<ブラボー、クラシック音楽!−曲目解説#8>
多田武彦「男声合唱組曲「富士山」」
(Men's voice chorus 'Mt. Fuji', Takehiko Tada)

−− 2006.02.18 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■はじめに − 日本人としてのクラシック音楽の聴き方
 クラシック音楽と言うと、どうしてもヨーロッパ音楽が中心に成ります。これは記譜法を始め音楽理論や演奏法が主としてヨーロッパに於いて発展して来た歴史的過程から当然ではあるのですが、私はアジアの一員たる日本人がクラシック音楽を聴く場合にはヨーロッパ系の人が聴く場合と自ずから少し異なるのは寧ろ当然だと考えて居ます。例えば日本人がドヴォルザークの『新世界交響曲』を好むのには、それなりの理由が有ることは既に指摘した通りです。
 私はこの会で、単なる”西洋気触れ”に陥らない様なアジアの一員たる「日本人としてのクラシック音楽の聴き方」を心懸けていて、毎月の例会の最後に「日本の唱歌」を皆さん共に唄うのもその一環です。これについては別途詳論を掲載しますので、ここでは省きますが。
 以上の様な想いから第6回例会(=05年3月10日)に初めて邦人作曲家の作品を聴いて戴くことにしました。クラシック音楽で邦人作曲家と言うと、誰しも直ぐ滝廉太郎か、然も無くば難解な現代音楽の作曲家を連想すると思いますが、私は万葉以来日本人の心の奥底に連綿として継承されて来た「月を観て虫の音(ね)を聴く」という感性を呼び覚ます様な日本的抒情歌、そしてこの日のテーマ<春を感じる曲>に相応しい曲、という2つの条件から多田武彦(※1)が草野心平(※2)の詩に作曲した『富士山』という合唱曲を採り上げました。

 ■多田武彦について
 ところで、この曲の作曲者・多田武彦は一般には殆ど無名ですので、この機会に少しアピールして置きましょう。概略は【脚注】※1を見て下さい。
 一般には殆ど無名ですが多田武彦は男声合唱界では超有名人です。日本の男声合唱団や大学のグリークラブ(※3)で彼の曲を演奏して無い合唱団は殆ど無いと言えます。多田作品がそれ程愛唱されて居る秘密は何処に有るのか?
 その第1が俗に「多田節」とか「タダタケ節」と呼ばれて居るもので、一言で言えば日本的抒情性に溢れたメロディーと和声で何処か昔懐かしい香りがします。それは彼の作品全体を覆う特徴で、初めて聴く曲でも彼の作品と判る個性を具えて居ます。それは丁度古賀政男の曲が「古賀メロディー」と呼ばれる艶歌調で括られるのと同様で、J.S.バッハやモーツァルトの曲がその特徴から誰の作曲か直ぐ判るのと同様です。しかし専業の作曲家で無い、という意味でアマチュア作曲家である多田武彦が、幾多の専業のプロの作曲家も成し得ないこの様な「個性の表出」に成功し、それに依って男声合唱団のレパートリーとして永く歌い継がれて居る、という事実はスゴイことなのです。彼は技術的には決してアマチュアではありません。私はこの様な人をもっと多くの人々に知って貰いたいと思って居ます。

 ■曲の構成とデータ
 正式名称は『男声合唱組曲「富士山」』です。曲の構成は
  第1曲:作品第壱(=1)
      「麓には桃や桜や杏さき むらがる花花に蝶は舞ひ...
       夢みるわたくしの 富士の祭典」
  第2曲:作品第肆(=4)
      「川面に春の光はまぶしく溢れ...
       花輪が円を描くとそのなかに富士がはひる」
  第3曲:作品第拾陸(=16)
      「牛久のはての はるかのはての山脈の
       その山脈からいちだん高く 黒富士」
  第4曲:作品第拾捌(=18)
      「嗚呼 まるで紅色の狼火のように 豊旗雲は満満と燃え...
       地軸につづく 黄銅色」
  第5曲:作品第弐拾壱(=21)
      「平野すれすれ 雨雲屏風おもたくとざし...夕映えの 富士」
です。現代日本の合唱曲には古典派交響曲の様な定型は有りません。
 各曲の標題に添えられた番号は草野心平の詩『富士山』から抜粋した詩の番号ですが、この番号は出版された本に依って多少異なる様で、私が所持して居る本(△1)では第1〜2曲は同じですが
  第3曲:作品第拾捌(=18)
  第4曲:作品第弐拾(=20)
  第5曲:作品第弐拾参(=23)
と成って居ます。アラウンド・シンガーズ版のCDの解説書に拠れば作曲者は新潮文庫の番号に依拠して居る様です。

  ●データ
   作曲年 :1956(昭和31)年(26歳)
   演奏時間:約17〜20分

 ■聴き方 − 詩の情景を想い描く
 合唱曲の場合、単声の独唱曲に比べ歌詞が判り難いのが特徴です。これは多声部の為に歌詞が複合的に扱われるので当然なのです。従って歌う側は歌詞をはっきりと発音する、逆に聴く側は −特に母国語の歌では− 歌詞を聴き取ることが「聴き方」の第一条件です。この曲の詩は情景描写が中心なので、詩の情景をイメージとして頭の中に想い描くことが出来れば、曲は自ずと心の中に沁み込んで来ます。
 第1曲は富士の麓で展開される原始的祭典にタイムスリップし、第2曲は春の田園での少女たちの遊戯に郷愁を誘い、第3曲は関東の牛久(うしく)地方から近隣の山々の背後に見える黒い富士の神々しさ、第4曲は地球の中心に連なる富士の存在感、第5曲は心平自身が「宇宙線富士」と副題を付して居る様に、夕映えの富士の雄雄しい姿に降り注ぐ大驟雨(しゅうう)の様な宇宙線を通して宇宙と連なる富士を謳い上げて居ます。
 「多田節」は第1曲の冒頭から出て来ますが、特にはっきりと聴かれるのは第4曲の出出しの短調の哀愁漂う部分と第5曲の長調に転じた「降りそそぐそそぐ...」の明るい部分です。

 ■作曲された背景 − 少し気張って作曲
 この曲は銀行マンの傍ら「日曜作曲家」としてスタートした多田が、1954年の『男声合唱組曲「柳河風俗詩」』に続いて作曲した第2作です。前作『柳河風俗詩』が師の清水脩(※4)に「概ね良く出来ているが声域に囚われ過ぎ」と評されたので『富士山』では「声域を気にし過ぎずに力強くスケールの大きい曲」に仕上げた様です。
 しかし少し気張ったのか、第5曲の「多田節」の部分はやや陳腐 −このメロディーと和声は1950年代に輸入されたアメリカン・ポップスで常套的に使い古されたコード進行(※5〜※5−2)− で、これを多用すると素人受けはしますが安っぽく成ります。この曲が書かれたのが1956年ですから、戦後アメリカ文化に触れてミュージカル映画の監督を志した(※1)という多田は50年代アメリカン・ポップスの影響を受けていたのかも知れません。私見ですが、抒情的な「多田節」は力強い曲よりも繊細な曲向きの様に思われます。

 ■多田武彦と合唱との関わり
 多田武彦は我が大阪の生まれです。彼を合唱の世界に引き摺り込んだのは旧制大阪高校の1年先輩・田中信昭(=東京混声合唱団の創立者兼正指揮者で現在東混の桂冠指揮者)です。又、彼と清水脩との縁は京大在学中に京大男声合唱団の指揮者として清水脩の代表作『男声合唱組曲「月光とピエロ」』(詩:堀口大学)を演奏したからです。

 ■結び − 日本人としての共感
 「多田節」は時には”陳腐・凡庸”に陥り易い面も有りますが、それは「古賀メロディー」でも同様です。尤も「古賀メロディー」は商業艶歌なので、それを”陳腐・凡庸”と評する頑固者は居ません、売れてナンボの世界ですから。
 最後に多田作品が永く愛唱されて居る秘密をもう一つ挙げて置きましょう。その第2は、詩を厳選しその詩に「日本人としての共感」を持って作曲して居るからからです。これは師・清水脩の教えを忠実に実行したものですが、この作る側の「共感」が演奏者や聴衆の「共感」を更に喚起して来ました、少なくとも1980年頃迄は。
 今、日本人のアイデンティティーが崩れ始め「日本人としての共感」が曖昧に成っている、と感じているのは私だけでしょうか?!

−− 完 −−

【脚注】
※1:多田武彦(ただたけひこ)は、合唱曲作曲家(1930〜)。大阪市生まれ。祖父や父は松竹の役員で、幼少の武彦を興行師にすべく歌舞伎・演劇・映画・浪曲などを鑑賞させた。中学生の時に敗戦を迎え、どっと移入されたアメリカ文化に触れてミュージカル映画の監督を志し和声学や作曲を独学。しかし興行の不安定さを避け京大法学部に進み銀行に就職。銀行員の傍ら清水脩に対位法を師事し、「日曜作曲家」として男声合唱曲を中心に多数の合唱曲を作曲。特に「多田節」と言われる日本的抒情溢れるメロディーと和声に特色が有り、男声合唱組曲「柳河風俗詩」「富士山」「雪明りの路」「雨」などが代表作。

※2:草野心平(くさのしんぺい)は、昭和時代の詩人(1903-1988)。福島県生まれ。詩誌「歴程」を創刊し、その中心として活躍。庶民的野性味と官能的・幻想的詩風。第二次世界大戦後「定本蛙(かえる)」で第1回読売文学賞受賞。宮沢賢治を世に紹介した功績も大きい。1987年文化勲章受章。詩集「蛙」「第百階級」「富士山」、随筆「わが光太郎」。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※3:グリークラブ(glee club)とは、[1].(Glee Club)1783年に始められたロンドンの男声合唱クラブ。1857年解散。
 [2].転じて、男声合唱団

※4:清水脩(しみずおさむ)は、オペラ・合唱曲の作曲家(1911.11.4〜1986.10.29)。大阪市生まれ。家は浄土真宗の寺、父は四天王寺舞楽の楽人という環境は後の創作に大きな影響を与えた。幼少の頃から雅楽に親しみ中学から本格的に音楽を学ぶ。大阪外国語大学フランス語科卒後、東本願寺研究生として東京音楽学校(現東京芸術大学)に進み作曲を学ぶ。1946年に全日本合唱連盟創設、47年に仏教音楽育成の為に日本宗教音楽協会を創設。代表作は創作オペラ「修善寺物語」「大仏開眼」「聟選び」、男声合唱組曲「月光とピエロ」「アイヌのウポポ」、混声合唱組曲「山に祈る」、管弦楽「交響曲第1番」、交声曲「蓮如」「平和」など。筆名は龍田和夫。

※5:コード(chord)とは、元々は弦楽器の弦で、そこから和弦、和音を表します。コードネーム(chord name)はポピュラー音楽やジャズの記譜で、和音を表示する記号。「Dm」「G7」など。
※5−1:コード進行(―しんこう)とは、ポピュラー音楽やジャズで和音の進行をコードネームで表したものです。
※5−2:私が言う「1950年代に輸入されたアメリカン・ポップスで常套的に使い古されたコード進行」とは、ハ長調で記すと
  C → Am → F → G7(これの少し変形が C → Am → Dm → G7)
と進行する型を指して居ます。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『草野心平詩集』(入沢康夫編、岩波文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):虫の音について▼
資料−昆虫豆知識(Insect Trivia)
日本人がドヴォルザークの『新世界交響曲』を好む理由▼
ドヴォルザーク「交響曲第9番「新世界より」」(Symphony No.9, Dvorak)
日本人の感性やアイデンティティーについての私の見解▼
温故知新について(Discover something new in the past)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


トップページの目次に戻ります。Go to site Top-menu 上位画面に戻ります。Back to Category-menu