−− 2006.02.26 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2009.12.16 改訂
■はじめに − 近現代の音楽には新たな定義が必要
私が主宰するクラシック音楽を楽しむ会【ブラボー、クラシック音楽!】の第7回例会(=05年4月14日)に於いて初めてドビュッシーの曲を掛けました。音楽史の本には決まり文句の様にドビュッシーの印象主義に依って「近代音楽」の”扉が開かれた”と書かれて居ます。ところで私は19世紀後半以後の音楽を指す場合に不用意に「近代の音楽」や「近代音楽」という語を使う事は誤解の元凶と考えて居ます。何故か?
それは世間の「近代」の捉え方が広義の解釈と狭義の解釈とで大きく異なり、何時から何時迄が「近代」の範囲かが曖昧な為に時代的ズレを生じさせ、前後の文脈からその都度判断せざるを得ない場合が少なく無いからです。単に「近代音楽」と言った場合、文献や辞典に依ってはルネサンス音楽以降全てを含む場合(=広義の解釈)も有りますし、印象派以後のみを指す場合(=狭義の解釈)も有り、不統一です。その具体例は「調性」(※1) −調性は当ページに於ける重要なキーワード− についての辞典の記述や【参考文献】△1のp12〜16をご覧に為れば納得して戴けるでしょう。
そこで私は用語自体で時代範囲を確定可能にする為には新たに定義した新用語を使う方が良いと考えた訳です。
{このページ全体は当初「ドビュッシー「ベルガマスク組曲」」の冒頭に記述して居ましたが、曲目解説とは無関係なので06年6月11日にこのページに分離独立させリンクで参照される様に改訂しました。更に09年にCD『モダニズム音楽入門』シリーズ製作に合わせ全体の見直しを行い09年12月8日に加筆し改訂しました。}
■用語の定義
◆印象派以後の音楽を指す新用語 − 「モダニズムの音楽」
私は19世紀後半の印象派以後の音楽を指す新用語として「モダニズムの音楽」(或いは「モダニズム音楽」)という概念を導入しました。そして印象派以後の音楽に於いては「モダニズム」を括る大きな様式的特徴として無調への接近(後述)を挙げることが出来ますので、取り敢えず次の様に
『モダニズムの音楽(modernism music)とは、ロマン派迄の調性や和声や形式を打破或いは破棄して、様々な方法論の革新を試みて無調音楽に接近したの音楽様式(=モダニズム)を中核とする。時代的には凡そ19世紀終盤(=印象派の頃)〜20世紀前半に対応するが、モダニズムの方法論を言う場合は現代をも含む。』
と定義します。モダニズム(modernism)の原意が「近代主義」ですから直訳的には「近代主義の音楽」に成る訳ですが「モダニズム」と言えば、聞いた人の大多数が「定義に記した時代範囲」に”凡そ近い所”を想定する筈です。
◆「現代音楽」にも再定義が必要
次に「現代音楽」ですが、これも第一次世界大戦終了時(=1918年)以後を採る立場(=広義:△2のp840)と第二次世界大戦終了時(=1945年)以後を採る立場(=狭義:△1のp15、△3のp39〜40)とに大きく二分され、現在では後者が圧倒的に優勢です。私も後者の立場に同意する者ですので、ここで
『現代音楽(contemporary music)とは、「モダニズムの音楽」の様式を引き継ぎ、1945年の第二次世界大戦以後〜現在の間に生まれた音楽。』
と再定義します。
■用語の使用と区分について
以上の様に前以て用語を定義した上で、当サイトではこれらの用語を定義した意味通りに統一的に使用することを心懸けます。但し「モダニズムの音楽」に関しては凡そ上記の様な時代範囲を指しますが、厳密には時代区分では無く飽く迄も様式論的区分(※2)です。ここでは様式論の詳細には深入りしませんが、例えば第二次大戦後の1949年迄生きたR.シュトラウスは時代的にはモダニズムですが、一般にモダニズムとされず後期ロマン派に分類されて居る理由は彼が調性音楽を書き続け無調に移行しなかった為で、この場合は様式論に依拠した区分です。それに対し「現代音楽」の方は第二次大戦以後〜現在という時代区分で一般に通用して居ます。
用語の意味論が済んだ後で、次にモダニズム諸派の音楽的アプローチについて概観して置きましょう。尚、以下に多出する各種の音階については「資料−音楽学の用語集(Glossary of Musicology)」を参照して下さい。
■”独断と偏見”に拠る「モダニズムの音楽」概論
(1)1860年頃〜90年頃:ロマン派の終焉と世紀末
19世紀前期に明確な形式と調性(※1)の古典派を引き継いで成長して来たロマン派音楽は、世紀半ば頃から次第に肥大化しワーグナーに於いて膨張の頂点に達すると同時に『楽劇「トリスタンとイゾルデ」』(1859年作、65年ミュンヘンで初演)の執拗な半音階的進行を支える曖昧な調性の「トリスタン和音」が「調性の危機」を招来しロマン派の土台を揺るがしました。
以後の作曲家は頂点に君臨するワーグナーの後塵を拝するか(←後期ロマン主義)、それとも新しい様式を開拓するか(←モダニズム)を迫られ1865年頃〜80年代に分裂を起こし、ヨーロッパ中心部に於いては”旧き佳き”ロマン派の時代は終焉しましたが、しかし辺境国・後進国では事情が異なります(後出)。
[ちょっと一言] 19世紀終盤は所謂「世紀末」(※3)に該当し、特に美術の分野では渦を巻く「世紀末様式」が流行り、ショーペンハウエル/ニーチェ/フロイトらの新思想に導かれた懐疑的・退廃的雰囲気の中で有らゆる分野で旧価値観が崩壊し20世紀の中核と成る新たな価値観が芽生えつつ在った時期です。政治・経済でも国際的に動乱期に入った時期で、日本でも旧幕藩体制が崩壊し1868年に明治新政府が生まれ、世界はやがて第一次世界大戦とロシア革命(後出)に突入して行きます。つまり世界的パラダイムの変革期(※4)であったのです。それ故に特にヨーロッパに於いては単に「世紀末」と言った場合は唯一この19世紀末を指すのであり、音楽界の分裂はこの様な世紀末の世界情勢と密接に連動した現象だったと言えます。そして新しいモダニズムの動きは諸分野の芸術を巻き込んでパリを軸に回転しました。
(2)1890年頃〜1930年頃:分裂後の模索とモダニズム諸派の登場
◆主流は無調派
ワーグナーの後塵を潔しとしない人々は新様式の模索を開始し、熱烈なワグネリアンから反ワーグナーに急転したドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』(1892年作)がパリで初演された1894年を以て「モダニズムの音楽」の黎明が始まり印象派の点描画に擬(なぞら)えて印象主義と命名されましたが、1889年のパリ万博は初期モダニズム音楽誕生の大きな契機と成り彼もガムランの音階をヒントに「脱欧入亜」から五音音階や全音音階に接近しました。これにラヴェルが続き印象主義と擬古主義の折衷派(デュカス/ルーセル/イベール)も派生し、変わり種は家具の音楽(壁紙の音楽とも言う、皮肉屋サティ)です。彼は若い頃にオカルト的秘密結社として名高い「薔薇十字団」(△4のp65〜73、△4−1)に所属し神秘主義に傾倒した後に「家具の音楽」を標榜し孤立無援の道 −ミヨー(後出)が唯一人の理解者− を歩みましたが、彼が試みた「意識されない音楽」とは現在”当たり前”のBGMであり環境音楽(後出)の先駆であり、後の偶然性の音楽の萌芽を芽吹かせ、楽譜の拍子記号・小節線の撤去は後の図形楽譜の先駆です(△1のp202〜204)。突然変異的で捉え所の無い彼の立場は、全てにアンチテーゼ(※5)を掲げたダダイスム(※6) −彼はダダの運動以前からの”天然ダダ”− に諧謔的「遊び心」の個性が付加されたものと言えます。
そして第一次世界大戦(1914〜18年)とロシア革命(1917年)直前にストラヴィンスキーの『バレエ音楽「春の祭典」』(1913年作、同年パリ初演)が示した原始主義の強烈で荒々しいリズムはモダニズム各派に衝撃を与え「前衛(アヴァンギャルド)」(※6−1)の津波を起こし”ドアマン”の役目を終えた印象主義は衰退しました。前衛的民族主義(バルトーク) −バルトークは黄金分割のフィボナッチ数列(※7、※7−1)を作曲に援用(△1のp92〜105)− が後に続き、「機械文明(civilization of mechanics)の時代」の騒音・雑音を積極的に取り入れた騒音主義(機械主義、未来主義を含む、ルッソロ)が『春の祭典』と同年に試みた実験は現代音楽の先駆(後述)と成りました(△1のp76〜78)が、デタラメな音が重なり合う騒音・雑音は元々無調です。更に原始主義・前衛的民族主義と騒音主義は融合し若い世代(プロコフィエフ/オネゲル)を巻き込み”音の塊”の洪水を創り出しました。彼等は「反権威」「反キリスト教」を掲げ過去に異端視して来た非ヨーロッパ世界(=アジア/アフリカ/オセアニアなど)からエキゾティシズム(exoticism)の泉を汲み上げて「脱欧入汎」(←「汎」は「汎世界」) −印象主義も「脱欧」指向− に向かいメロディーの否定から無調に至りました。
これとは別の立場の前衛として、曖昧で独特な調性感の神秘和音を唯一人で開拓した神秘主義(スクリャービン)が在り、表現主義(シェーンベルク/ウェーベルン/ベルク)のグループは初めは後期ロマン主義的でしたが無調を探求し遂に第一次世界大戦直後の1921年に半音毎の12の音高を”主知的”に平等配分する半音階的アプローチから無調に至る音列技法(=十二音技法)を完成して十二音主義(※8)を打ち立ました(→この時の逸話は後述)。振り返れば、この方向の萌芽を”主情的”に先取りしたのが前述のワーグナー −彼は多調的半音階− だったのです。尚、彼等とは独立に無調に近付いた異色の前衛的孤立主義(ヨーゼフ・ハウアー(十二音技法を独自に研究)/アイヴズ(本業は保険業で最初は素朴な曲を書いた)/H.カウエル(彼のトーン・クラスターという音群概念は第二次大戦後にリゲティらを触発))の名も記して置きます。
何れにしろ無調を達成する為には中心に成る音(=主音)を作らない事が秘訣ですが、全音音階や半音階の様な等分音階は中心音が暈され無調を作り易いのです。こうして無調派がモダニズムの主流を形成しました。尚、中間派としてモダン民族主義(レスピーギ/エネスコ/シマノフスキ/ヴィラ=ロボス) −民族主義に立脚したモダニズムであり無調への指向性も有るが前衛では無い− が在りました。
[ちょっと一言] 表現主義(expressionism)はスペルでも内容でも印象主義(impressionism)へのアンチテーゼと見做すことが出来(△1のp70)、音楽ではヒステリックな音高の跳躍が特徴です。
以上の様に、モダニズムは1890年頃〜1910年頃を「印象主義の時代」、1910年頃〜30年頃を「前衛の時代」と大別出来ます。そして「前衛の時代」はセルゲイ・ディアギレフ(※9)がロシア・バレエ団(※9−1)を率いてパリを拠点に活動した時代(1909〜29年)と重なり、彼がパトロンとして次々と新曲を作曲家に委嘱し同団で上演した(△5) −ストラヴィンスキーの『春の祭典』もその一つ− からこそ可能だったという事実を忘れては為りません。私はディアギレフこそモダニズム音楽を影で推進したキーパーソンと考えて居ます。
◆調性派
一方、調性派は根強く存在します。先ず辺境地域や後進国では「入欧」を目指す時代遅れの辺境ロマン主義(ファリャ/滝廉太郎/山田耕筰)が優勢で、復古的民族主義(ヴァンサン・ダンディ/カントルーブ/コダーイ/ヴォーン=ウィリアムズ)はローカリズムの立場(→後で詳述)から民謡や古謡を蘇生させ、頑固ロマン主義(ラフマニノフ)は頑なに旧様式と調性を守り、ワーグナーを”教祖”とする後期ロマン主義(マーラー/R.シュトラウス/コルンゴルト)は単純な調性を拡張した汎調性(=多調)から無調に接近しますがロマン的感性を温存し、ジャズ派(=白黒合体のアメリカ民族主義)(ガーシュウィン)は新興の北米から黒人的リズムとブルースを広め、先進国の異国主義(=エキゾティシズム(exoticism)、ケテルビー)は辺境ロマン主義と逆で「脱欧」指向です。
[ちょっと一言] 辺境ロマン主義(local ethnic romanticism)は、私の造語です。即ち19世紀後半以降の現象として、西欧中心部以外の地域の作曲家は「辺境」が故に自己の民族性(ethnicity)に立脚せざるを得ず(←それはオーソドックスに成り得ずにエキゾティシズム(異国趣味)に甘んじることを意味する)、後進地域の作曲家が西洋音楽を始める場合は「後進」が故に時代遅れのロマン派を指向します。従って様式的にはロマン派時代の国民楽派(グリンカやドヴォルザークなど)に近く、その延長線上に在ると言えます。
(3)1925年頃〜45年:新古典主義の全盛と前衛の拡散
両大戦に挟まれた時代です。第一次世界大戦や革命で疲弊したヨーロッパでは戦争や過激な前衛への反動が起き、音楽では1920年頃〜30年頃に無調諸派が挙って「穏健で単純明快」な新古典主義に復古(ラヴェル/ストラヴィンスキー/バルトーク/シェーンベルク/プロコフィエフ/オネゲル)して形式と調性を回復し、同時にやはり1925年頃を境に世代交代が進み新古典主義を”新様式”として受け止めた次世代(ミヨー/プーランク(この二人はオネゲルらと共にフランス「六人組」と呼ばれた)/ショスタコーヴィチ(内なる前衛とソ連体制迎合(後出)の振幅を持つ)/コープランド(ジャズ派でもある)/ブリテン(無調指向が強い)/大澤壽人)が出現し、この時代の多数派を形成しましたので1925年頃〜39年(第二次大戦開始)を「新古典主義の時代」と呼ぶことが出来ますが、更に古典派的形式を借り乍ら穏健でも明快でも無い前衛的音響を追究した異色派として前衛的新古典主義(ハルトマン(ドイツに留まり反ナチスを貫いたドイツ人としても異色))を挙げて置きます。この様に20年代は前衛から新古典主義への移行期及び世代交代期です。こうして「前衛の時代」は一旦閉幕しますが第二次大戦後に復活(後述)します。
[ちょっと一言] 新古典主義(neoclassicism)の音楽は完全に古典派に回帰した訳では無く、飽く迄もモダニズムの範疇内でバロック/古典派/初期ロマン派の簡潔な形式を指向する”折衷様式”で、穏健度・単純明快度は非常に個人差が有ります。又無調では無いが多調的な曲が多く、例えばショスタコーヴィチと後期ロマン主義のマーラーの交響曲の様に聴感的な違いが不明確な場合も多く、この時代の”非前衛の音楽”を一括りにして”便宜的”に「新古典主義」と呼び習わして居るのが実情です。
一方、北米に拡散した原始主義・騒音主義は打楽器主義(ヴァレーズ)へと昇華し、前衛的民族主義(チャヴェス(打楽器主義に傾倒)/ヒナステラ)やモダン民族主義(A.チェレプニン(中央アジアや極東の民族音楽を欧州に紹介)/レブエルタス/伊福部昭)は辺境各地に拡散し、神秘主義にメシアンが加わりました。そしてドイツでは表現主義への反動から客観主義に接近した新即物主義(※10、ブゾーニ/ヒンデミット/ワイル)が興り、チェコでは微分音主義(※11、アロイス・ハーバ)が試されました。反ユダヤ主義のナチス・ドイツ、革命後のソヴィエト・ロシアという独裁国からは多くの亡命作曲家(ストラヴィンスキー/バルトーク/シェーンベルク/ヴァレーズ/ヒンデミット)が海外に流出(←北米に集中)し「現代音楽」(後出)の種子を蒔き、こうして前衛や無調派は世界に拡散(=「入汎」)しました。
調性派では尚も辺境ロマン主義(グローフェ(ジャズ派でもある)/ロドリーゴ)が後進国で優勢ですが、後進・辺境国の復古的民族主義(貴志康一(自作映画の映画音楽も作曲))は西欧のエキゾティシズムに合致しました。ソ連では1934年に社会主義リアリズム(=体制主導の芸術理念(※12)、ハチャトゥリアン/プロコフィエフ/ショスタコーヴィチ) −これは極言すれば「辺境ロマン主義に返れ」というもの− が声高に叫ばれ無調派も”大衆向き”(=体制迎合的)な調性音楽を書かされましたが、53年のスターリンの死で終焉し周知の如く91年にソヴィエトは消滅しました(△1のp140〜142)。
ところで、この時期に音楽の周辺技術の面で大量生産と大量消費に支えられて録音や映画などの記録再生技術が普及し且つ放送メディアが登場した事は音楽史の上で極めて重要です。つまり30年代から徐々にオートメーションの「機械電子文明(civilization of mechatronics)の時代」に移行してた訳です。工業的に量産されたレコード盤とそれの放送に依って「音楽の大衆化」が急速に進み、映画音楽(イベール/コルンゴルト(現在のハリウッド音楽の基礎を築く))という新ジャンル −当初は無声映画− が生まれ、軽音楽(ルロイ・アンダーソン)や商業主義的なポピュラー音楽が次第に量産され、生活空間の至る所に「意識されない音楽」(前述)としてBGM(=背景音楽、※13)が溢れる様に成り、誰でも手軽に音楽を享受出来る代わりに”音楽の「質」の低下”も始まりました。又、この時期にテルミン(=空間演奏楽器、※14)とオンド・マルトノ(=グリッサンドが容易な鍵盤楽器、※15)という”変な電気楽器”が発明された事も紹介して置きます。
第二次世界大戦中(1939〜45年)は雌伏期間且つ世代交代の期間でした。
[ちょっと一言] テルミンは独特の構造から演奏困難で普及しませんでしたが、数少ない後継演奏者が日本に定着して居ます(△6)。
(4)1945年以後〜現在:現代音楽
1945〜75年頃は表舞台を降りて居た前衛が再登場する「前衛復活の時代」と言えます。大戦終了(45年)と共に若い世代が活動を開始し、無調派では先ず十二音主義の論理的方法論を更に徹底させたムジーク・セリエル(=セリー音楽(※8−1、※8−2)、メシアン/ブーレーズ/ノーノ(シェーンベルクの娘婿))が「現代音楽」の前衛に躍り出ましたが楽曲は一層抽象化・難解化しました。機械主義は電子音楽(シュトックハウゼン/ベリオ/ヴァレーズ/黛敏郎)に進み、「情報文明(civilization of information)の時代」を迎えた1957年にはイリノイ大学の数学者がコンピュータ・ミュージック(クセナキス(彼は建築家で確率音楽を提唱)/高橋悠治)を開発しましたが音列技法のアルゴリズム(※16)をプログラムしたコンピュータに依る自動作曲は非人格化を強めました。
無調派非セリーの立場では、録音再生技術を駆使して実際の具体音を採り込むムジーク・コンクレート(=具体音楽(※17)、シェフェール(元は技師))なる新語は戦後間も無く持て囃されるも一時の流行に終わりましたが、サティの発想を発展させた偶然性の音楽(又は不確定性の音楽(※18)、ジョン・ケージ/リゲティ(彼はトーン・クラスターを多用))は図形楽譜(=記譜法を拡張)などを考案して現代音楽の新機軸を打ち立て諸派に影響を及ぼし、複雑系の音楽(E.カーター(老いてから無調派に転向))などを派生しました。騒音主義 −騒音は偶然性を包含− は録音再生技術をフル活用し大音量で”我慢の限界”に挑戦したり立体的な多音源の空間音楽(ヴァレーズ/ブーレーズ)に向かいました。しかし何れも実験性が強く演奏行為を一過性の実験イベント化させ更には”演奏以外の技術”に頼り過ぎました。そんな中で、我が道を行く前衛的新古典主義のハルトマンは作曲の傍らムジカ・ヴィヴァを主宰し現代音楽の普及に努め、前衛的民族主義(ペンデレツキ/カーゲル/武満徹)は様々な方法論を飲み込んで世界各地に「脱欧」の裾野を広げましたが、押し並べて戦後の前衛音楽には閉塞感が付き纏いました。
中間派では戦前からの新古典主義の長老(ショスタコーヴィチ)が健闘し、モダン民族主義は次世代(バーンスタイン(ジャズ派を継承)/ピアソラ(タンゴの革新)/芥川也寸志/三木稔)に引き継がれましたが、注目すべきは原始民族の反覆リズムと偶然性の音楽の融合から1960年代後半に起こったミニマル・ミュージック(=反覆音楽(※18−1)、スティーヴ・ライヒ/ジョン・アダムズ)が極小音形反覆から生じる「位相のズレ」のユーモラスな効果(※18−2)で前衛の閉塞感を打開した事です。前衛が下火に成り出した70年代には無調派の一部が多様式主義(シュニトケ)を唱え調性音楽に向かい、80年代には新抒情主義(吉松隆)がロマン派への復古を唱えました。
現代音楽全般で特徴的な点は情報社会を反映して一人の作曲家が様々の新しい方法論や手法を混合・融合・拡張した −或いは片っ端から手を付けた− 事ですが、統合には至ってません。空間音楽・背景音楽・反覆音楽に心理学などを融合して環境音楽を実用化した事は一つの成果です。以上の様に、現代音楽は1945〜75年頃が「前衛復活の時代」で75年頃以降〜現在は「調性再回帰の時代」 −新古典主義の調性回帰に対し再回帰− ですが、この二つの時代の境界で1973年に第一次オイル・ショック(※19)が起こって居た事は実に象徴的(78年には第二次)で、戦前の前衛初登場から新古典主義に転回した時と同様に音楽を受容する側の気分はこうした世界情勢を正直に反映して移ろって行くのです。
[ちょっと一言] 「前衛復活の時代」にはマイルス・デイヴィスやJ.コルトレーンらのジャズの革新が公民権運動(※20)と結び付いて起こり、ビートルズが反ヴェトナム戦争(※20−1)と結び付いて全世界を席巻しました。クラシック音楽界の前衛運動もこの様な社会状況と連動して居たのです。
■モダニズム精神を受け継いだ「現代音楽」の総括
以上を概観してお解りの様に、1970年代迄はシェーンベルクの予言 −十二音技法を確立した1921年7月末に「これで今後100年間のドイツ音楽の優位を保証できると思う」と弟子に語った言葉(△1のp117〜118)− 通りに十二音主義が無調派の”一応の主流”と成りましたが偶然性の音楽は各派を触発し、21世紀の今は混沌として居ます。演奏会では現在聴衆を獲得してるのは新古典主義で「モダニズムの音楽」は無調諸派(=前衛諸派)と新古典主義に大まかに二分されて居ると言えます。特に聴衆を忘れて”最前線争い”に熱中して来た前衛諸派に目を向けると、第二次大戦後の「現代音楽」で様々な方法論の立場が分立・実験・淘汰を繰り返しましたが、現状は
[1].そのイズム(主義)や作品の寿命が短い
[2].方法論は雑多で片っ端から手を付ける傾向が有る
[3].作品の「質」は実験的段階のものが多く玉石混淆(←「玉」が少ない)
という否定的な状況です。
バッハの死(1750年)以後の模索の後、ハイドンが「ロシア四重奏曲」(1781年作)と通称される6曲の弦楽四重奏曲で完成したソナタ形式に30余年で再統合 −ヘーゲル弁証法で言う「より高度な合一」− を果たした様には至って居らず、ワーグナーに因る分裂開始(1865年)から約150年経った現在も”分裂した儘”の状態です。ワーグナーで分裂し新しい方向を目指してモダニズムがスタートし「現代音楽」にバトンが渡されたからには、「ワーグナーを超える楽曲」を世に送り出せるかどうかにモダニズム精神の真価が懸かって居るというのが私の見解ですが、こんな状況ですから定着した作品が少ない(=再演されない)のでワーグナーには遠く及びません。
しかし私は十二音技法などの方法論的議論よりも、モダニズムの革新的気風が旧態の西欧中心主義(=グローバリズム)を打破し民族意識を高め「脱欧」した結果として非西欧地域に「音楽の機会均等」を齎した点が最大の功績だと考えて居ます。つまり、私が前から主張してる所の各民族のアイデンティティーに立脚した「文化の固有性」(=文化のローカリズム)が音楽に於いても大切な訳で、メジャーであるヨーロッパ中心部以外のマイナーな地域や民族の音楽が対等に世に出て来て多様性を展開しました。今では世界音楽(world music)などとも呼ばれて居ますが、世界の多種多様な民族音楽を聴き比べる事はクラシック音楽をより広い視野から理解するのに大変役立ちます。そうすればヨーロッパ中心部に於いてルネサンス以後に金科玉条の如く言われて来た「調性音楽」やド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの全音階(=七音音階)が世界に於いては決してメジャーでも普遍的でも無いという歴史的事実に眼が開かれ”目から鱗”、否、”耳から耳糞”が落ちる筈です。
■結び − 「後世に残る曲」を目指せ
総括の如く、”供給側”(=作曲家)の閉鎖的な狭い世界の中では十二音音楽が”一応の勝利者”の地位を占めて居ますが、”需要側”(=聴衆側)は抽象的で難解な十二音音楽や前衛音楽を毎日聴きたいとは思って無いばかりか、ポップスや歌謡曲やカラオケ好きの聴衆の殆ど(←彼等が聴衆の中の多数派を占める)は十二音音楽の存在すら知りません。やはり「聴いて気持ちが良い音楽」でなければ聴衆は獲得出来ないでしょう。では「現代音楽」、取り分け前衛音楽が何故「気持ち良く無い」のか?
それを分析すると
[1].作曲法が人工的・機械的な方法論に偏った為に曲が抽象的で難解
[2].曲中の音が持続して流れず恣意的な断裂・中断が多い
[3].実験的内容の作品が多く完成度が低い
だと私は考えます。[1]の難解かどうかは聴衆の感性やレベルの問題も絡みますがバロックや古典派・ロマン派の音楽と比べれば難解な事は”一聴瞭然”です。人工的・機械的な方法論では、音列技法は無機的な”音の羅列”に、自動作曲は人格的創造を非人格的生産に堕落させる危険性を孕んで居ますが、これらはオートメーションに於ける技術優先の効率主義が「人間性の喪失」を結果したと同列の現代文明の反映と捉えることが出来ます。[2]の場合、打楽器主義という立場は理解しますが、元来音が持続する筈の弦楽器の音を故意に断裂させる手法は新しい用法では有りますが楽器本来の特徴を生かした使い方とは思われず、従って人間本来の生理と合わず「音が流れない」のでメロディー感が無い奇を衒った曲は理屈っぽく親しみ難いのです。この音の断裂も都会の人間孤立の反映と捉えることが出来ます(←都会こそ現代文明の権化と言え、逆にだだっ広い草原のモンゴルの音楽のメロディーは非常に長く持続します)。[3]は逆に、完成度が低い為に再演されない(前述) −即ち聴衆が「又聴きたい」と思わない− ので”実験”に終わると言い換えることも出来ます。騒音主義や偶然性の音楽が意図的に”一回限りのイベント”を狙う立場は理解しますが、基本的には何度も再演される「後世に残る作品」を目指すのが本道です。同様に作曲者個々人の恣意的な発想で描かれた図形楽譜が後世の人たちに音楽の内容を伝達出来る普遍性を具えて居るのかどうかも検討する必要が有ります。
つまり[1]〜[3]を総合すると、現代音楽の作品は”奇を衒う”ばかりで作曲という行為が”作曲家の独り善がりな空砲行為(=マスターベーション)”に成り下がって居る、と言ったら言い過ぎでしょうか?!
ともあれ自由な体制の社会に於いては、世の中の事柄は何でも「需要と供給」で決まって行くものなので、聴衆は「賢明に判断」 −ともすると「需要」が肥大化したマスメディアに引っ張られる傾向が有るので自分の考えで判断する事が大切− し「気持ち良く無い曲」は聴かなければ良い訳です。「聴いて気持ちが良い音楽」の創造には、都会的現代文明に押し潰された前衛諸派の”マスターベーション”から人間性を回復する事が不可欠で、私は音楽に於いてもポスト・モダン(※21)が今後追究されて行く事を期待して居ます。私は抽象的な理念が前に出過ぎた現代音楽にはポスト・モダニズムの「遊び」の精神を注入し揉み解す必要が有ると考えて居り、そういう意味では「遊び心」の詰まったサティの音楽は示唆的で、ユーモラスな効果を生むミニマル・ミュージックにはポスト・モダンを感じます。又、音楽が余りに都会的に成り過ぎたのを復す為に前述のモンゴルの音楽の様な「田園音楽」(=自然と共生出来る音楽)を指向するのも一考です、それには音楽以外の問題も多々在りますが。
「後世に残る作品」とは結局は時間の淘汰に打ち勝てる作品です。そして「モダニズムの総括」で述べた様に、何よりも「ワーグナーを超える楽曲」を創出する事が現在以後の作曲家の使命だと私は考えて居ます。
【脚注】
※1:調性(ちょうせい、tonality)とは、旋律や和声などが調、又は主音に拠って秩序付けられ統一されて居る現象。機能和声に基づく和声的調性(harmonic tonality) −長調・短調の調(ちょう)の区分が明確− と旋律的調性(melodic tonality)とが在り、狭義には前者を指す。印象派以前の音楽の全ては調性の上に作られた音楽(=調性音楽)であるが、以後の「モダニズムの音楽」では調性を無視した十二音音楽やムジーク・コンクレートなどが現れている。←→無調性/無調。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
補足すると、「印象派以前の音楽」と私が書き換えた箇所は元々は「近代音楽」、「以後の「モダニズムの音楽」」は元々は「現代」と記述されて居ました。明らかに<調性>という語の担当者は、ルネサンス以降〜印象派以前を「近代音楽」と見做し、印象派以後を「現代音楽」と見做して居て、この時代区分は同辞典の<近代音楽>の記述「1890年頃から第一次世界大戦終了迄のほぼ30年間の音楽」に矛盾して居ます。これは<調性>と<近代音楽>の編纂担当者が別人であることに起因して居るのですが、この様に「近代音楽」という用語を不用意に使う事は曖昧さを含み危険なのです。そして「近代音楽」の定義が曖昧であれば「現代音楽」も曖昧に成るのは理の当然です。
※2:様式(ようしき)とは、[1].pattern, form。様(さま)。形。特に、一定の形式。一定の型。「生活―」「書類の―が変わる」。
[2].style, mode。芸術作品・建築物などの形式的特徴を総合したもの。特定の時代・流派・作家などの表現上の特性を示すもの。「バロック―」。
※3:世紀末(せいきまつ、fin de siecle[仏])とは、19世紀末のヨーロッパで、頽廃的・懐疑的・冷笑的な傾向や思潮の現れた時期。又、そういう傾向・思潮の現れる或る社会の没落期。「―的」。
※4:パラダイム(paradigm)とは、〔哲〕[1].元はプラトンの事物の範型としてのイデアを意味するが、後に特に科学上の問題を取り扱う際の前提と成るべき「時代に共通の前提的な考え方」に対し、科学史家クーンが提唱した概念。天動説や地動説など。
[2].一般的には、一時代の支配的な思考の枠組みのこと。範例。
※5:アンチテーゼ(Antithese[独])とは、〔哲〕特定の肯定的主張(定立)に対立して定立された特定の否定的主張。反立。反定立。弁証法ではフュール・ジッヒの段階。
※6:ダダイスム/ダダイズム(dadaisme[仏], dadaism[英])とは、(ダダ(dada)は、創始者のトリスタン・ツァラが敢えて無意味な語を選んで命名)第一次世界大戦中の1910年代にルーマニアの詩人ツァラを中心にスイスに興り、ヨーロッパ各地やアメリカに広まった文芸・芸術上の破壊的な新運動。個人をドグマ/形式/掟の外に解放する為に、既成の権威/道徳/習俗/芸術形式の一切を否定し、自発性と偶然性を尊重。意味の無い音声詩/コラージュ/オブジェ/フォトモンタージュ/パフォーマンスなどを生み、何でも芸術に成り得ることを証明。後、この運動はシュールレアリスム(超現実主義)に吸収された。詩人ではブルトン(=シュールレアリスムの創始者)/アラゴン/スーポー/エリュアール、美術ではアルプ/デュシャン/エルンスト/ピカビア/マン・レイらが居り、日本では辻潤/高橋新吉らが影響を受けた。略称はダダ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※6−1:前衛(ぜんえい、avant-garde[仏], vanguard[英])とは、芸術運動で最も先駆的なグループの称。20世紀初め以来ヨーロッパでの、既成の通念を否定し未知の表現領域を開拓しようとする芸術家や芸術運動(立体派・表現派・ダダイスム・抽象派・超現実派など)を指す。1970年代、大衆社会の爛熟の中で衰退。前衛派。アヴァンギャルド。「―芸術」。
※7:黄金分割(おうごんぶんかつ、golden section)とは、1つの線分を外中比に分割すること。即ち、下図の線分(長さ:a+b)を a:b = b:a+b に成る様に分割すること。
<---- a+b ------>
───+─────
<- a -><-- b --->
この比は結局 (root(5)-1)/2:1 = 0.618:1 = 1:1.618 という値で黄金比と言われる。長方形の縦と横との関係など安定した美感を与える比とされ、古代ギリシャ以来研究され特にルネサンス絵画の構図決定に重用された。
※7−1:フィボナッチ数列(Fibonacci Series)とは、数列の一種で、それぞれの項がその直前の2つの項の和に成っている数列のこと。即ち、
1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,.....
という数列で、前項との比が黄金比(1:1.618)に収束する。イタリアの数学者フィボナッチ(Leonardo Fibonacci、1170〜1250)が発見し、後に自然界にも存在することが確認された。
※8:十二音音楽(じゅうにおんおんがく、dodecaphony)とは、オクターヴ中の12の音高を平等に用いる事を原則とする音楽。主音や調性を否定した無調音楽に新しい秩序を与えようとするもので、多くはこの原則で選んだ音の連続を基礎とする。1920年代初めにシェーンベルクが案出したものが代表的作曲技法と成り、弟子のベルク/ウェーベルンらに依って展開された。第二次大戦後は世界中に広まりセリー音楽に発展。ドデカフォニー。
※8−1:セリー(serie[仏])とは、音列のこと。seriel(le)[仏]は、「音列の」という形容詞。
※8−2:ムジーク・セリエル/セリー音楽(―おんがく、musique serielle[仏])とは、第二次大戦後に十二音音楽を更に徹底させる方向でメシアン/ブーレーズらが推進した音楽。即ち、十二音音楽が音高のみの平等配分を骨子としたのに対し、セリー音楽では平等配分を音高だけで無く他の音楽要素(音長・強度・音色など)に拡張させて音列を形成した。
※9:セルゲイ・ディアギレフ(Sergei Pavlovich Dyagilev)は、ロシア・バレエ団(=バレエ・リュス)の主宰者(1872〜1929)。パリを本拠として活躍。バレエの革新に寄与。
※9−1:ロシア・バレエ団/バレエ・リュス(Ballets Russes[仏])とは、1909年にディアギレフがパリで創設・主宰したバレエ団。振付師フォーキン、舞踊家ニジンスキー/パヴロヴァ/カルサヴィナらロシア帝室バレエの精鋭を集めて組織。同年パリで初公演以来、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」「ダフニスとクロエ」「三角帽子」など近代バレエの問題作を続々発表。1929年創設者の死で解散。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※10:新即物主義(しんそくぶつしゅぎ、Neue Sachlichkeit[独])とは、第一次大戦後のドイツに興った文学・芸術思潮。感情と主観を過度に強調する表現主義に対する反動として、現実を客観的に把握しその実用性・合目的性に美を見いだそうとするもので、建築・絵画に始まり文学・音楽など広範囲に及んだ。美術のマイトナー/カーノルト、文学のデープリン/レマルク/ケストナー、音楽のブゾーニ/ヒンデミットらがその代表。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※11:微分音(びぶんおん、microtone)とは、半音よりも小さい音程の音。古代ギリシャ/アラビア/インド/日本などの音楽に多い。
※12:社会主義リアリズム(しゃかいしゅぎ―、socialist realism)とは、文学・芸術の創作と批評の基本方法の一。現実を革命的発展の姿で歴史的・具体的に描き、人民の共産主義的教育に資するべきものとして、1934年第一回ソヴィエト作家大会で定式化。ゴーリキーは、19世紀以来の批判的リアリズムと革命的ロマン主義との結合と解説した。スターリンの文学・芸術支配貫徹の手段と成り、東欧・中国にも波及。現状美化に満ちた作品を生み出した。
※13:バックグラウンド・ミュージック/BGM(background music, BGM)とは、舞台・放送・映画の場面や、仕事場・病院などの生活空間の雰囲気作りの為に背景に流す音楽。背景音楽。
※14:テルミン/テレミン(theremin)とは、1920年、ソ連の科学者テルミン(又はテルメン、Lev Termen、1896〜1993)の発明した電子楽器。真空管のビート(=唸り)を利用し、楽器に装置した2個の金属棒に両手を近付けたり遠ざけたりして音の高低強弱を加減して演奏。
※15:マルトノ(martenot)とは、1928年、フランスの音楽家マルトノ(Maurice Martenot、1898〜1980)が発明した電気楽器。電気発振と可変コンデンサーとを利用して、どんな音高でも発する様にした、小型のピアノに似た楽器。オンド・マルトノ。
※16:アルゴリズム(algorithm)とは、(アラビアの数学者アル・フワリズミーの名に因む)
[1].アラビア記数法。
[2].問題を解決する定型的な手法・技法。コンピュータなどで、演算手続きを指示する規則。算法。
※17:ムジーク・コンクレート(musique concrete[仏], concrete music)とは、(日本の通称ミュージック・コンクレートは仏語と英語の混用)自然界の種々の音や、機械音・人声などの素材を機械的・電気的操作を加えて変形し組み合せて構成した音楽。1948年、フランスのシェフェール(P. Schaeffer1910〜1995)が創始し、翌年命名。具体音楽。
※18:偶然性の音楽(ぐうぜんせいのおんがく、chance music, chance operation, uncertainly music)は、予め厳密に指定された五線譜に拠らず、演奏者の自由な即興性と演奏される時間・空間の偶発的で不確定な要素に委ねられる音楽。五線譜に記されて居ても、その音価・音力などの読み方や断片的なモチーフの繋ぎ方などは、奏者の自由に任されるものが多い。又、図形楽譜などを用いる場合が多い。1950年代にケージに依って唱導されヨーロッパ音楽の概念に1つの根本的な変革を齎した。不確定性の音楽。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※18−1:ミニマル・ミュージック(minimal music)は、(ミニマルは「最小[限度]の」「極小の」の意)短い音形を少しずつ変化させ乍ら執拗に反覆する現代音楽の一様式。反復の過程に「ズレの効果」 −光学ではモアレ縞(moire stripe)と言う− を導入して単純な音から次第に複雑な音へと、音楽を織物の様に展開させる。1960年代後半、スティーヴ・ライヒらに依ってアメリカで始まり、アフリカやバリ島などの原始音楽を先行例として、極度に複雑化したヨーロッパの現代音楽へのアンチテーゼとして広まった。反復音楽。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※18−2:モアレ/モワレ(moire[仏])とは、この場合、(波形模様の意)点、又は線が幾何学的に規則正しく分布したものを重ね合せた時に生ずる縞状の斑紋。網版印刷物を原稿として網版を複製する時などに起り易い。モアレ縞(moire stripe)。
※19:オイル・ショック(oil shock)とは、1973年の第四次中東戦争の際、アラブ産油国がアメリカやオランダなどのイスラエル支持に対抗して原油の減産や値上げを行い、世界経済に大きな影響を及ぼしたこと(第一次)。78年のイラン革命に因る原油価格の急騰(第二次)。石油危機、石油ショック。
※20:公民権運動(こうみんけんうんどう、Civil Rights Movement)とは、米国黒人が、人種差別に抗議し憲法の保障する諸権利の保護を求めて展開した運動。1960年代前半に高揚、64年公民権法成立の原動力と成る。代表的指導者にキング牧師など。
※20−1:ヴェトナム戦争/ベトナム戦争(―せんそう、Vietnam War)は、1960〜75年の北ベトナム/南ベトナム解放民族戦線とアメリカ/南ベトナム政府との戦争。第二次インドシナ戦争とも言い、周辺諸国のカンボジアやラオスなどをも巻き込む。アメリカは軍事費の増大と国内及び世界で高まった反戦運動に苦しみ、1973年1月パリ和平協定に調印し撤退。1975年4月、解放戦線/北ベトナム軍が勝利して終結。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※21:ポスト・モダン(post-modern)とは、1979年イギリスの建築史家C.ジェンクスが機能主義・合理主義に基づくモダニズム建築に対して抒情的な、より人間的な「遊び」の有る様式を指す用語として提案したのが切っ掛け始まった運動。建築に始まり芸術一般やファッション・思想の領域に広まり、一般にモダニズム(近代主義)を超えようとする傾向を指す。ポスト・モダニズム。脱近代。<出典:一部「現代用語の基礎知識(1999年版)」より>
補足すると、建築に於けるポスト・モダニズムとは、近代主義(modernism) −ル・コルビュジエ等に代表される直線的な機能主義や効率主義− に対するアンチテーゼ乃至は反動から起こって来ている運動で、装飾性の復活・曲線の挿入・無駄の効用というデザイン上の変革に依り人間性・ゆとり・個性の回復を目指すもの、と定義出来るでしょう。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『西洋音楽史 印象派以後』(柴田南雄著、音楽之友社)。
△2:『クラシック音楽鑑賞事典』(神保m一郎、講談社学術文庫)
△3:『立体クラシック音楽』(吉崎道夫著、朝日出版社)。
△4:『薔薇十字の魔法』(種村季弘著、河出文庫)。
△4−1:『秘密結社の手帖』(澁澤龍彦著、河出文庫)。
△5:『ディアギレフ−ロシア・バレエ団の足跡』(小倉重夫著、音楽之友社)。
△6:『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』(竹内正美著、岳陽舎)。著者は気鋭のテルミン演奏家。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):音階について▼
資料−音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
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