−− 2005.11.30 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2008.01.16 改訂
■はじめに − 最初は『新世界』から
04年10月1日(金)に立ち上げたクラシック音楽を楽しむ会【ブラボー、クラシック音楽!】の記念すべき第1回例会では、皆さんにこれからクラシック音楽に親しんで貰おうという狙いで、<親しみ易い曲>というテーマを掲げ、つまりメロディアスな曲や学校で習ったであろう曲を中心に選曲しました。そうなると交響曲の分野ではアントニン・ドヴォルザーク(※1)の『新世界』がダントツです。そして曲目解説も又、この『新世界』から始めることにしました。
尚、当会発足の経緯については既に別ページに掲載して在りますので、そちらを参照して下さい。
■曲の構成とデータ
通称『新世界』とか『新世界交響曲』と呼ばれて居ますが、正式名称は『交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」』で、略してこのページのタイトルの様にも表記されます。曲は
第1楽章:アダージョ ホ短調 4/8、アレグロ・モルト [ソナタ形式]
第2楽章:ラルゴ 変ニ長調 4/4
第3楽章:スケルツォ(モルト・ヴィヴァーチェ) ホ短調 3/4
第4楽章:アレグロ・コン・フォコ ホ短調 4/4
という”型通りの構成”ですが、この曲を理解するキー・ポイントは作曲年です。
●データ
作曲年 :1893年(52歳)
演奏時間:約40〜45分
■作曲された背景 − 3年間のアメリカ滞在中に書かれた曲
ドヴォルザークは現在のチェコ、北ボヘミアのネラホゼヴェスの生まれです。既に『スラヴ舞曲』などで1880年代には西欧で名声を馳せていた彼は92〜95年(51〜54歳)にニューヨークのナショナル音楽院の院長として招かれ初めてアメリカの土を踏みました。その滞在中に広大な新大陸の大自然(←彼の祖国は小国)、先住民族であるアメリカインディアン(=西部劇で御馴染み、※2)や奴隷上がりのアフリカ系黒人の音楽の素朴さと目新しさ、未整備な新興国が持つ地熱の様な熱気、などに触れ大いに魂を揺さぶられました。又、休暇でアイオワ州(※3)のボヘミア人移民(※4)の集落を訪れ異国の地で祖国への想いを新たにしました。この様な「異文化」の衝撃と故国への望郷の想いから93年の52歳の時に『新世界交響曲』と『弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96「アメリカ」』が、更に95年(53歳)に『チェロ協奏曲 ロ短調 作品104』が書かれました。この3曲はドヴォルザークの「アメリカ三部作」と言い得る作品群で、従って『新世界』をより深く理解する為には『弦楽四重奏曲「アメリカ」』や『チェロ協奏曲』と聴き比べることをお薦めします。
ところでドヴォルザークをアメリカに招聘したのはナショナル音楽院の設立者であるジャネット・サーバー夫人で、大富豪の彼女は南北戦争(1861〜65年、※5)で漸く国の方向性が決まった後の「アメリカの国民音楽」(※1−1)を確立する為に高額な報酬で彼を迎え、彼の到着はアメリカのマスコミに大きく取り上げられて居ます。
「新世界より」という標題は作曲者自身の手で総譜(=スコア)の扉に記入されたもので、初演は1893年12月16日にアントン・ザイドル指揮ニューヨーク・フィルハモニー管弦楽団(New York Philharmonic)に依り行われ大成功を収めました。この時多くの批評家が「この交響曲に依りアメリカ音楽が発見された」と評しましたが、ドヴォルザーク自身は「これはボヘミアの音楽であり、これからもボヘミアの音楽であり続ける」と語った、というエピソードが伝わって居ます。
その後ドヴォルザークは1895年にボヘミアに帰国し、1901年プラハ音楽院長に就任。1904年5月1日にプラハの自宅で死去し、国葬が営まれました(△1)。
■ミーハー受けする『新世界』ですが
『新世界』が日本で、特にクラシック音楽に馴染みの少ないミーハー的聴衆に人気が有るのは何と言っても第2楽章のメロディーに「遠き山に日は落ちて」という歌詞が付けられ『家路』という歌で親しまれて居る所為ですが、そこだけに迎合し第2楽章だけ聴く様な事をすると、単なるムード音楽やポップスに堕して仕舞います。複数の楽曲が組曲と成り演奏時間が長いクラシック音楽を聴く為には、やはり「全体の構成と構造」を理解する、そして「全体を聴く」という態度こそが肝心です。演奏者側はこれを行って居ますので、聴く側も「理解して聴く」作業は可能です。私の主宰するこの【ブラボー、クラシック音楽!】では、そういう正統的なクラシック音楽の”聴き方”に慣れて行くこと、を中心目標にして居ます。クラシック音楽を本当に好きに成るには、迂遠な様で実はこの態度が最も近道且つ王道なのです。
■聴き方 − 個性と意外性を感じ取る
第1楽章が古典派様式を踏まえたソナタ形式(※6)で始まる”型通りの構成”の楽曲ですが、それにも拘わらずこの曲のモチーフやメロディーが喚起する印象が必ずしも”型通りでは無い”という点がこの曲の魅力の様に思えます。具体的に言うと、グランド・キャニオンの夜明けを連想させる様な第1楽章、イングリッシュ・ホルン(※7)で奏でられるメロディーが郷愁を誘う第2楽章、少し滑稽に聴こえる第3楽章、そして躍動的で一挙にクライマックスに驀進させようとする終楽章(=第4楽章)はベートーヴェンの終楽章を意識した様な響きさえ感じられます。
この曲の第2楽章と第3楽章は、ロングフェロー(※8)の詩『ハイアワーサの歌』の中の「インディアンの葬式」と「インディアンの祝宴」(※2)の場面からそれぞれの霊感を得たという説も在り、全体の統一よりも個々の楽章がそれぞれの個性を発揮して次々と新たなイメージを展開させて呉れる曲です。
そういう意味では1つ前の『交響曲第8番 ト長調 作品88「イギリス」』と好対照です。『イギリス』が全体的な統一感の中でバランス良く真円的な球形に纏められて居るのに対し、『新世界』の方は真円的では無く個々の楽章が自己主張して凹凸(=歪み)が有るのです。この凹凸は想い入れ過剰と言うか”力(りき)み”から来ていると思われますが、『イギリス』が「さっぱり味」なのに対し『新世界』は「こってり味」です。
これを壁にボールをぶつけて取る遊びに譬えると、『イギリス』は壁から跳ね返って来るボールの方向が予め予測出来るのに対し、『新世界』はボールの凹凸の為に予測を超えた方向に跳ね返る”意外性”を含んで居ます。この”意外性”は指揮者や演奏者に依って違い、聴く側の理解度に依っても違い常に「新鮮さ」を聴く耳に与える源泉で、それが『新世界』の魅力に成って居ます。従って『交響曲第8番「イギリス」』と聴き比べてみるのもお薦めです。
■SLマニアだったドヴォルザーク
ところで、私は『新世界』の第3楽章に少し変わった角度から興味を持って聴いて居ます。先程は「滑稽に聴こえる」と書きましたが、交響曲の第3楽章に置かれるのを通常の”型”とするスケルツォ楽章(※9)は諧謔性やユーモアを含んで居ますが、第3楽章の3拍子のリズムが「シュッポッポ、シュッポッポ」と、少し喘ぎ気味の蒸気機関車の様に聴こえて仕舞います。そして第4楽章の冒頭部分は、休憩して元気を取り戻した蒸気機関車が加速し全速力で疾駆する時のロコモーションの様な感じがします。
実はドヴォルザークは少年時代に、ボヘミアの村を煙を吐き乍ら牽引して走る蒸気機関車の姿に魅せられ、以後列車が家の近くに来ると蒸気機関車を見に飛び出して行きました。ニューヨークでは祖国で見たのとは比較に成らない長連結列車の迫力に圧倒され、グランド・セントラル駅に出掛けては蒸気機関車の車輌番号をメモしたり、と今で言うSLマニア(=可なり重症)でした。彼は初めて蒸気機関車に出会った子供の時の感動を生涯心の中に持ち続けた人でした。
■考察 − ボヘミア音楽と日本音階との親近性について
日本人がドヴォルザークの曲を好む理由は第2楽章の「家路」の他にもう一つ有るのです。それは『新世界』以外の曲 −『弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」』『スラヴ舞曲』『チェロ協奏曲 ロ短調』『ユーモレスク』− にも共通して言えることですが、ドヴォルザークの曲には情緒的な短調の曲が多くそのメロディーの音階が日本の所謂「四七抜き(ヨナぬき)音階」という五音音階に近い、ということです。「四七抜き音階」については参照ページの資料を開いて戴きたいのですが、要するにドヴォルザークの曲は
第1に、情緒的である
第2に、日本の民謡や子守唄の「四七抜き音階」に近い
という特徴を持っている為に日本人に好まれるのです。これは彼の出生地であるボヘミア地方にはボヘミアン(※4−2)と呼ばれるジプシー(※4−3)が多数住んで居て、アジア的なジプシー音階の影響を強く受けている為です。
これをボヘミア地方を含むチェコ(※4−1)の音楽にその儘拡張して良いのかは更に広範な調査を要しますが、我が国では同じチェコ国民楽派のスメタナの『交響詩「わが祖国」』の中の「モルダウ」も同じく親しまれ、チェコ民謡の『おお牧場は緑』『気のいいアヒル』『ストドラパンパ』などが日本で違和感無く受け入れられて居ますので、少なくともドイツやフランスやイタリアなどのバタ臭い国よりは音楽的に日本と親近性が有る様に思われます。
■結び − 曲目解説事始の心
04年10月1日から、細々と始めた【ブラボー、クラシック音楽!】でしたが、1年を経過し常連のリスナーも幾人か出来、私も自信を得ましたので、この辺で今迄皆さんと一緒に聴いて来た曲の曲目解説を載せて行こう、と考えその第1作にこの会の立ち上げの最初に聴いたドヴォルザークの『交響曲第9番「新世界より」』を選びました。
今後も今迄聴いた曲の解説を”ボチボチ”と増やして行こうと思って居ますので、焦らず御期待下さい!!
>>>■その後
●「家路」のメロディーに日本人で最初に歌詞を付けたのは宮沢賢治
2007年11月7日の第35回例会で4度目の『新世界交響曲』を掛けました。皆さん好きでからこの曲を。が4度目なのでちょっと趣向を変えて、と言うか少し捻って<新世界と銀河鉄道>というテーマで遣りました。銀河鉄道とは勿論、宮沢賢治(※10)の童話『銀河鉄道の夜』(1927年頃作、△2のp163〜240)です。しかし『銀河鉄道の夜』の部分的なイメージはもっと早くから持って居た様で、例えば「冬と銀河ステーション」という銀河軽便鉄道が走る詩は1923年12月10日に作られて居ます(△2−1のp66〜68)。
『新世界交響曲』第2楽章のメロディーに歌詞を付けた「家路」という歌は日本人にはお馴染みですが、元々はW.A.フィッシャーというアメリカでのドヴォルザークの弟子だった黒人が1922年に作詞しました。それを堀内敬三が日本語に翻訳して「家路」という題が定着しました。今は『遠き山に日は落ちて』(1932年作)と題されて居て(←この歌の発表当時は「家路」という題でした)、野上彰作詞の方を『家路』(1946年頃作)としています。
しかし、実は「家路」のメロディーに日本人で最初に歌詞を付けたのは宮沢賢治で、『種山ヶ原』という詩です(1925年作)。この事実は殆ど知られて居ないので、この日に「宮沢賢治の「家路」の歌『種山ヶ原』と童話『銀河鉄道の夜』」と題して特別解説をさせて戴きました。賢治はレコード収集家(SP盤)として”知る人ぞ知る(知らない人は全然知らない)”存在ですが『銀河鉄道の夜』には『新世界交響曲』が出て来るのです。詳しくは
資料−ドヴォルザーク「家路」の歌詞(Lyrics of ”Goin' Home”, Dvorak)
をお読み下さい。
そして私たちは次の月から全員合唱でも『種山ヶ原』を採り上げ歌ってみました。ちょっとごつごつした詩ですが大正ロマンの花巻へ思いを馳せました。
{この記事は08年1月16日に追加}
【脚注】
※1:Antonin Dvorak。日本語ではドヴォルザーク/ドヴォルジャーク/ドボルザークなど。チェコの作曲家(1841.9.8〜1904.5.1)。スメタナと並ぶチェコ国民楽派の代表者。個性的な旋律法や和声法を用いて作曲し、ブラームスやヨアヒムらに認められた。1892年から3年間ニューヨークの国民音楽学校(=ナショナル音楽院)の校長として渡米、アフリカン・アメリカンの民謡に通じる故国の旋律を取り入れた交響曲「新世界より」を発表。又「ヴァイオリン協奏曲イ短調」「チェロ協奏曲ロ短調」「スラヴ舞曲」など、管弦楽曲に優れた。他に「ユーモレスク」、弦楽四重奏曲「アメリカ」など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※1−1:国民楽派(Nationalist School)とは、19世紀半ばから20世紀に掛けて、音楽に国民的な特色を取り入れようとした音楽史上の流派。スラヴ系諸国から北欧・南欧に広がったもので、従来の芸術音楽を支配して居た中部ヨーロッパ(=ドイツ/イタリア/フランス)の音楽に対し、それぞれの国の民謡や民族音楽に基づく国民的な音楽を創造しようとした。ロシアのグリンカや五人組(バラキレフ、キュイ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、ボロディン)、チェコのスメタナやドヴォルザーク、フィンランドのシベリウス、スペインのアルベニスなど。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※2:アメリカインディアン(American Indian)は、(ヨーロッパ人が、インド人だと考えたことから)南北アメリカ大陸先住民の総称(但しエスキモー、アリュート、ハワイのポリネシア人を除く)。言語/文化には地方的な差が大きいが、全て最終氷期に当時陸続きであったベーリング海峡を経てアジア大陸から渡来した人々の子孫で、モンゴロイドの特徴を持つ。
※3:Iowa。アメリカ合衆国中部のミシシッピ、ミズーリ両川に挟まれた州。大豆などを中心とした有数の農業州。州都デモイン。
※4:ボヘミア(Bohemia)はチェコの西半部。北はポーランド、東はモラビア、南はオーストリア、西はドイツと接している。5世紀以降チェコ人が居住。第一次大戦後チェコスロヴァキア共和国の一部と成る。地味は肥沃でジャガイモ・テンサイ・ホップなどの産多く、又、ガラス・機械類の工業も盛ん。中心都市プラハ。チェコ語ではチェヒ、ドイツ語名ベーメン。
※4−1:チェコ(Czech)は中部ヨーロッパに位置する共和国。面積7万9千ku。人口1033万(1995)。ボヘミアとモラヴィア両地方から成る。1939年スロヴァキアと分離してドイツに合併、45年再びスロヴァキアと合併。93年独立。首都プラハ。狭義にはボヘミアを指す。
※4−2:ボヘミアン(Bohemian)は、(元「ボヘミアの住民」の意)ジプシーと同義。
※4−3:ジプシー(Gypsy)とは、(「エジプトから来た人」に由来する英語の他称で、彼等自身は「人」を表すロム(Rom)の複数形ロマ(Roma)を自称)
[1].インド北西部が発祥の地と言われ、6〜7世紀から移動し始めて、今日ではヨーロッパ諸国/西アジア/北アフリカ/アメリカ合衆国に広く分布する民族。言語はインド・イラン語系のロマニ語を主体とする。移動生活を続けるジプシーは、動物の曲芸・占い術・手工芸品製作・音楽などの独特な伝統を維持する。
[2].転じて、放浪生活をする人々。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5:アメリカ合衆国の南北両地域間に起った内戦(1861〜65)。19世紀前半、奴隷制大農園が基盤の南部と産業社会への途上の北部が併存して居たが、西部の新領土への奴隷制拡大を巡り対立が深化。1860年共和党のリンカーンが大統領に当選すると南部諸州が翌年合衆国から離脱、アメリカ連合(南部連合)を結成して北軍を攻撃。以後65年に南軍が降伏する迄戦乱は4年間続く。北部の勝利で合衆国の統一が維持され、奴隷制廃止も達成された。
※6:ソナタ形式(―けいしき、sonata form)とは、器楽形式の一。ソナタ・交響曲・協奏曲などの第1楽章に主に用いる形式。普通、2つ又は1つの主要主題を持ち、提示部・展開部・再現部から成り、序奏や結尾部(コーダ)を付けることも有る。
※7:English horn。オーボエ系統の縦吹き木管楽器。コール・アングレ。
※8:Henry Wadsworth Longfellow。アメリカの詩人、ハーヴァード大学の近代語教授(1807〜1882)。作風は平明・流麗。「人生讃歌」「エヴァンジェリン」「ハイアワーサの歌」などの作の他、ダンテ「神曲」の訳詩が有名。
※9:スケルツォ(scherzo[伊])とは、〔音〕古典派以降の多楽章作品中の一楽章に用いられる急速な3拍子の軽快な楽曲。特にベートーヴェン以後、メヌエットに代る楽章として定着。普通は中間部にトリオを挟む複合三部形式を採る。独立した楽曲としても作られた。諧謔曲。
※10:詩人・童話作家(1896〜1933)。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、花巻農学校の教師として農業研究者・農村指導者として献身する傍ら詩・童話を発表した。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『立体クラシック音楽』(吉崎道夫著、朝日出版社)。
△2:『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治作、角川文庫)。
△2−1:『宮沢賢治詩集』(宮沢賢治作、中村稔編、角川文庫)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):宮沢賢治の『種山ヶ原』が
日本で最初の「家路」の歌▼
資料−ドヴォルザーク「家路」の歌詞(Lyrics of ”Goin' Home”, Dvorak)
@参照ページ(Reference-Page):四七抜き音階や五音音階について▼
資料−音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
当会の基本理念と発足の経緯▼
「ブラボー、クラシック音楽!」発足の経緯
(Details of our CLASSIC event start-up)
「全体の構成と構造」を理解し「全体を聴く」ことの大切さ▼
ベートーヴェン「交響曲第9番「合唱付き」」(Symphony No.9, Beethoven)
ドヴォルザークの「アメリカ三部作」▼
ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」(Cello Concerto, Dvorak)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')