益田一族の経緯
藤原鎌足を先祖とする藤原一族が、石見地方に国司として来て、次第に土着し、西石見屈指の領主として成長して栄えていった。
 源平合戦の時は平家の勢力が強い中国地方で、少数の源氏方として活躍し、その動功として石見一帯の領地を貰い、 石見国・押領使に就任する。
 1192年に御神本兼高が石見の益田に本拠を移して、益田七尾城を築き、益田氏を名乗るようになった。

最全期は1500年代、貞兼(藤兼の曽祖父)の時代で石見半国と長門・筑前の一部を支配、11万石(23城)を支配した、藤兼の時代も7万石前後は支配していた、また元祥の時代の最全期は8万600石を有した、関ケ原の後は須佐郷の1万2105石を支配した毛利家の家老。

益田大斬りへ戻る。