って居ますが、正確を期す為に数字だけはメモをカンニングする場合が有ります。ところが後でメモを読み違えました。第10トラックでドビュッシーの没年を1913年と言ってるのは間違いで「1918年」が正解ですので、訂正して聴いて下さい。老眼の所為で「8」が「3」に見えたのです...(>v<)。
 収録曲についてお断り。CD1枚は時間にして80分以内という制約の為に、リストの『ピアノ曲「エステ荘の噴水」』の後半はカットしました。又、ワーグナーの『楽劇「トリスタンとイゾルデ」』も、「語り」では「前奏曲と愛の死」と言ってますが、CDでは後半の「愛の死」をカットし前奏曲のみの収録です。

−− 完 −−

【私のWebサイト】(以下のタイトルをネット検索して下さい)
○1:「「モダニズムの音楽」概論」。私が使う「モダニズムの音楽」の定義とその概論。

【脚注】
※1:辺境ロマン主義(local ethnic romanticism)は、私の造語です。即ち19世紀後半以降の現象として、西欧中心部以外の地域の作曲家は「辺境」が故に自己の民族性(ethnicity)に立脚せざるを得ず(←それはオーソドックスに成り得ずにエキゾティシズム(異国趣味)に甘んじることを意味する)、後進地域の作曲家が西洋音楽を始める場合は「後進」が故に時代遅れのロマン派を指向します。従って様式的にはロマン派時代の国民楽派(グリンカやドヴォルザークなど)に近く、その延長線上に在ると言えます。

●関連リンク
補完ページ(Complementary):「モダニズムの音楽」について▼
「モダニズムの音楽」概論(Introduction to the 'Modernism Music')
第56回例会(09年8月5日)の活動記録▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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