<ブラボー、クラシック音楽!−曲目解説#2>
R.シュトラウス「皇紀2600年奉祝楽曲」
(Celebrating music in Imperial 2600, R.Strauss)

−− 2005.12.03 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■はじめに − 飛び入りの珍曲
 05年5月の例会<皆さんのリクエスト曲>で構成しましたが、会員のT氏が珍しい曲が家に埋もれて居たと仰って、リヒャルト・シュトラウス(※1)作曲の『皇紀2600年奉祝楽曲』を持参されたので皆さんと一緒に聴きました。そういう曲の存在は知って居ましたが、私も実際に聴くのはこの時が初めてでした。演奏はヘルムート・フェルマー(Helmut Fellmer)指揮の「紀元二千六百年奉祝交響楽団」という臨時のオーケストラです。
 皇紀(※2、※2−1、※2−3)とは記紀神話の神武天皇が即位した神武紀元(BC660年)から数えた年数で −因みにこの神武即位年自体が讖緯説(※2−2)という中国古代の”占術思想”の産物ですが− 、大日本帝国は1940(昭和15)年を皇紀2600年に当たる節目の年と見做し、この年に製造した戦闘機に「ゼロ戦(零式戦闘機の略)」と命名して居ます。同様に大日本帝国は昭和16年製造のものに一式、昭和17年が二式、...という具合です(→詳細は後述)。

 ■初めて聴いた印象
 次にこの曲を聴いた時の印象を少し述べましょう。その前にノイズが多かったのが残念でしたね。これはレコード盤の溝に細かい埃が付着して居て、掛ける前にクリーナーで拭いても除去出来なかったので予想はして居ましたが。
 曲自体は確かにR.シュトラウス的な旋律や管弦楽法が感じられますが、もう一つ盛り上がりに欠け、全体的に”ぼやけた”感じで、当時の録音技術やノイズの所為だろうとその時は思って居ました。「ドラや鐘」を使い日本的な雰囲気を醸し出そうとして居ますが、日本人の私には寧ろ中国か東南アジア的に聴こえて仕舞い、盛り上がりがイマイチです。聴き終わった時、この曲は彼の他の曲に比べて決して優れた作品では無い、駄作であると感じました。
 レコードは昔のベークライト(※3)製で重く、表を10分位聴いたら直ぐ裏返さねば為らず、時代を感じました。

 ■曲の構成とデータ
 正式名称は『日本帝国皇紀2600年奉祝楽曲 作品84』という祝典曲で、作曲者最後の標題音楽(※4)です。曲の構成はそれぞれ副題の付いた5つの部分から成り、交響詩(※4−1)の様に連続して演奏されます(△1のp154〜155)。
  1.海   :海のうねりの様に弦がうねる
  2.桜   :桜の下に集う人々か、金管が入り華やかな響き
  3.火山  :打楽器による火山の噴火と地鳴り
  4.侍   :入り乱れて戦う侍をフーガで表現
  5.天皇賛歌:荘重な響きのフィナーレ
 この構成を見ると、ヨーロッパ人が日本について抱く漠然としたイメージが元に成っていることが解ります。つまり島国・日本から海、何かの写真で知ったと思われる桜と富士山(←火山は多分富士山だと思います)、そして明治から約70年経っているのに未だちょん髷の侍です。最後の天皇賛歌は委嘱の意味を汲んだものです。桜(サクラ)、富士山(フジヤマ)と来たら序でに芸者(ゲイシャ)を加えて欲しかったですね!
 私見ですが芸者を不謹慎だなどと考えては行けません。嘗ての芸者は今のクラブのホステスなどは足元にも及ばない程の芸と気風(きっぷ)を持ち合わせて居ました。それは日本の仕来たりや料理や遊芸と密接に結び付いた日本固有の文化の一部です。それ故に外国人が「フジヤマ、サクラ、ゲイシャ」と並び称したのです。
  ●データ
   作曲年 :1940年(76歳、日本の皇紀2600年)
   演奏時間:約15〜20分

 ■聴き方 − 一度は聴いて置くのも良い
 正しい聴き方としては、曲の構成を頭に入れて、良い状態のレコード(又は復刻されたCD)を聴く事です。一度は聴いて置くのも良いですが、歴史的資料として以外に、音楽的価値は殆ど無いと言えます。

 ■作曲された背景 − 大日本帝国が祝典曲を委嘱
 この曲は作曲者晩年(=76歳)の作です。どういう経緯でこの曲をドイツの大御所のR.シュトラウスが作曲したのか調べてみたら、この節目の皇紀2600年に大日本帝国はドイツ、イタリア、フランス、ハンガリー、アメリカ、イギリス、の6ヶ国の政府に対し、祝典曲の作曲を委嘱しました。この内アメリカは大日本帝国を苦々しく思っていたので委嘱を丁重に拒否、残る5ヶ国から曲が寄せられました。その作曲家と曲名は以下の様なものです。

  ドイツ  :R.シュトラウス『皇紀2600年奉祝楽曲』
  イタリア :ピツェッティ(※5)『交響曲イ調』
  フランス :イベール(※6)『祝典序曲』
  ハンガリー:ヴェレッシュ(※7)
        『交響曲第1番−日本風 (ヤパン・シンフォニア)』
  イギリス :ブリテン(※8)
        『シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)』
  アメリカ :丁重に拒否

 当時は日独伊3国のファッショ同盟だったので、ドイツとイタリアが応募したのは当然です。鬼畜米英の2国に依頼したのは敵国乍ら大国なので箔を付ける為には外せないと考えたのでしょう。意外だったのは小国のハンガリーで、シャンドール・ヴェレッシュという作曲家は後にスイスに亡命し本国では長らく演奏禁止処分を受けて居ましたが、バルトーク以後のハンガリー音楽界に与えた影響が近年再評価されて居る作曲家です。
 この中で有名な作曲家はドイツのR.シュトラウスとイギリスのブリテンです。ところがブリテンの曲は問題が有った様です。イギリスはアメリカと共に、「大東亜共栄圏」を掲げて東南アジアや満州を殖民し台頭して来た日本を内心は快く思って居なかった筈です。そのイギリスが日本に送って来たのが前記のレクイエムだったのです。勘繰れば”日本を葬る”為の「鎮魂歌(=死者のためのミサ曲)」と取れないことも無く、少なくとも”祝典”に相応しく無いことは誰が見ても明らかです。しかもこの曲は楽譜到着が締め切りに間に合わなかったそうで、日本政府は作曲料は支払いましたが、楽譜は「神武天皇ノ神霊ヲ讃フル奉祝楽曲ノ内容ヲ有セザル節」を持つとの理由で、送り返して居ます。
 一方、R.シュトラウスはと言うと、どうも余り気乗りせず、かと言って依頼を断ればナチスに目を着けられるので嫌々書いたらしいのです。この辺の所は憶測の域を出ないのですが、作品の出来からはそう思えます。決して76歳という年齢の所為ではありません。それは次の2つの傑作をその後に書いているからです。彼は日本と同じ運命を辿った祖国ドイツの壊滅を見届けて、その絶望的悲しみ『弦楽曲「メタモルフォーゼン」』(1946年作)に、生き過ぎた人の死への憧れ『歌曲「4つの最後の歌」』(1948年作)に結晶させて、1949年に後期ロマン主義の牙城を最後迄死守して85歳の”英雄の生涯”(※1−1)を閉じました。彼は死を前にして「私は同時代の作曲家ではない。私が85歳でなお生きているのは、偶然にすぎないのだ」と語って居ます(△1のp120)。

 ■日本での奉祝演奏
 今回聴いたレコードの指揮者であるヘルムート・フェルマーは当時東京音楽学校 −東京芸術大学音楽学部の前身− の教授で、ドイツではR.シュトラウスの元で指揮法を研鑽した人です。日本での初演はこのフェルマー指揮する新交響楽団 (現・NHK交響楽団) に依り、1940年12月7日に東京歌舞伎座で行われ、その後関西でも大阪歌舞伎座で演奏されて居ます。私たちが聴いたフェルマー指揮の「紀元二千六百年奉祝交響楽団」のレコードは12月19日のラジオ放送用の演奏を録音したものです。そして作曲者の楽器指定では、私が「ドラ」の様に聴いた音は実はタムタム(※9)で、「鐘」の様に聴こえたのはゴング(※10)が指定され、東京での演奏では寺の釣鐘や本堂の鐘を借り受けて演奏したそうです。
 この曲のレコードとしてはもう1枚、R.シュトラウス自身がドイツのバイエルン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものが在ります。

 ■結び − 皇紀2600年奉祝のその後
 皮肉な事にアメリカやイギリスの杞憂は的中し、フェルマーが初演した丁度1年後の1941年12月8日(現地時間では7日)に大日本帝国の真珠湾奇襲(※11)から鬼畜米英の連合軍との太平洋戦争(=第二次世界大戦)に突入、鉄材として釣鐘を供出させ、特攻という自爆攻撃をも編み出しましたが、ご存知の様に1945年8月15日に敗戦という破局を迎えました。つまり

  1940(昭和15)年:皇紀2600年 → 零式
        12月7日:『皇紀2600年奉祝楽曲』を日本初演
    41(昭和16)年: // 2601年 → 一式
        12月8日:真珠湾攻撃
    42(昭和17)年: // 2602年 → 二式
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    45(昭和20)年: // 2605年 → 五式
        8月15日:原爆敗戦(=無条件降伏)大日本帝国解体

という経過を辿りました。
 以上が私が調べた所です。ここに書いた文は05年7月末頃にT氏にお礼方々この曲について調べて書き送ったメールの内容を加筆して再編集したものです。

−− 完 −−

【脚注】
※1:リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)は、ドイツの作曲家・指揮者(1864.6.11〜1949.9.8)。リストの交響詩、ワーグナーの楽劇を華やかな技法を以て発展させた。交響詩「ドン・ファン」「ツァラトゥストラはかく語りき」「アルプス交響曲」「英雄の生涯」、歌劇「サロメ」「バラの騎士」など。
※1−1:「英雄の生涯」は、R.シュトラウス自身の人生を”英雄”に見立てた交響詩で、それ迄に彼が作曲した幾つかの交響詩のモチーフの綴れ織に成って居ます。

※2:皇紀(こうき)とは、日本の紀元を、日本書紀に記す神武天皇即位の年(西暦紀元前660年に当る)を元年として1872年(明治5)に定めたもの。大日本帝国は1940年が皇紀2600年に相当するとした。
 補足すると「日本書紀に記す神武天皇即位の年」とは、「辛酉年の春正月の庚辰の朔(ついたち)」です。又、辛酉年(かのとのとりのとし)とは、中国古代の辛酉革命説に依拠して居ます。因みに古事記には即位の日付は無し。
※2−1:辛酉革命(しんゆうかくめい)とは、中国古代の讖緯説に基づき、干支が辛酉の年には天変地異や変乱が起こるとする説で、次第に変乱の元を断つ為に革命(=運命を変革)するという考えが生じ、又変乱を避ける為に改元を行なった。
 日本では神武天皇即位は辛酉の年とされ、平安前期に三善清行の上奏に拠り901年を延喜と改元して後、僅かの例外を除き、辛酉の年には歴代改元が有った。
※2−2:讖緯説(しんいせつ)とは、中国古代の予言説陰陽五行説に基づき、日食・月食・地震などの天変地異又は緯書に拠って運命を予測する。先秦時代 −前221年の秦に依る統一国家成立以前の時期を指す− から起り漢代から盛行、弊害が多いので晋以後しばしば禁ぜられた。三革(さんかく)の年 −革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)の総称− には変事が多いとする説など。
※2−3:紀元節(きげんせつ)は四大節の一。1872年(明治5)、神武天皇即位の日を設定して祝日としたもので、2月11日(←旧暦の辛酉年1月1日(庚辰)を西暦の紀元前660年2月11日と比定)。第二次大戦後廃止されたが、1966年、「建国記念の日」という名で復活し、翌年より実施。

※3:ベークライト(bakelite)は、フェノール樹脂の代表的商標名。ベルギー系アメリカ人ベークランド(L.H.Baekeland、1863〜1944)の発明。
※3−1:フェノール樹脂(―じゅし、phenol resin)は、フェノール・クレゾールなどのフェノール類とホルム・アルデヒドとを触媒に依って縮重合させた熱硬化性樹脂。成型材料・接着剤などとする。ベークライトは商標名。石炭酸樹脂。

※4:標題音楽(ひょうだいおんがく、program music[英], Programmusik[独])とは、文学的内容・絵画的描写など、音楽外の観念や表象と直接結び付いた音楽。中世から在るが、特にベートーヴェン「田園交響曲」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、リスト「ファウスト交響曲」、スメタナ「わが祖国」など19世紀のロマン派音楽で隆盛。←→絶対音楽。
※4−1:交響詩(こうきょうし、symphonic poem)とは、文学的・絵画的な内容のプログラムを持った1楽章の管弦楽曲。自由な形式を持つ一種の標題音楽で、リストがこの語を初めて用いた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※5:ピツェッティ(Ildebrando Pizzetti)は、イタリアの作曲家(1880〜1968)。パルマ音楽院卒業。古代ギリシャ音楽を研究し、これを作品の根本精神へと発展させた。代表作は歌劇「フラ・ジェラルド」、管弦楽曲「夏の協奏曲」。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※6:イベール(Jacques Ibert)は、フランスの作曲家(1890〜1962)。ドビュッシーやラベルの影響を受け乍らも、伝統と新しい感覚の調和を目指した。交響的組曲「寄港地」など。映画音楽も手掛ける。

※7:ヴェレッシュ(Veress Sandor)は、ハンガリーの作曲家・民族音楽学者(1907〜92)。ピアノをバルトーク、作曲をコダーイに師事。現代的手法とハンガリーの伝統音楽を融合、作品は「弦楽四重奏曲第1番」「パッサカリア・コンチェルタンテ」など。大戦後の1949年にスイスに亡命しスイスで死去、近年再評価されつつ在る。

※8:ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)は、イギリスの作曲家(1913〜1976)。詩人オーデン、テノール歌手ピアーズらと親交。「青少年のための管弦楽入門」歌劇「ピーター・グライムズ」、「戦争レクイエム」などを作曲。

※9:タムタム(tamtam)は、打楽器の一。東洋の大型の銅鑼(どら)に起源し、近世ヨーロッパに渡ったもの。銅製の部厚な円盤を1本撥(ばち)で打つ。

※10:ゴング(gong)は、打楽器(太鼓を除く)の内、容器状のものの称。

※11:真珠湾/パール・ハーバー(しんじゅわん、Pearl Harbor)とは、ハワイ、オアフ島南岸のアメリカ海軍根拠地。1941年12月7日(日本では8日未明)日本海軍が奇襲、太平洋戦争が勃発

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『R.シュトラウス』(安益泰・八木浩著、音楽之友社)。

●関連リンク
R.シュトラウスが後期ロマン派の作曲家と見做される理由▼
「モダニズムの音楽」概論(Introduction to the 'Modernism Music')
日本固有の文化について▼
温故知新について(Discover something new in the past)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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