☆ カクハバードを北上する者たち

 あなた。ミニマイトのジャン。七匹の大蛇。

(7/26/03)

☆★ 新訳(創土社版)『ソーサリー!』発売直前

 いよいよ創土社から出版される『ソーサリー!』の新訳が来たる7/30に発売される。まずは第一巻からだが、ここで少しばかり違和感を覚える人もいるだろう。そう、タイトルが東京創元版とは違うのだ。『魔法使いの丘』から『シャムタンティの丘を越えて』に変更されているのである。ちなみに原題は『THE SHAMUTANTI HILLS』。実は今回のタイトルのほうが、どちらかというと原題に忠実なわけだ。

 訳者が東京創元版とは異なり、全巻を通じて浅羽莢子さんが担当されるという今回の復刻。浅羽さんと言えば『火吹き山の魔法使い』『バルサスの要塞』の訳者である。この二作はゲームブックの元祖とも言える作品で、日本で発売された時期も早かったと記憶している。そのため「その独特の言い回し=ゲームブック」的な印象を持っている方も多いのではないだろうか。英語そのままの横文字カタカナではなく、日本語を当てはめた字面からかもし出す雰囲気は、おびただしい数のコンシューマーゲームでRPG的な横文字カタカナ用語が氾濫しチープになりつつある今、改めて不思議で新鮮なものになるのではないかと期待している。

 訳者が東京創元版と異なる以上、様々な固有名詞が以前とは異なるのは必然である。現在創土社のホームページなどから判っている例として、「ヒルジャイアント→丘巨人(モンスター名)」「王たちの冠→諸王の王冠(アイテム名・タイトル)」「カーレ→カレー(街の名前)」が挙げられる。特にモンスター名はかの『モンスター事典』が浅羽さんの訳であることから、これに添った名称になるのだろう。「生ける屍→生き骸」「スライムイーター→肥喰らい」「ブラック・エルフ→黒エルフ」「レッド・アイ→赤目」といったところがすぐに思いつくが、いわゆる一般的となって久しいRPGの印象とは大分変わるではないか。言葉というのは不思議な物である。

 今回の創土版では4巻とも浅羽さんの訳になることは前に触れた。実は前回の東京創元版ではそれぞれの訳者が違ったために、ある種の混乱が起きていて、それが少々の不満に感じていたのである。たとえば、「ミニマイト」(第一巻)と「小さなマイト」(第二巻)。第四巻でアイテム選択肢として登場する「イエローフルーツの皮」(入手経路が判らない)。再びミニマイトになるが、ジャンの口調が巻によって異なる(第一巻では「僕」、第四巻では「俺」)など。創土版ではそれらの統一が図られるだろう。訳品としてレベルが大いに上がるはずである。全ての巻が手元にそろうのが待ち遠しい。

 ところで話は創土版からそれるが、何故東京創元版では訳者が巻ごとに異なっていたのだろうか? これはちょっと考えたらすぐにわかる。第一巻『魔法使いの丘』の発行は1985年7月12日。第二巻『城塞都市カーレ』は同年8月10日。続く第三巻『七匹の大蛇』は同年9月10日。そして最終巻『王たちの冠』は同年10月10日である。そう、一月毎にテンポよく発売されているのだ。
 言うまでもなく、4巻分全ての翻訳を行うには時間がかかるだろう。4巻分の翻訳のメドが建ってから発行するという手もあっただろうが、当時は『火吹き山の魔法使い』を筆頭とするFFシリーズの日本語翻訳版を社会思想社が手がけており、創元側としても早くリリースしたかったのではないだろうか。スピーディにシリーズ物を世に出すために創元社が採った方法、それが4人の訳者による4巻同時翻訳だったのではないかと、私は想像するのである。(そう、完全に想像である。)

 まだまだゲームブックという形式の本・遊びは定着していなかった時代。そんな黎明期に4部作であるこの作品をのんびりと発行したとしたらどうなるか。当然読者は待ち時間に耐えることは難しい。ゲームブックという新しい遊びを気に入った読者はその間に次の物に手を伸ばすだろう。次の巻が出るころにはもう前の話など覚えてはいない可能性が高い。また、そんなに熱心な読者でなかった場合は、その間にゲームブックそのものから離れてしまうだろう。
 あの時代に創元社が採った方法は、決して間違っていなかったと思う。

 そう考えると、東京創元版第一巻のタイトルが『魔法使いの丘』なのもなんとなく納得がいく。社会思想社の『火吹き山の魔法使い』を意識したというのもあるだろうが、「魔法使い」という単語を用いることによって、ファンタジー色を強調したのだろう。確かにただ単に原題を直訳して『シャムタンティの丘』では地味な気がするではないか。

 今後は新訳版がスタンダード(手に入れやすさなどの面からも)となるのは想像に難くないので、このページでの表記も切り替えていく必要があるかもしれぬ。もっとも、今までも『ソーサリー!』と『モンスター事典』で表記の違いがあるものとかは適当に混ぜて使っていたので(マカリティックと粘液獣とか、バドゥ・ビートルとバドゥ甲虫とか)結構適当になる可能性も高いけれどもw

(7/26/03)

【追記】
 創土版において、ジャンの一人称は「僕」であった。

(8/9/03)

【追追記】
 原文が手に入ったので、気になっていた所をつらつらと見ていた時に、ちょっとしたショックを受けてしまった。あぁ、なんと無礼なことを書いてしまったのだろうか。

 ごめんなさい。
 訳者である中川法江様と、東京創元社の当時の担当者様、ならびに関係者各位様にお詫び申し上げます。

 どういうことかと言いますとだな。過去私はこの項において、“「ミニマイト」(第一巻)と「小さなマイト」(第二巻)など、翻訳に関する混乱が不満”と書いた。つまり私は、この双方の原文が「Minimite」だと思いこんでいたのだ。しかし手元にある原文の第二巻を見たところ、「小さなマイト」の原文は「A small Mite」だったのだ。Miteにはダニ、ごく小さい物という意味があるので、これはどうやら単に小人さんということらしい。そう思って挿絵を改めて見てみると、確かに羽根こそ生えているものの、確かに第一巻で描かれているミニマイトとは目や耳が違う。どちらかというと、同じカーレで喧嘩しているチビさんたちに似ているような気もする。もっとも第一巻と第二巻では微妙に絵柄が異なるので、この両者のイラストの差異をもって正直ハンナのペットはミニマイトではないとは言い切れないが、彼の顔立ちは、第二巻での人物描写のスタンダードタイプに近い気がする。

 ちなみに私は、「ジャンがカーレに入りたがらなかった本当の理由は、町の中に同族がいたからである。(ミニマイトという種族は、お互い協力できないようにできているらしい。)したがって、彼がカレーを迂回した時はカーニバルとは反対の壁沿いに回ったはずである。」という仮説を立てていたのだが、根底からぐらつくことになった。

(9/12/03)

【追追追記】
 新訳第2巻で「A small Mite」は「小さめの翅人」という訳語があてられ、豆人(ミニマイト)とは別種族ということで落ち着いたようだ。

(1/4/04)

★ シャムタンティの丘を越えて

 無事購入後、電車の中で一通り目を通す。残念ながら流石にこの状況ではキャラシートの記録は無理だ。降りる駅までの間、パラパラとめくってみた。やはり挿絵は素晴らしい。これが変わらなくてよかった。絵といえば、表紙絵が新しく用意されていた。モチーフはオリジナルと同じでマンティコアである。悪くは無いが、なんとなく『ソーサリー!』っぽくないかも? まぁ旧Ver.(オリジナルと同じだ)での印象が私の中では強いんだろう。
 絵単体で見れば、暗い中たたずむマンティコアというのはゲーム中の状況に沿っているし、リアルタッチというのもなかなかカッコヨロシイ。第二巻以降もオリジナルと同じモチーフで来るのだろうか。リアル肥喰らいというのは想像するだに面白怖いのだが、リアルフェネストラ(新訳では未登場なので旧訳)やリアルマンパンの大魔法使いというのは格好良さ気で期待できる。もっとも、本分イラストとのギャップが気になるところではあるが。マンティコアのような怪物系とは違い、人物画となると相当イメージが変わると思われる。そういえば、表紙のマンティコアの顔が老人には見えない気が…(汗

 さて、表紙はこれぐらいにして、次は本文に移ろう。先日調べた訳語対比を見ても判るとおり、それなりに旧訳とは違う印象を受ける。人によって好みは激しいであろうが、私個人としては浅羽訳は好みである。歯切れのいい文体、ヒルジャイアントではなく丘巨人、呪文ではなく術。カーカバードが持つ泥臭さというか、粗野というか。未知で混沌とした土地であるカーカバードの雰囲気をかもし出していると思うのである(もちろんアナランドも含まれる)。文中に登場する歌や詩(木の上の老人やヴァンカスの謎掛)の訳も、非常にそれらしくて良い。
 だが、登場人物たちの描写になると、私は安藤由紀子さんによる(第一巻)旧訳が好きだ。浅羽さんの訳はなんというか、旧訳に比べ、それぞれの登場人物たちの個性の差が少ないように感じる。たとえばアリアンナとガザ・ムーン。本文中でそれぞれ「若い女」「年取った女」と表現されている両者ではあるが、そのどちらからも同じ印象を受けるのだ。(この両者は「~だえ」口調、丁寧な口調が混ざっているのだが、パラグラフ114と78の口調が逆だったら、私の印象は大分かわっていただろう。)他には「とまれ、よそもの」が気になった。ヴァンカスとカントパーニの男がまったく同じ口調で話すのだ。少しでも差をつけてあったほうが自然な気がする。実は原文でもこの二つの「とまれ、よそもの」は同じ文章(Halt,stranger!)なのだけれどもね。

 『ソーサリー!』の登場人物たちが持つ魅力が好きな私としては少々残念ではある。だが原文を見る限り、もしかしたらその魅力は翻訳を得て紡ぎ出されている魅力なのかもしれない。もちろん、原文のもつ雰囲気を出すのが浅羽訳のいいところでもあるのだが…。

 …などと思いながら、冒険を始める私である。

(8/9/03)

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