<ブラボー、クラシック音楽!-曲目解説#10>
ドビュッシー「ベルガマスク組曲」
(Suite Bergamasque, Debussy)

-- 2006.02.26 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2008.06.06 改訂

 ■はじめに - 私が使う「モダニズムの音楽」について一言
 第7回例会(=05年4月14日)で初めてクロード・ドビュッシー(※1)の曲を採り上げました。「モダニズムの音楽」 -直訳すれば「近代主義の音楽」- の初登場です。ドビュッシーの様な印象派の作曲家の曲は一般に”近代音楽”と呼ばれて居ますが、私はこの語の中の「近代」が人に依って時と場合に依って時代範囲が大きくズレを生じる為に「モダニズムの音楽」と置き換えて使って居ます。この議論の詳細は曲目解説の補足説明
  「モダニズムの音楽」概論(Introduction to the 'Modernism Music')
を参照して下さい。{当初この詳細議論をこの章の中で論じて居ましたが、曲目解説とは無関係なので06年6月11日に末尾に追加記事を掲載した際に、上記の如く別ページに分離独立させリンクで参照する様に改訂しました。}

 「モダニズム」という語を使えば大多数の人は凡そ19世紀後半~20世紀前半を想定して下さるでしょう、それで良いのです。

 ■行進曲を聴いた後にドビュッシー
 第7回例会の時点で10人位の会員が居られましたが、その中でクラシック音楽を”意識的”に聴いて居る(=listen)人は主宰者以外には居ませんでした。つまりテレビドラマやCMの中に使われたクラシック音楽の断片を”無意識的”に聞いて居る(=hear)に過ぎません。そして昔の中学時代頃に学校で習い覚えている耳に馴染み易い曲、つまりショパン(「雨垂れ」)やモーツァルト(「アイネ・クライネ」)やドヴォルザーク(「家路」)や学校のブラスバンドが遣っていた行進曲に回帰して仕舞います。
 そういう中でモダニズムの音楽を聴いて貰うのは可なりの苦労が要ります。この日の例会も<元気が出る曲>+<心が安らぐ曲>というテーマを設定して、御馴染みの「行進曲集」で初心者を元気付けた後にドビュッシーのピアノ曲の中から『ベルガマスク組曲』『夢』 -この2曲は厳密には完全にモダニズムに成り切る以前の過渡期の作品(後述)です- で心を安らいで貰うという”2段構え”です。組曲の中の「月の光」と「夢」の2曲は管弦楽曲にも編曲されて単独でしばしば演奏され、多分テレビの音楽にも使われて居る筈で、ドビュッシーの音楽の中では比較的馴染みの有る曲です。
 前置きが長く成りましたが、ここでは『ベルガマスク組曲』について解説します。

 ■曲の構成とデータ
 正式名称は『ピアノ組曲「ベルガマスク組曲」』です。曲の構成は
  第1曲:「前奏曲」 ヘ長調 4/4
  第2曲:「メヌエット」 イ短調 3/4
  第3曲:「月の光」 変ニ長調 9/8
  第4曲:「パスピエ」 嬰ヘ短調 4/4
です。それぞれが自由な形式です。
 題名の「ベルガマスク」については、ローマ留学中にドビュッシーが訪れた北イタリアのベルガモ地方に伝わる舞曲から付けたとか、ドビュッシーがベルガモ地方を訪れた時の印象から付けた、という説が流布されて居ますが、これにはどうも納得出来ません。私は音楽学者の平島正郎氏が『ヴェルレエヌ詩集』(△1)の訳者の鈴木信太郎氏の説を引き乍ら、ヴェルレーヌ(※2)の詩集『艶なる宴』の中の「月の光」という詩の語句から採ったとする鈴木・平島説(△2のp118~121)を支持します -『艶なる宴』は【参考文献】△1では『艶なる讌楽(うたげ)』と表記- が、その理由については後の「考察」の章で詳述します。
  ●データ
   作曲年 :1890年(28歳)
   演奏時間:約18~20分

 ■聴き方 - 静かな心で聴く
 4曲が組曲に成って居ますが”取り敢えず”はそれぞれの曲の「音色」や「音の流れ」を楽しめれば良いと思います。
 第1曲の「前奏曲」は強い低音で始まりますが直ぐに水が滑らかな岩肌を流れ落ちる様なフレーズが現れ、哀調を帯びた中間部の後、再び最初の音形に戻り強い長調の低和音で終わります。第2曲はメヌエットの曲ですが、バロック時代に流行った舞曲のイメージは無くエキゾティックな感じに聴こえます。第3曲の「月の光」は何処かで一度位は耳にして居る曲だと思います。ドビュッシーの作品の中で恐らく最もポピュラーな曲ですが、デリケートで幻想的です。実はこの「月の光」がこの組曲全体の中心です(その理由は後述)。第4曲の「パスピエ」(※3)とはフランスの古い舞曲で3拍子系ですがドビュッシーは古い起源に擬したのか(※3、※3-1)、4/4拍子にして居る為マリオネット(=糸で操る人形)がぎこちなく踊っている様で滑稽に聴こえます。又、五音短音階に近いこの曲は何処か日本の音楽との親近性を感じます。或いはジプシー音階の影響かも知れません。
 こうして”取り敢えず”聴きましたが、もう少し「深い聴き方」を後でご紹介しましょう。

 ■作曲された背景 - 政治・経済・芸術など社会全般の変革期
 ドビュッシーは非音楽的環境の中でパリ西郊のサン・ジェルマン・アン・レで生まれました(1862年)。海兵隊上がりで陶器商人の父マニュエル・アシル・ドビュッシーが次々と仕事を変え転々と引っ越し小学校にも行けなかった幼少期の貧困生活が、作曲者の神経質で人に馴染まない性格を形成し鋭敏な聴覚を育てたと私には思われます。音楽に関しては70年(8歳)頃に南フランスのカンヌに居た伯母クレマンティーヌ(=父の姉)の家でイタリア人からピアノの初歩の手解きを受けた様です。この時期のヨーロッパは激動の時代で、70年には普仏戦争(又は独仏戦争、※4)が始まり、71年にはパリ・コミューン(※5)が結成され、パリは包囲され彼の父はコミューンに参戦し捕虜と成りました。彼がカンヌの伯母の家に身を寄せたのもその様な事情からでした。
 少年ドビュッシーに運命の扉が開かれたのは71年(9歳)にモーテ夫人に出会ってからで、彼女から専門的にピアノを習い翌72年秋に10歳でパリ音楽院に入学出来ました。このモーテ夫人こそドビュッシーが後に深く傾倒する詩人ヴェルレーヌの義母 -娘のマルチド・モーテが詩人の妻- でした。
 パリ音楽院ではピアニストを目指してソルフェージュ(※6)とピアノ奏法を習いますが、作曲にも興味を示し78年(16歳)頃に最初の作品『歌曲「星の輝く夜」』を作曲して居ます。この頃、ドビュッシーは自分の名を貴族風に"Achille de Bussy"と綴ったそうで、音楽の御蔭で段々と上流階級の人々との交わりが増える中で貴族趣味(△2のp33)が芽生えた様です。
 そして80~82年(18~20歳)にはチャイコフスキーのパトロンとして名高いフォン・メック夫人の子女の家庭教師兼夏季のお抱えピアニストに成り、チャイコフスキーがメック夫人に献呈した『第4交響曲』を夫人と連弾して居ますが、夫人のお伴でウィーンを始め中欧・東欧・ロシアを訪れた際にジプシー音階やアジア的な五音音階の旋法(※7)に触れた事(←死後に『ピアノ曲「ジプシーの踊り」』(1880年作)が発見されて居る)、途次ウィーンでワーグナーの『楽劇「トリスタンとイゾルデ」』の上演に接した事は、後の彼の志向性に少なからぬ影響を与えた様です。更にはメック夫人を通じてドビュッシーの作品がチャイコフスキーに紹介されたことで、『ピアノ三重奏曲 ト調』(1880年作)に対しロマン派志向のチャイコフスキーは「形式に欠け、すべてが統一性を欠いている」と酷評して居て、2人の作曲家の資質の違いが見事に出て居ます(△2のp46~49)。
 [ちょっと一言]方向指示(次) ドビュッシーがメック夫人のピアニストを買って出たのは、夫人の娘ジュリアに気が有ったからとか末娘のソフィアに求婚したとかの説も在る様です(△2のp48)。ドビュッシーはメック夫人に対しては「交響曲 ロ短調」(1880~81作、四手ピアノ譜のみの習作、死後モスクワで発見)を献呈して居ます。

 又、もう一つ見逃せないのは80年の冬に素人歌手のヴァニエ夫人と知り合い恋仲に成り、初期の歌曲を夫人に献呈して居る事です。これを契機に以後も歌曲 -特に『歌曲集「叙情的散文」』(1892~93年作)などは自ら作詞- を数多く書き残しましたが、この事実は意外と知られて居ません。
 この頃は芸術の分野でも旧来のロマン派が否定され高踏派(※2-1)や象徴派(※2-3)の文学が流行し、絵画では1874年に官展に落選した画家たちが既存の権威に反発し芸術家無名展(←後に第1回印象派展と呼ばれる)を自主開催(※1-1、※1-2)し、雄叫びを上げ乍ら胎動を開始して居た時期です。
 一方、少年期のドビュッシーを薫陶した伯母クレマンティーヌが1882年に、モーテ夫人が83年に相次いで他界します。そんな中でドビュッシーは84年(22歳)に2度目の挑戦で『カンタータ「蕩児」』に依ってローマ賞を獲得(※8)し嫌々乍らも2年間ローマに留学し漸く頭角を現して来ました。この頃は彼もワーグナーに心酔して居て帰国後88年(26歳)と89年(27歳)に、76年に祝祭劇場が完成しワーグナー派の聖地と成ったバイロイトを訪れて居ます。しかし2度目の訪問で爛熟し切った後期ロマン派の技法に限界を感じると同時にバイロイト体制に嫌気が差し、以後反ワーグナーの音楽を模索し始めます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) ドビュッシーが反ワーグナーに転じたのは、音楽技法上の問題だけでは無くワーグナーが偶像崇拝化されたバイロイト体制への嫌悪が根底に有りました。ムッシュー・クロッシュという匿名で書いた評論集の中で、彼はバイロイト体制を「芸術宗教」としワーグナーを「もうすこし人間らしくありさえすればまったく偉大だったこの男」と酷評して居ます(△3のp176)。しかしその一方でワーグナーの『パルジファル』については「音楽のゆるぎない栄光のために建てられた音の記念碑の、最も美しいもののひとつ」と礼賛して居て(△3のp178)、彼のワーグナーに寄せる複雑な想いを覗かせて居ます。

 そんな中で1889年のパリ万国博覧会(※9)で聴いたガムラン(※10) -それはスレンドロ音階(※10-1)という全音音階(※11)に近い音階で奏される- や東洋音楽の旋法とリズムが彼の音楽に暗闇の中の光明として決定的な契機を与えました、無調への開眼(※12)です。尚、このパリ万博では日本から出品された浮世絵が、ガムランと同様にエキゾティシズム(※13)としてのジャポニスム(※13-1)の新鮮さ故にヨーロッパの画壇に大きな影響を与え、ルネサンス以来の遠近法が打破されて行きました。音楽のみならず時代は「世紀末」(※14)に向かって居たのです。
 こうして『ベルガマスク組曲』はドビュッシーが伝統的な様式に囚われないモダニズムを模索中の1890年に作曲された過渡期の作品で、ロマン派的な表現を残し乍ら五音音階(=非ヨーロッパ的)や全音音階(=無調的)への志向を垣間見せている作品です。
 その後、彼は93年に旋法性を磨く為にソレーム修道院を訪れて居ます(△4のp230~232)。教会旋法(※7-1)はアジア的旋法を内包して居るのです!

 ■考察 - 題名「ベルガマスク(bergamasque)」の由来について
 題名「ベルガマスク(bergamasque)」の由来については、上述の如く私は鈴木・平島説に賛成で、この章ではそれを更に深く掘り下げて論証します。鈴木・平島説については【参考文献】△2のp118~121をお読み下さい。

 (1)ヴェルレーヌへの傾倒
 先ずドビュッシーが如何にヴェルレーヌに傾倒して居たか、ということを示しましょう。以下はヴェルレーヌの詩に作曲した歌曲作品です。

   『歌曲「マンドリン」』(1881年作、90年刊)
   『歌曲集「艶なる宴」』(1881~82年作、未刊)
     (「月の光」(9/8拍子)を含む)
   『歌曲集「忘れられた小唄」』(1886~88年作、88年刊)

  <『ピアノ組曲「ベルガマスク組曲」』(1890年作、1905年刊)>
     (「月の光」(9/8拍子)を含む)

   『3つの歌曲』(1891年作、1901年刊)
   『歌曲集「艶なる宴」第1集』(1891年作、1903年刊)
     (「月の光」(9/8拍子)を含む)
   『歌曲集「艶なる宴」第2集』(1904年作、04年刊)


 都合3曲の「月の光」は何れも9/8拍子ですが、それぞれ別の曲です。前述の如くドビュッシーは1871~72年(9~10歳)に詩人の義母のモーテ夫人からピアノの指導を受けていたので、その頃新婚でモーテ家に同居して居たヴェルレーヌには直接会っている筈ですし、ランボー(※2-4)の登場で詩人夫妻が破局に向かう過程をも間近に垣間見ている筈です。更に90年(28歳)頃のドビュッシーは象徴派の連中が屯(たむろ)する書房に度々出入りし(△2のp85)、伝統的束縛から逃れ新たな道を暗中模索して居る中で、彼はランボー射撃事件や「酒と女と男色」で世間から厭われて居たヴェルレーヌの詩に何故か芸術的光明を見出しました。恐らく響き合う何か、共感出来る何かを詩人の中に直感したのでしょう。中でも詩集『艶なる宴』に深い共感を寄せていたことは上の一覧から明白です。
 詩集『艶なる宴』は1869年に刊行され、ヴェルレーヌが高踏派(※2-1)の影響から脱し幻想的・神秘的な象徴主義(※2-2)の萌芽を見せた転換期の作品です。内気で感受性の強い少年ドビュッシーがヴェルレーヌの詩に強く感化されたのは、寧ろ当然の成り行きで”運命の筋書”だったのかも知れません。
 [ちょっと一言]方向指示(次) ヴェルレーヌは所謂”両刀遣い”の人で、詩人ランボーとの2年間の同棲と放浪の後、1873年に泥酔状態の中でランボー射撃事件を起こし投獄され、妻のマルチド・モーテからランボーとの”同性愛関係”を訴えられ離婚されて居ます(△5のp119)。事実、獄中で刊行された『言葉なき恋歌』はランボーとの官能的な生活を示唆して居ます。この事件でランボーとは断絶、ランボーも『地獄の季節』の最後の「別れ」の中で「虚偽を食いものにしていた」と形容した詩人生活(△5のp51)を20歳の若さで捨て、「何でも屋」兼「交易商人」として、やがてアフリカに新天地を見出しました。しかし、そんな騒動にも拘わらずヴェルレーヌの幻想的な詩は若きドビュッシーに決定的な影響を与え創作の霊感を喚起したのです。

 (2)ベルガマスク(bergamasque)はヴェルレーヌの詩からの引用
 ところで、詩集『艶なる宴』には『ベルガマスク組曲』の第3曲の標題と同名の「月の光」という詩が在り、その中に "bergamasque" という単語が出て来るのです!!
 前述の鈴木信太郎氏は、ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』は「ワットオの画布に対する詩人の幻想である」 -ワットオは古い表記で、現在ではワトー又はヴァトー(※15)と表記- と記して居て(△1のp173)、平島正郎氏もこの鈴木説を支持して居ます。その中の「月の光」の詩は
    君の心は 奇(めず)らかの貴(あて)なる景色
    仮面仮装の人の群 窈窕(ようちょう)として行き通ひ(※16)
    竪琴をゆし按じつつ 踊りつつ さはさりながら
    奇怪(きっくわい)の衣装の下に 仄仄(ほのぼの)と心悲しく

という書き出しで始まり、この中で「仮面仮装の人の群」と訳されて居るフレーズがフランス語の原詩では
    masques et bergamasques
なのです(△6)。つまり「ベルガモ地方の」という意味を持つ "bergamasque" は、ヴェルレーヌがマスク(masque、仮面)と同じ韻律で呼応する対句(couplet)として使用した語なのです。

 (3)ヴェルレーヌとドビュッシーの原風景
      - ワトーの絵画『イタリア喜劇の恋』
 では詩人に「月の光」の霊感を与えた絵は何か?、ワトーの画集(△7)を調べてみましょう。すると『イタリア喜劇の恋』(1718年作)という絵(右下の絵) -これは『フランス喜劇の恋』とペアを成す- が見出されます。因みにワトーの絵画の幾つかは1870年5月以降ルーヴル美術館で見れた様です(△1のp174)。
絵1:ヴァトーの「イタリア喜劇の恋」。 野外で松明を持つ青年(後述)とヴェルレーヌが「竪琴をゆし」と詠んだギターの様な楽器を弾く青年(後述)を囲んで何やら劇が繰り広げられて居ます。そしてギターの棹の背後に「奇怪(きっくわい)の衣装」と形容された斑な服を着て仮面を着けた男(後述)が居ます。そして夜空には雲間から「月」が顔を覗かせて居るではありませんか!
 正にこの絵こそ「月の光」の原風景であり「仮面仮装の人の群」とは間違い無く「旅のイタリア喜劇が演じる仮面劇」の一場面だったことが解ります。そこにはヴェルレーヌとドビュッシーの「共同幻想」(後述)が見て取れます。
 この絵の中で演じているのは、【参考文献】△8に拠ればイアリアの職業的旅芸人集団「コメディア・デラルテ」(※17)で「イタリア人は悲劇をつくり出す能力はないが、喜劇的演技には熟達している」と記されています(△8のp82)。
 「コメディア・デラルテ」は16世紀に北イタリアで興り台本無しに登場人物が仮面を着け即興的に類型化された役柄を演じ通常「3幕に序幕が付く構成」で、歌・踊り・曲芸・パントマイム・お笑い芸などを演じますが、古代ローマ時代にナポリに発した仮面即興喜劇「ファブラ・アテルラナ」(=アテルラナ劇)に起源を持つとされて居ます(△8のp82~88、p39~41、p62)。仮面は役の類型化・固定化の為の小道具の一つで、この手法は古代ローマを更に遡り古典ギリシャ衰退期の喜劇に原型を見出すことが出来ます(△8のp32)
 この絵の中で、問題の怪しい仮面を着けた男が悪党下男役のアルレッキーノ(フランスではアルルカン、※17-1)で、赤・緑・青の斑服を着て居ます。そしてギターを弾くのは間抜けな道化役のペドロリーノ(※18)(←ピエロの原型、ワトーはフランス大道芸のジル(※18-1)の名で呼んでいる)、松明を持つのが半端者役のメズタン(←通常は楽器を持って歌う)です。これらの役は何れも「コメディア・デラルテ」の道化や狂言回し役で、元は「ザンニ」と呼ばれる”ベルガモ地方の田舎者役”が「下男や召使」に変質後に複数に分化したものです(△8のp85~86)。ザンニの仮面の起源を遡ると古代ローマのアテルラナ劇のサンニオや更には古典ギリシャ喜劇の老人の面に行き着く様です(△8のp35)。この絵の他の人物を注意深く見ると、アルルカンの右隣の眼鏡の侏儒がコヴィエロ、ジルの左隣の女が女中役のコロンビーヌ、そのコロンビーヌが振り向いて居る前で黒い鷲鼻の仮面を着けて腰を屈めて居るのが法螺吹き役のプルチネッラ(フランスではポリシネル)、画面右手前で杖を突いて中腰なのが長老役のパンタローネ(←ザンニの分身)か?、と思います(△8のp86~87)。筋書き無しですが、アルルカンやメズタンはコロンビーヌを口説くという定形 -ワトーの絵『アルルカンの打明け話』『愛の調べ』をご覧下さい- が有り、田舎の方言・歌や踊り・即興の瞬間芸を交えてドタバタ喜劇を展開するのが「コメディア・デラルテ」の特徴です。

 (4)ベルガマスク(bergamasque)は仮面男「ザンニ」を暗示
 以上でお解りの様に、「ドビュッシーがベルガモ地方を云々」という流説は「取って付けた話」であって、
 ベルガマスク(bergamasque)とは、詩集『艶なる宴』の中の詩「月の光」に於いて、詩の原風景としたワトーの絵画『イタリア喜劇の恋』の中で仮面を着けた「ザンニ」が”ベルガモ地方の田舎役者”であることを暗示する為に、ヴェルレーヌが仮面(masque)という語と対で使用した象徴句
です。この様な「象徴句に拠る暗示」の見事さこそ象徴派(※2-3)と称されたヴェルレーヌの真骨頂です。ドビュッシーは詩人の象徴句に共感し霊感を得たからこそ組曲の題に引用したのです。

 (5)歌曲集の題「艶なる宴」もワトーの絵から
 ここで序でにヴェルレーヌの詩集及びドビュッシーの歌曲集の題「艶なる宴」にも言及して置きましょう。「艶なる宴」は「艶なる讌楽」(讌は宴と同じ)、「華やかな饗宴」、「艶めく宴」など様々に訳されて居ますが、原題は
    Fêtes Galantes(フェート・ギャラント)
です。fêtes(フェート)とは「祭」「祝宴」「饗宴」で英語の "fete" と同じで、 "festival" に通じる語です。ギャラント(galantes)とは「華美な」「煌びやかな」という形容詞で英語の "gallant" です。
 このフェート・ギャラント(Fêtes Galantes)こそ、美術界では「雅宴」と訳されワトーが王立美術院に提出した作品『シテール島への船出』第1作に対し美術院が「雅宴の画家」として彼を迎えたという曰く付きの画家ワトーに冠せられた称号(※15-1)であり、優雅で繊細な18世紀ロココ様式(※19)に甘美なエロスを添えてその頂点を成した一様式です。以後この様な貴族的で夢幻的な男女の戯れを描いた絵は「雅宴画」と呼ばれました。音楽に於いてはロココの最も華美で繊細で技巧的なギャラント・スタイルに結実しモーツァルトに多大な影響を与えて居ます。
 一方「雅宴の画家」と呼ばれたワトーは生まれ付き虚弱で肺炎を患って、陰気で気難しく人前に出ることを極端に嫌って居た人でした(△7のp78)。彼はイタリア喜劇「コメディア・デラルテ」やフランス喜劇(←当時はコメディー・フランセーズ(※20)の興隆期)を描いた作品を他にも多く描き、こうした傾向は師のクロード・ジローの影響です。貴族の庭園で描いた何枚もの「雅宴」の絵は画家のコンプレックスを投射した彼岸の世界です。ヴェルレーヌに依って「仄仄(ほのぼの)と心悲しく」と詠まれたアルルカンやジルやメズタンらの道化役を多く描き込んで居るのも、そうした人々への画家の共感の表れでしょう。ワトーの作品が真に評価されたのは、死後約100年後のゴンクール兄弟(※21)の『十八世紀の美術』に負う所が大でした。
 [ちょっと一言]方向指示(次) ワトーは若い頃(1703~07年)に芝居絵師のクロード・ジロー -本業の傍ら人形劇の小屋を持つ程の芝居好き- の下で修行し、劇場に出入りし芝居絵に馴染みました。フランスでのイタリア喜劇はルイ14世晩年の約20年間は上演が禁止され、ルイ15世の代の1716年から復活しました(△7のp23、△8のp104)。ワトーはルイ15世の摂政時代(1716~23年)に頂上を極めた画家で、「コメディア・デラルテ」に題材を採った『イタリア喜劇の恋』『ジル』『メズタン』『イタリア風セレナーデ』『アルルカンの打明け話』などの夢幻的な芝居絵を多数描いて居ます(△7)が、それらはジローの弟子時代のデッサンに基づいたか晩年の6年間に描かれたものです。

 (6)幻想の増幅 - ドビュッシーの「月の光」
 ドビュッシーがヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』に深く共感し『ベルガマスク組曲』の他に『歌曲集「艶なる宴」』を2度に亘り作曲して居たことは前述の一覧に示した通りです。中でもヴェルレーヌから特に強い啓示を受けた詩「月の光」と同名の曲は全部で3曲存在しますが、何れも異なる曲です。彼は『ベルガマスク組曲』を作曲する9年も前に歌曲「月の光」を作曲し、更に『ベルガマスク組曲』の翌年にもう一度「月の光」を歌曲にしました。
 それ故に思い入れの強い第3曲「月の光」が『ベルガマスク組曲』全体の中心楽曲である、という結論は自然に導き出されます。ヴェルレーヌがワトーの絵画に霊感を得て幻想した詩集『艶なる宴』の「月の光」の中の成句 "masques et bergamasques"言霊(※22)から、更に増幅された啓示を受けたドビュッシーが「象徴の象徴」(△2のp123)として共同幻想した夢幻の情景 -その情景がワトーの絵画と同じである必要は無い!- を”言葉無き純粋な音列”に結晶させた作品が『ベルガマスク組曲』である、と言えます。
 ところで、ドビュッシーが歌曲「月の光」や『ベルガマスク組曲』を作曲する際に、ワトーの『イタリア喜劇の恋』を見ていたかどうかは判りませんが、後の『ピアノ曲「喜びの島」』(1904年作)は、ワトーの代表作『シテール島への船出』(1717年作、※15-1)を見て直接啓示を受けた作品です。
    {この考察は06年4月6日に追加}

 ■秘められたる情景 - 夢と現実の交錯
 「聴き方」の章では”取り敢えず”の聴き方を述べましたが、「考察」の章を読んだ後でもう一度『ベルガマスク組曲』の第1~第4曲の曲名を
  「前奏曲」、「メヌエット」、「月の光」、「パスピエ」
と並べて改めて見ると、何やら全体を貫く一連の情景の進行が見えて来ます。旅のイタリア喜劇「コメディア・デラルテ」の喜劇は「3幕に序幕が付く構成」です(△8のp84)。先ず序幕で「前奏曲」と共にジルやメズタンが登場し口上を述べ、第1幕で仮面や仮装姿の役者が古典的な「メヌエット」に乗って演技を開始し、次の第2幕で「月の光」の下で松明が揺れる中を夢幻の世界に浮遊させ、最後の第3幕で「パスピエ」を全員で乱舞して現実に戻り、その後多分観衆は宴会に突入するのでしょう、「艶なる宴」に。この組曲の中で「前奏曲」「メヌエット」「パスピエ」は現実世界であるのに対し、「月の光」だけがヴェルレーヌとドビュッシーの共同幻想で増幅された夢想世界です。組曲の中で夢と現実が妖しく交差して居るのです。

 さて、ドビュッシーは『ベルガマスク組曲』を作曲した後に、未刊の『歌曲集「艶なる宴」』はその儘に、新たに『歌曲集「艶なる宴」第1集/第2集』を作曲し刊行した事は「考察」の章で述べました。それだけヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』への想い入れが強かった証で何れも同じ母から生まれた兄弟と言える作品ですが、「月の光」は何れも9/8拍子乍ら楽曲は別です。又「聴き方」の章で「パスピエ」が糸で操る人形が踊っている様に聴こえると述べましたが、『歌曲集「艶なる宴」第1集』には「操り人形」という2/4拍子の曲が在ります(△6)。
 従って深く理解したいという”上級の方”には歌曲「月の光」(異なった2曲が在る)と聴き比べることをお薦めします。注意深く聴けば歌曲では "masques et bergamasques"(マスクゼ・ベルガマスク)と歌っているのが聴き取れる筈です。更にはフォーレの『歌曲「月の光」 作品46-2』も聴き比べることをお薦めします。同じヴェルレーヌの詩を別の作曲家のメロディーで聴くのも面白いものです。フォーレには更に『管弦楽曲「マスクとベルガマスク」 作品112』(原題は正に "masques et bergamasques")という曲が在りその中の「月の光」も聴き比べることをお薦めします。フォーレとドビュッシーは他にも共通の嗜好 -旋法性や文学的題材や女性も- を示して居ますので、興味有る方は調べてみて下さい。

 ■結び - 印象主義の扉未だ開かれず
 音楽から可なり食み出した様に見えますが、そうでは無いのです。芸術家が受けた「啓示の淵源」を明らかにすることは大事な事です、何故ならば「啓示(revelation)」や「霊感(inspiration)」は創作の源泉だからです。特にドビュッシーやモダニズムの作曲家の作品は同時代の他の芸術運動と密接に相互連関して居ます。この作業に依って「ベルガマスク」なる標題の真意を正すことが出来ましたし、ドビュッシーの時代に芸術の有らゆる分野に変革が起こり分立して行った過程がお解り戴けたことと思います。それはいみじくもドビュッシー自身が語っている「作品を通して、それらを生み出させた様々な衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとする」(△3のp14、仮名遣い一部変更)試みに他為らないのです。
 繰り返しに成りますが『ベルガマスク組曲』はドビュッシー的語法としては過渡期の作品で、「印象主義の扉未だ開かれず」です。彼が模索から抜け出し「印象主義の扉を開く」(※1-1)には、『牧神の午後への前奏曲』(1894年作)を待たねば為りません。彼がどの様に新しい地平を切り開いたのかは次の機会に譲ります。

 >>>■その後
  ●06年6月例会で『ベルガマスク組曲』の原風景を紹介
 「考察」の章に記した題名「ベルガマスク(bergamasque)」の由来については、この曲の初登場日には説明しませんでしたが、その後06年6月の例会で『ベルガマスク組曲』から「月の光」だけ聴く機会が有りましたので、その際に題名の由来を説明しワトーの画集(△7)を持参して皆さんに原風景の絵を見て戴きました。
    {この記事は06年6月11日に追加}

  ●「月の写真集」を掲載
 「月の光」の話を述べましたが、私の「ようこそ【エルニーニョの世界】へ」のサイトに「月の写真集」を07年10月30日に掲載しました。月蝕の写真や大写しの丸い月にはクレーターが写って居ますので▼下▼からご覧下さい。
  月見の宴(The MOON watching banquet in Japan)
    {この記事は07年10月30日に追加}

  ●08年6月例会で『ベルガマスク組曲』全曲生演奏を実現
 更にその後、08年6月の例会に於いて遂に『ベルガマスク組曲』全曲生演奏を実現しました。詳細は「「ベルガマスク組曲」全曲生演奏」を是非ご覧下さい!!
    {この記事は08年6月6日に追加}

-- 完 --

【脚注】
※1:クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)は、フランスの作曲家(1862.8.22~1918.3.25)。ヴェルレーヌやマラルメら象徴派の芸術運動の影響を受け、印象主義に向かい、従来の楽式・和声を棄て、新しい和声法・音色法に基づき、感覚的印象・夢幻的気分を表出。弦楽四重奏曲、管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」歌劇「ペレアスとメリザンド」交響詩「海」など。
※1-1:印象主義(いんしょうしゅぎ、impressionism)とは、1860年代フランスで起った絵画を中心とする芸術運動。主に官展を落選した画家たちが自然の変化を正確に捉えようと、対象の輪郭線も固有色も否定し、筆触のアラベスクの様な画面を作り出した。1874年出展のモネの絵の題名「印象―日の出」に由来する名でマネ/ドガ/シスレー/ルノワールらが代表者。遠近法絵画の崩壊を経た、20世紀の内観的絵画の先駆として、彫刻・音楽などにも影響。
※1-2:印象派(いんしょうは、impressionist)とは、印象主義を奉ずる芸術家の一派。音楽ではドビュッシーラヴェルらを指す。

※2:ヴェルレーヌ(Paul-Marie Verlaine)は、フランスの詩人(1844~1896)。フランス象徴派の代表的存在。感情の微妙且つ多彩な変化と持続を音楽的な言葉で歌う。詩集「艶なる宴」(又は「華やかな饗宴」)「言葉なき恋歌」「叡知」。詩集「秋の歌」の詩は上田敏の訳で、日本でも広く知られて居る。
※2-1:高踏派(こうとうは、Parnassian)とは、フランス19世紀後半の唯美主義的詩人の一派。実証主義の影響を受け、ロマン主義に反対、感情を抑制し、客観的な形象を端正な詩形で表そうとした。ゴーチエ/ルコント・ド・リールらを盟主とする。パルナシアン。
※2-2:象徴主義(しょうちょうしゅぎ、symbolism)とは、印象派や自然主義の客観描写に対し、象徴作用と装飾形式に拠って想像の世界を暗示しようとする文学・芸術思潮。
※2-3:象徴派(しょうちょうは、symbolist)とは、象徴主義を奉ずる、又はその傾向を有する詩人の一派。フランスではマラルメを宗とし、ボードレールヴェルレーヌランボー/ヴァレリー、イギリスではイェーツ、ドイツではリルケ、ロシアではベールイ/ブロークなど。又、演劇ではベルギーのメーテルリンクもこれに属する。
 日本では、明治30年代末期から大正時代に栄えた詩人の一派。上田敏の訳詩、蒲原有明・三木露風・日夏耿之介・萩原朔太郎らはその代表。
※2-4:ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud)は、フランス象徴派の詩人(1854~1891)。早熟の才を示し、無頼の生命感に溢れた初期詩編を書いた後、通常の感覚を超えた未知の世界に向かった。以後4~5年で詩作を廃したが、その作品は20世紀文学に決定的な影響を与えた。詩「酔いどれ船」、詩集「地獄の季節」、散文詩集「イリュミナシオン」など。

※3:パスピエ(passepied[仏])とは、17~18世紀に流行したフランス宮廷舞曲。速い3/8拍子又は6/8拍子で、快活な性格を持つ。原義は「足運び」。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
 補足すると、パスピエはバロック期の3拍子系の舞曲で、例えばリュリの「歌劇「町人貴族」」やヘンデルの「水上の音楽」やJ.S.バッハの「イギリス組曲第5番」などに先例が在ります。しかしバロック以前の16世紀にはブルターニュ地方でブランル風に2拍子で踊られて居たことが確認されて居ます。<出典:「音楽大事典」(平凡社)>
※3-1:ブランル(branle[仏])とは、「左右に揺らす」が語源で、向かい合った男女が4拍の間に頭を下げ乍ら左右に1回ずつ体を揺らし輪に成って踊る舞踊です。フランスで "branle" の語が表れるのは15世紀ですが、起源は13世紀のカロル(carole[仏])がその前身とされ当初は2拍子系でしたが、そこから3拍子系のブランル・ゲーが派生し、その変種のブランル・ア・ムネがメヌエット(3拍子)の原形とされて居ます。<出典:「音楽大事典」(平凡社)>

※4:普仏戦争(ふふつせんそう、the Franco Prussian War)は、(「普」は普魯西(プロシア)の略で、プロイセンのこと)スペイン王位継承問題を直接の契機として、1870~71年、プロイセンを主とするドイツ諸邦とフランスとの間に起った戦争。ドイツの大勝に終り、フランスはフランクフルト条約でアルザスやロレーヌの大部分を割譲、償金50億フランを支払った。この結果、フランス第二次帝政が崩壊、第三共和制が発足。戦争終結直前の71年1月、プロイセン王ヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位、ドイツ統一が達成された。独仏戦争

※5:パリ・コミューン(Commune de Paris[仏])は、1871年3月18日~5月28日の72日間に亘り、パリに樹立された自主管理政権。独仏戦争(=普仏戦争)にフランスが敗れた際、パリで小市民/労働者に依る国民軍が結成され、臨時政府/議会に対抗して組織した政府。敵国プロイセンの支援を受けた政府軍の攻撃に因り「血の1週間」の闘争後壊滅。マルクスが「フランスの内乱」で高く評価

※6:ソルフェージュ(solfege[仏], solfeggio[英])とは、[1].旋律をドレミ音名などで歌う読譜唱法。又、その練習曲。
 [2].読譜力/聴音能力/表現力/音楽理論などを養う、音楽の基礎教育の総称。

※7:旋法(せんぽう、mode)とは、〔音〕或る音階に基づく旋律に関し、その動きの性格を規律している法則。ギリシャ旋法教会旋法律旋法呂旋法陽旋法陰旋法など。
※7-1:教会旋法(きょうかいせんぽう、church mode)とは、中世ヨーロッパのグレゴリオ聖歌で確立した旋法。正格・変格各々4種、計8種の旋法から成る。他の4旋法と合わせた12種の旋法は近代の長調・短調へと理論的に体系化された。

※8:ローマ賞(―しょう、Prix de Rome)とは、フランスが絵画・彫刻・建築・音楽の4部門の芸術を専攻する学生に対し競争試験を行い、1等受賞者に王立美術院がローマに持つメディチ荘給付留学させる制度。学生は留学成果(Envois de Rome)として作品の提出が義務付けられる。1663年にルイ14世に依り創始(音楽賞は1803年から)されたが、審査の保守化が弊害を生み1968年にアンドレ・マルロー文化大臣に依り廃止された。

※9:万国博覧会(ばんこくはくらんかい、International Exhibition)とは、世界各国が参加する博覧会。最初は1851年ロンドンで開催。後1928年国際博覧会条約がパリで締結され、日本は1965年加盟。70年には日本(大阪)で開催。略称は万博エキスポ(Expo)

※10:ガムラン(gamelan[インドネシア])とは、(「叩かれるもの」の意)インドネシアの器楽合奏音楽及び楽器の総称。ガンバンなど木製・竹製・金属製の打楽器を用い、儀式の他に演劇や踊りの伴奏とする。
※10-1:スレンドロ(slendro[インドネシア])とは、ペロッグ音階と共にインドネシア音楽に用いられる音階名。1オクターヴを略5等分した音階で、標準高度は無く、音名も地方に依って異なる。全音音階的に聴こえる。インドネシアでは、この音階は「神から与えられたもの」として神聖視され、儀式やインド神話劇の伴奏などに用いられる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※10-2:ペロッグ(pelog[インドネシア])とは、インドネシア音楽の重要な音階。半音を含む五音音階で3種類在り、基本の形は琉球音階に似る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※11:全音音階(ぜんおんおんかい、whole tone scale)とは、全音だけから成る音階。即ち1オクターヴを6つの全音に等分した音階六全音音階。等分音階の為に無調を作り易くドビュッシーが多用。

※12:無調音楽(むちょうおんがく、atonal music)とは、調性の無い音楽。長・短調の音楽と違い、全ての音がそれぞれ対等に独立して中心に成る音(=主音)を感じさせない様に作られる。シェーンベルクらの十二音音楽はそれを組織化したもので典型的な無調音楽である。←→調性音楽。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※13:エキゾティシズム(exoticism)とは、異国趣味。異国情緒。エキゾチシズム、エキゾチズム。
※13-1:ジャポニスム(japonisme[仏], Japanism[英])とは、日本趣味。日本贔屓。日本[人]的特質。特に19世紀後半のフランスで、浮世絵の移入やパリ万国博覧会の出品物に因り流行したもの。印象派の画家などに影響を与える。

※14:世紀末(せいきまつ、fin de siecle[仏])とは、19世紀末のヨーロッパで、頽廃的・懐疑的・冷笑的な傾向や思潮の現れた時期。又、そういう傾向・思潮の現れる或る社会の没落期。「―的」。

※15:ワトー/ヴァトー(Jean Antoine Watteau)は、フランスの画家(1684~1721)。貴族の優雅な生活を描く「雅宴」のテーマを創始。繊細な詩情と色彩感覚を持ってロココ様式を確立した。「シテール島への船出」(2作在る)、「踊る人」「恋の戯れ」など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※15-1:ワトーの代表作の「シテール島への船出」は「シテール島の巡礼」とも訳され、王立美術院の正会員に成る為の資格作品として1717年に製作・提出された作品が第1作で、これに対し美術院は「雅宴(フェート・ギャラント)の画家」として彼を迎え入れました。それ故にこの絵は別名を「雅宴」とも呼ばれます。この2年後頃に同名の第2作を描き現在2作が残されて居ます。
 尚、近年この絵は”船出”では無くヴィーナス像が立つシテール島からの”離島”の場面を描いたものという解釈が有力です。

※16:窈窕(ようちょう)とは、[1].美しく嫋(たお)やかな様。「―たる美人」。
 [2].山水・宮殿などの奥深い様。

※17:コメディア・デラルテ(commedia dell'arte[伊])とは、16世紀中葉にイタリアで成立した即興喜劇。役者はしばしば仮面を被り、即興で台詞を言ったので即興仮面劇とも言う。17世紀初頭フランスに導入。
※17-1:アルレッキーノ(arlecchino[伊])とは、イタリア喜劇「コメディア・デラルテ」の道化役者(悪党下男)。フランス巡業の折、道化役にこの名を与えた。フランスではアルルカン(arlequin[仏])、英語ではハーレクィン(harlequin)。

※18:ピエロ(pierrot[仏,英])とは、(女性はピエレット(pierrette))[1].道化役者。本来はイタリアのコメディア・デラルテの召使役ペドロリーノから生れ、フランスの無言劇の道化役と成ったもの。白粉や紅を塗り、だぶだぶの衣服を着て襟飾りを着け円い帽子を被る。今はサーカスの道化役のクラウン(clown)を指すことが多い。「悲しき―」。
 [2].道化者。人を可笑しがらせる様に振舞う人。又、物笑いに成る人。
※18-1:ジル(gille[仏])とは、[1].頓馬。
 [2].ジル(Gille)という、北仏の縁日芝居のピエロに似た道化
<出典:「クラウン仏和辞典」>

※19:ロココ/ロココ様式(―ようしき、rococo[仏][ style])とは、(rocaille[仏]という「貝殻状の装飾モチーフ」に由来)
 [1].フランスのルイ15世時代の装飾様式。バロック様式のあとを受け1723年から60年頃迄流行。曲線過多の濃厚・複雑な渦巻・花飾・簇葉・唐草などの曲線模様に淡彩と金色とを併用。画家ではワトー/ブーシェ/フラゴナールらがその代表。
 [2].ロココ美術の時代様式概念を音楽に適用した名称で、ロココ音楽(music of the rococo, Musik des Rokokos[独])とも呼ばれる。音楽史の上では、バロックと古典派の間の過渡的様式として位置付けられる。概して、18世紀前半宮廷生活を反映した、優美で装飾的な音楽を言い、クープランラモーD.スカルラッティらが代表者。又、ヨハン・クリスティアン・バッハ青年モーツァルトもこの様式に感化された。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※20:コメディー・フランセーズ(Comedie-Francaise)は、フランスの国立劇場及びその所属劇団。1680年ルイ14世の命に依り旧モリエール一座を中心に各劇団を統合してパリに設立。主に古典劇を上演する。「モリエールの家」とも言う。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※21:ゴンクール兄弟(―きょうだい、Goncourt Brothers)は、フランス自然主義文学の代表的作家(兄:Edmond Louis Antoine de Goncourt が1822~1896、弟:Jules Alfred Huot de Goncourt が1830~1870)。大部分の著作が共著で、兄が題材弟が文体を受け持ったと言われる。「尼僧フィロメーヌ」「ジェルミニー ・ラセルトー」「日記」などが有名。又、日本の浮世絵を収集・研究した。兄弟の死後、遺産を基金とするゴンクール賞を設置。主な受賞者はバルビュス/デュアメル/プルースト/サン・テグジュペリ/サガンら。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※22:言霊(ことだま、spirit of language)とは、(言葉の「たましい」の意)言葉に宿って居る不思議な霊威。古代、その言葉を唱えると、その力が働いて言葉通りの事象が齎されると信じられた。万葉集13「―のたすくる国ぞ」。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『ヴェルレエヌ詩集』(鈴木信太郎訳、岩波文庫)。

△2:『ドビュッシー』(平島正郎著、音楽之友社)。

△3:『ドビュッシー音楽論集 反好事家八分音符氏』(平島正郎訳、岩波文庫)。

△4:『音楽の手帖 サティ』(秋山晃男編、青土社)。

△5:『地獄の季節』(ランボオ作、小林秀雄訳、岩波文庫)。

△6:『新編 世界大音楽全集27 ドビュッシー歌曲集』(浅香淳編、音楽之友社)。この楽譜にも平島正郎氏が解説を書いて居ます。

△7:『ヴァトー』(池上忠治著、新潮美術文庫)。

△8:『世界演劇史』(ロベール・ピニャール著、岩瀬孝訳、文庫クセジュ)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):各種の音階について▼
資料-音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
補完ページ(Complementary):「モダニズムの音楽」について▼
「モダニズムの音楽」概論(Introduction to the 'Modernism Music')
東欧のジプシー音階や五音音階について▼
ドヴォルザーク「交響曲第9番「新世界より」」(Symphony No.9, Dvorak)
ドビュッシーと同世代で後期ロマン派を貫いた作曲家▼
R.シュトラウス「皇紀2600年奉祝楽曲」
(Celebrating music in Imperial 2600, R.Strauss)

フォン・メック夫人について▼
チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」(Violin Concerto, Tchaikovsky)
ワーグナーの聖地バイロイトについて▼
大植英次と大阪フィルハーモニー交響楽団
(Oue and Osaka Philharmonic Orchestra)

エキゾティシズムやジャポニスムについて▼
温故知新について(Discover something new in the past)
舞曲パスピエが取り入れられて居る古楽▼
ヘンデル「組曲「水上の音楽」」(Suite 'Water Music', Händel)
ロココのギャラント・スタイルの音楽▼
モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番」(Violin Concerto No.3, Mozart)
言霊について▼
「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)
月の写真集▼
月見の宴(The MOON watching banquet in Japan)
08年6月の例会で『ベルガマスク組曲』全曲生演奏▼
「ベルガマスク組曲」全曲生演奏(Live performance of 'Suite Bergamasque')
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!-活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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